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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン25

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第39章 第4章:科学の罠――流体シミュレーションの結果


【新寺子屋・大講義室】

「はい、皆さん。いよいよ禁断の扉を開く時が来ました。第4章のテーマは『科学の罠』です」

南條はホワイトボードの中央に、青いマーカーで巨大な渦を力強く描き込み、その中心に『CFD』というアルファベットを叩きつけるように記した。彼の目は、難解な物理現象を解き明かす直前の高揚感で輝いている。

「第3章までで、私たちはこの円盤の驚異的な造形と、当時の信じがたい石工技術について学びました。しかし、現代科学のメスを入れた時、事態はさらに不可解な方向へと転がります。私たちは、5000年前の遺物を、現代の最新鋭スパコンという『タイムマシン』に放り込んでみたのです」

講義室の照明が一段と落ち、低く重厚な電子音が響き渡る。教壇の横では、ABISアビスの天才エンジニアであるペーターが、ホログラムキーボードを流れるような手付きで叩いていた。

「南條さん、データの準備は完璧だよ。アイボゥ(AIボール)から転送された高精度3Dスキャンデータを元に、ANSYSアンシスを用いて**数値流体力学(CFD)**シミュレーションを実行した。結果は……控えめに言って『異常』だね」


> 【専門用語解説:CFD(数値流体力学)】

> Computational Fluid Dynamicsの略。コンピュータを用いて、気体や液体の複雑な動きを数式に基づいて計算・シミュレーションする技術のこと。航空機の設計や気象予報、F1マシンの空力解析などに使われる現代工学の必須ツールです。

>

「ペーター、もったいぶらずに見せてあげてください。皆さんの知的好奇心は既に臨界点を超えています」

「了解。……シミュレーション、スタート」

巨大なスクリーンに、仮想の液体で満たされたデジタル水槽の中に沈むサブルの円盤が映し出された。円盤がゆっくりと回転を始めると、それまで静止していた液体の粒子が、鮮やかな色分けを伴った『流れ』へと劇的に変化していく。

「これ、見てください……。吸い込まれそう……」

最前列の野本が、自身の手影絵用の手袋を握りしめながら、ぽつりと息を呑む。スクリーンの円盤の周囲には、物理法則に従った**ボルテックス(渦)**が激しく、しかし驚くほど規則正しく発生していた。


> 【専門用語解説:ボルテックス(渦)】

> 流体の中で回転運動をしている部分のこと。このシミュレーションでは、円盤の羽根が周囲の水をどのように巻き込み、エネルギーを与えているかを可視化しています。

>

「驚くべき結果です。この円盤を液体の中で回転させると、中央のハブ(穴)から周囲の液体を強力に引き込み、三つの羽根に沿って外側へと力強く押し出す、完璧な遠心ポンプとしての挙動を示したのです!」

南條の叫びに近い解説が響く。


> 【専門用語解説:ハブ(穴)】

> 回転体の中心にある軸を通すための部分。サブルの円盤には直径約8cmのハブが存在します。

> 【専門用語解説:遠心ポンプ(えんしんポンプ)】

> 回転する羽根インペラが生み出す遠心力によって、液体を中心から外側へ加速させて送り出す装置のこと。現代の水道ポンプやエンジンの冷却システムに使われる基本原理です。

>

「ペーター、この攪拌効率についての具体的な数値はどうなっていますか?」

ペーターは眼鏡のブリッジを押し上げ、数値を読み上げた。

攪拌かくはん能力については、現代のエンジニアが設計した最新のインペラ(羽根車)と比べても遜色ないレベルだ。特に、この三葉状の羽根が内側に折り込まれている構造がミソなんだよ。これによって、通常の平らな円盤では不可能な『軸方向への強力な引き込み』が発生する。深い容器の底にある沈殿物まで、均一に、かつ極めて短時間で混合できることが証明されたんだ」


> 【専門用語解説:攪拌かくはん

> 液体や粉体などをかき混ぜて、濃度や温度を均一にすること。


> 【専門用語解説:インペラ(羽根車)】

> 流体にエネルギーを与えるために回転する、羽根のついた部品のこと。

>

「ビールの醸造……」

暇つぶしサークルの亀山が、バイト先で大きな鍋をかき混ぜる動作を思い出しながら呟いた。

「第3章で南條先生が言っていた、ビールを混ぜるための儀式用具っていう説……。もし、この円盤を棒の先に付けて、大きなかめの中で回していたとしたら、当時のエジプトのビールは、他国のものとは比較にならないほど滑らかで、高品質なものだったかもしれないわね」

「その通りです、亀山さん! 考古学的な『儀式用具説』が、流体工学によって『超高性能な実用機』としての裏付けを得てしまった。これこそがこの遺物の恐ろしさなんです」

南條はホワイトボードに、激しく回転する円盤から発生する流線を描き加えた。

「しかし! ここで『科学の罠』が牙を剥きます。皆さんは今、『5000年前に完璧なミキサーが存在した!』と感動しているかもしれません。ですが、物理現象というものは、常に光と影を併せ持つのです。ペーター、次は『プロペラ』としてのシミュレーション結果を」

「了解。条件を『水中での推進機』に変更。……結果を表示するよ。伊達さん、見てて」

腕を組んで黙って画面を見ていた伊達が、義眼の焦点を合わせた。「ほう……。なんだ、この無様なグラフは」

スクリーンのグラフが、先ほどの鮮やかな青から不吉な赤へと染まった。

「残念ながら、船を動かす『プロペラ』として評価すると、この円盤は現代の基準では三流以下、いや落第点だね。現代のプロペラには、水を効率よく後ろに押し出すための**ピッチ(ひねり)**が必要だが、サブルの円盤は単に内側に『折り込まれている』だけで、推進力を生むための最適な傾斜角が圧倒的に不足しているんだ」


> 【専門用語解説:ピッチ(ひねり)】

> ネジやプロペラの羽根が1回転する間に、どれだけ前進するかを決定する角度のこと。この角度が適切でないと、どれだけ高速で回しても空回りしてしまいます。

>

「さらに、より深刻な『物理の壁』が立ちはだかります」

伊達の肩の上で、AIボールが厳しい表情で補足した。

「キャビテーションよ。南條、この現象についてもちゃんと説明してあげなさい」

「ええ、もちろんです。AIボール。……皆さん、この言葉を刻んでおいてください。キャビテーション。これは高速回転する物体の宿敵です」


> 【専門用語解説:キャビテーション】

> 流体の中で圧力が急激に下がることにより、液体が沸騰するように気化して気泡が発生する現象。この気泡が崩壊する際、金属さえも削り取るほどの強力な衝撃波が発生します。

>

「このサブルの円盤を、石製(メタ・シルト岩)であると仮定して水中で高速回転させると、羽根の表面で激しい圧力変化が起きて、無数の気泡が発生します。そしてその気泡が弾ける瞬間の衝撃波で、脆い石材はあっという間に砂利のように砕け散ってしまう。つまり、この円盤は『形』は回転を求めているのに、『素材』がそれに耐えられないという、根本的な矛盾を抱えているのです」

「形はミキサー。だが、素材は回せば壊れる石。そしてそもそも、こいつを高速回転させるための『モーター』も『エンジン』も、当時のエジプトには存在しない。……現場の状況と物証が、完全にデッドロック(膠着状態)に陥っているな」

伊達が重々しく結論を下した。

「その通りです、伊達さん。エンジニアの視点で見れば見るほど、『この形状は偶然にしては流体力学的に理にかないすぎている』という結論に達します。一方で考古学の視点で見れば、『5000年前にこれを回す動力源などあるはずがない』という鉄の事実がある。この、工学的最適解と歴史的リアリズムの巨大な断絶こそが、サブルの円盤を世界最強のオーパーツたらしめている所以ゆえんなのです」

南條はホワイトボードを上下に分け、対比するように言葉を羅列した。


流体工学的な視点では、この円盤の用途は液体を効率よく混ぜる、あるいは水を汲み上げるためのものとして、驚異的な完成度を誇っています。その形状は、現代の最新技術でも多用される、揚力や渦をコントロールするための高度な三次元曲面に基づいています。

それに対し、考古学的な主流説では、これは蓮の花を模した儀式用の器、あるいは特別な台座に設置されたランプスタンド(灯明)であると考えられています。素材が非常に脆いメタ・シルト岩であることを考えれば、高速回転させることは不可能であり、当時の最高級のステータスシンボルとしての工芸品であるという見方が最も合理的です。

「……まるで、誰かが未来からミキサーの設計図を5000年前にタイムスリップさせて、当時の職人が『よくわからないけど、言われた通りにこの形を石で作ってみたよ』って言っているみたいですね。……あるいは、手影絵の形を追求したら、偶然、飛行機の部品に似ちゃった、みたいな」

野本が、自身の手影絵サークルの道具を見つめながら、不思議そうに呟いた。

「野本さん、それがまさに『オーパーツ説』を支持する人たちの言い分です。ですが、科学はもっと別の、より人間臭い答えを用意しているかもしれません」

南條は、ホワイトボードに描いた渦の中心を指差した。


「自然界に存在する渦、蓮の花の開き方、あるいは水面に落ちた雫が作る波紋……。これらを極限まで観察し、芸術として模倣しようとした時、時として数学的な『最適解』に無意識にたどり着くことがあります。サブルの円盤は、当時の職人が『美』と『石に対する執着』を突き詰めた結果、偶然にも、数千年後の未来のテクノロジーが導き出す『流体力学的最適解』と一致してしまった……。私は、これこそが人類の歴史が用意した、最大の知的な皮念ひねりではないかと考えています」

「偶然、ね……。でもその偶然が、現代のスパコンやペーターの頭脳を唸らせるほどの精度だってのは、やっぱりロマンがあるじゃない。暇つぶしにしては上等すぎるわ」

小宮部長が、満足げに微笑んだ。

「ええ、そのロマンこそが、私の授業の核です。さて、皆さん。シミュレーションの結果は出ました。形は本物、しかし使い道は謎。では、当時の人々はこの『回せないミキサー』を使って、一体何を表現しようとしていたのか? それとも、私たちの知らない『別の回し方』があったのか……?」

南條はニヤリと笑い、ホワイトボードの右端に『第5章:エンジニアの否定』と大きく書き加えた。

「次章では、さらに踏み込みます。この『石のプロペラ』がなぜ絶対に実用機になれないのか。そして、それを裏付ける『車輪の不在』という歴史的鉄則について、徹底的に議論しましょう。いいですか、皆さん! まだ寝かせませんよ。真実は、砂の中に埋もれているのではなく、私たちの論理的な推論の積み重ねの先にあるのです!」

南條の宣言と共に、講義室の熱気は最高潮に達した。野本のノートには、デジタルで描かれた複雑な渦のシミュレーション図と、砂にまみれて石を削る古代エジプト人の姿が、時空を超えて一つのページに並んでいた。

「……南條さん、アンタの授業は、ABISの捜査会議より疲れるな」

伊達がそう言いながらも、次のスライドを準備するために端末を操作する。その表情には、未知の真実に対する隠しきれない期待が滲んでいた。

(第4章・完 / 第章:エンジニアの否定――なぜプロペラではないのか へ続く)


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