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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン27

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第3部 第4章:五感のオーバーロード



アウグストゥスの船殻を叩く宇宙線の響きが、いつの間にか「湿った足音」のように聞こえ始めていた。ブリッジを満たしているのは、火星の地下遺構から持ち出した10万年前の知的生命体のログ――彼らが肉体を捨て、純粋な情報生命体へと移行した瞬間の記憶だ 。

+1


「……っ、ハプティクスの……フィードバックを切って……! 誰かが、私の皮膚の内側を……歩いている……!」


藤代エレンは叫んだが、自分の声が自分の喉から出ているのか、それとも10万年前の誰かの喉が鳴っているのか、その判別すらつきかねていた。彼女が握りしめるコンソールの金属の冷たさは、突如として「死にゆく誰かの冷えた指先」の感触へと変質し、彼女の脳内に直接、情報の洪水となって流れ込んだ 。

+3


ハプティクススーツを介して3人の精神を物理的に侵食しているのは、デジタル化された「肉体を捨てた際の後悔」の波形だった 。彼らは情報の海へ漕ぎ出した瞬間、代謝や腐敗といった有機的なノイズから解放されたが、同時に「自分が自分である」という感覚のいかりを失ったのだ 。

+4


「エレン……ランス……! 私の腕が、壁の中に……溶けていく……!」


天野ジェネットが、自身のMCUマイクロ・コンストラクターを握る手を必死に見つめている。だが、彼女の視覚はオーバーロードを起こし、実在の腕と、遺構が記憶している「結晶化した誰かの腕」のデータが重なり合い、境界線が曖昧になっていた 。

+2


ジェネットの脳裏には、彼女自身の記憶ではない光景が明滅した。それは、愛する者の体温を、情報の「数値」としてしか認識できなくなった瞬間の、凍りつくような絶望。触れているのに、触れていない。抱きしめているのに、そこに質量がない。


「これが……奴らの末路よ。感覚の欠如という名の、終わりのない地獄……!」


ジェネットは叫び、スーツの感度を無理やり物理スイッチで叩き落とそうとした。だが、脳波インターフェースで直結されたシステムは、彼女の「拒絶」すらも、10万年前の住人が感じた「消失への恐怖」として学習し、さらに強烈な触覚フィードバックを返し続けていた 。

+2


神崎ランスは、3人の中で最も深く、情報の深淵に沈んでいた 。彼の意識は、自己の境界線が霧散し、10万年前のゲノム情報と自身のDNAが演算上で混ざり合うプロセスを、冷徹な観測者の視点で「体験」していた 。

+3


「……エレン。生命の境界線は……、情報の整合性によって……保たれているのではありません……」


ランスの声は、もはやスピーカー越しではなく、エレンの脳内で直接共鳴しているかのようだった。 「彼らは……、『痛み』を捨てたことで、……情報の『輪郭』を失った。……今、我々が体験しているこの五感のオーバーロードこそが、……、10万年かけて石になった彼らが、……、死に物狂いで求めた『実存』の叫びです……」


ランスのバイザー越しに見える瞳は、すでに彼自身の意志ではなく、遺構に残留する「自律型メンテナンス・システム」の光を宿していた 。彼は自身の肉体が、情報の受容体として再構成されるプロセスに、あえて身を投じていた 。

+1


「……ランス、戻ってきなさい! 飲み込まれたら、あなたは二度と『神崎ランス』に戻れないわ!」


エレンは、自分自身の足が床を突き抜けてアウグストゥスの船体そのものに溶けていくような、圧倒的な「同化」の感覚に耐えながら、ランスの肩を掴んだ 。その接触すらも、情報の嵐の中では「電子の衝突」のように無機質な火花を散らす。

+1


ブリッジのスクリーンには、Ω(オメガ)が禁じた「不純な現実」の波形が狂ったように踊っている 。 彼らが持ち込んだ10万年分の「後悔」は、アウグストゥスという鉄の箱の中で、もはや制御不可能な物理現象へと変貌していた 。

+2


(――重い。冷たい。暗い。痛い。)


エレンの五感を焼き切ろうとする情報の奔流。それは、10万年前の彼らが「進化」という美名の下に捨て去った、しかし生命の本質であった「不自由さ」の総量だった 。

+1


「……私は、私はエレン・リプリー! 私は……、RJ(共和政日本)の部品じゃない!」


エレンは、脳内に流れ込む他者の記憶を、自身の「怒り」という名の物理的な熱量で焼き払おうとした。彼女は、スーツの内側に爪を立て、あえて自らの肉体に「痛み」を刻み込んだ 。

+2


その鋭利な物理刺激が、崩壊しかけていた彼女の精神の輪郭を、一瞬だけ鮮明に描き出した 。


「ジェネット! ランス! 痛みを……、自分自身の肉体の痛みを……思い出して! それが、私たちがここにあるための、唯一の錨よ!」


エレンの叫びが、情報の海を切り裂いた。 オーバーロードを起こしていたハプティクススーツが、一際大きく激しいスパークを上げ、3人の意識を、それぞれの不完全で、重く、痛みに満ちた「物理肉体」へと力任せに引き戻した 。

+2


アウグストゥスのブリッジには、再び激しい静寂と、クルーの荒い呼吸音だけが戻ってきた。 窓の外には、情報の海を拒絶するように、巨大な木星の瞳が冷たく輝いている。


彼らは、10万年前の亡霊たちがなし得なかった「情報の侵食への勝利」を、自分たちの不完全な五感で掴み取っていた。だが、その代償として、彼らの精神の奥底には、決して消えない「不純な共鳴」の傷跡が刻まれていた。

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