大和再臨――沖縄の海に立つ防壁
昭和二十年四月十七日、午前五時四十分。
沖縄本島南西沖の洋上。
夜明け前の東シナ海の海面は鉛色に重く澱み、一寸先も見えない深い海霧が艦隊の周囲を包み込んでいた。その薄闇の中を、戦艦「大和」は主機の回転数を落とし、速力十二ノットの微速でゆっくりと南下を続けていた。
その巨体の周囲には、最新鋭のイージス護衛艦「まや」、ヘリコプター搭載護衛艦「いずも」、そして海中の深淵を潜航する最新鋭のそうりゅう型潜水艦「そうりゅう」が、一定の距離を置いて護衛の配置についていた。
それは、かつてのような整然とした輪形陣ではなかった。
いまや海上自衛隊側にとっても、無限に使える装備や物資など存在しない。燃料、弾薬、交換部品、あらゆるリソースが底をつきかけており、一挙手一投足が生存を賭した計算の産物となっていた。
前日の座礁艦隊防空戦において、護衛艦「むらさめ」の76ミリ速射砲弾は残り百二十発にまで減少し、近接信管を持つVT信管弾に至っては完全にゼロとなっていた。F-35B用の空対空ミサイルも、残された数はわずかである。艦隊を構成する各艦の航空燃料、ガスタービン用の高品質軽油、そして精密機器の予備パーツに至るまで、すべてが削り取られる削りカスのような兵站の限界に直面していた。
「新規水上目標群、南南東の方向より接近」
「まや」の戦闘指揮所(CIC)の暗闇の中で、レーダー監視員の緊張した声が低く響いた。
「距離七十二海里。大型艦艇二十数隻。複数の駆逐艦、巡洋艦、それに多数の輸送艦を含む低速の船団目標を確認」
艦隊司令・片倉一佐は、青白く光る戦術ディスプレイの画面を見つめた。
現代戦の根幹を支えるGPS衛星は、この1945年の空には存在しない。準天頂衛星もなければ、防衛通信衛星もない。ディスプレイ上に浮かぶ敵艦隊の位置は、絶対座標ではなく、「まや」の慣性航法装置(INS)のデータを基準としたローカル戦術座標によって表示されていた。
INSの累積誤差は、夜間の天測、沖縄本島の複雑な海岸線を利用したレーダー地形照合、そして各艦の間で行われる相対測距によって定期的に補正されている。完璧な精度ではない。だが、この極限の海域で戦うためには、それだけが頼りだった。
「敵の意図は何か」
片倉の問いに、電子戦士官の三条律が即座に答える。
「昨日の座礁艦隊による海岸砲撃と防空戦により、我が方の海岸防御火力が大きく低下したと判断した可能性があります。敵は輸送船団を再び前進させ、沖縄本島への大規模な増援部隊を那覇南方、あるいは西海岸へ上陸させるつもりでしょう」
片倉は数秒間、深く黙考した。
首里城地下の牛島司令部から届いた直近の電文が、脳裏をよぎる。
――大和とまやの力を、決戦のその瞬間に集中されたし。
ここで貴重な未来のミサイルを無駄に撃ち尽くすわけにはいかない。対艦ミサイルや長距離迎撃弾は、敵が直接艦隊の致命的な中枢へ肉薄してきた時のための最後の一線である。
「対艦ミサイルの使用は一切禁止する」
「……司令、しかし」
「『まや』、および残存する『むらさめ』の対艦誘導弾はすべて温存する。敵が大和や艦隊へ決定的な接近と攻撃意図を示した場合のみ、使用を許可する」
片倉は冷徹に言い放った。
「今回は、大和を使う」
その一言に、CICの作戦室の空気が一変した。
未来の電子頭脳と、昭和の超弩級戦艦の巨砲が結びつく、新たな戦術の幕開けであった。
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午前六時十二分。
戦艦「大和」の第一艦橋。
「未来艦隊より敵情入電!」
通信兵が、急ぎ足で一枚の通信用紙を砲術長・江島中佐へ手渡した。
そこには緯度経度を示すGPS座標などは記されていない。
『大和基準、真方位一二六度。距離四一、三〇〇。敵輸送艦群北西進。速力推定八ノット』
「まや」のCICで算出されたローカル座標を、時代間座標変換班が旧海軍式の方位、距離、そして推定針路へと手動で変換したものだった。
江島はその紙片から視線を上げ、測距儀の向こうを見据えた。
水平線の彼方は朝靄に煙り、敵の姿など影形も見えない。
「敵は見えんな」
艦長・有賀幸作大佐が静かに呟いた。
「見えなくとも、そこに奴らはおります」
江島は力強く答えた。
だが、未来側から正確な位置と距離を教えられたところで、四十六センチ三連装主砲が自動追尾の精密誘導兵器に変わるわけではない。
射距離四万メートル超。
その間を飛ぶ砲弾に影響を与える変数は膨大だった。
大気の温度、気圧、湿度。
上層を吹く風の向きと強さ。
装薬の温度による燃焼速度の差。
長年の砲撃による砲身の摩耗率。
自艦の航行速度と、敵艦隊の複雑な変針運動。
わずかな計算違いや環境の読み違いが、数万メートル先の着弾点では数百メートルの致命的なズレへと拡大する。
そして何より、大和の主砲弾も決して無限ではない。
「射撃は第一、第二砲塔のみを使用する」
江島が厳格に命じた。
有賀が横目で鋭く見る。
「六門か」
「はい」
「三番砲塔は?」
「温存します」江島は即答した。「首里での最終決戦が必ず残っています。すべての弾薬をここで使い果たすわけにはいかない」
有賀はそれ以上追及せず、短く命じた。
「よし。撃て」
午前六時二十一分。
大和の第一、第二主砲塔が、一斉に猛烈な火を噴いた。
ドォォォォォン――!
地球を揺るがすような巨大な衝撃波が海面を叩き割り、第一艦橋の分厚い防弾ガラスの窓が激しくビリビリと震えた。
一発一四六〇キログラムの重量を誇る九一式徹甲弾六発が、重低音の唸りとともに空へ吸い込まれていく。
弾道学の限界に挑む超長距離射撃の始まりだった。
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高度八千メートル。
沖縄南方の雲上を旋回するF-35Bのコックピット。
パイロットは、大和が放った砲弾を遠方から観測するため、危険を冒して高容積の空域を飛んでいた。
パイロットの多機能ディスプレイ(HMD)のセンサー画面に、遥か下の海面で立ち上がる六本の巨大な水柱が映し出される。
「こちらアルファ2。第一斉射の弾着を確認」
パイロットは画面を拡大し、ミリ単位で着弾のズレを計測する。
「船団中心より遠方向へ三一〇メートル。左方向へ一八〇メートルのズレ」
数値は見通し線データリンクを通じて、直ちに「まや」のCICへ送られた。
「まや」の高性能戦術計算機が、大和との相対位置を基準にして瞬時に修正量を算出する。
そのデジタル数値は、再び時代間連絡班の手によって旧海軍式の射撃修正角へと手動で変換されていく。
デジタル情報の高速処理。
音声通話。
短波無線。
モールス信号。
そして紙の換算表。
二十一世紀の先進的なセンサー情報が、何重もの泥臭い変換プロセスを経て、昭和二十年の戦艦の心臓部へと流れ込んでいく。
「修正! 下げ三一〇、右一八〇!」
大和の砲室で江島が怒号を飛ばす。
九八式射撃盤の複雑な修正ハンドルが、計算手たちの手によって一斉に、かつ猛烈な勢いで回された。
「第二斉射、撃てッ!」
再び六門の巨砲が咆哮を上げる。
数十秒後。
今度は敵輸送艦隊の陣形の最前部と後方に、巨大な水柱が連続して立った。
「夾叉!」
観測員が興奮した声を上げる。
直接の直撃弾こそなかったものの、そのうちの一発が大型輸送艦の至近距離の海面へ落下し、発生した凄まじい爆圧と巨大な水柱が、甲板上に積載されていた米軍の軍用車両や物資を激しく薙ぎ払った。
別の砲弾は敵の護衛駆逐艦の後方至近で炸裂し、その航行を大きく揺さぶった。
予測不能の超長距離砲撃を受けた米軍艦隊は、瞬時にパニックに陥った。
旗艦からの緊急命令で巡洋艦が急激に変針し、駆逐艦が慌てて濃密な煙幕を展開する。輸送艦群は陣形を保てず、四散するように散開を開始した。
「敵船団、陣形完全に崩壊!」
「まや」のCICに勝利を告げる声が響く。
しかし、片倉一佐は浮かれることなく、冷徹に命じた。
「追撃はこれ以上の斉射を行わない。一斉射十八発で打ち切れ」
戦術士官が驚いて振り返る。
「司令、敵の増援船団を全滅させる好機ではありませんか?」
「目的は敵の殲滅ではない。上陸の阻止だ」
片倉は静かに、しかし絶対的な調子で答えた。
「沈める必要はない。首里へ増援の兵員と物資を送り込めなくすれば、それだけで我々の戦略目的は達成される」
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第三斉射。
放たれた六発のうち、運命の女神に導かれた一発が、敵の大型輸送艦の船首付近へ完璧に命中した。
一瞬の静寂ののち、猛烈な閃光が洋上を焦がす。
輸送艦の船体前部が激しい爆煙と炎に包まれ、二次爆発を起こした。
直後、隣を航行していた別の輸送船が衝突を避けるために急旋回し、周囲の護衛駆逐艦の進路を塞ぐ。米軍の増援船団全体が、完全に足を止めて混乱の渦に飲み込まれた。
「敵増援部隊、沖縄への接近を完全に断念!」
「南東方向へ全速で変針、退避を開始!」
大和の第一艦橋にも、次々と戦果の報告が飛び込んできた。
だが、艦橋の将兵の顔に歓声は上がらなかった。
江島砲術長は、手元の射撃消耗記録の帳簿を厳しく確認する。
主砲弾、計十八発。
たった三度の斉射で、十八発の四十六センチ砲弾を消費した。
数字だけを見れば、大和の全弾薬五百発余りの中ではごく一部に過ぎない。だが、この戦争があと何日、あるいは何週間続くのか、今の誰にも予測はつかないのだ。
砲身の寿命も、残された貴重な装薬の数も有限である。
そして何より、この先には首里を巡る最大の決戦が待ち構えていた。
「射撃終了」
江島は静かに命じた。
「主砲、員数確認ののち、総員休息」
長大な三連装の砲身が、ゆっくりと水平の位置へと戻っていく。
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午前七時十七分。
護衛艦「いずも」の司令部作戦室(FIC)。
「敵船団、沖縄本島への接近を完全に断念し、南東方向へ遁走中」
三条の報告を聞き、片倉一佐は小さく息を吐き出し、深く椅子に背中を預けた。
ミサイルは一発も発射していない。
F-35Bによる直接爆撃も行っていない。
今回使用したのは、わずかな航空燃料と、戦艦大和の主砲弾十八発のみ。
それだけの最小限のリソースで、米軍の巨大な増援船団を一時的にせよ完全に退けたのだ。
「これが、これからの戦いなのだな」
片倉が独り言のように呟いた。
戦術幕僚の神谷一佐が、不思議そうな顔で振り返る。
「司令、何がです?」
「未来の圧倒的な兵器で、敵を根絶やしにするような戦いではない」
片倉は戦術ディスプレイに並ぶ、赤く点滅する残弾数と燃料のバーグラフを見つめた。
「未来の眼で敵の急所を的確に見つけ出し、過去の巨大な火力を最も効率的な角度で撃ち込む。必要であれば、一発も弾を撃たずに敵を退かせる。一発でも弾薬を少なく、一リットルでも燃料を残す。それが、この時代を生き抜くための唯一の戦術なのだ」
それは、海上自衛隊がこの時代へ転移した当初には想像すらしていなかった、極限の持久戦の姿だった。
二十一世紀の科学技術が圧倒的であるからこそ、手を出せば確実に勝てる。
だが――撃てば兵站は確実に減る。
航空機を飛ばせば、二度と補充できない燃料を失う。
機械が壊れれば、世界中を探しても交換用の部品などどこにもない。
未来の艦隊は、決して万能の神などではなく、日を追うごとにその牙をすり減らしていく消耗品に過ぎなかった。
それでも、彼らの手にはたった一つだけ、失われない武器が残されていた。
それは「情報」である。
敵より先に見つけ、敵の動きの正確な位置を把握し、その貴重なデータを昭和二十年の泥臭い戦場へと翻訳して噛み合わせること。
片倉は地図の首里方面を見据えた。
次に敵が押し寄せる時、それはもはや護衛を伴った単なる輸送船団ではないだろう。
米軍は、この程度の局地的な損害で引き下がるような、脆弱な軍隊ではない。
必ず、さらに強力で暴力的な航空戦力、あるいはこれまで以上の圧倒的な火力を投入してくる。
その時が来れば、現在手元に残されている十八式魚雷も、SM系列の対空ミサイルも、F-35Bの空対空ミサイルも――撃てば二度と戻らない一発として消え去っていく。
「首里決戦のその瞬間まで、残存するすべての弾薬と燃料を守り抜け」
片倉は冷徹に命じた。
「今日の勝利に決して浮かれるな。次にやって来るのは、これとは比較にならないほど重い地獄だ」
その頃、南東方向へすごすごと退却していく米海軍の増援艦隊では、一通の極めて異様な緊急電文が打電されていた。
――日本戦艦ヤマト、推定四万ヤードを超える不可解な距離より精密砲撃。
――第二斉射にて我が船団を夾叉。
――敵側には、目視不可能な高度から着弾を精密に修正する未知の航空観測手段が存在する可能性大。
その電文は、数時間後、慶良間諸島沖に停泊する第5艦隊司令長官レイモンド・スプルーアンス大将の厳格な手元へと直接届けられることになる。
そして彼は、かつて経験したことのない恐怖から、ついに一つの恐るべき結論へとたどり着く。
日本軍の戦艦を物理的に沈めるだけでは不十分である。
その戦艦に目を与え、戦場のすべてを見透かしている「見えざる目」を、空の彼方から徹底的に叩き潰さなければ、この戦争に勝利の道はない――と。




