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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン23

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第169章 第9章:デッド・ハンド(死の手)


視点:エレナ・ロストワ少佐

場所:モスクワ郊外、KGB第1総局(PGU) ヤスネヴォ・コンパウンド地下指揮所

日時:1983年11月7日 19:40(モスクワ時間)/16:40 Z


「静寂」が、これほど騒々しいものだとは知らなかった。

巨大な地下壕の中、数百人の分析官と将校が走り回っていた。テレタイプが悲鳴を上げ、シュレッダーが紙を噛み砕く音が響く。だが、最も重要な音――最高指導部からの「命令」の声――だけが欠落していた。

「クレムリン、応答なし(No Joy)! 書記長専用回線、不通!」

「参謀本部(Genshtab)、『カフカス(Kavkaz / 指揮通信ネットワーク)』への接続を喪失! 我々は孤立しています!」

エレナは、自分のデスクの上の灰皿が、吸殻で溢れているのを見つめていた。

情報が入ってこない。西ドイツでの核爆発、そしてアメリカからのミサイル発射警報。それらは断片的な叫び声として届くが、それに対するモスクワの「脳」が反応していない。

「斬首(Decapitation)だ」

ソコロフ大佐が、亡霊のような顔色で呟いた。

「アメリカの第一撃が、すでに我々の神経中枢を麻痺させたのだ。EMPか、工作員によるサボタージュか……いずれにせよ、アンドロポフ書記長やウスチノフ国防相は、もう命令を出せる状態にないのかもしれん」

ソコロフは、部屋の奥にある重厚な鋼鉄の扉に向かった。そこは、特別許可を持つ者しか入れない「第0区画」だ。

エレナは本能的に立ち上がり、彼を追った。

「大佐、何をする気ですか?」

「『15E601』を起動する」

エレナの足が止まった。そのコードネームは、噂でしか聞いたことがなかった。

西側では**「デッド・ハンド(Dead Hand)」と呼ばれ、ソ連国内では「ペリメートル(Perimeter / 周辺)」**と呼ばれるシステム。

それは、人間の意志が介在する最後の余地を消し去る装置だ。

国家指導部が全滅し、指揮命令系統が途絶えた場合、システムが自律的に判断し、生き残っている全ての核ミサイルを自動発射させる。

「死者が生者を殺す」ための復讐機械。

「正気ですか!?」エレナは叫んだ。「まだモスクワは無事です! 指揮部と連絡が取れないだけかもしれない!」

「だからこそだ!」ソコロフが振り返り、怒鳴った。「今この瞬間にも、ミニットマンやトライデントが頭上に降り注ごうとしている。もし我々が撃たれる前に撃ち返さなければ、帝国は一方的に滅びる。抑止力の崩壊だ!」

「機械に……アルゴリズムに、人類の運命を委ねるのですか?」

「人間は躊躇する。人間は恐怖する。だが機械は違う。機械だけが、確実に報復を遂行できる」

ソコロフの目は、すでに狂信者のそれだった。「我々が死んでも、祖国は復讐する。それが最後の義務だ」

彼は認証キーをスロットに差し込んだ。

「システム・ペリメートル、スタンバイ・モードからアクティブ・モードへ移行。……権限委譲を承認」

部屋の照明が、不吉な赤色に変わった。

モニターに表示されたロシア語の文字列が、エレナの網膜に焼き付いた。

【АВТОМАТ(自動)】


視点:アレクセイ・ヴォルコフ中佐

場所:モスクワ州南部 セルプホフ-15(Oko早期警戒衛星管制センター)

日時:1983年11月7日 19:45(モスクワ時間)

数時間前、ヴォルコフは世界を救った。

だが今、世界は彼を嘲笑うかのように、本物の悪夢を見せつけていた。

メインスクリーンは、もはや「点」ではなかった。

北米大陸の地図が、無数の赤い光で埋め尽くされている。

「ノースダコタ、ワイオミング、モンタナ……全ミサイルフィールド(Missile Fields)から熱源反応!」

オペレーターの声は、恐怖を通り越して乾いていた。

「固体燃料ロケットのスペクトルと完全に一致! 太陽光反射ではありません! ……間違いなく、プルーム(噴煙)です!」

ヴォルコフは、震える手でタバコを口に運ぼうとしたが、上手く掴めずに床に落とした。

今回は「太陽との角度」を確認する必要もなかった。

弾道の数が違う。数百、いや千に近い。

それは空を覆う鉄の雨であり、炎の壁だった。

「軌道解析(Trajectory Analysis)完了! 目標、ソビエト連邦全土! モスクワ、レニングラード、キエフ、ウラジオストク……すべての軍事拠点と都市です!」

「到達まで?」

「……18分」

ヴォルコフは椅子の背もたれに深く沈み込んだ。

隣では、以前彼に銃を向けられた政治将校のクロゴフが、子供のように泣きじゃくっている。

「嘘だ……嘘だ……」

「現実だ、少佐」ヴォルコフは静かに言った。「今回は、本物だ」

もはや、電話線を切って報告を握りつぶす余地はない。

システムは自動的にデータを参謀本部へ送信している。だが、そこからの応答はない。

おそらく、向こうでもパニックが起きているか、あるいは……。

その時、コンソールのスピーカーから、無機質な合成音声が流れた。

それは人間からの呼びかけではなく、システム同士の「会話(Handshake)」だった。

『……受信確認。Krokus(クロカス / 戦略ロケット軍中央指揮システム)。……データ照合。脅威レベル:最大。……指揮官応答なし。……ペリメートル・システム、介入(Intervention)』

ヴォルコフはハッとして画面を見た。

自分の目の前のコンソールが、外部からの制御によってロックされていく。

「何だ? 何が起きている?」

「外部アクセスです!」オペレーターが叫ぶ。「システムが……自動制御に切り替わりました! 我々の手から離れていきます!」

ヴォルコフは理解した。

誰かが――おそらくKGBか参謀本部の生き残りが――「スイッチ」を入れたのだ。

そして今、ヴォルコフが運用している早期警戒衛星のデータが、最後のトリガー(引き金)となった。

「センサー:核攻撃を確認」

「指揮系統:沈黙」

「結論:報復」

論理回路の中で、IF文が成立した。


視点:俯瞰(技術的視点)

場所:ウラル山脈南部、秘密ミサイルサイロ

厚さ数十トンのコンクリート製サイロの蓋が、火薬カートリッジによって吹き飛ばされた。

中から現れたのは、通常のICBMとは異なる、奇妙な形状のロケットだった。

15A11《Gorn(ゴルン / 号令)》。

弾頭部分に核爆弾ではなく、強力な無線送信機を搭載した「コマンド・ロケット」である。

ゴォォォォォォォ……

轟音とともに、15A11が夜空へと駆け上がる。

それはアメリカへ向かうのではない。ソビエト連邦の上空、高高度へと達すると、その送信機が起動した。

不可視の電波が、広大なロシアの大地に降り注ぐ。

ウクライナの平原に隠されたサイロへ。

シベリアのタイガを移動する列車砲へ。

バレンツ海の深海に潜む原潜へ。

その信号の内容は、極めて単純かつ絶対的なものだった。

「発射せよ(LAUNCH)」

暗号解読キー、発射許可コード、目標データ。それら全てが、空からの命令によって強制的に書き込まれる。

人間の承認(Human in the loop)はバイパスされた。

サイロの中で眠っていた数百発のSS-18《サタン》が、眠りから覚める。

視点:ヴォルコフ中佐

セルプホフの管制センターで、ヴォルコフはモニターの隅に、新たな発射反応が現れるのを見た。

今度はアメリカからではない。

足元、祖国の土からだ。

「味方のミサイルが……発射されています」

オペレーターが呆然と呟く。「オレンブルク、ウジュル、デルザビンスク……。全管区、一斉発射(Mass Launch)です」

それは防御のための迎撃ミサイルではない。

都市を焼き、文明を終わらせるための攻撃兵器だ。

ヴォルコフは目を閉じた。

彼は数時間前、核戦争を止めた英雄だった。

だが今、彼は核戦争の開始をシステムに「教えた」ただのセンサーの一部となっていた。

「結局、我々はただの部品だったな、クロゴフ」

泣き止んだ政治将校は、虚ろな目で天井を見上げていた。

サイレンの音が、もはや警報ではなく、人類への鎮魂歌(Requiem)のように聞こえた。

ヴォルコフは、胸ポケットから家族の写真を取り出し、デスクの上に置いた。

「すまない、ナージャ。パパは頑張ったんだが……」

18分後。

最初の米軍の弾頭がモスクワに着弾する。

だがその前に、ソ連の報復核は成層圏を越え、二度と戻らない旅に出ていた。

機械仕掛けの神(Deus Ex Machina)が下した審判は、慈悲なき「相互確証破壊(MAD)」だった。

(第9章 完)


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