第40章 第5章:エンジニアの否定――なぜプロペラではないのか
【新寺子屋・大講義室】
「はい、こんにちは。新寺子屋の講師、南條です。皆さん、まだ意識ははっきりしていますか? 第4章では最新の流体シミュレーションという、いわば『ロマンの極致』を見ました。しかし、第5章ではその熱狂をあえて冷徹な科学で叩き潰します。名付けて『エンジニアの否定』。いいですか、**『今夜は寝かさない』**ですよ。ここからが本当の思考の深淵です」
南條はホワイトボードに、大きなバツ印と共に『実用性ゼロ』と書き殴った。彼の声は一段と高く、エネルギッシュに響く。
「第4章の結果を受けて、皆さんは『やっぱりこれは古代のプロペラだ!』と叫びたくなったはずです。攪拌効率が現代レベルだなんて、そんなのオーパーツ確定じゃないか、と。しかし、エンジニアリングの視点から見ると、この円盤が実用的な機械部品であることには、逃れようのない巨大な矛盾が三つあります」
教壇の隅で、ABISの捜査官・伊達が、義眼のレンズを細めてスクリーンを睨んでいた。「南條さん、アンタの言う『矛盾』ってのは、俺たちが事件現場で感じる『状況証拠と物証のズレ』と同じようなもんか?」
「まさにその通りです、伊達さん! 現場百遍、科学も百遍。まずは第一の矛盾、材料強度の不足について見ていきましょう」
南條が指を鳴らすと、伊達の肩にいたAIボールがホログラムを展開した。
「分析結果を表示するわ。伊達、ちゃんと見てなさいよ。この円盤の素材であるメタ・シルト岩は、**引張強度**が極めて低いのよ」
> 【専門用語解説:引張強度】
> 材料を左右に引き剥がそうとする力(引張力)に対して、どれだけ耐えられるかを示す指標のこと。
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「いい? この円盤を水中や空気中で高速回転させると、物体には凄まじい**遠心力**がかかるわ」
> 【専門用語解説:遠心力】
> 回転する物体が中心から外側へ飛び出そうとする力。
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「メタ・シルト岩のような石材は、圧縮される力には強いけれど、引き剥がされる力には驚くほど弱いの。つまり、高速回転させて流体(水や空気)に大きな負荷をかければ、この円盤は回転の勢いに耐えきれず、瞬時に木端微塵に破壊されてしまう。これは物理的な絶対法則よ」
「……つまり、形はプロペラでも、素材がプロペラじゃないってことですね」最前列で野本が、自身の手影絵用の手袋をいじりながら呟いた。
「その通りです、野本さん! たとえば、紙で作った精巧なエンジンのピストンがあったとして、形が完璧でも実際に火を入れれば一瞬で燃え尽きますよね? それと同じです。当時の職人は石を紙のように薄く削る技術を持っていましたが、その石に鋼鉄のような粘り強さを与えることはできなかったんです」
南條はホワイトボードを叩き、第二の矛盾を書き記した。それは歴史的な鉄則、車輪の不在だ。
「皆さん、ここが重要です。サブルの円盤が作られた紀元前3000年頃、エジプトにはまだ『車輪』という概念すら一般的ではありませんでした」
「えっ、ピラミッドとか作ってるのに、タイヤもなかったんすか?」熱狂的なニートの松下が、信じられないといった様子で声を上げた。
「そうなんです、松下さん。エジプトに車輪が本格的に導入されるのは、ここから約1400年後、ヒクソスと呼ばれる遊牧民族が戦車と共に襲来する紀元前1600年頃まで待たなければなりません」
> 【専門用語解説:ヒクソス】
> 紀元前17世紀頃にエジプトに侵入し、一時期支配を確立したアジア系民族。彼らがもたらした馬と戦車、そして機能的な車輪の技術をエジプトにもたらしたとされています。
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「『回転軸を伴う複雑な機械装置』が存在するためには、その基礎となる車輪の技術が普及していなければ不自然です。車輪すらない時代に、流体工学に基づいた高度な回転羽根だけが突如出現したというのは、歴史的な文脈から完全に浮き上がっている。つまり、物証(円盤)はあるが、それを支える周辺環境(技術基盤)が一切存在しないんです」
「犯人の指紋はあるが、犯行時刻に犯人はまだ生まれていなかった……みたいな話ね」ABISのボスがお気楽な口調で、しかし確信を突くコメントを投げた。
「ボス、例えが相変わらず不謹慎ね」とAIボールがツッコミを入れる。「でも、確かにエンジニアのペーターが言うには、これ単体じゃ『ただの置物』だって。第三の矛盾、回転軸の不在についても説明しなさいよ」
> 【専門用語解説:回転軸】
> 物体が回転する際に中心となる棒状の部品。
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「はい、その通りです。サブルの円盤の中央にはハブ(穴)がありますが、その穴に差し込んで高速回転を維持するための金属製の軸や、それを支えるベアリング、あるいは潤滑剤(摩擦を減らす油など)の痕跡は、サッカラのどの遺跡からも発見されていません」
「つまり、これ単体だけがポツンと見つかったってことか。……まるで、映画の撮影スタジオに忘れていかれた小道具みたいだな」伊達が吐き捨てるように言った。
「そうなんです、伊達さん。工学的に見れば、これが実用機であるためには、本体よりもさらに頑丈で複雑な『駆動系』が必要なはずなんです。しかし、見つかったのは壊れやすい石の円盤だけ。……この事実は、ある一つの結論を指し示しています」
南條はホワイトボードの『実用性ゼロ』という文字を大きく丸で囲んだ。
「エンジニアリングの視点から言えば、サブルの円盤は**『実用的なプロペラ』ではなく、『プロペラの形をした何か別のもの』であると断定せざるを得ません。流体工学的な特性も、石材の表面摩擦が大きく、高速回転させればキャビテーション**による侵食が起きてしまうことも、シミュレーションで判明しています」
> 【専門用語解説:キャビテーション】
> 流体の中で圧力が急激に下がることで気泡が発生し、それが崩壊する際の衝撃で材料の表面を削り取ってしまう現象。
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「じゃあ……先生、結局これは何なんですか? プロペラじゃないなら、あんな複雑な形にする必要ないじゃないですか」瑞稀が、苛立ち混じりの疑問をぶつけた。
「いい問いですね、瑞稀さん。そこで私たちは、もう一度『考古学』の原点に立ち返る必要があります。失われた機械技術の証拠というよりは、当時の職人が到達した**芸術的・技術的な極致**として、この円盤を見直すんです」
南條はホワイトボードに『歴史の皮肉』と書いた。
「当時の職人が、金属器が普及する前の石器時代末期において、どこまで精密に石をコントロールできるかを突き詰めた。その『執念』が生んだ奇跡的な造形物が、偶然にも数千年後の未来のテクノロジーであるプロペラに形が似てしまった……。これが、現在最も合理的だとされる結論です」
「偶然……。でも、偶然でこんなに完璧な渦を作る形になりますか?」野本が、自身のノートに描いた複雑な曲線を指差した。
「野本さん。自然界には、私たちが気づかないだけで『物理的な最適解』が溢れています。渦巻銀河、貝殻の螺旋、花の開き方……。それらを極限まで美しく再現しようとした結果、数学的に正しい『流動を制御する形』にたどり着くことは、十分にあり得るんです。例えば、この円盤は『蓮の花』を模した儀式用の器だったという説が有力です」
南條は講義室を見渡した。「サブルの円盤は、私たちが古代人を『未開』だと侮っていたことへの、彼らからの返答かもしれません。彼らはエンジンを知りませんでしたが、石を削るという行為を通じて、流体の真理に触れていた可能性がある。……さあ、次の第6章では、彼らが実際にどのような道具と『研磨剤』を使い、この奇跡を起こしたのか。その化学的な正体に迫ります!」
「……まだ続くんですか。南條先生、本当に寝かせてくれませんね」野本が少しだけ楽しそうに呟き、重いペンを再び走らせた。伊達もまた、次の真相を追い求めるように、義眼の焦点を南條へと合わせた。




