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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン1

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45/8107

破滅を止める者たち――首里の共同戦線

首里城の丘陵を地下深く掘り抜いた、第32軍司令部壕の一角。

坑木を組み合わせた低い天井からは、絶え間なく地下水が染み出し、足元の泥濘を濡らしていた。壕内に滞留するのは、カビの胞子と防毒マスクの劣化したゴム、そして発電機が吐き出す不完全燃焼の重油の臭気。湿度は九〇パーセントを超え、裸電球のフィラメントが黄色く滲んで揺れていた。


その粗末な杉材の作戦机の上に、異質な光景が広がっていた。

海上自衛隊が艦内から持ち出した耐環境型ノートPC「タフブック」の液晶画面が、青白い冷光を放っている。その隣には、リチウムイオン蓄電池の残量を示すインジケーターが赤色点滅を繰り返していた。残余電力、三四パーセント。衛星通信アンテナも、防衛省のクラウドサーバーも存在しないこの一九四五年の地球において、バッテリーの消耗はそのまま、彼らが持つ「知性」の死を意味していた。


机を囲むのは、歴史の断層を挟んで向かい合う二つの軍の指揮官たちだった。

第32軍司令官・牛島満陸軍中将、参謀長・長勇陸軍少将、そして奇跡的に座礁生還を果たし、今や首里沖の固定要塞となった戦艦「大和」の副長・森下信衛海軍大佐。

対するは、ヘリ搭載護衛艦「いずも」艦長兼群司令・片倉一等海佐、戦術幕僚の神谷一等海佐、電子戦士官の三条律二等海尉、そして連絡将校として陸上に留まっていた山名三等海尉である。


沈黙を破ったのは、山名が鉛筆を走らせる乾いた音だった。

山名はタフブックに表示された慣性航法(INS)ベースの敵艦隊グリッド座標を、手計算で換算係数を掛けながら、旧陸軍の五万分の一地形図と海軍海図へ赤鉛筆で転記していた。

「……司令、座標変換完了しました。我々のWGS-84楕円体座標系から、日本測地系(ベッセル楕円体・旧東京測地系)への補正値は約四百二十メートル。これを誤ると、大和の主砲射撃方位盤に渡す諸元が完全に狂います」

「ご苦労、山名三尉。通信はどうだ」

「極超短波(UHF)および見通し線(LOS)通信しか使えません。電離層反射を利用した短波(HF)通信は、米軍の方向探知機ハフダフに位置を特定される危険が高すぎます。『いずも』本隊とは、一日三回、三十ミリ秒以内の周波数跳躍バースト通信のみで接続を維持しています」


神谷が苦渋に満ちた表情で補足した。

「GPS衛星、準天頂衛星『みちびき』、防衛通信衛星『きらめき』……すべてこの空には存在しません。我々の艦隊は現在、ジャイロの機械的ドリフト(累積誤差)を天測と地形照合航法で騙し騙し修正しながら、針路を維持している状態です。誘導弾の命中精度も、衛星補正が得られないため、中間誘導は慣性航法装置と自艦レーダーの目視線追尾のみに依存しています」


長勇少将が、太い眉を吊り上げて身を乗り出した。軍刀の鞘が軍服に擦れて鈍い音を立てる。

「片倉艦長、難しい理屈はよい! 我が軍令部および陸軍参謀本部が震撼しているのは、貴官らが持ち込んだ二つの報せだ! まず一つ……米軍が開発中という『新型爆弾(原子爆弾)』、これが四発に増産され、帝都・東京と北九州の工業地帯にまで投下されるというのは真か!」


「……極めて高い確度を持つ事実です」

三条二尉が、傍受・デコードした米陸軍航空軍の通信記録を差し出した。

「当初の歴史において、米軍がマンハッタン計画で実戦配備したのは二発――ウラン型の『リトルボーイ』とプルトニウム型の『ファットマン』であり、目標は広島と長崎でした。しかし、我々自衛隊の介入によって沖縄の第十軍が壊滅的打撃を受け、B-29大編隊が撃墜されたことで、ワシントンの統合参謀本部は激震に見舞われました。『通常兵器では日本本土の狂気と未知の超兵器を制圧できない』という恐怖が、原爆製造ラインの総動員と、政治中枢たる東京への投下決定という最悪のバタフライ効果を引き起こしたのです」


「馬鹿な……!」

大和副長・森下大佐が呻いた。その浅黒い顔が蒼白に染まる。

「大和を救い、沖縄の同胞を守るために戦った結果が、帝都を灰燼に帰し、何十万もの無辜の民を焼き尽くす引き金になったというのか……! 勝利を掴もうともがけばもがくほど、破滅の顎が我が国を丸呑みしようと迫ってくるではないか!」


森下の慟哭に近い言葉に、地下壕の空気は氷点下まで凍りついた。

自衛隊員たちもまた、言葉を失っていた。専守防衛を叩き込まれ、同胞を救うために過去へと跳んだ彼らの行動が、結果として歴史上最悪の虐殺計画を前倒しさせ、拡大させていた。その罪の意識が、胃の腑を鋭利な刃物で抉るように痛む。


さらに、片倉が告げたもう一つの事実は、彼ら自衛隊自身の首をも締め上げるものだった。


「そして……もう一つの危機です。大本営の電探が捉えた太平洋東方の巨大な特異電波源。周波数解析の結果、それは我々と共に二〇二五年の海域から時空を超えて転移してきた米海軍のニミッツ級原子力空母『ドナルド・レーガン』と断定されました」

「十万トンの巨艦……原子力という、無尽蔵の動力で動く船だな」

牛島が静かに問う。

「はい」片倉は頷いた。「レーガン単艦の航空打撃力は、現在の米太平洋艦隊の全正規空母群に匹敵します。搭載機スーパーホーネットは約六十機。超音速で飛来し、夜間・悪天候を問わず、赤外線誘導爆弾や長距離空対艦ミサイルを投射できる。もし一九四五年の米軍が、未来の自軍兵器であるレーガンの運用要員と合流し、その兵站と弾薬を掌握したならば……」


「我が大和の四十六センチ砲も、貴官らの護衛艦も、触れることすら叶わずに海の藻屑となる、ということか」

牛島の言葉に、神谷は重い肯きを返した。

「……それ以前に、我々の戦力そのものが、すでに物理的限界を迎えています」


神谷は手元のバインダーを開き、海自先遣隊の残存兵装リストを読み上げた。数字の一つ一つが、死刑宣告に等しかった。

「八八式・一二式艦対艦誘導弾、残弾合計四発。発展型シースパロー(ESSM)短魚雷、残り六発。イージス艦のVLS(垂直発射装置)セルは八割が空です。艦載76ミリ速射砲弾は一斉射分を残すのみ。さらに深刻なのは燃料です」

神谷は机を見つめた。

「護衛艦の主機であるLM2500ガスタービンエンジン、および哨戒ヘリSH-60KのT700ターボシャフトエンジンは、高度に精製されたジェット燃料(JP-5)または超低硫黄軽油でしか稼働しません。この時代の日本本土にある松根油や低オクタンガソリン、不純物だらけの粗悪な重油を流し込めば、燃焼器のノズルが数分で詰まり、タービンブレードが焼き付いて二度と動きません。我々の艦隊が機動できる航続時間は、残りわずか四十八時間です」


補給なき孤立。

弾薬の補給も、部品の交換も、一九四五年の工業水準ではネジ一本すら互換性がない。

現代兵器という圧倒的な牙は、インフラとサプライチェーンという生命線を断たれた瞬間、急速に錆びゆく鉄の塊へと変わりつつあった。


二重の破滅。

四発の原子爆弾による帝都消滅。

そして、過去の米軍の手に落ちようとしている未来の超巨大原子力空母の進撃。


壕内に満ちたのは、完全な手詰まりという名の絶望だった。長勇は拳を固く握りしめ、森下は天井を仰ぎ、三条は青ざめた顔で唇を噛み切るほどに強く結んでいた。


「……だが、諸君」


その重苦しい暗雲を切り裂くように、澄んだ、低い声が響いた。

牛島満であった。

陸軍中将は、泥に汚れた軍服の襟を正し、静かに立ち上がった。その双眸には、恐怖も動揺もなかった。ただ、軍司令官として何万もの将兵の生死を背負い、死地に立ち続けてきた者だけが持ちうる、底知れぬ静謐が湛えられていた。


「我らは軍人である。事態が困難を極めたからとて、誰が絶望に身を委ねてよいと許したのか」

牛島は、作戦机の上のタフブック、そして赤鉛筆で書き殴られた海図を交互に見据えた。

「片倉艦長。貴官らは八十年の時を遡り、同胞の血を少しでも留めんとして、この地獄の戦場へ身を投じた。その志に、嘘偽りはなかったはずだ。そして我ら第32軍も、本土防衛の捨石と言われようとも、一歩も引かずにこの島を支え続けている。目的はただ一つ、この国を、皇国の未来の民を生き残らせるためだ」


牛島の視線が、片倉を射抜いた。

「未来の知恵を持つ貴官らと、死を恐れぬ我ら将兵の命がある。まだ一発の弾丸が残り、一滴の油が残っている。ならば、打つ手がないなどと、誰が言えるのか」


片倉の胸の奥で、何かが激しく脈打った。

補給がない。弾薬がない。通信もない。データリンクも切れた。現代の戦術ドクトリンからすれば、作戦行動不能と判定される絶望的な状況だ。しかし、目の前にいる一九四五年の指揮官は、最初から何一つ持たない飢餓と欠乏の極限の中で、なお国のために牙を研ぎ続けている。


「……牛島閣下のおっしゃる通りです」

片倉は深く息を吸い込み、迷いを振り払うように顔を上げた。

「我々自衛隊は、膝を屈するためにこの時代に来たのではありません。……神谷、三条、山名。残存戦力で実行可能な、唯一の反撃計画を提示する」


片倉は海図の沖縄東方海域、そしてマリアナ諸島テニアン島を指先で叩いた。


「第一に、敵原子力空母『ドナルド・レーガン』の無力化です。正面から航空戦を挑めば全滅します。しかし、レーガンもまた我々と同様、二〇二五年のGPS衛星や米軍戦術衛星ネットワークを喪失しているはずです。彼らも慣性航法と自艦レーダーに頼らざるを得ない」

片倉の眼光が鋭さを増す。

「三条二尉の電子戦能力を用い、敵艦の戦術データリンクの偽装電波欺瞞、および自立型欺瞞ジャミングを仕掛け、レーガンのレーダー網に一時的な『盲点』を作り出す。そこへ、電波反射断面積(RCS)が極めて小さい我々の残存ステルス機、あるいは水面スレスレを這う超低空進入により、最後の一二式艦対艦誘導弾を叩き込む。狙うのは撃沈ではない。飛行甲板のカタパルトと着艦ワイヤーの破壊、すなわち航空機発着艦機能の完全無力化です」


「そして……大和の出番だな」

森下大佐が身を乗り出した。その瞳に、かつての闘志が蘇っていた。

「そうだ、森下大佐」片倉が力強く頷く。「航空機を失ったレーガンは、十万トンの巨大な標的に過ぎない。空母無力化の混乱に乗じ、大和の三式弾と徹甲弾による長距離曲射砲撃を浴びせ、完全に艦隊機能を停止させる。自衛隊の光波測距儀とレーザー照射機を前進観測班として陸上に配置し、大和の方位盤へリアルタイムで補正諸元を手動伝達します」


「うむ……! 我が四十六センチ主砲の残弾は百二十発以上ある。貴官らの眼があれば、水平線の彼方の巨艦とて叩き潰してみせる!」

森下の拳が、力強く机を打った。


「そして第二の目標――四発の原子爆弾の阻止です」

片倉の声が、ひときわ低く沈んだ。

「原爆を搭載したB-29は、マリアナ諸島テニアン島から飛び立ちます。原爆の部品を運ぶ米重巡洋艦、そしてテニアンの基地機能。我々は残された潜水艦用魚雷と、電子戦による偽装通信を用い、敵の輸送ルートと組立拠点を攪乱・阻止する。米軍最高指導部に『これ以上の侵攻は、未来兵器の電磁報復により本土中枢壊滅を招く』と誤認させ、原爆投下を躊躇させる政治的・軍事的大打撃を与える」


息を詰めて聞いていた長勇が、獰猛な笑みを浮かべた。

「……面白い。全滅を待つだけの塹壕戦より、よほど武人の血が騒ぐわ。貴官らの精密な頭脳と、我が軍の狂気じみた突撃力……噛み合えば、神仏とて止められんかもしれんな」


「ただし」片倉は釘を刺すように言った。「この作戦を開始すれば、我々の艦の燃料は完全に底をつき、ミサイルは一発も残らなくなります。レーダーも発電機も止まり、二度と現代へ戻る手掛かりすら失われる。我々海上自衛隊にとって、文字通り片道切符の作戦です」


「片道切符、か……」

牛島満は、穏やかな笑みを浮かべた。

「我ら第32軍十万将兵、そして沖縄の民もまた、最初から片道切符の戦場に生きておる。貴官らだけを死なせはせんよ。この国の明日を信じて散っていった無数の魂にかけて、我らもまた、持てる命のすべてを賭して貴官らを支えよう」


牛島は静かに右手を差し出した。

片倉は躊躇うことなく、その固く骨張った手を握りしめた。

泥と汗にまみれた昭和の陸軍大将の手と、現代の最新鋭艦を率いる令和の海佐の手。八十年の歳月を隔てた二つの時代が、祖国を未曾有の破滅から救うという唯一の意志のもとに、いま真に一つに結ばれた。


首里城地下の薄暗い壕内で、過去と未来の混成軍による、人類史上最も過酷で精密な反撃作戦が静かに胎動を始めていた。


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