第16話 どうってことないな
村の北門を出て、街道を北へ行く。やがてそれは山道となり、フィーユ山脈を登っていくことになる。
とりあえず村から見えないところまで来て、手頃な木を背凭れに、木陰に腰を落ち着けた。
早朝から今、昼ごろまで、何時間もかけて森を走り、薬草を採りに行って帰ってきたのだ。更に槍鹿との戦闘もあった。
縮地は重力を利用するため、体力に依存する度合いが普通の動き方よりも小さいとは言え、それなりに疲労は溜まっている。
アイオーンの従属異界には食料も入っているが、昼食は取らない。薬草を採ったあとに弁当は食べているから腹は持つし、これから戦うのに消化に体力や時間を使うわけにはいかない。
村が覚悟を決めて決起する前に片を付けねばならない。やるとすれば恐らく今日じゅう、間もなくだろう。奇襲効果はそれが最も高い。時間がない。
もちろん水分は補給する。水筒を取り出して水を飲んだ。塩も舐めた。
「体力を回復する魔法ってある?」
「もちろんですよう」
ふと体からするりと力が抜け、心地よい眠気が襲ってきた。
「疲労回復には寝るのがいちばん! 回復を促進する魔法と、眠りの魔法の合わせ技ですよう。ほんの15分だけ……」
確かに、短時間の仮眠は仕事の能率を上げると聞いたことがある。
希生は眠気に身を任せ、回復に専念した。
きっかり15分後、電気のスイッチを入れたように目が覚める。
実際にアイオーンがそういう操作をしたのだろう。便利な魔剣だ。
改めて喉を潤して、その辺で用を足す。戦闘中に尿意が気になって不覚を取るなど、死んでも死にきれない。些細なことでも準備は万全に。
「行こう」
「行くですよう」
歩き出した。いつでも木陰に身を隠せるよう、山道の端を行く。土は硬くて、足跡は残っていない。
先日間引いたゴブリンの死臭が空気に漂っている。静かだ。
敵は盗賊団。人間である。ヤメ村の戦士衆を破ったのだから、ゴブリンほど原始的ではないはずだ。
いつどこから矢が飛んでくるか知れない。
集中力の高まりを感じる。見切りの感覚が、周囲半径数十mに広がっていく。
虫が葉を歩く音さえ聞こえるかのようだ。空気の粘りに触れる。
登っていくうち、やがて人間の気配を感じた。物音を断てぬよう、ゆっくりと木陰に身を隠し、視線をそちらに向けた。
山小屋――アイオーンと3日を過ごしたあの山小屋へと続く道に、男がふたり立っていた。
やはりあの山小屋を当座の拠点としたらしい。
男らは軽装の革鎧を着て、腰に剣、弓矢を手にしていた。
盾がない点で戦士衆に装備で劣るが、本人の性能がいいのか、機動力に長けているのか。
山小屋に近付く者がいないかを見張っているのだろうから、まずはこの男らを倒さなくてはならない。それも本陣に気付かれることなく迅速に。
気付かれた場合は奇襲ができなくなり、正面戦闘になってしまう。それでも魔術師だという頭目以外には勝てると思うが、念には念を入れたい。
のこのこ近付けば普通に気付かれる。山林に身を隠しながら接近し、パッと飛び出してまずひとり、として、もうひとりをどうするか……。
(希生、希生。ここは遠距離攻撃ですよう)
アイオーンが提案してきた。
(サイレンサーつきの銃が欲しい。なに? 斬撃を飛ばす的な魔法でもあるの?)
(がんばれば将来的には)
あるにはあるのか……。
しかし、今使えないのでは意味がない。
(そこで提案するのが投石ですよう。音も出ないし、頭に当てれば一発ですよう)
(投石)
雑兵ゴブリンがやっていたが……。役に立つのだろうか?
射程でも威力でも弓矢に劣る。先制攻撃をして注意を引くにはいいが、ひとりを一撃ずつで倒さなければ、接近を本陣の山小屋に伝えられてしまう。大声を出されるだけでアウトなのだ。
(そうじゃなくって、投石器を使うんですよう)
投石器。
カタパルトと呼ばれる、素材の弾力や梃子の原理により、一抱えもある石を発射する攻城兵器が思い浮かぶ。が、念話回線を通して伝わってくるイメージは違う。
人がその手で石を投げる方の投石器だ。
(投石紐とかスリングとも言うですけど。遠心力を使って、弓矢にも劣らない射程と威力を出せるんですよう。しかも片手で使えるから、二刀流で一気に2発発射も可能! 見張りはふたりですし、ちょうどいいでしょう?)
なるほど。そんなものを使うのは初めてだという点を除けば問題はない。
そう言うからには、従属異界の中にあるのだろうし。
(ないですけど、作れるですから。タオル出して~)
指示に従い、タオルを取り出して結び、長さを確保。その上で手首に一端を縛り付け固定する。
これを両手にひとつずつ行う。
(完成!)
早い。
この状態から、手首に結んでいないもう一端をその手に握ると、余った部分が袋のようになる。そこにその辺に転がっている手頃な石を包む。
あとはそれを振り回して遠心力を溜め、手を放せば石が飛び出していくという寸法だ。
(一旦離れよう。試射したい)
(力の流れを見切って、狙ったところに当たるタイミングで放すだけですよう? 今の希生の見切りなら大丈夫だと思うんですけどねー)
(かもしれないけど、万全を期さなきゃ)
それに飛び道具では少しのズレが大きな誤差に繋がるものだ。
たった1度の角度の違いでも、狙うのが1m先なら誤差は約1.7cmだが、10m先なら17cm近くになるのだ。ちょうど頭ひとつ分である。
頭を狙うのに、このズレは大きい。
希生はその場を離れ下山の道を行った。
見張りに音が聞こえないようある程度まで下ったところで、太い木の表面を剣で削って×印を描き、的にする。
なるべく丸くて安定しそうな石を拾い、スリングにセット。
的から20mほど距離を取り、スリングを振り回して遠心力を溜め――放す。
石はごく緩やかな放物線を描いて飛び、×印の交差点下部の樹皮を穿ち、小さな痕をつけた。
(まあだいたい狙い通りに当たったけど……)
今一つしっくりと来ない。
(腕の力だけで回してたからですよう。ちゃんと鞭身して!)
それか。
重心移動を起点に、脊椎を波打たせ力を増幅する流れ。体幹という鞭を振るい、鞭のように先端へ向けて加速させる体の使い方。踏み込みによって足腰の力も乗せて、全身の力を集中する技法。
再び石をセット。鞭身を意識する。運動量を遠心力に変え、スリングに収束していく。
最高速度はあっと言う間に訪れた。踏み込みに合わせ解放。
石は殆ど直線で飛び、×印の中央を撃ち抜いた。印を読み取れなくなるほどに樹皮が砕け散り、露出した内側はヘコんでいた。
(試射して良かったんですよう。流石アイオーンの希生! きゃっきゃっ)
それは惚気なのだろうか?
右手と左手による連続投擲も試して、威力と正確性を確かめた希生は、石をセットして再び山を登っていく。
山小屋に通じる道、見張りはふたり。
木々に紛れて静かに近付いていく。見切りの感覚は鋭敏に、音の立たない地面を見切って踏み締める。
約20m。射程内。射線が真っ直ぐに通る位置を確保する。かつ、スリングを振り回すスペースのある位置を。
彼らの斜め前方。
(ところで、剣士が投石してもいいの……?)
(同じ鞭身の術理ですもん。ならばこれも剣術ですよう。それに剣が有効な場面かどうかを見極めて、場合によっては使わないことを選択するのも、剣を『的確に使いこなす』ってことなんですよう)
なるほど、剣にこだわるばかりが剣士ではない。
剣が不利な場面でも剣を無理に使おうとすれば、それはただの愚か者だ。
そんな愚か者の方が強い剣士になれそうなイメージもあるが、アイオーンの考えは違うらしい。
ここで剣を使うのは、『間違った使い方』なのだろう。正しい使い方を求める、道具である彼女らしいとも言える。
まあ飛ぶ斬撃が使えれば、ここで剣を選ぶのも正しい使い方になるが。早く使えるようになりたい。
ともあれ、石は既にセットしてある。スリングを振り回す。力を溜める。
溜めて――狙い、放った。右、左。発射音がないのは強みだ。
見張りふたりのうち、希生に近い方の眼前を石が通り過ぎ、奥にいる男の頭に命中した。
眼球が潰れただろうか、眼窩周辺の骨を砕くように石がめり込むのが見えた。男が声もなく倒れる。
手前の見張りは石の動きを反射的に目で追って、その場面を目撃して、また咄嗟に石の飛んできた方向へと振り返った。
その瞬間、その顔面に2発目が突き刺さった。鼻が潰れた様子、血を噴きながら彼も倒れる。
そして希生自身は、石を追って既に駆け出していた。
重力と合理的な体遣いを利した滑るような歩法、縮地の俊足が瞬く間に距離を詰める。
見張りもこれで即死したわけではない。今は気絶しているか、痛みで声が出せないか。
回復する前に、アイオーンで喉笛を掻き切った。こういうときには剣だ。
周囲を見渡す。気付かなかった伏兵はいないか? 恐怖による知覚の鋭敏化、恐怖故の生の安心感による冷静な観察。見切りの感覚。いないと思えるが、改めて確認した。
山小屋を窺う。――誰も出てこない。
(ひとまずクリア)
では次に、山小屋をどう攻めるのかだ。
火攻めは魔術師がいて恐らく無効だし、アンヌを始め攫われた村民もいる。やめておくべきだ。
見張りは始末できたのだから、先制攻撃はかけられる。奇抜な策を練るより、それで満足しておくべきか――そう考えたところで、ふと、足元の死体ふたつに視線を落とした。
死体である。ゴブリンではないし、ほかの魔物でもない。人間の死体だ。
投石によって砕かれた頭部は見るも無残で、掻っ切った喉笛からはゆっくりと流血が溢れている。
半ば飛び出した目が、明後日の方向を見詰めていた。
「でも……別に……どうってことないな」
声は震えていなかった。
やはりゴブリン殺しがマズかったのだろう。人型生物を殺すことに慣れてしまった。
最初は生命の危機だから殺した。次はどうせ人間ではないと思って殺した。
だがちょっと肌が緑色で、角が生えていて、牙が鋭く、耳が尖っているだけで、殆ど人間と変わらないものだ。
最初からこの世界に生まれ育ち、ゴブリンはゴブリンだという価値観に染まっていれば、まだ違ったのだろうか。
人を殺したショックがない。思えば殺そうと考えること自体に抵抗がなかった。そんな自分にショックを受けていた。
いや、そもそも――
(考えてみれば、ゴブリンって実は人間だよね?)
(ゴブリンは繁殖力に優れた『魔人種』ですう。もともとは人間が魔石の影響で魔物になったものですねー。今はもう種として完成してて、ふつーにゴブリンからゴブリンが生まれてくるですけど。大元は人間ですよう。ちなみに一般的には、この辺はあんまり認識されてないですねー)
魔石を持つことが魔物や魔術師の条件だ。
それは魔物だけが持つものではない。
人間が魔石を持って、魔物にならなかったものが魔術師なのだろう。或いは魔物の卵なのか。
(魔物化は主に魔石を制御できないことで起きるですからねー。敵の魔術師がとつぜん魔物化してパワーアップ! とかはないと思っていいですよう。実力のある魔術師ほど魔石は制御できてるものですから)
(いや、そういう心配は――まあ、そういう可能性もある、のか。ないけど)
(だいたいないですう)
別にそういう危惧は言われるまで思い浮かばなかった。
ただ、自分はとっくに人殺しだったのだと気付いただけだ。
剣士として生きるなら、この先もいくらでも人を殺すことになるのだろう。
日本人の武藤希生がそれを恐ろしく思い、剣士の武藤希生は、まあ仕方ないかと割り切った。
死体は気持ち悪いと思うが、それだけだ。
(……作戦は特にない。先制攻撃をかける)
(おっけーですよう)
見てもいない敵がどう動くかなど、読み切れるものではない。
見張りを気付かれずに始末できた優位を活かして、奇襲する。これで充分だ。
スリングを外して従属異界に仕舞うと、窓から見られないように注意しながら、希生は山小屋へ向かった。




