第20話 イオさんや
山を北側へと抜けて裾野を行くうち、やがて陽は山陰の向こうへと沈んでいった。
手頃な村に辿り着く前に夜になってしまったということだ。
夜は危険だ。街灯があり24時間営業のコンビニがある日本の夜ですら危険なのだから、この周りじゅうに自然しかない場所の夜など、いわんやどれだけ危険なことか。
星明り、月明かりはあるし、今の希生の見切りならば、これだけ暗くても周囲の地形を把握して歩くことはできる。が、道が分からない。
大人しく朝を待つべきだろう。
完全に真っ暗になってしまう前に、希生は取り急ぎ落ち葉や木の枝を集めた。
アイオーンの水の魔法によってそこから水分を抜いて燃えやすくし、同様にアイオーンの火の魔法で点火し、焚火とする。
マイニオとの戦いの経験によって、希生はまたひとつ魂と肉体との同調率を上げた。
これにより希生の魂の定着を行うアイオーンの魔力と集中力の消費は低減され、使える魔法の威力と範囲が増えていた。
水の魔法は昨日までは使えなかったものだ。あらかじめ水を用意しなくても、井戸も掘らずに地下水を呼び出し、いくらでも飲み水を確保することも可能という、素晴らしい魔法である。
ほかに水分を操作することもできて、焚火のために使ったのはそちらの用法だ。
希生は冷たい地下水で喉を潤し、ヤメ村で事前にもらっておいた干し肉や野菜で鍋にスープを作り、食事を取った。
完全にアウトドアなのでヤメ村での家庭料理に比べればランクは落ちるが、山小屋で干し肉をそのまま齧っていた頃に比べればあまりにも恵まれている。あの頃は火も水も自由には使えなかった。
戦闘経験を積んでレベルを上げると、生活が豪華になるのが希生とアイオーンなのだ。
思えばアイオーンの魔法を戦闘に利用したことが未だない。身体強化すら使わずに切り抜けてきている。
いっそ魔法なしでどこまで行けるか試してみたい気分にもなってくる。
立ち方、歩き方の精度を上げることで、更に素早く読まれにくい縮地、更に高速で高威力の鞭身、更に鋭敏で広範囲の見切りが可能になる。
便利な道具に頼り切るのではなく、自分自身の性能を上げること。希生を最強の剣士にしたいアイオーンにとっても、それは望むところだろう。
もちろん、必要なときには躊躇わずに頼るつもりだが。
干し肉スープで腹を満たし、ついでにヤメ村でもらったリラックス効果があるという薬草茶を淹れ、一息つく。
ヤメ村は今頃どうしているだろう。希生を追ったりせずに、普通に村に戻って復興を考えてくれているといいのだが。
盗賊団から逃れて旅に出たはずの希生が、実は盗賊団を斃して奪われた人やものを取り戻した――それは当然、攫われた女たちから伝わる。仕方ない。
そこに、報酬を要求せずに立ち去っていくクールな英雄像を感じて納得してほしい。そして間違っても誰もついて来たりしないでほしい。
その辺りを直接面と向かって戦士長にでも言えば確実だったのだろうが、もともと希生は人付き合いの得意な方ではない。
彼らを巻き込まないために嘘をついて戦って、その上でどんな顔をして会えばいいかなど分からなかったし、会えばどうしても情が湧いてくる。引き止められたら頷いてしまったかもしれない。それが嫌だった。
そういえば盗賊団に村長が殺されたということは、村長の息子の戦士長が村を継ぐのだろうか。どうでもいいが。
それよりは、アンヌがハリー少年とちゃんと幸せになれるのかどうかの方がまだ気になる。ツラい現実に負けずに、どうか頑張ってほしい。
もちろん希生は、それを手伝いも見守りもしない。
野外でパジャマに着替える気も起きない。軽く体は拭いたが。
マイニオとの戦いで少し斬られ、少し焦げた和ゴスの上から薄手のマントを羽織り、それに包まって木に寄りかかる。周囲には一定以上の質量を通さない――空気などは通す結界。
休息の姿勢。眠気が来たら寝るだろう。
アイオーンを帯から外して、両手で抱き締めた。
「イオさんや」
「はいですよう?」
アイオーンの声に眠気はない。
山小屋で初めて目覚めた時には眠っていた彼女だが、あれは魂の定着という一大施術の疲労によるものだそうで、普段は睡眠を必要としてはいないらしい。
眠ることができないわけではないが、眠る必要がなく、眠らないメリット――希生のための不寝番――があるから、と以前語っていた。
「わたしのしたことってさ。まあ、かなり自己満足だけどさ」
「うん」
「人助けでもあったし、悪い結果じゃないよね? 別にさ」
自分の中で納得はしている。
だがそれだけで全てが足りるほど、希生は強い人間ではなかった。
「うん。希生はよくやったんですよう。希生がいたから、アンヌは助かったし、アンヌママだってそう。ほかの攫われた子たちもそう。そりゃあ完璧かって言ったら違うですけど、人はそこまで完璧にはなれないですし、なる責任もないんですよう」
「責任か……」
ゴブリンの大規模間引きは、希生がいたから成立したことだ。その結果、アンヌ母は呪われ、盗賊団は村に来た。
それは希生の責任ではあるまいか。
「間引き作戦を考えて決めたのは戦士長ですし、呪ったのはゴブリンですし、村を焼いたのは盗賊団ですもん。剣を打つまでが鍛冶師の仕事。その剣を買った人が殺人に使ったって、鍛冶師が悪いことにはならないんですよう」
「だよね。わたしは悪くない」
「嘘ついて村人を遠ざけたのはどうかと思うですけど。ふつーに説得するんじゃダメだったんです?」
そこつついてくるか……。
「なんて、正直、面倒になってたでしょう?」
「はい」
はい。
「期待されるのは、まあ、力の証明みたいで嬉しいっちゃ嬉しいけどさ。信頼されるのも、積み重ねた実績の証明で、嬉しいけどさ。重いじゃない」
「うん」
「村ひとつとか、背負えないよ、到底。そう思ったら、なんかもう、村全部煩わしくって。正面から説得するのも億劫で。だってわたしが行くなら村総出で戦いにお供するって、戦士長、すげーマジな目で言うんだぜ。周りの奴らも、うんうんって頷いててさ」
「怖かったんです?」
「怖かった。あの人たちなりの本気だったんだろうけどさ。わたしに受け切れるもんじゃなかった。もっと成長しないと無理だわ」
本気で生きたい。本気を出して生きたい。
そう言いながら、真実はこのざまだ。
本気で剣を交わしたい、剣士同士で戦いたいのであって、人々に望まれる英雄になりたいわけではない、という方向性の違いはもちろんあるのだけれど。
それでもあれは、真正面から向き合うべきだった。カッコつけずに、それじゃあ死者が大勢出るから自分ひとりに任せてください、と説得するべきだった。
「まだまだ本気で生き始めたばっかりの希生ですもん。不器用なのは仕方ないんですよう。これから頑張ろうね」
「ああ……。ありがと、イオ」
アイオーンの柄をそっと撫でた。滑り止めの革の感触。
「イオはさ、そうやって……わたしを全肯定するでもなくて、ダメなところはダメって言ってくれるんだね。道具と持ち主なのに」
「持ち主のためになるのが道具ですもん。そこは履き違えないんですよう。基本は『流石アイオーンの希生!』路線ではあるですけど。褒めて伸ばす!」
「わーい」
軽く両手を上げてばんざいのジェスチャーをした。
戯れだが、喜びは本物だ。
「だから、希生。ちゃあんと最強の剣士になってね。最強の剣に相応しい剣士に」
「うん。……いや、自信はないけど。やれるだけはやってみるよ。戦うのは楽しいしね」
「今はそれでいいんですよう。変に過信、増長しないで、卑屈にもならないで……そのちょうどいい感じが……うーん」
なんだか歯切れが悪い。
鍔をくすぐるように撫でて、続きを促した。
「そーゆー希生だから。……好き、ですよう?」
躊躇いがちな声音で、珍しくもごもごと、アイオーンはそう言った。
頬を染めて、目を逸らしながらも、花のように微笑んでそう口にする姿を幻視する。
「……そういう言い方すれば、わたしが喜んでモチベ上がると思ってやってる?」
「ですけど。本音ではあるんですよう」
一転してあっけらかんとした声音だった。
やれやれだ。
「分かってる。……わたしも好き」
そっとアイオーンを持ち上げ、鞘から少しだけ引き出す。
刀身の根元に、そっと口付けた。
「ふひゃっ!」
アイオーンの発話に応じて、まるでその声の周波数を示すかのように、刀身の刃文が揺れる。
いや、その動揺を示すようにだろうか? 驚いたような声を上げたあと、黙り込みながらも、刃文の揺れが収まらない。
「……こんなことされたの初めてなんですよう。物好きなんですからー」
「照れてる?」
「照れてるですう」
苦笑の声音。
固定された文様のはずの刃文が、まるで鼓動のようにどっくんどっくんと揺れていた。
「新しく化身体が作れたらなー。希生を剣にキスする変態にしないで済むんですけど」
「どうすれば作れるの?」
「希生が魂と肉体との同調率をもっと上げることですねー。これは単に魔力的な余裕だけの話じゃなくって。希生の体って、半分は希生ので、半分はまだアイオーンのなんですよう。これが100パー全部希生のにならないと、新しいの作れないんですう」
希生当人としては、あまりにも違和感なく動けるため、最早100%自分の体という認識でいる。が、実際にはアイオーンが無理やりかつ精緻に魂を定着させている賜物なのだろう。
同調率を上げるには、希生が経験を積むこと。特に強敵との戦闘が有効であることは、既に分かっている。
強敵との戦闘。望むところだ。
「まずは魔石ですねー。希生の脳内に魔石ができると、同調率も上がるですし、希生も魔法が使えるようになって、戦力大幅アップなんですよう。アイオーンの魔法はあんまり戦闘向きじゃないですし」
身体強化は戦闘用だとしても、その他殆どは戦闘以外の場面で役立つラインナップになっているとは確かに感じる。
荷物の持ち運びに困らない従属極小異界を始め、修行に役立つ微量の肉体操作や夢の操作、戦闘後の治療を行う回復魔法、旅のお供に火の魔法と水の魔法、野外でも安心して眠れる結界、言語インストールもあったか。
アイオーンの主は、アイオーンという剣を振るっていればいい。それ以外のことは全てアイオーンが片付ける。そういう仕様を感じる。
いやしかし、本来なら天を裂き地を割るとか最初の頃に言ってなかったか……? めっちゃ攻撃的な魔法能力を思わせるけど。あれは誇大広告だったのだろうか?
『永劫の魔剣』という称号の意味も未だに不明だ。
「まあ、魔石かあ……。脳内にねえ……。ちょっと、いや、だいぶ怖いけど。どうすればできるわけ? それは」
脳に結石である。普通に考えて死ぬしかない。
が、この世界の生物にとっては問題ないらしいし、必要なことなのだろう。
とても不思議だが……。
「長期的に魔力を取り込み続けることで、自然に結晶化するんですよう。そのために魔力の濃い土地に行くってゆーのは有効で、その意味では次が冒険者の町なのはアリアリな選択肢ですねー」
「やっぱり魔力に満ちたダンジョン的なものが……?」
「ですよう。魔境って呼ぶんですけど。霊脈同士がぶつかって莫大な魔力が噴き出してる場所で、当然大気中の魔力も濃いですから、その場にいて呼吸してるだけで魔石ゲットに一歩近付くんですよう」
楽しみなような、恐ろしいような。
しかし……
「眠くなってきたです?」
眠くなってきた。
「じゃあオヤスミするといいんですよう。睡眠は大事!」
「ああ、おやすみ。また夢の中で」
「なんかロマンチックっぽい言い回しですけど、希生とアイオーンの場合そのまんまの意味で夢の中で会うですからねー。夢の中ならアイオーンも化身体持ち! いっぱい喜ばせてあげるですよう? 剣にキスとか必要ないんですう」
「期待してる」
目を閉じると、安らかに眠気に身を任せた。
夢の中で、化身体のアイオーンを抱き締めながら、やっぱり剣のアイオーンにキスをした。




