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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン27

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第一章:灰の環状線(コーナリング・アプローチ)



雨は降っていない。だが、路面は濡れていた。

酸性霧の夜が明けきらない都市では、舗装の細孔に染み込んだ薬品混じりの湿気が、いつまでも乾かない。街灯は節電で間引かれ、監視ドローンの赤外レーザーだけが、路面の微小な凹凸を“測量”していた。


――逃げ切れなければ、次の朝はない。


環状線の高架下。

脇道の影から飛び出した私は、軽くスロットルを開けた。エンジンの回転が上がるのは一瞬で、その瞬間に後輪が“路面を噛むか噛まないか”の境界へ滑り込む。ここで雑に開ければ、タイヤが空転し、トラクションは断ち切れ、車体は横に流れる。流れたら終わりだ。追跡者は“事故”として処理し、私の身元はデータベースから静かに消される。


背中で聞こえる。

別の排気音。二台――いや、三台。近い。

企業治安部の追跡班。制服ではない。あれは“回収屋”だ。報酬の匂いを嗅ぎつけて、個人ごと収穫する連中。


私はハンドルをこじらない。

この速度域で車体を曲げるのは、腕の力ではなく、荷重とトラクションの配分だ。まずは“止める準備”をする。

右手の指をブレーキレバーに添える。握り込まない。触れるだけでいい。ブレーキというのは制動だけじゃない。前輪へ荷重を移し、フロントの接地感を“立ち上げる”道具でもある。


前方、右の中速コーナー。ガードレールの内側は黒く汚れ、タイヤカスが溜まりやすい。外側は路面の継ぎ目が走っている。滑る要素を避けて、ラインを作る。

ただし――ここは戦闘だ。走り方は“きれい”である必要はない。生き残るラインが正しい。


背後から乾いた破裂音がした。

弾だ。高架柱に火花が散り、コンクリ片が跳ねた。ドローンが照準を補正し、追跡車両に“誘導”している。

私は呼吸を一度だけ深く吸い、吐く。


コーナー進入。

私は減速を“強く”しない。強い制動は荷重を前へ寄せすぎ、フロントは食うが、リアが軽くなる。軽くなったリアは、少しのスロットル変化で簡単に横へ出る。しかも濡れた路面では、限界の幅が細い。

だから私は、ブレーキを“短く”、そして“滑らか”に当てる。荷重移動を作るだけ。速度を削りすぎない。削りすぎれば、今度は旋回中に再加速する余地がなくなる。余地がなければ、追跡者に“同じ弧”でなぞられ、距離は詰まる。


体が自然に内側へ落ちる。

しかし車体は、いきなり深く寝かせない。いま必要なのは、まずバイクをコーナーへ“向ける”こと。

外から内へ、視線を投げる。

ヘルメットのバイザー越しに、出口の暗い隙間を探し当てる。都市の曲線は、逃げ道ではなく、狩り場の輪郭だ。だからこそ、出口を“先に見つけた者”が勝つ。


私はリーンだけに頼らない。

リーンで曲がれるからといって、リーン“だけ”で曲がろうとすると、車体は遅れてついてきて、ラインが膨らむ。膨らんだ瞬間、外側の継ぎ目でフロントが跳ね、接地を失う。

私はハンドルに軽い入力を与え、車体を“倒し込み”へ誘導する。短く、確実に。あとはタイヤが仕事をする。


追跡者が一台、コーナー手前でさらに撃ってくる。

弾は路面に当たり、湿気を含んだ粉塵が跳ね上がる。

私はブレーキを“足す”衝動を殺した。ここで足したら、荷重が前に寄り、旋回の初期でタイヤの余力が削られる。削られた余力は、次の瞬間、銃弾回避の微調整に使えなくなる。


コーナー中盤。

バイクが安定するのは、タイヤの接地面が“最適な形”で路面を噛んだときだ。車体を寝かせた角度に対して、タイヤは潰れて、接地面が楕円になる。楕円が“ちぎれない”範囲で、旋回力と加速力を配分する。

私はスロットルをほんの僅かに開け、後輪へ荷重を戻す。戻しすぎない。戻しすぎればリアが押し出し、外へ膨らむ。

必要なのは、前後の荷重を“張る”ことだ。張れば、サスペンションが落ち着き、ラインが締まる。


後ろで、回収屋の一台がミスった。

コーナー入口で減速が遅れ、バイクが寝かしきれず、外へ膨らむ。ガードレールに近づき、恐怖で腕が固まり、さらに曲がらない。

あれは技術の不足ではない。“恐怖が入力に変換された”だけだ。


都市では、恐怖はデータ化される。

心拍、視線、筋電位――全部がログとして収集され、個人の“脆さ”として売買される。

私はその市場から逃げている。だから、恐怖を腕に流さない。恐怖は肺に入れて、吐き出して捨てる。


出口。

車体を起こし始めるタイミングが、勝負を決める。早すぎれば、曲がりきらず外へ飛ぶ。遅すぎれば、立ち上がりで加速できず、追跡者に距離を詰められる。

私は外側の暗闇に“出口の幅”を感じ取り、バイクが自然に起き上がるのを待つ。待つ、といっても怠けない。次の加速に備えて、荷重が後ろへ移る準備を先に済ませる。


スロットルを少し――いや、ほんの“呼吸ひとつ分”だけ開ける。

後輪が押し出す感触が来る。路面が濡れていても、タイヤはまだ掴んでいる。掴んでいる限り、加速は武器になる。

私は一気に開けない。大きく開ければ、トラクションが負ける。負けた瞬間、後輪は空転し、車体は横を向く。横を向いたバイクは、追跡者の弾の的だ。


背後で再び銃声。

だが距離が離れた。

私は“勝った”とは思わない。戦闘で勝利を確信した者から死ぬ。確信は反応を鈍らせる。都市は確信を狙う。


次の区画へ。

環状線の分岐に差しかかり、左へ鋭角のコーナーが口を開けている。ここは低速寄り――最悪の地形だ。速度が落ちるほど、バイクは倒しにくくなる。リーンだけでは曲がれない。速度がないと、車体は内へ倒れたがらない。

この速度域では、“曲げる意思”が必要になる。


私は一瞬だけ、車体を立て、速度を“必要な分だけ”削る。

そして、低速の旋回に入る。

ハンドルの入力は大きくなるが、乱暴に切らない。切った瞬間、フロントが滑れば、復帰は難しい。

私は視線を出口に固定し、腕ではなく体幹でバイクを支え、内側へ回り込む。細い通路。壁が近い。ここで膨らめば、肩を擦って終わる。


追跡者は二台に減った。

だが残った二台は上手い。音で分かる。無駄な空転がない。減速も滑らかだ。

――同業者だ。もともと走れる連中が、企業の金で“狩り”をする側に回った。


都市が崩れたあと、技能は資源になった。

食糧、薬、電力、そして“移動”。

移動できる者が強い。移動できない者は、あらゆる制度から置き去りにされる。 


私は、移動のために生きているわけじゃない。

私は、届けるために走っている。

背中のカーボンケースには、紙が一枚入っている。電子署名ではなく、紙のインクで書かれた、古い形式の契約書。

これがあれば、地下街区の子どもたちは“回収”ではなく“登録”される。登録されれば、最低限の配給が出る。

たったそれだけのために、私は追われている。


前方。

監視ドローンの影が、路面に滑るように落ちた。

そこから一瞬遅れて、道路脇のシャッターが開き、黒いワイヤが伸びる。――罠。前輪を取って転ばせる装置。

私は即座にラインを変えない。急な回避は、濡れた路面では“転倒の予約”だ。


私はまず、荷重を作り直す。

微かなブレーキでフロントを“立て”、次にスロットルをほんの僅かに開けてリアに張りを作る。張りができた瞬間、車体は“命令に従う”。

その一拍で、私はワイヤの手前でバイクを軽く起こし、外側へ半車線だけずらした。

ワイヤはタイヤのすぐ横を空振りし、路面で火花を散らしながら引っ込む。


追跡者の先頭が、同じ罠を踏みかけた。

彼は間に合わない。

ブレーキで止めるしかないが、止めたら後続と詰まる。詰まれば私の勝ちだ。

だが彼は止めない。上手い。止めずに曲げる。


彼は車体を深く寝かせ、ワイヤの上を“細いライン”で通そうとした。

その瞬間、前輪がわずかに滑った。濡れた路面、金属ワイヤ、荷重の不足。

滑りは一瞬だったが、一瞬で十分だ。

彼のバイクは外へ膨らみ、肩がガードレールに触れ、火花が散った。


私は振り返らない。

勝者は、背後に物語を作らない。

作った瞬間、背後の出来事に脳の帯域を割き、次のコーナーで死ぬ。


次の曲線へ。

私は呼吸を合わせ、指をレバーに添え、視線を出口へ投げる。

都市の曲線は、まだ終わらない。

そして戦闘は、ここから“本番”になる

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