3. ヴェサリウス魔道塾
あれから一年以上が過ぎた。
俺は既に九歳が近い。
魔術師になれる可能性を告げられてから二年近くも、俺は魔術の魔の字にすら一切触れることなく平穏無事に過ごしてしまった。
いや、平穏ではなかったな。
毎日毎日爺やのスパルタなマナー指導を宣言通りビシバシと施されていた。
おかげで無駄に背筋が伸びた気がする。
俺の天使ことパトリシアとは四半期に一往復程度の手紙のやり取りをしていた。
同い年とは思えない美しい文字や文章。なんだかいい匂いのする便箋。
それらに励まされて爺やの熱烈指導にも耐えられたのだと思う。
夢じゃない。俺の天使はちゃんといる、って。
しかしそんな日々とも今日でおさらばだ。
馬車での長い旅路も苦にはならなかった。
やっと魔術が学べる。やっと俺の天使に会える。そう思えば、がたごとと揺られ続け、胃の調子がおかしくなったり、腰や背中が痛くなったりするのにだって耐えられた。
俺は今、念願の王都に来ている。
大きな建物が整然と密集している。歩いている人々も桁違いに多い。何より活気が違う。
まさに田舎から出て来たばかりのおのぼりさん状態で、俺は馬車の窓に張り付いて王都の街並みを楽しんでいた。
不意に馬車が停まる。
着いたのかと思えば、城壁内に入るための関所のようだ。
びしっと制服の決まった番兵さんと馬車の御者さんが何か話をしている。
ちらりと番兵さんが馬車の中の俺を見て、こんこんと軽くドアを叩いた。同行してくれてる爺やが腰を痛そうに抑えながらドアを開ける。
「ようこそ王都へ。ヴェサリウス魔道塾の生徒さんになられるというのは君かな?」
「あ、はい。こんにちは」
「はい、こんにちは。お名前と、招待状を」
「スティーブン・ルシェールです。招待状って、これですか?」
去年、例の小包を開ける際に負った掌の火傷、ではなく、おそらく何らかの術式で刻まれた文様を番兵さんに見せる。
これ、あの後しばらくじわじわ痛かったんだよな…。
俺の両の掌を確認して、番兵さんは詰所っぽい所にいる別の人に何か声をかけた。詰所の中の人がどこかへと連絡しているようなので、誰かを呼んでるのかもしれない。
この世界にはまだ電気エネルギーを実用化する技術はない。なら、あの通信機器はいったい…。
「【黒】の入城は同じ【黒】でなければ審査できないんです。少々お待ちください」
にっこりと笑う番兵さんに俺も笑顔で頷く。
なんだか、躾けの行き届いた感じがすごく都会っぽい。
こんなに感じの良い番兵さんなんて初めてだ。
「あの、あれ、なんですか?」
「ん? フォンのことかな?」
「フォン?」
「ヴェサリウス二世閣下の発明品でね。離れた場所にあるフォン同士を繋いで、会話ができるんだ。たまに魔石の交換は必要だけど、とても便利で、僕たちは大助かりさ。何せ、客人が来るたびにあちこちに報せに走らなくて済むようになったからね」
まだまだ高価らしくて、一般への普及は当分先になりそうだって、塾の生徒さんが言ってたよ。
と、話してくれる番兵さんの声を俺はどこか遠くで聞いていた。
フォン?
離れたフォン同士で会話ができる?
番兵さんたちに魔力はない。なら、魔力を持ってない人でも扱える魔道具ということだろう。
俺の前世の知識で言うフォンは電気信号を音に変える装置だ。
もしかしてヴェサリウス二世は電話を知っている――?
偶然だろうか?
いやでも俺というモブが転生した自覚があるくらいだ。他にも誰か転生者がいる可能性もなくはない。
「おーい、すぐに迎えが来――ってぇっ?!」
番兵さんのびっくりした声に振り返る。
地面に円陣がぱああと光り輝いていた。
何事? と思う間もなく、その円陣の上に長い杖を持った金髪の少女が姿を現す。
「トリシア!」
俺の声に振り向いた天使の微笑みは、筆舌に尽くしがたいほど美しかった。
やっぱり写真だ。誰かカメラの開発を…!
「スティーブン! 来てくれたのね」
馬車を飛び出した俺の両手をきゅっと握って天使が嬉しそうに言ってくれる。
ああ、ほんと天使。
旅の疲れなんか吹っ飛んだよ。
「そりゃあ来るよ。俺、まだ何もできない」
「大丈夫よ。お祖父様も私もいるわ。転移魔術なんてすぐ覚えられる」
本当かな。
まあ、天使が言うならそうなんだろう。
何せバラに触れる前に俺が【黒】だと言い当てた天使だ。
俺もトリシアのようにかっこよく転移魔術で登場! ってやってみたい。
「失礼。よろしいですかな?」
「ええ。スティーブの爺やさん?」
「はい。この度はスティーブン坊ちゃんのご招待、心より御礼申し上げます。本来ならばローウェル子爵家当主が伺いヴェサリウス二世閣下へ直接ご挨拶すべき所、執事のわたくしが名代となりますご無礼をどうかお許しください」
「構わないわ。ローウェル子爵からのお手紙は受け取っています。むしろ、ご子息をお預かりするのに無礼を働いているのはお祖父様の方よ。ごめんなさい。あなたたちはここまでなの」
「わたくし共は一向に構いませんが、坊ちゃんのお荷物をどなたにお預けしましょう?」
「ああ、それなら、その陣の上に」
「あなたたちも手伝って」と天使が番兵さんたちににっこりとお願いする。
無論、断れる男などいようはずもない。
「困りますよパトリシア嬢。衆目の中で転移魔術は」
「あら。子どもの悪戯よ。目を瞑ってちょうだい」
「いや、確かにお子様ですがね…?」
ひょいひょいと馬車から荷を下ろしつつ、番兵さんたちは苦笑している。
本当は衆目観衆の中じゃ転移魔術は使っちゃいけないらしい。
ま、確かに突然目の前に人間が現れたらびっくりする。
それがこんなに愛らしい天使なら尚更。
「これで全部ね。爺やさんとお別れは大丈夫?」
「うん。もう何日あの狭い箱の中に二人っきりで詰め込まれてたことか」
「せめてご両親に、立派な魔術師になって帰って来る、くらいのご伝言を頂戴しても良いのですが」
「…とりあえず魔術師って名乗れるようになるつもりではいる。爺やも身体に気を付けて。ウチのことよろしく」
「はい。坊ちゃんも、どうかお気を付けて」
トリシアに促されて荷物が積まれた円陣の中に俺も入る。
きゅっと右手を握られて心臓が跳ねた。
「ローウェル子爵夫妻にお伝えください。スティーブン様はわたくし、バートン公爵が長女パトリシアが責任をもってヴェサリウス二世閣下にお育ていただきます。スティーブン様は立派な魔術師になります、と」
爺やが嬉しそうに笑って痛む腰を直角に折る。
俺は勝手にハードルを上げられてちょっとドギマギした。
トリシアに責任を持たれ、宮廷魔術師団の長に育てられてって、俺“立派”にならないとマズイんじゃない?
ぱああ、と円陣が光る。
さっきまで持ってなかったはずの長い杖が再度トリシアの手にあると気付いたときには、光が視界を満たす。
ぎゅっと目を閉じて、開くとどこか建物の中だった。
「ここがあなたの部屋よ」
トリシアに言われて周囲を見回す。
机とベッドが二つずつ。片方は既に誰かが使用中だ。相部屋と言うことだろう。きれいに清掃されているし、塾の寮とは思えないくらい広い。窓ガラス以外は木製なのにどこか品がある。中々居心地の良さそうな部屋だ。
天使が窓を開け放って振り返る。
例のきらきらエフェクトは健在だ。陽光にきらめく金の髪がまぶしい。
やはりトリシアは自ら光り輝いているようにしか見えない。
さすが公爵令嬢。俺の天使。
「ヴェサリウス魔道塾へようこそ、スティーブ」
ああ、もう。
その笑顔を見れただけで遠路はるばる王都まで来た甲斐があるってもんだ。




