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第44話 斬った

 竜の翼を貫いたのは、氷の刃だった。ヒューゴの氷の大剣の、折れ飛んだ切先だ。

 切先が折れても、氷の剣身の大半は残っていた。だからヒューゴは全力で剣を振り、希生が足で跳ね上げた氷の刃を、残った剣の先端近くに当て、まるでバットでボールを打つように打ち飛ばした。

 斬るのではなく、剣身の腹で氷の刃の尻を打ち、その剣の運動エネルギーの全てを氷の刃に伝達した。

 ただでさえ竜鱗に傷を刻むほどの剣戟の威力と速度を、短剣ほどの小さな氷の刃に、余すところなく託したのだ。


 剣を振るった風圧で、離れたものを切断するようなことはできない。空気は簡単に拡散してしまうからだ。

 だが固体を飛ばすなら話は別だ。充分な強度と重さ、空気抵抗を受けにくい形状を兼ね備えた固体を打ち飛ばせば、剣を振るった力のほぼ全てを離れた場所に伝えることができる。

 ベルタの氷は冷気の魔法により分子運動を強く抑制され、鋼のように砕けず融けにくい。


 氷の刃の初速は音の3倍を超え、冷気ブレスの余韻を衝撃波で打ち払いながら貫いた。

 そして竜の左翼の中心を穿ち、体液に対する圧力の急激な変動が空洞現象を引き起こす。命中箇所の体液の一部が瞬間的に蒸気と化し爆発的に膨張、内側から破裂するように血肉が弾け飛んだ。

 翼に大穴が開いた竜は、体勢を崩しながら、がくんと高度を下げる。


 飛行生物の常として、竜は目がいい。この剣弾でただ狙っても、察知され回避されたかもしれない。

 だがブレスの輝きは、それを阻害する遮蔽物となった。極低温で凍った水分が陽光を反射して煌めくそのさま。

 竜は強過ぎた。ブレスを放ったあと、すぐに移動してブレスの向こう側を確認できる位置を取ろうとはしなかった。しぶとい獲物ではあっても、鱗を傷付ける力があっても、この高度なら届かないし、届いても減衰して効かないと油断していたのだ。


 たった100mの高さ、だが確かな高さ。

 剣は届かず、弓や投石では威力が足りない。魔法であっても、飛んでくる間に避けられるし、まず的確に弱点に当てられる可能性は低い。


 覆したのは、ヒューゴの魔石への意識の常時接続による、圧倒的に高度な身体強化と、ベルタの魔法で巨大化した剣による、遠心力と速度の増大。

 そしてブレスの向こう側を精緻に捉え、狙うべき機と角度を知る希生の心眼と、それをヒューゴに伝える合気だ。


 左手でベルタを落ち着かせながら、右手でヒューゴに触れ、彼の体を操った。

 強く触れられれば力が入るし、弱く触れられれば力が抜ける。鞭身による運動エネルギーの波を流すことで、一か所の体表面に触れるまま、全身の奥深くにまで間接的に触れる。そうして感応を引き起こし、その無意識の反射で体を操る合気。

 体を動かしたのはヒューゴだが、そこで狙いを調整したのは希生。狙撃手と観測手に近い連携。羽ばたく翼を正確に射抜く一閃だった。


 数十m先で、竜は地に落ちた。左翼に開いた大穴は無視できるものではなく、揚力は不全となり、また左右のバランスも崩れ、回転した末に背中から落ちたのだ。

 その重量の落下が宮殿外庭の飾り石畳を砕き、重い振動が波紋のように広がって通り過ぎていった。


「よっしゃー!」

「ハハハ! 俺最強!」


 希生とヒューゴはハイタッチを交わした。身長差があるため、ヒューゴは自身の顔の高さで、希生は目一杯に手を上げて、とバランスは悪いが。


「おふたりとも、まだ決着はついておりませんよ」

「そうそう、ブレスだってまだ吐いてくるんだから!」


 しかし勝機は見えた。空を奪ったのは大きい。これで逆鱗に手が届くのだ。

 次の防御用呪文を用意しながら、4人は落ちた竜へと走っていく。ここからは地上戦だ。

 いや、飛べなくなった竜が不利に感じて逃げてくれるなら、それはそれで文句はない。こちらは生き延びられればそれでいいのだ。


 現実には、竜は引っ繰り返った状態から起き上がると、牙を剥いて怒りの咆哮を轟かせた。

 逃げてくれないのなら仕方ない。飛べなくなったとは言え、その巨体でただ歩くだけでも、希生たちは竜を振り切ることは難しいのだ。戦うしかない。


 さあ、竜の次の行動は何だ。突進してくるか、爪か牙で迎え撃つのか。

 心眼の射程に捉えたとき、希生は思わず言葉をこぼした。


「やべえ」

「えっ?」

「木だ! 木を投げてくる!」


 その言の通り、立ち上がった竜は、庭園の木の中から手近な一本を引き抜いた。高さは2m程度、豊かな枝葉を茂らせている。根に纏った土砂がぼろぼろと落ちた。

 竜の前足は、その指の付き方も長さも、手としても扱えるようになっている。それだけではない、肩の可動域も、それは人間並の腕として使える骨格になっていた。左右に1本ずつの木を掴む。

 四足歩行はしていても、あれは前脚ではなく、腕と呼ぶべきだったのだ。


 竜は後ろの二足で立つと、尾で体を支えながら不自然なほど上体を仰け反らせて振り被り、そして木を投げ放った。

 腕を広げた大柄な人間ひとり分を超えた質量とサイズ感がある木が、乱雑に回転しながら高速で飛来してくる。

 掠めるだけでも骨の折れそうなそれは、直撃すれば挽肉に変えられるだろう。


 風では防げない。逸らすには質量と速度があり過ぎる。

 冷気や炎熱でも防げない。凍らせ、燃やしたところで、質量はそのまま轢きに来る。

 希生なら斬れるが、斬ったところでふたつに分かれてぶつかってくるだけだ。

 避けることもできない。希生ひとりなら機を見切って射線から身をかわせるが、最も足の遅いベルタに合わせている今、既に直撃コースで投擲されてしまっている。散開すればブレスを防ぎ切れずに確固撃破される以上、仕方がない。

 そしてブレスが防がれるなら、とばかりに、新たな手を出してきた。


「任せろ!」


 ヒューゴが踏み込んだ。

 氷の大剣はまだ生きている。木の回転半径の外から、剣を届かせることができる。

 剣身の腹で木の重心を打ち抜くようなその一閃は、回転によって受け流されることもなく、木を打ち払い弾道を逸らした。ほんの僅かな角度、だが4人をスレスレで掠めていく生存の角度。


 掠めるということは、その質量と速度による衝撃を身に受けるということだ。枝葉に掠めて皮膚が裂け、幹に掠めて骨が折れる。

 4人の顔は血にまみれ、特にギリギリ直撃しそうだったところに辛うじて盾を挟んだロヴィッサは、盾持つ左腕の骨に亀裂を走らせることとなった。

 それでも4人は足を止めない。決定的なダメージを与えるには、逆鱗を目指すしかないからだ。


「2発目が来る! ヒューゴ!」

「任せろと言ったー!」


 竜は両の手に木を掴んでいた。まず右手で一発、そして今左手でもう一発。これもヒューゴが同様に防ぐ。

 彼の右腕から、乾いた音がひとつ鳴った。


「次で限界だ!」


 度を超えた負荷に腕が折れ、それでもなお、あと一発は防ぐと言い放っているのだ。

 あまりにも頼もしい仲間だった。左手で剣を握り直すヒューゴは、今、最強の剣士のように輝いて見えた。


 そこで竜が四足に戻り、向こうからこちらに近付いてきた。

 助かった、と思う。飛べなくなったとは言え、走って逃げ撃ちに徹されれば追い付くのが骨だ。ベルタが水を浴びせて凍りつかせる氷結縛りを、内から砕かれる度にかけ直して足を止め、少しずつ近付いていく必要があっただろう。その前に削り殺されてしまうかもしれない。


 実際、ベルタはそれに備えて、今、水を召喚し続けている。左手に冷気、右手の杖の先に炎熱をブレス対策に宿し、そして杖と重なる右手の内に水を。

 いくら意識の接続率が上がっているとは言え、三重の魔法行使は彼女の脳に負担を強いていた。水をかぶったように滴り落ちる汗の理由は、炎熱を使うトラウマばかりではない。


 竜が迫ってきた。ブレスを防ぎ、木の投擲を防ぎ、執拗に抵抗するさまに業を煮やしたのだろう。

 それでも体力は削れているのだから、遠隔攻撃の方針を崩すべきではなかった。絶対的な強者だった、対等の相手と戦った経験がない事実が、竜の弱点だ。

 その上で、希生たちのチャンスは1回しかない。ヒューゴが限界を迎えている以上は。


 竜が右腕を撓らせ、地を擦るような平手を繰り出してきた。これもまた回避の余地のない高速。直撃すれば纏めて叩き潰されるのみ。迫る余波風圧のみですら、吹き飛ばされかねない一撃。多少逸らしても手や腕のどこかが当たってしまう、『広い』一撃だ。


「我が身に大地の加護ぞ在れッ!」


 ヒューゴの呪文。更なる身体強化。限界突破。

 大地のように堅牢に、力強く。

 踏み込みはあくまで滑らかに、それでいて体重を大地に打ちつけた反力を最大限に受け取り、重力を味方につけた真っ向振り下ろし。


 止める。

 受けた衝撃に折れた骨が腕を飛び出しながらも、まるで大地と一体化したかのように、負荷の大半を地面へと受け流し、一方で自分の威力は容赦なく打ち込む。

 切先が鱗を割り、肌に食い込んで血の飛沫を跳ねさせた。

 同時に竜の平手の進行が止まる、ヒューゴを半歩分押しやって、そこで確かに止まった。


「水よ飲み込め! 凍てつけ!」


 ベルタが召喚した水は、最早直径数mの球体にまで成長していた。

 それを竜の左腕に浴びせ、関節ごと地面と縫い付けるように凍りつかせて動きを封じる『氷結縛り』。

 四足の竜は右手を地について身を支え、反射的に左腕の氷を砕こうと力を込めた。

 ならばこの一瞬、腕による追撃はない。


 希生がヒューゴを追い越し、竜の逆鱗へと踏み込んでいく。

 高い位置にある首へと、小さな結界を足場に駆け上がる。胸の重心移動を起点に、脊椎を下へ向かい脚へと流れる逆方向の鞭身により、爆発的な脚力を発揮して一瞬に高い跳躍を繰り返す。

 地を蹴らない縮地の足運びを基本とする永劫流においても、必要とあらばこうして地を蹴る運動も行うし、そのための技術は既に基本の中にあるのだ。


 竜の首が長いと言っても、その下に入り込んだ人間に噛み付きやブレスを向けられるほどではない。両腕はこの一瞬、封じられている。

 ならば来るのは魔法だ。飛行のための風の魔法。左の破れた翼と右の健在の翼を広げ、本来は翼に向けて吹かせるはずの風を逆向きに、希生に向けて解き放つ。

 希生の軽い身は、暴風によって吹き飛ばされるだろう。そのままなら。


「駆け抜けよ、疾風!」


 ロヴィッサの風が吹き抜け、希生の背を押した。

 竜の風との拮抗は一瞬しか持たない。その一瞬でいい。


 希生は竜に虚実をかけた。首の下で見えなくても、逆鱗の鋭敏な感覚で希生の動きは拾われている。

 だから、やや竜の左手側から、そのまま真っ直ぐに逆鱗へ向かう、と見せかけた。結界を蹴る向き、体の向き、移動の向き。

 竜はそれに機を合わせ、首を左側へと曲げる。希生がその下で首を通り越してしまうように。

 希生はそれに機を合わせ、見せかけの予備動作を破棄して、竜の首の移動先へと踏み込んだ。

 それはまるで示し合わせたように、竜の首と希生の踏み込みは合致していた。合機。


 竜の体温を感じられるくらいの至近距離。逆鱗、眼前。

 逆鱗と通常の鱗との境目、鱗の重なりが開くように反転している箇所、露出した竜の肌に、アイオーンの刃が割って入った。


 それはまるで抵抗のない、柔らかな感触。

 竜の肌がそれだけ脆い――のではない。反動という無駄を出すことなく、運動エネルギーをすっかり対象に伝達し切ってしまう、正しい斬り方ができている証左。手応えのないことが手応え。

 それでも太刀筋の終いに通常の鱗に刃が立つと、弾き跳ね返される感触があった。希生に竜鱗は斬れない。いくら合理的に全身の力を収束しても、そこまでの運動エネルギーは捻り出せない。アイオーンの切れ味を現状での最高にしても届かない。


「――斬った」


 だが殺せる。竜を殺せる。

 逆鱗という弱点のあるタイプだったことが幸運だ。

 でなくば口の中か、眼窩から脳へと通したか。

 それもそれで、厳しくも楽しい会話になっただろうか。予定外とは言え、4対1とは言え、最強の生物と手合わせができた。

 弱者を弄ぶでなく、本気で命を賭して遊ぶのは、あんたには楽しくはなかったみたいだけどな。竜よ。それでも、それでもだ。


「ありがとう」


 希生は爆発的に噴き出す返り血を浴びながら、竜の首に手をついて反転、結界の階段を作り落下衝撃を分散しながら落ちていく。


 竜は絶叫していた。滝のように喉から血を噴き出しながら、身悶えていた。


「離れろ!」


 全員、足は無事だ。木の投擲や直接打撃でロヴィッサとヒューゴは腕が折れているし、枝葉に掠めて顔は血まみれだが、走るに支障はない。

 ヒューゴは折れ方の軽い右手で大剣を引き摺り、ロヴィッサは最初から剣を抜いていなかったため折れていない方の右手に盾を移し、希生とベルタも、竜に背を向けて遁走する。


 竜はのたうち回った。

 喉の傷を両手で押さえ、押さえ切れずに血は溢れ続け、地面を殴り蹴り、尾を叩き付け、上を下にして下を上にして、七転し八倒した。流れ出て広がった血溜りが、その度に弾けた。

 最早希生たちのことなど目に入っていないのか、苦し紛れにブレスを吐いても明後日の方向に飛ぶのみ。その度に喉の傷から炎が漏れ、冷気が漏れた。それで傷口が焼き塞がることも、血が凍って詰まることもない様子だった。自らの攻撃に耐性を持つ、強靭な肉体。それはもう、何の助けにもならない。


 希生たちは狂乱に巻き込まれることを警戒しながら、それを眺めていた。

 ブレスの流れ弾が来ても防げるよう、ベルタとロヴィッサは常に魔法を用意して。再び何か投げてきてもいいように、ヒューゴも身構えて。宮殿に突進されて生き埋めは御免だから、そこに隠れることはしなかった。

 希生はアイオーンの余った魔力で、とりあえずヒューゴの右腕に回復魔法をかけ、骨を繋いだ。左腕は折れた骨が飛び出していてダメージが重く、魔力が足りないので後回しにした。


 竜は血をこぼし続け、やがてその勢いが減じる頃に、どうと倒れて動かなくなった。

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