第50章 第一章:闇からの奪還――ミッテルベルクの略奪品
【新寺子屋・大講義室】
「はい、こんにちは。新寺子屋の講師、南條です」
教壇に立つ南條は、ホワイトボードの中央に一枚の円盤のイラストを描き、その周りを金色のチョークで力強く縁取った。彼の背後にあるスクリーンには、深い緑青を纏い、金箔の星々が散りばめられた美しい円盤が映し出されている。
「皆さん、前回の『サブルの円盤』では古代エジプトの超絶技巧に驚かされましたね。ですが、今日扱う遺物は、それ以上にドラマチック……いえ、もはやサスペンス映画のような経緯を経て我々の前に姿を現したものです。それが、この**ネブラ・スカイ・ディスク(Nebra Sky Disk)**です」
南條は眼鏡を押し上げ、教壇の前列に座るいつもの顔ぶれを見渡した。野本は、いつものように独特な感性でノートを広げ、その隣では暇つぶしサークルの小宮部長や山田たちが、少し眠たそうに、しかし期待に満ちた目でスクリーンを見つめている。
「この円盤は、直径約30cm、重さ約2kgの青銅製です」 南條がホワイトボードに数値を書き込む。「一見すると古びたお盆のようにも見えますが、実はこれ、人類がこれまでに発見した中で**『具体的な宇宙の姿を描いた最古の工芸品』**として、ユネスコの『世界の記憶』にも登録されている、とんでもないお宝なんです」
> 【専門用語解説:世界の記憶(記憶遺産)】
> ユネスコが推進する、歴史的に重要な古文書、写本、あるいは遺物などの保存とアクセスを目的としたプログラム。 日本では『山本作兵衛炭坑記録画』や『上野三碑』などが登録されています。
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「世界の記憶……。なんだか、私たちの『暇つぶしサークル』の活動記録も、いつか登録されないかしら」
野本がぽつりと呟いた。小宮部長が「それは無理よ、野本さん」と即座にツッコミを入れる中、教室の隅に座っていたABISの捜査官、伊達が低く重厚な声を出した。
「南條さん。こいつの発見の経緯については、俺たち警察関係者からすれば、あまり気分のいいもんじゃない。……こいつは、文字通り『闇』から引きずり出された遺物だからな」
伊達の左目の義眼が怪しく光る。その肩には、ホログラムとして具現化したAI、AIボールが座っていた。
「そうね、伊達。……皆さん、この円盤の物語は、1999年の夏、ドイツのザクセン=アンハルト州ネブラ近郊にあるミッテルベルク山から始まるわ」
> 【専門用語解説:ミッテルベルク山(Mittelberg)】
> ドイツ・ネブラ近郊に位置する標高252メートルの丘。 周囲に2重の環状土塁を持ち、古代の天文観測施設としての機能を備えていたと考えられています。
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「1999年、二人のトレジャーハンターが、金属探知機を持ってこの山に不法侵入したんだ」 伊達がスクリーンに当時の捜査資料の一部を投影する。
> 【専門用語解説:トレジャーハンター】
> 公的な許可を得ず、金銭的利益を目的として遺跡を違法に発掘し、遺物を盗み出す人々のこと。 考古学的には、遺物が発見された正確な状況(文脈)を破壊する重大な犯罪行為とみなされます。
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「彼らはミッテルベルク山頂付近で強い金属反応を感知した」 AIボールが補足する。「そして、土を掘り返した際、彼らのシャベルがガツンと何かに当たった。それが、3600年以上も眠っていたこのディスクだったのよ。……残念なことに、その時の衝撃で円盤の端が欠け、星の一つが剥がれ落ちてしまったわ」
「ひどい……。3600年も守られてきたのに、たった一人のシャベルで傷ついちゃうなんて」
野本が悲しそうに目を伏せた。
「その通りです、野本さん。しかも、彼らはこの発見を国に報告しなかった」 南條が声を強める。「彼らはこの円盤を、同時期に出土した二本の剣や手斧と共に闇市場に流しました。ここから、この歴史的至宝の数年間にわたる放浪が始まります。複数のブローカーの手を渡り歩き、一時は国外への密輸も企てられました」
「まるで、『AI: ソムニウム ファイル』の事件現場みたいだね」 瑞稀が少し興奮気味に言った。「それで、どうやって取り戻したの?」
「ここで登場するのが、ドイツの考古学者ハラルド・メラー博士だ」 伊達がニヤリと笑う。「彼は2002年、遺物奪還のためのおとり捜査に全面協力したんだ」
> 【専門用語解説:おとり捜査】
> 捜査員や協力者が購入者などの身分を偽って犯罪者に近づき、犯罪の実行を確認した時点で逮捕する捜査手法。
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「メラー博士は、円盤の『買い手』を装って、スイスのバーゼルにある高級ホテルのバーでブローカーと接触した」 南條がその様子をホワイトボードに芝居がかって描き出す。「緊迫した交渉。ブローカーがバッグから円盤を取り出した瞬間、張り込んでいた警察隊が突入! こうして、ネブラ・スカイ・ディスクは無事に保護され、闇のルートから救い出されたのです。これが2002年2月の出来事でした」
「かっこいい……! メラー博士、ヒーローじゃないですか!」
山田がスマホの画面を叩きながら感嘆の声を上げる。
「ですが、物語はここからが本番です」 南條はホワイトボードの『真贋調査』という文字を強調した。「あまりにも保存状態が良く、あまりにも高度な知識が描かれていたため、当初、多くの専門家が『これは現代の偽物ではないか』と疑いました。当時のヨーロッパの人々に、具体的な宇宙を描く知性などあるはずがないという偏見があったからです」
「確かに、3600年前のヨーロッパって、なんだか毛皮を着て棍棒を振り回しているイメージがありますよね」 エリスが自身のイメージを語る。
「その定説を覆したのが、最新の科学分析です」 南條がペーターに合図を送る。ABISの天才エンジニア、ペーターがキーボードを叩き、複雑なスペクトルデータを表示した。
「金属学的調査の結果、この青銅は現代の合金とは全く異なる組成を持っていることが判明したんだ」 ペーターが解説する。 「表面を覆う緑青の下に金箔が埋まっており、それが長い年月をかけて自然に形成された**パティナ(腐食層)**であることが証明された。つまり、偽造は不可能。これは正真正銘、青銅器時代の遺物なんだよ」
> 【専門用語解説:パティナ(腐食層)】
> 金属が長期間土中に埋もれている間に、酸化や硫化によって表面に形成される皮膜のこと。 人工的に再現することは極めて困難であり、遺物の真贋や年代を特定する重要な手がかりとなります。
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「真実が証明された瞬間、歴史が塗り替えられたのです」 南條が情熱的に締めくくる。「このディスクは、私たちが野蛮だと思っていた古代ヨーロッパの人々が、実は高度な数学的・天文学的知性と、広域な交易網を持っていたことを雄弁に物語っています。だからこそ、これは単なる『古いお盆』ではなく、人類共通の財産として『世界の記憶』に登録されたのです」
「……闇から救い出された、最古の星空。なんだか、手影絵のスクリーンみたいですね。光を当てないと、その価値は見えてこない」
野本が、自分のノートの隅に、三日月と星を描き込んだ。
「いい言葉ですね、野本さん! さて、第一章の締めくくりとして、この円盤が『いつ』作られたのかを整理しておきましょう。このディスクが作られたのは紀元前1600年頃。中央ヨーロッパのウーニェチツェ文化の時代です」
> 【専門用語解説:ウーニェチツェ文化(Únětice culture)】
> 紀元前2300年〜1600年頃、現在の中央ヨーロッパ(ドイツ、チェコ、ポーランド周辺)に栄えた青銅器時代初期の文化。 高度な金属加工技術と、社会的な階層構造を持っていたことで知られています。
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「この時代、人々はただ生きるだけでなく、空を見上げ、宇宙の法則を理解しようとしていました。次章では、この直径30cmの円盤に刻まれた『星々のメッセージ』――その驚愕の構造について詳しく見ていきましょう」
南條がパチンと指を鳴らすと、講義室の照明が再び明るくなった。伊達は義眼の表示を切り替え、満足げに鼻を鳴らした。
「南條。おとり捜査の話は100点満点だが、次はもっと骨のある『証拠』を頼むぜ」
「もちろんです、伊達さん! 第二章では、この円盤に描かれた『満月』や『プレアデス星団』が、単なる模様ではなく、いかに精密な天文学に基づいているかを解剖します。いいですか、皆さん! 今夜は寝かさないと言いましたよね? 宇宙の深淵は、まだ入り口に過ぎません!」
南條の宣言と共に、第一章の熱気は冷めやらぬまま、次のステージへと引き継がれていった。




