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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン26

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第147章 第3章:暇つぶしサークル、野本の過去を「鑑定」する


 大学の片隅にある「暇つぶしサークル」の部室は、今日も今日とて生産性という言葉をあざ笑うかのような空気に包まれていました。

 私は部室のパイプ椅子に深く腰掛け、小宮部長と橋本副部長の視線を受け止めていました。二人の前には、私が持参した「泉ヶ原時代のアルバム」が開かれています。正確には、梨花さんが「娘を一流に見せるため」だけにプロのカメラマンに撮らせた、過剰に美しい写真の数々です。

「……なるほどね。これはもはや、ポートレートというよりは『静物画』に近いわね」

 小宮部長がルーペ(どこから出してきたのでしょうか)で写真を覗き込みながら呟きました。

「見て、この野本さんの表情。まるで自分の意志でそこに座っているのではなく、高価な花瓶の一部として配置されているような……この無機質な存在感、シュルレアリスムを感じるわ」

「部長、それは褒めているのですか?」

 私は紺色の眼鏡を中指で押し上げながら尋ねました。

「ええ、最大級の賛辞よ。この泉ヶ原さんという資産家、背景の盆栽の剪定具合から見て、相当な完璧主義者ね。そこにこの『野本』という地味な異物が混入することで、画面に緊張感が生まれている。素晴らしい構図だわ」

 橋本副部長は、横から数値を書き込んだノートを差し込んできました。

「小宮さん、芸術論もいいが、この住宅の延べ床面積と維持費を計算してみたまえ。野本さん、君がこの時受けていた『教育コスト』は、一般的な大学生の仕送り額の約8.4倍に相当する。君の人生というリレーにおいて、泉ヶ原区間はもっとも時速が速く、かつ路面状況が安定していた黄金期と言える」

「橋本さん、時速と言われましても。私はただ、毎日巨大なピアノの前で、自分の指が独立した生き物のように動くのを眺めていただけです」

 私は、当時の記憶を掘り起こしました。

「泉ヶ原さんは、私に何も求めませんでした。ただそこにいて、ピアノを弾き、時折一緒に庭の苔を眺める。梨花さんはと言えば、豪華なドレスを翻して夜の街へ消えていく。私は、大理石の冷たさを通じて、世界には『静止した愛情』というものがあるのだと学びました」

「『静止した愛情』……。いいフレーズね。それ、次の学祭の展示テーマにしましょうか」

 小宮部長がキャンバスに筆を叩きつけました。

「でも野本さん、その安定した黄金期を、梨花さんは自ら壊したわけでしょう? せっかく手に入れた最高のマチエールを、彼女はどうして塗りつぶしたのかしら」

「それは、梨花さんが『飽き性』だったからではありません」

 私はきっぱりと言いました。

「彼女は、泉ヶ原さんの家が私にとって『温かすぎる温室』であることを見抜いたのです。植物は温室で美しく育ちますが、外の風を知らないままでは、いつか根腐れを起こす。梨花さんは、私というバトンをさらに遠くへ飛ばすために、あえて荒野へ投げ出す準備を始めたのです」

 部室のドアが勢いよく開き、重子と山田が雪崩れ込んできました。

「ちょっと野本さん! 廊下で聞こえたわよ、『黄金期』とか『温室』とか。あんた、実はものすごいお嬢様だったわけ?」

 重子が目を血走らせて詰め寄ります。

「重子さん、過去形です。今はただの、ポトフの灰汁取り担当の野本です」

 山田がアルバムを覗き込み、絶句しました。

「うわ、何だこれ……この庭、ゴルフ場かよ。野本、お前、こんな生活から今の『森宮さんの手料理(茶色)』生活にランクダウンして、よく発狂しないな」

「山田さん、それは認識の誤りです」

 私は静かに、しかし断固として言いました。

「大理石の上で食べるキャビアよりも、森宮さんが『計算通りの塩分濃度だ』と自慢しながら出す味噌汁の方が、今の私には血肉になる。梨花さんは、それを知っていた。だから彼女は、私を泉ヶ原さんの元から連れ出し、同窓会で再会したという、最も『普通』で『誠実』な男――森宮さんに、私の手を握らせたのです」

 橋本副部長が眼鏡を光らせ、ボソリと言いました。

「野本さん。君の言う通りなら、梨花さんという女性は、稀代の『人生投資家』か、あるいは……自分を犠牲にしてまでバトンを繋ごうとする、狂信的なランナーだ」

 小宮部長が、赤色と青色が複雑に混ざり合った絵の具をキャンバスに塗りたくりました。

「いいわ。この第3章のタイトルは『鑑定』じゃない。『再定義』よ。野本さんの人生を、可哀想な生い立ちから、壮大なアートへと再定義する。さあ、次は森宮さんという『新しい色彩』がどう混ざり合ったか、詳しく聞きかせて」

 私は、部室の窓から見える夕焼けを眺めました。その色は、泉ヶ原さんの家の高い天井から見た夕日よりも、ずっと近く、そして温かく感じられました。

 私はゆっくりと、森宮さんが初めて私のために作った、少し味の薄い卵焼きの思い出について語り始めました。

(第3章・完)


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