第5章:王国の崩壊と鉄の決断
2050年2月24日、午前3時15分。
セクター881は、物理的な破壊と電子的な暴風雨の渦中にあった。
「方位090から120! 敵重装甲歩兵、第3外周を突破! 防衛システム、完全沈黙!」
通信士の悲鳴が、爆音と衝撃波にかき消される。敵軍の総攻撃は、まず軌道上からの精密電磁パルス(EMP)攻撃によって幕を開けた。俺たちの誇る最新鋭のステルス網も、自律防衛ターレットも、今はただの沈黙した鉄の塊に過ぎない。
「大尉! 奴ら、もうすぐそこまで来てます! どうすればいいんですか!」
カイトが、作動しなくなったARゴーグルを剥ぎ取り、剥き出しの瞳で俺を見つめる。その瞳には、かつての記録映像で見た、塹壕の中で震える100年前の兵士と何ら変わらない、根源的な死への恐怖が宿っていた。
「慌てるな。……まだ、俺たちの手には引き金がある」
俺は重装甲服のマニュアル・オーバーライドを起動した。電子制御を切り離し、純粋な油圧と筋肉の力だけで動く「鋼鉄の皮膚」へと切り替える。視界はゴーグルのセンサーではなく、防弾ガラス越しに広がる、火炎と血に染まった現実の世界だ。
ドォォォォォン!!
壕の入り口が爆砕された。
炎の中に現れたのは、敵の強襲歩兵部隊だ。彼らもまた、電子戦を捨て、物理的な破壊を選んでいた。手にしたレールガンの銃口が、青白い放電とともにこちらを向く。
「撃て! 殺せ!」
俺はパルス小銃を乱射しながら、最前線へと飛び出した。
泥と肉が弾け、火薬の臭いとオゾンの香りが混ざり合う。至近距離での殺し合い。21世紀半ばの高度な戦術など、ここには存在しない。あるのは、どちらの生存本能がより鋭いかという、原始的な競争だけだ。
「アーネスト、右翼を支えろ! カイト、負傷者を奥へ運べ!」
「無茶だ、大尉! 数が多すぎる!」
アーネストが叫びながら、故障した重火器を棍棒のように振り回し、敵兵のバイザーを叩き割る。その姿は、高地の王に仕える騎士というよりは、地獄の番犬のようだった。
俺たちの「王国」は、一分ごとに削り取られていく。
壕の中は、味方の悲鳴と敵の無機質な戦闘ボイスが重なり合い、耐え難い不協和音を奏でていた。
「……大尉、緊急通信です」
隅で震えていた通信士が、かろうじて生きていた旧式の有線回線を手渡してきた。
『こちら、高地司令部。セクター881の防衛維持は不可能と判断した。……プラン・ゼータを発動せよ』
「プラン・ゼータだと? 冗談を言うな!」
プラン・ゼータ。それは、敵の侵入を許した重要拠点を、軌道上からの高出力レーザーで「浄化」することを意味する。つまり、味方もろともこの高地を焼き払うという宣告だ。
「……まだ部下が生きている! 撤退の時間をくれ!」
『……時間は残されていない。敵にセクター881の通信プロトコルを奪われれば、後方の全防衛網が瓦解する。……大尉、あんたは「王」だろう。最後の大仕事だ。……座標を固定しろ』
通信が切れた。
俺は、手の中に残った無機質な受話器を見つめた。
目の前では、カイトが必死に負傷した戦友を抱え、崩落する壕の中で出口を探している。アーネストは、迫り来る敵の波に飲み込まれながらも、なおも叫び続けている。
俺はこの高地の「王」だ。
部下を守る義務がある。だが、「王」の義務とは、時に一握りの民を犠牲にして、国全体を守ることでもある。
「……カイト! 全員を第4避難壕の最深部へ入れ! 耐熱シールドを最大にしろ!」
「えっ? でも、あそこは……!」
「いいから行け! 命令だ!」
俺はカイトを突き飛ばし、一人、司令部への座標固定コンソールへと向かった。
背後から敵兵が迫る。レールガンの弾丸が俺のリグの肩を砕いた。激痛が走るが、俺は止まらない。
指が、血で滑る。
100年前、高地の王と呼ばれた指揮官が、孤独の中で下した決断が、俺の脳裏をかすめる。彼は孤独だった。そして俺も今、完成された孤独の中にいる。
「……セクター881、座標固定。ターゲットは……俺たち自身だ」
俺は、確定スイッチを叩いた。
直後、空が割れた。
雲を切り裂き、神の指先のような白銀の光柱が、宇宙から降り注ぐ。
霧が、闇が、そして敵も味方も、すべてが白一色の世界へと飲み込まれていった。
俺の意識が途切れる寸前、聞こえたのは爆音ではなく、あまりにも静かな、雪が降るような音だった。




