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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン23

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第135章 第6章:スプリント・アンド・ドリフト 〜教授の目から逃れろ〜


野本ともうします。

広大な海洋において、潜水艦は「深海の忍者」と呼ばれています。

しかし、どんなに優れた忍者でも、天敵は存在します。

海面上の駆逐艦、空からの対潜ヘリコプター、そして大学という海域においては、「課題未提出者を狩る教授」がそれに当たります。

私たちは今、魚雷(単位剥奪)の射程圏内を航行しているのです。

午後の講義棟、長い廊下。


私、同級生の重子さん、そして副部長の橋本さんの三人は、壁際を這うように歩いていました。

「ねえ、野本さん。なんでこんなコソコソ歩かなきゃいけないの?」

重子さんが小声で文句を言いました。

「普通に歩こうよ。怪しすぎるって」

「静粛に」

私は人差し指を唇に当て、前方を睨みつけました。

「現在、我々の前方50メートルに、敵性目標を確認。ロシア文学演習の鬼瓦おにがわら教授です」

「げっ! マジで!?」

橋本副部長が色めき立ちました。

「俺、先週のレポート出してない! 顔合わせたら絶対『橋本君、単位足りてるのかね?』って詰められる!」

「私も出してない!」と重子さん。

「安心してください。私も白紙です」

「いばるなよ!」


廊下の向こうでは、白髪の鬼瓦教授が、鋭い眼光で周囲をスキャンしながらゆっくりと歩いてきます。

その姿は、海中の異物を探知しようとする駆逐艦そのものです。

聴音ソナー室より報告。敵艦との距離、縮まっています。このままでは捕捉されます」

私が淡々と告げると、重子さんがパニックになりました。

「どうすんの!? 教室まであと少しだけど、隠れる場所なんてないよ!」

「慌てないでください。我々には、潜水艦の常とう手段である**『スプリント・アンド・ドリフト』**戦法があります」

「スプリント……何?」

「いいですか、よく聞いてください」

私は眼鏡の位置を直し、作戦を説明しました。

「敵の聴音能力(教授の視力と聴力)には限界があります。教授が他の学生に挨拶したり、掲示板を見たりしている間は、こちらの存在に気づきにくい『盲点ブラインド・サイド』が生まれます」

私は教授を指差しました。


「あの瞬間、我々は全速力で移動スプリントします。しかし、走れば当然、足音や気配が大きくなります」

「そりゃそうでしょ」

「なので、教授がこちらを向く気配を見せたら、即座に停止し、壁と同化して気配を消します(ドリフト)。慣性航行で音を出さずにやり過ごすのです。これを繰り返して、敵の探知網をくぐり抜けます」

「だるまさんが転んだ、じゃん!」

「軍事用語では『スプリント・アンド・ドリフト』です。総員、第一種戦闘配置。靴紐を確認してください」

その時、前方の鬼瓦教授が、通りかかった別の教授と立ち話を始めました。

「あ、田中先生、例の件ですが……」

「今です! 機関始動! 全速前進フル・スピード!」

私の号令と共に、三人は猛ダッシュしました。

廊下を音を立てないように、しかし素早く駆け抜けます。

距離を一気に20メートル詰めました。

しかし、教授たちの会話が途切れました。

鬼瓦教授がふと、こちらを振り返ろうとします。


機関停止オール・ストップ! ドリフト!」

キュッ。

私たちは一斉に足を止め、廊下の掲示板の前に直立不動で並びました。

あたかも「休講情報を熱心に確認している学生」のフリをして、微動だにしません。

教授の視線アクティブ・ソナーが、私たちの背中を舐めるように通過していきます。

心臓の音が聞こえそうなほどの緊張感。

しかし、教授は私たちを「ただの風景」と認識したようで、再び前を向いて歩き出しました。

「……ふぅ。セーフ」

橋本副部長が冷や汗を拭いました。

「心臓に悪いわ、これ」

「まだです。敵艦との距離は至近クローズ。次のスプリントで、あそこの自動販売機の陰(死角)に飛び込みます」


「了解。次で決めるわよ」重子さんが構えました。

教授が手帳を取り出し、何かを確認し始めました。視線が下に落ちています。

「今だ! スプリント!」

タタタタタッ!

私たちは再び駆け出しました。

目指すは「BOSS」と書かれた青い自動販売機の裏側。あそこまで行けば安全圏です。

しかし、ここで予期せぬトラブルが発生しました。

橋本副部長の履いている安物のスニーカーが、床との摩擦で派手な音を立てたのです。

キュッ! キュイッ!!

「!!」


私は走りながら叫びました。

橋本艦さん! **キャビテーション(空洞現象)**ノイズが大きすぎます! 敵に探知されます!」

「しょうがないだろ! 安い靴なんだから!」

その音に反応し、鬼瓦教授がバッと顔を上げました。

眼鏡の奥の目が、獲物を見つけた鷹のように光りました。

「ん? そこにいるのは……」

「まずい! アクティブ・ソナー照射! ロックオンされました!」

私たちは自動販売機の前まで滑り込みましたが、完全に隠れきれていません。

このままでは一網打尽です。

「野本さん、どうするの!? もう見つかる!」重子さんが私の袖を引きます。

私は自動販売機の側面を指差しました。

「最後の手段です。**『サーモクライン(水温躍層)』**を利用します!」

「はぁ!?」

「海中には、水温が急激に変化する『層』があります。音波はこの層に当たると屈折・反射し、ソナーが無効化される性質があります。潜水艦はこの『温度の壁』の下に隠れるのです」

「だから何!?」

「この自動販売機の排熱ダクトからは、温かい空気が排出されています! この周囲には人工的なサーモクライン(温度差)が発生しているはずです! この温風の中に身を潜めれば、音と光(視線)が屈折して、教授からは我々が見えなくなる……はずです!」

「なるわけないでしょ!!」


「理論上は可能です! 全員、自販機の裏の温かい風に身を沈めて!」

私たちは自販機の裏の狭いスペースに、すし詰め状態で隠れました。

ブオォォォ……というファンの音と、生温かい風が顔に当たります。

コツ、コツ、コツ……。

教授の足音が近づいてきます。

まさに、頭上で爆雷を抱えた駆逐艦が旋回している恐怖。

「……おかしいな。今、学生が走る音がしたんだが」

教授の声がすぐそこで聞こえます。

「橋本君のような気配がしたが……」

私たちは息を殺しました。

自販機の排熱サーモクラインよ、我々を守りたまえ。

物理法則をねじ曲げてでも、光を屈折させたまえ。

コツ、コツ……ピタリ。


足音が自販機の前で止まりました。

「ああ、あったあった」

ガチャン、と小銭を入れる音がしました。

教授は単にコーヒーを買いに来ただけでした。

ゴトン。

缶コーヒーが落ちる音が響き、プシュッという音と共にコーヒーの香りが漂います。

教授はそのまま、ご機嫌な様子で立ち去っていきました。

「……状況、クリア」

私は自販機の裏から眼鏡だけを出して確認しました。

「敵艦、遠ざかります」


「はぁぁぁ……死ぬかと思った……」

橋本副部長がその場にへたり込みました。

「野本、お前のサーモクライン理論、絶対嘘だろ」

「結果として敵は見失いました(ロスト)。作戦成功です」

私は埃まみれになった服を払いました。

「これが潜水艦戦です。見えない敵と戦い、見えない壁を利用する。高度な知能戦(心理戦)の勝利ですね」

「単に教授が喉乾いてただけじゃん」と重子さん。

しかし、私たちは生き残りました。

レポート未提出という「負債」を抱えたまま、私たちは再び廊下という海原へと漕ぎ出しました。

「さて、次の講義室まではあと30メートル」

私は前を見据えました。

「次は『デコイ(おとり)』戦術を試しましょう。橋本さんが廊下の真ん中で踊っている間に、私たちが駆け抜けます」

「却下だ!!」

野本ともうします。

私たちの潜航生活は続きます。

単位という名の浮上許可が下りるその日まで。

(第7章へ続く)


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