時空の裂け目――大和、未来艦隊と遭遇す
**第1章:時空の裂け目にて**
昭和二十年四月六日、午前五時三十分。東シナ海。
天一号作戦に基づき、沖縄へ向けて突入の途上にあった第二艦隊旗艦・戦艦「大和」の第一艦橋には、身を削るような沈黙が張り詰めていた。鉛色の空と黒い波濤が交わる水平線。艦橋要員たちは双眼鏡を強く握りしめ、いつ海面を割るとも知れぬ米潜水艦の潜望鏡と、雲間に潜む哨戒飛行艇の機影を血眼になって捜索していた。生還を期さぬ片道切符の出撃。誰もが自らの死地を悟り、ただ祖国の命運を背負って進むだけの航海であった。
その沈黙が、突如として空間そのものを引き裂く轟音によって破られた。
大和の左舷前方、約四〇〇〇メートル。
海面上の大気が陽炎のように激しく歪み、青白い閃光が天蓋を貫いた。海中深くから突き上げるような衝撃波が荒波を裂き、巨大な白幕を吹き上げる。海霧の中から忽然と現れたのは、見慣れぬ無機質な低視認塗装に身を包んだ複数の異様な艦影であった。
「左舷前方に未確認艦群! 数、四! 艦影……極めて異様であります!」
見張り員の悲鳴に似た報告が第一艦橋を揺るがす。艦長・有賀幸作大佐は無言のまま双眼鏡を覗き込み、息を呑んだ。
中央に座すのは、全通甲板を持つ巨大な空母状の艦。その脇を固めるのは、傾斜したステルス形状の上部構造物に四面の平板レーダーを貼り付けた大型巡洋艦らしき艦と、鋭角なフォルムを持つ新鋭駆逐艦。そして海面にぬらりと漆黒の背を浮かび上がらせた異様な形状の潜水艦。煤煙を吐く煙突はどこにもなく、マストには網状でもラッパ状でもない未知のアンテナが林立している。
そして何より、各艦の艦尾に翻っていたのは――見紛うことなき、帝国海軍の象徴たる十六条の「旭日旗」であった。
一方、出現した側の艦隊――海上自衛隊第4護衛隊群を基幹とする特別編隊の各艦内は、設計想定を遥かに超えた超常事態に呑み込まれていた。
ヘリコプター搭載護衛艦「いずも」の司令部作戦室(FIC)およびCIC(戦闘情報センター)では、全コンソールが赤色の警告表示を吐き出し、警報音がけたたましく鳴り響いていた。
「GPS信号全ロスト! 準天頂衛星『みちびき』、防衛通信衛星『きらめき』ともに受信不能!」
「全システム、自律航法へ自動切り替え! INS(慣性航法装置)およびリングレーザージャイロ稼働、現在位置の誤差蓄積を開始!」
「自衛隊統合WAN、民生衛星回線、完全途絶! 全周波数の衛星ハンドシェイクがタイムアウトしています!」
矢継ぎ早に入る混乱した報告の中、第4護衛隊群司令・片倉一等海佐は微動だにせず、青白いコンソールを見据えていた。
「落ち着け。全艦、見通し線(LOS)による艦間データリンクを確立せよ。目視による周囲警戒を最優先」
辛うじて「まや」「むらさめ」との直接通信は維持されていたが、本国の防衛省中枢や上空の衛星を介した広域ネットワークは、跡形もなく消滅していた。
「……司令、前方光学カメラに巨大な水上目標を捕捉。全長二六〇メートル級。四六センチ三連装主砲塔三基を確認……」
電子戦士官の三条律二等海尉が、震える指先でモニターを指し示した。
荒波を蹴立てて直進してくるその威容は、教科書や公文書でしか見たことのない、帝国海軍が誇る世界最大の超弩級戦艦――「大和」そのものであった。
「自艦の時空座標……昭和二十年四月六日、東シナ海。そんな莫迦な話があるか」
片倉は奥歯を噛みしめた。西暦2025年の東シナ海で実施されていた日米合同演習中、突如として艦隊を呑み込んだ局地的な磁気嵐と海中衝撃波。それが時空を跳躍させた原因なのか。目の前に広がる海は、平和な令和の海域ではなく、日本という国家が破滅へ突き進んでいた太平洋戦争末期の死地であった。
大和の第一艦橋でも、殺気立った空気が爆発寸前に達していた。
「艦長! 敵の新種艦か、あるいは独逸の特殊工作部隊か! 軍艦旗を掲げてはおりますが、不審極まりない! 主砲照準を合わせますか!」
「待て!」
有賀艦長は右手を挙げ、副長や砲術長の進言を制した。
「あれだけの速力と巨体を持ちながら、煤煙を一切吐いておらん。それに、あの砲口の少なさは何だ。もし敵であるならば、とっくに我が艦の砲戦射程外から何らかの攻撃を仕掛けてきてよいはずだ」
その時、大和の電信室から伝令が血相を変えて艦橋へ飛び込んできた。
「電信室より緊急報告! 短波帯に強力な電波干渉! 直後、手動調定の電鍵による旧式明瞭なモールス信号を受信いたしました!」
差し出された受電用紙を、有賀は凝視した。
『ワレ、海上自衛隊護衛艦隊。キカンハ軍艦大和トミトメラル。当方ニ敵意ナシ。キカントノ直接対話を求ム』
大和と海自護衛艦との間に、現代の戦術データリンク「Link 16」など通じるはずもない。「いずも」通信班が、旧式のアナログ無線周波数を手探りで走査し、手動の電鍵を叩いて放った渾身の打電であった。
接触から四時間後。
手旗と発光信号による慎重なやり取りを経て、洋上での公式会合が設定された。「いずも」から発艦した哨戒ヘリSH-60Kが、独特の低周波を響かせて大和の直上へ進出した際、大和の対空機銃員たちは上空を舞う鉄の怪鳥に戦慄し、銃口を向けかけた。だが、有賀はそれを厳しく押し止め、数名の幕僚と共に、海自が派遣した交通艇を介して「いずも」へと移乗した。
案内された「いずも」の第1会議室。
冷房の効いた室内、整然と並ぶ液晶モニター、蛍光灯の無機質な白い光に、第一種軍装に身を包んだ大和の士官たちは気圧されていた。対する片倉一佐以下、自衛官たちはデジタル迷彩作業服姿で起立し、無言で敬礼を交わした。
「……貴官らは、一体何者なのだ。どこの国の海軍だ」
有賀の低く威厳に満ちた問いに、片倉は深く息を吸い、誤魔化しようのない真実を告げた。
「海上自衛隊第4護衛隊群司令、片倉一等海佐です。到底信じがたいこととは存じますが……我々は今から八十年後の未来、西暦2025年の日本から参りました」
会議室の空気が凍りついた。大和の副長・森下耕作大佐が机を叩いて立ち上がった。
「八十年後の未来だと!? ふざけるな! 我らは今、沖縄に散らんとする幾万の同胞を救うため、片道燃料で出撃しているのだ! そのような戯れ言に付き合っている暇はない!」
「戯れ言ではありません」
片倉は視線を逸らさず、手元のバインダーから、耐水紙に印刷された戦況マップを取り出した。それは直前に「まや」と「いずも」のレーダーおよび光学センサーが捉えた、東シナ海の精確な状況図であった。
「この図面をご覧ください。貴艦の針路前方、約三〇〇海里の海域には、米第58任務部隊の正規空母群が展開しています。そして貴艦は明日、四月七日の昼前、鹿児島県坊ノ岬沖において延べ三百数十機を超える米艦載機の波状攻撃を受け、左舷に魚雷と爆弾が集中して沈没する……それが、我々の知る歴史です」
有賀の眼光が鋭く細められた。
「……我々が沈むと、貴様らは知っているのか」
「はい」片倉は静かに首肯し、自衛隊が直面する冷酷な限界を告白した。
「ですが、我々にもはや帰るべき母港はありません。天空の測位衛星、国家の通信網、すべてが失われました。我々の艦が積む対空ミサイル、対潜魚雷、艦砲の弾薬、そして航空燃料は、今ここにあるものが全てです。一発撃てば、この時代の日本本土でも補充は一切ききません。我々の補給は完全にゼロなのです」
森下が怪訝な表情を浮かべた。
「補給がない……? それほどの超兵器を持ちながら、撃ち尽くせば終わりだというのか」
「その通りです。我々は無敵の神などではない。補給線を断たれた孤立無援の部隊に過ぎないのです」
片倉は有賀の目をまっすぐに見据え、言葉に力を込めた。
「しかし――我々の持つ『未来の目』、すなわちレーダーと計算機による索敵能力は、貴艦の主砲を真の破壊兵器へと変えることができます。我々の限られた弾薬を温存し、貴艦の圧倒的な火力を導くことで、無駄な玉砕を阻止し、沖縄への道を切り拓く。我々は、この時代の日本人を、あなた方を犬死にさせないために、ここに現れたのだと信じます」
長い沈黙が会議室を支配した。
やがて有賀大佐は小さく息を吐き、静かに軍帽を外した。
「……犬死にはせぬ、か。我らとて、好んで海に沈むわけではない。未来の同胞がそこまで言うのなら、その『目』とやらを見せてもらおう。だが、どうやって意思疎通を図るのだ。貴様らの光る板も、その言葉も、我らの艦には積んでおらんぞ」
「それについては、直ちに『時代間座標変換ゲートウェイ』を編成します」
片倉の背後に控えていた情報幕僚・山名三等海尉が進み出た。
「我が艦隊が算出するデジタル座標を、貴艦の九八式射撃盤が解読可能な経緯度・方位角・距離データへとリアルタイムで手動変換し、短波音声無線と手書き電文で伝達します。互いに連絡将校を派遣し、直接のパイプを繋ぎましょう」
有賀は、泥臭くも現実的な提案に、口元に微かな笑みを浮かべた。
「よかろう。未来の知恵に頼り切るつもりはないが、泥縄の算段なら帝国海軍も負けてはおらん。……片倉司令、大和は貴艦らと共に進撃する」
昭和二十年四月六日、夕刻。
水平線の彼方から米機動部隊の索敵機が忍び寄る中、補給なき未来の護衛艦隊と、滅びの運命を背負った巨艦大和は、アナログとデジタルが交錯する奇妙な絆を結び、運命の海域へと舵を切った。




