第2章「連合艦隊再構築」
戦艦大和が現代海上自衛隊の護衛艦群と共に1945年4月の沖縄戦線に突如現れた後、最初の混乱が収まると、次に必要なのは戦力の統合であった。だが、それは容易な道ではなかった。
大和艦上。作戦会議室にて。
戦艦大和の艦長、古賀少将は、分厚い軍服の上から自衛隊の最新型タブレット端末を手にし、眉を顰めた。その傍らに立つのは、海上自衛隊第2護衛艦隊司令、神谷一佐。電子戦に長けた戦術幕僚、今村三等海佐も控えている。
「つまり、我が艦の主砲は射程が短い。奴らが使っているミサイルは40km以上先から飛んでくるのか?」
「はい。対艦ミサイル“90式”は最大射程200km。艦載レーダーと電子妨害装置も併せて使えます」
古賀は深く頷いた。昭和20年の彼には理解できない用語が飛び交うが、敵艦をより遠距離から叩ける火力を持つことは十分に伝わった。
艦隊の再構築は、技術の融合を意味していた。海自のミサイル護衛艦「むらさめ」は、大和の正面を補足しつつ、対空防御とレーダー網を拡張。海自のF35Bが戦域上空を旋回し、大和の視界をリアルタイムに補完した。通信士の林三曹は、旧海軍通信兵に現代の符号とプロトコルを逐一説明し、双方が共通の敵機情報を把握できるよう努力を重ねた。
また、ドローン部隊による索敵支援が開始された。搭載艦「いづも」から発進するMQ-9無人機が、旧式双眼鏡では捉えきれない米艦隊の動きを逐次報告。その情報をもとに、大和の副砲が修正砲撃を行い、戦果を挙げるという連携が次第に機能し始める。
戦術幕僚の今村は、自衛艦隊と旧海軍の砲撃パターンを融合した「重層打撃戦術」を提案する。レーダーで捕捉→ミサイル先制攻撃→大和の主砲で残存艦を叩く。この分業戦術は、旧海軍の肉弾突撃主義とは一線を画すものだった。
だが、統合は技術だけではなかった。
「この戦争、勝てると思っているのか? 我々の大義とは何だ?」と問う古賀に、神谷は静かに答えた。
「我々は“平和を守るため”に戦っています。あなた方が命を捨てようとしていたものを、我々は“未来でどう引き継ぐか”を問うています」
その言葉に、大和の乗員たちは沈黙した。彼らが死地として覚悟していた沖縄が、再び違う意味を帯び始める。