2. 王都への招待状
「ごちそうさま!」
「お待ちください、スティーブン坊ちゃん」
家族で朝食を終え、立ち上がろうとした俺を執事が呼び止めた。
これからここで「朝の事務処理タイム」が始まる。
家族全員で食事をし、食後のお茶を出してもらった後で、前日に届いた手紙や書類を執事が宛名ごとに配分するのだ。
誰にどこからどんな手紙や書類が届き、いつまでに処理しなければならない、という内容をざっくりとでも家族全員が把握しておこう、ということらしい。
まだ七歳の俺には関係のない、そして面白くない時間だ。
いつもは食べ終わってすぐ席を立つのを止められたりしないのに。
「小包でございます」
父と母、そして上の兄にそれぞれ盆に乗った手紙類を配った執事は、二番目の兄と姉を通り越して、俺の前に銀の盆をそっと置いた。
俺が片手で持てるくらいの小さな小包が置いてある。
高そうな蠟引きの紙で包まれ、品の良い紐で十字に縛られている。
その紐の下に挟まれたこれまた上等そうなカードには確かに、スティーブン・ルシェール様、と俺の名前。
なにこれ。触って大丈夫?
まじまじとその小包を見つめる俺を、家族全員が見つめている。
七歳の末息子に初めて身内以外から届いた何かだ。みんな興味津々である。
「スティーブ。誰からなの?」
姉がわくわくと目を輝かせながら小包を覗き込む。
俺も紐の下からカードを引き抜いてしげしげと見つめた。
カードの右下に書かれているのは、おそらく差出人の名前だろう。
けれど、たぶん、おそらく、一文字だけしか書かれていない。
曲線で複雑に装飾されていて、美しいけど人に読ませる気はなさそうな文字だ。
「――……どうしよう。読めない」
へにゃりと眉尻を下げた俺の後方から、助け舟を出す声があった。
爺や。我が家の有能執事である。
「“P”の文字を装飾したものです、坊ちゃん」
「P?」
「高貴なご令嬢はお名前の頭文字をそうして装飾してご自分だけの印としてお作りになられます。フルネームを手紙などの外から見える部分に記さないのがご令嬢たちのマナーだと、お教えしましたでしょう?」
「そうだっけ。っていうか“P”って誰だろう。そんな高貴なご令嬢に知り合いなんて――」
はっと俺の背筋にぴりりと電流が走った、気がした。
こんな高そうな小包を送って来る頭文字“P”の高貴なご令嬢。
一人だけ、心当たりがあった。
「――まさか、トリシア?」
そう。例の審査を一緒に受けた公爵令嬢パトリシアである。
「トリシアって?」
「バートン公爵令嬢パトリシア・エヴァンズ」
「「「……バートン公爵?!」」」
僅かの沈黙の後、二人の兄と姉が叫ぶように声を上げた。
いやまだそうだと決まったワケでは。
「そう言えば、審査をご一緒したと話をしてたな」
「ああ。確か、その会場での【黒】はスティーブとパトリシア嬢の二人だけだったとか」
「じゃあ、そのご縁でスティーブに何か?!」
「…おまえたち、落ち着きなさい。スティーブ、何を誰から頂いたのかだけ教えてもらえるか?」
「ええ…そうね。どうしましょう。本当にバートン公爵家のご令嬢からの贈り物だったら。我が家に一体何がお返しできるのかしら……」
両親がなにか恐ろしい物を見る目で小包を見ている。
いや。だからまだトリシアからだと決まったわけでは。
俺は恐る恐る紐に手を伸ばす。
複雑に飾り結びがしてあるが、おそらく紐の両端を引っ張れば開封できるはずだ。
きゅ、と紐を握る。
未だかつてこんなに緊張した開封作業があったろうか。
爆弾処理班はこんな気持ちなのか。この世界に爆弾ないけど。
ぐ、と力を込めた瞬間だった。
「――っ!?」
ばちっ、と電流みたいな何かが全身を走り抜けた。
痛みと衝撃ばかりで何が起こったのかまったく分からない。
小包が爆発したように見えたが、小包には傷一つなかった。
俺の両の掌からはぷすぷすと煙が立っている。
「スティーブ!?」
まず悲鳴を上げたのは母だった。
その声に我に返った家族たちも慌てて俺の無事を確認する。
俺が何か言う前に、動きを見せたのはまさかの小包。
ぱらり、と独りでに紐が解けて、ぴりぴりと包みが開いてゆく。
淡い光を放って中から姿を見せたのは小振りな緑色のオーブだった。
『ふん。一応は本当に【黒】のようだな』
オーブがしゃべった!
その場の一同、一様に驚愕の眼差しをオーブに向ける。
オーブの光が増したかと思ったら空中に透けた人影が映し出された。
黒いローブ姿に白髪のご老人である。
っていうかまさかの立体映像?!
『わしはヴェサリウス二世。宮廷魔術師団の長だ。可愛い孫娘パトリシアからおまえの話を聞き、こうしてわざわざ招待状を送ってやった次第だ。スティーブン・ルシェール。【黒】として生き、身を立てたいのならば、王都のヴェサリウス魔道塾に来い。指導してやらんこともない。ではな』
つっけんどんに言って老人はふいっと横を向いた。
そのままふっと立体映像が消える。
けどオーブはまだ光ったままだ。
『まったくお祖父様ったら』
愛らしい声がして、再度、人影が宙に映し出された。
金髪、常盤緑の瞳。きらきらと美しい、俺の天使。
『スティーブ、お久しぶりね。ケガはなかったかしら。お祖父様が一定以上の魔力がなければ解けない紐をかけると言って聞かなかったの。本当にごめんなさい』
「…トリシア!」
『この投影魔術は会話ができるワケではないの。お祖父様の開発した録画の術式で、過去の姿をそのまま投影して再生しているだけ。…分かるかしら?』
うん。ビデオレターってことだね。
『お祖父様は魔術師としては素晴らしい方よ。魔術師育成の強化は国策で推奨されているから、塾の費用やその他の生活費は一切かからないの。他にも同世代の【黒】がたくさんいるのよ。あなたと一緒に勉強できたら嬉しい。会える日を楽しみにしてるわ』
手を振ってくれる天使の微笑みを最後にオーブの光が消えた。
たぶんそんなに長い時間の録画はできないんだろう。最後辺りは少々早口だった。
お祖父様すげえな。さすが天使のグランパ。
写真通り越して、立体映像の録画再生とか。どんな術式なんだろうか。
「…これ再生は一回きりなのか?」
掌がまだぴりぴりと痛むが、そんなことよりも俺はやや興奮気味にオーブを手に取った。
ひっくり返したり光に透かしたりしてみたが、スイッチ的なものは見当たらないし、冷たいつやつやしたただのキレイな石だ。
んー…繰り返し再生ができれば、天使の姿をいつでも拝めるかと期待したが、どうやら難しそうである。
俺がオーブに夢中になってる間、家族たちは別なことでやや興奮気味だった。
「…ヴェサリウス魔道塾。聞いたことはあるが」
「ヴェサリウス二世閣下が直々に子どもたちを指導しているというのは本当なんだな」
「その閣下からの招待状が届くなんて。で、招待状ってどれ? オーブ? カードかしら?」
「スティーブってばほんとに【黒】だったのね」
「スティーブ、手は大丈夫か?」
「あ、うん」
「行くのか、王都に」
え。行かない選択肢なんてないけど?
俺はローウェル子爵家の有史以来はじめましての【黒】だ。
どう教育して良いのか両親も家庭教師たちも分からないというのが現状。
本は手に入るが、子どもに指導できるほどの技術と時間のある魔術師はこんな田舎にはいない。
王都や大きな街に出れば個人経営の塾が開設されているという話は聞いていたが、魔術師の伝手もそこまでの金銭的余裕もないウチで、もっと魔術について学びたいとワガママを言えるほど俺の中身は子どもではなかった。
ヴェサリウス二世。
宮廷魔術師団の長を務める国内最高位の魔術師。
十数年前に高齢を理由に師長の座から退いた初代ヴェサリウスに師事し、その後を継いだ。去年だったか一昨年だったか、初代が亡くなられて、その名も受け継いだ、と本で読んだ。
ちなみに戦闘専門の魔術師は魔術士と呼ばれ騎士と同等に扱われるらしい。
昨今は平和であんまり需要がないので魔術士の数は減ってきている、というのも本で読んだ。
こういう無駄な知識ばかりは増えていく。
アカデミーに入る十五歳までもしかして何もできないのか? と危ぶんでいたが、まさかの天使降臨。さすが天使。いやもう女神。
「そりゃあ、もちろん――」
「お待ちください」
――行きますとも、と元気よく答えようとした俺に待ったをかけたのは我が家の有能執事。なんで? と見上げる俺をどこか険しい顔で見下ろして、爺やは慇懃に腰を折った。
「一年。少なくとも半年はお待ちください」
「なんで」
「まず、坊ちゃんには公用語を完璧にマスターしていただきます。ヴェサリウス二世閣下や公爵家のご令嬢と同席なさることもありましょう。マナーもきっちり覚えていただかなければ。とてもではありませんが、今のスティーブン坊ちゃんを公爵令嬢のご学友として送り出すわけにはまいりません」
俺の家の執事が俺をポンコツ扱いしている気がする。
いや確かにまだ読み書き完璧じゃないけど。食事とかのマナーも毎日ダメ出しされてるけど。
確かにそれはそうだな、ってパパ。
そうね。不安ね、ってママ!
ウチの執事は有能である。有能な爺やの諌言に、ウチの家族一同は一も二もなく同意した。
「一年でも短いくらいですが、今日からビシバシ指導させていただきますぞ、スティーブン坊ちゃん」
ひい!
これは爺やに合格をもらえないといつまでも王都に行けないパターンだ。
いったい何年かかるんだ?!