表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン27

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4839/5957

第五章:同じ角度のまま(バンク角を深くしても“旋回力”は変わらない)



地下街区の門をくぐった瞬間、世界は“生活”の匂いに切り替わった。

湿ったコンクリート、煮沸した雑穀、古い電線の熱、そして人間の体温。地上が狩場なら、ここは巣だ。銃声ひとつで秩序が崩れ、崩れた秩序の中で子どもが死ぬ。だから地下の人間は、撃たせないために、撃つ前に奪う。


私は減速した。

減速は安全のためじゃない。“見られている”からだ。地下街区の入口には、企業のカメラより厄介なセンサーがある。人間の目。目はデータのように均質じゃない。矛盾を嗅ぐ。息の乱れ、視線の逃げ、右手の硬直――そういう細部で、走ってきた理由を当ててくる。


薄暗い通路の先、管理ゲートの横で、少年が手を上げた。

腕は細い。だが指先の動きは鋭い。合図が二つ。

「追っ手、まだいる」

「このまま真っ直ぐ行くな」


私は頷き、無言で左の支線へ入った。

支線は旧配管路の上を通る。床が微妙に傾いている。濡れた金属板が点々とし、所々に穴が開いている。ここで転んだら、拾われる前に落ちて死ぬ。だが、追っ手を“地上の理屈”に縛りつけるには、こういう場所が必要だ。


背後から、追跡者のエンジン音が地下へ滑り込んでくる。

一台。やはり、あの上手い奴。

上手い奴ほど、ここへ入ってくるのを躊躇する。躊躇するのは、“失敗が高い”からじゃない。“成果が低い”からだ。地下で撃てば証人が増える。体当たりすれば双方が壊れる。回収の効率が悪い。

それでも来るということは、私の背中の紙が、街区の運命を変えると知っている。


支線の先に、右の長いコーナーが待っていた。

半径は一定。路面は荒れているが、角度は読める。

こういうコーナーで人がやりがちな間違いがある。

「バンク角を深くすれば曲がれる」

深くすれば“曲がっている気”にはなる。だが旋回力そのものは、単純に増えない。角度を深くするほど、タイヤは横方向の力を多く負担し、余力が減る。余力が減れば、路面の揺らぎや、追っ手の一撃で破綻する。

つまり、深く寝かせるほど“戦闘には弱くなる”。


私は入口で必要な速度まで整え、バンク角を“一度で”作り、そこで止めた。

止める、というのは固めることじゃない。

角度を“これ以上増やさない”と決めることだ。

そして、その角度のまま、コーナーの出口まで走り切る。


張りを保つ。

スロットルをほんの僅かに開け、後輪に荷重を残す。

残すといっても、加速はしない。加速を狙った瞬間、後輪は軽い場所で空転する。空転は横滑りの入口だ。

狙うのは“押しつけ”だ。路面に縫い付ける感覚。第四章で掴んだ黒い接地を、ここでも維持する。 


背後で、追跡者が同じコーナーへ入る気配。

彼は私より速く、私より深く寝かせた。

深く寝かせれば、内へ入れる。内へ入れれば、出口で並べる。並べば体当たりできる。

理屈としては正しい。だが地下の路面は、理屈を裏切るためにある。


コーナー中盤、点検口の金属板。

私は入力を増やさない。

ブレーキも足さない。ハンドルも押さない。スロットルも増やさない。

ただ、張りを保ったまま通過する。

タイヤが軽くなる一瞬を、身体が知っている。知っているから、何もしないでいられる。


追跡者は違った。

深く寝かせている分、金属板の上で横方向の余力が薄い。

そこへ彼は、内へ入ろうとして“さらに”入力を足した。

足したのはほんの僅かだろう。だが余力がないところに僅かを足せば、滑りは起きる。


音がした。

短い、乾いた滑り。

彼のリアが一瞬だけ外へ出る。

彼は上手い。すぐに修正する。だが修正するということは、入力が増えるということ。入力が増えれば、次の金属板でまた危ない。


私は出口へ向けて、あえてラインを締めすぎない。

締めすぎると、出口で車体を起こすタイミングが遅れ、加速の余地が減る。

長い一定半径のコーナーは、出口が勝負だ。出口で一瞬でも早く起こし、一瞬でも早く“掴んだ分だけ”開ける。

その一瞬が、追跡者の銃口の時間を奪う。


出口。

私は車体を起こし始める。

起こしながら、スロットルを開ける。

開けながら、起こす。

この同時進行が、バイクの戦闘姿勢だ。

起こし切ってから開けると遅い。寝たまま開けると滑る。

両方の失敗の間にある細い道だけが、生き残りの道になる。


直線。

支線は狭くなり、天井が低い。

その先に、旧地下鉄の車両が“壁”のように置かれている。通路を塞ぐ障害物。

だが完全に塞いでいない。左側に人ひとり分の隙間がある。

――罠だ。隙間に誘導し、そこで落とす。


私は隙間へ入らない。

入る前に減速し、バイクを立て、車両の右側へ寄せて“別の道”を作る。

別の道は、瓦礫の上だ。滑る。跳ねる。

だが跳ねるなら、跳ねる前提で操作を減らせばいい。

瓦礫の上では、曲げようとしない。直進で越える。

直進で越え、越えた瞬間にだけ曲げる。


バイクが瓦礫を踏む。

一度、跳ねる。

跳ねた瞬間にハンドルを押さえたくなる衝動が来る。

私は押さえない。

押さえたら入力が増え、着地の瞬間にフロントが暴れ、暴れたフロントが滑りへ繋がる。

私は膝で挟み、体幹で受ける。腕は柔らかく。

着地した瞬間、タイヤが戻る。戻った瞬間だけ、ほんの僅かにスロットルを開けて張りを作る。


背後で銃声。

地下で撃つな、という暗黙の掟を、彼は破った。

破ったのは、焦りだ。

焦りは上手さを腐らせる。


弾が車両の金属を叩き、火花が飛び散った。

火花が視界を白くする。

私は反射でブレーキを握りかける。握れば転ぶ。

だから、息を吐く。吐いて、手の力を捨てる。

ここでやるべきことは、止まることではない。“線を守る”ことだ。


支線は左へ折れ、短い右が続く。S字。

S字は、入力の連続が命取りになる。

右へ倒したのに、次に左へ倒す。その切り替えで、余計な操作を増やすと破綻する。

だからS字では、次のコーナーを“先に作る”。


私は左へ入る前に、右の準備を終える。

視線を右の出口へ投げる。

身体は左へ倒しながら、頭はすでに右へ向いている。

こうすると、切り返しが遅れない。遅れないから、無理に寝かせなくていい。無理に寝かせないから、余力が残る。


追跡者がS字に入る。

彼はまだ深く寝かせる癖を捨てられない。

深く寝かせると、切り返しの時間が増える。増えた時間の分、私との差は広がる。


S字の出口で、私は一瞬だけ振り返らずに“感じた”。

彼の音が遠のいた。

転んだのか、躊躇したのか。どちらでもいい。

戦闘で重要なのは、相手の状態を知ることじゃない。自分の線が続くことだ。


線の先に、街区の中枢がある。

小さな診療所、配給所、子どもの寝床。

そこで待っているのは、政治じゃない。生活だ。

私は背中のケースを守るために走っている。

そしてその守り方は、銃よりも、交渉よりも、結局――“曲がり方”に集約される。


最後の長い右。

一定半径。出口が見える。

私は同じ角度で入る。角度を増やさない。

増やさない代わりに、張りを保ち、出口へ線を引く。

出口で車体を起こし、掴んだ分だけ開ける。

開けた瞬間、地下の空気が少し軽くなる。追跡者の気配が、消える。


私は門番の前で止まった。

止まるときも乱暴に止めない。乱暴に止めると、ここまで積み上げた“張り”が崩れる。崩れた張りは、最後の最後で転倒に変わる。

私は静かにエンジンを落とし、背中のケースを外した。


紙が一枚。

たった一枚で、配給の名簿が変わる。

変われば子どもが生きる。

生きれば、この地下は続く。続けば、地上の狩場に対して“抵抗の時間”が生まれる。


門番が紙を受け取り、黙って頷いた。

その頷きは感謝じゃない。命令でもない。

ただの事実だ。

――生き延びた。今日の分だけ。


そして私は理解する。

バンク角を深くすることは、勇気の表現じゃない。

“同じ角度のまま走り切る”ことこそが、恐怖の中で余力を残す技術であり、戦闘で生き残る作法だ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ