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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン25

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第49章 第7章:幾何学的な聖域の終焉と新たな旋律


1. 資料局の静寂と「残された星」

パリ警察犯罪資料局。厚いコンクリートの壁に囲まれたこの地下の聖域に、ようやくいつもの静寂が戻ってきた。ナントの爆発的なエネルギーも、ピレネーの地鳴りのような咆哮も、ここまでは届かない。

アストリッド・ニールセンは、自席で指先を正確に揃え、目の前に置かれた「ネブラ・スカイ・ディスク」の本物を凝視していた。ベルナール卿の館から回収されたそれは、数千年の時を超え、今もなお深い緑青の輝きを放っている。

「アストリッド、まだその『星空』と睨めっこしてるの? 事件は終わったわ。監察官も博士も、今頃は弁護士を呼んで必死に言い訳を考えているところよ」

ラファエル・コスト警部が、淹れたてのコーヒーを二つ持って現れた。アストリッドは視線を上げず、ディスクの表面にある小さな「点」を指差した。

「……警視。事件は解決しましたが、論理的な完結には至っていません。……このディスクには、32個の星が描かれています。ですが、天文学的にプレアデス星団を『7つ』と数えるのは、現代の視点です。古代の空で、彼らが何を見ていたのか……。それだけが、まだ私の脳内で『不協和音』として響いています」

アストリッドは、資料室の照明を落とした。暗闇の中、わずかな隙間から差し込む光がディスクを照らす。

「……志村教授は、これを『兵器』だと言いました。……ですが、この黄金の配置を**分光法(Spectroscopy)**的な視点で再構成すると、別の意味が浮かび上がります。……それは、破壊のための周波数ではありません」


> 【専門用語解説:分光法(Spectroscopy)】

> 物質が放出または吸収する光のスペクトルを分析することで、その物質の成分や性質を調べる技術。アストリッドは、ディスクの黄金の純度や形状が、特定の光の波長をどのように反射・干渉させるかを、精神的なシミュレーションで解析している。

>


2. 田中さんの店での「結び」:TRICK一行との別れ

その日の夕方、一行は最後にもう一度、田中テツオの食料品店に集まった。志村次郎教授は、ナントでの失態をすっかり忘れたかのように、自著『どんと来い、超常現象』のフランス語版(自作)を田中さんに売りつけようとしている。

「いやあ田中さん、今回の事件は、物理学と私の勇気ある行動がなければ解決しなかったでしょう。アストリッド君も、私の助手としてよくやってくれた。彼女を日本に連れて帰り、日科大の特別研究員にしたいぐらいだ! Why don't you do your best!」

「ちょっと志村教授! 自分の手柄みたいに言わないでよ! あんた、爆発の時、私のマジック用のハトのケージに頭突っ込んで震えてたじゃない。エヒャヒャヒャ!」

奈美子が、田中さんからサービスでもらった大福を頬張りながら笑い飛ばす。その傍らでは、里子が静かにアストリッドを見つめていた。


「アストリッドさん。あんたが見つけたあの『山の歌』……。あれは、あんたの心の中にも流れている音だよ。……人は、理解できないものを『呪い』や『兵器』と呼びたがる。でも、このディスクを作った人は、ただ誰かに『忘れないで』と伝えたかっただけなのかもしれないね」

里子は、筆を執り、アストリッドの手帳に一文字記した。

『和』

「……和。……調和(Harmony)、あるいは積(Product)。……里子さん、これは、……異なる要素が一つに結びつくことを示しているのですね」

「そうだよ。あんたの数字と、この古い星空。それらが合わさった時、本当の答えが見えるはずさ」

その時、店の外から「おい! 誰か、わしのカツラ……いや、わしのアイデンティティを知らんか!」という桂刑事の悲鳴が聞こえてきた。どうやら、ナントのマグネットに貼り付いた「頭髪」の代わりに新調した予備のカツラが、パリの強風に煽られてセーヌ川へダイブしたらしい。

「猿渡! 早く網で掬わんか! 公安の威信がかかっとるんじゃ!」

「警部補、もうあんな遠くまで流れて……あ、橋の下の観光船に乗った観光客が拾いましたよ」

「……あの方々は、最後まで……非論理的なエネルギーに満ちていました」

アストリッドは、少しだけ口角を上げた。彼女にとって、この騒々しい日本人は、世界というノイズの中で「予測不可能な、しかし悪意のない不協和音」として、奇妙な安心感を与える存在になっていた。



3. 最後のリズム:メトン周期の発見

深夜。アストリッドは一人、資料局でディスクを回転させていた。里子の書いた『和』という文字、そして志村が暴走させた磁場が見せた「波形」。それらがアストリッドの脳内で、一つの巨大な数学的公式へと収束していく。

「……分かりました。……警視、来てください!」

アストリッドの呼びかけに、ラファエルが駆けつける。

「これを見てください。……32個の星、そして太陽と月。……これは、**メトン周期(Metonic Cycle)**を示しています」


> 【専門用語解説:メトン周期(Metonic Cycle)】

> 太陰暦(月の満ち欠け)と太陽暦(地球の公転)を同期させるための周期。19太陽年はほぼ正確に235朔望月に等しい。紀元前5世紀のギリシャの天文学者メトンによって発見されたとされるが、ネブラ・スカイ・ディスクが作られた紀元前1600年頃には、すでにその知識が存在していたことを示唆している。

>

「19太陽年……。235朔望月。……12の面を持つ十二面体と、32個の星が描かれたこのディスク。……これらは、時間を『支配』するための道具ではありませんでした。……これは、**『飢饉を回避するためのアラート』**です」

アストリッドは、ディスクの星の配置を壁に投影した。

「……特定の周期で、プレアデス星団と三日月がこの位置に来る時、気候の大変動が起きる。……古代の人々は、このディスクを共有することで、部族を越えて食糧を融通し合い、……共に生き残るための『契約』を交わしていたのです。……ベルナール卿たちが求めた黄金や兵器など、このディスクの持つ『慈愛の論理』に比べれば、あまりにも卑小なものです」

アストリッドの瞳には、かつてこのディスクを見上げていたブロンズ時代の人々の「祈り」が映っていた。彼らにとって、星空を正しく理解することは、殺し合うためではなく、愛する者を守るための唯一の手段だったのだ。



4. 空港の別れ:志村教授の「遺産」

シャルル・ド・ゴール空港の搭乗ゲート。志村教授、奈美子、里子、そして(新しいカツラを深く被り、ガムテープで固定した)桂刑事が、日本への帰路につこうとしていた。

「アストリッド君。……今回の調査で、私の『志村流・物理学的直感』がさらに研ぎ澄まされた。……次にフランスで超常現象が起きたら、すぐに私を呼びたまえ。特等席を用意しておくんだぞ! Why don't you do your best!」

「志村教授、もう二度と来ないでよ! 家賃滞納で私の実家まで差し押さえられそうなんだから! アストリッド、あんたもこんな変な教授に捕まっちゃダメよ。エヒャヒャヒャ!」

奈美子はそう言いながら、アストリッドの手を力強く握った。アストリッドは一瞬、接触による感覚の鋭敏さに驚いたが、奈美子の手の温かさが、不思議と嫌ではなかった。

「……奈美子さん。……あなたのマジックは、……物理学的には説明がつかない部分が 1.2\% ありました。……それは、……興味深い『余白』です」

「……へえ、あんたにそう言われると、悪くないわね。……あばよ、天才ちゃん!」

一行は、騒がしくゲートの向こうへと消えていった。

桂刑事が最後に見せた、カツラを気にしてロボットのような動きで歩く姿を、ラファエルが笑いながら見送る。

「……嵐が去ったわね。……アストリッド、彼らがいなくなって、静かすぎるんじゃない?」

「……はい。……デシベル換算でいえば、環境音は平常に戻りました。……ですが、私の内部にある『周波数』は、以前とは少しだけ変化しています」



5. エピローグ:新たな旋律メロディ

一週間後。アストリッドは、自分の指先で小さな、青銅色のチャームを転がしていた。それは、彼女が今回の事件を通じて学んだ「星の配置」を模した、特製のキーホルダーだった。

彼女は、資料局のデスクの引き出しから、一冊の古いノートを取り出した。それは、ヴァロワ教授が彼女に残した未完の論文だ。アストリッドは、その空白のページに、自分自身の論理を書き加えた。

『3600年前の星空と、現代の資料局は、一つの旋律で繋がっている。

世界はノイズに満ちている。だが、そのノイズを注意深く聴けば、そこには必ず、誰かが誰かを守ろうとした「秩序」の音が聞こえる。』

アストリッドは、耳に当てていたヘッドホンを、ゆっくりと外した。

地下室を流れるエアコンの音、遠くの廊下を歩く誰かの足音、そして隣の部屋でラファエルが笑う声。

かつては彼女を苦しめていたそれらの音は、今、ネブラ・スカイ・ディスクの星々のように、それぞれの場所で、あるべき「リズム」を刻んでいるように感じられた。

「アストリッド、お昼に行かない? 今日は田中さんの店で、新しい『おにぎり』の試食会があるんですって」

ラファエルが顔を出す。アストリッドは、立ち上がり、自分のコートのボタンを丁寧に留めた。

「……はい、警視。……志村教授が言っていた『物理学的な空腹』という概念を、……実証しに行く必要があります」

「あはは、あなたもすっかり毒されたわね」

二人は、光の差し込む地上へと向かって階段を登り始めた。

アストリッドの脳内では、3600年前の星々と、現代のパリの街の明かりが、完璧なハーモニーを奏でながら、静かに、そして力強く回転し続けていた。


> 【アストリッドの独白】

> 「世界に無駄な音はありません。……ただ、それを聴くための『論理』が足りないだけなのです。……私は、これからも聴き続けます。……この星空が奏でる、静かなる愛の旋律を」

>

全7章、完結。


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