第14話 外来種
森である。
ヤメ村より南方、広葉樹の繁る深い森を希生は進んでいた。
地を蹴る反動ではなく、重力に引かれつつ体を送り出していく縮地の歩き方ならば、蹴り損ねて滑って転ぶということがない。足場の悪い森の中、天狗下駄で土を踏み草を踏み、時に石を踏み根を踏んでも、姿勢は安定していた。
同時に意識を広く持ち、見切りの感覚を働かせる。木々を避け、なるべくスピードを保ったまま迅速に進めるルートを選んでいく。
希生は森を駆け抜ける疾風だった。剣士と言うより忍者にでもなった気分だ。
獣たちの気配も感じるものの、人間を警戒しているらしく近付いては来ない。
早朝から数時間を走り、時折に方位磁針(アイオーンの従属異界の中にあった)で方角を確かめつつ、ひたすら南下していく。
アンヌの母を救うための薬草は、この森を真っ直ぐ南へ進んだところにある大きな湖の畔に自生しているという。
単純に呪いを跳ね除ける薬草というものはこの地域にはなく、解呪もまたヤメ村呪医の腕では先に患者の体力が尽きてしまう。
そこで体力を大きく増進する希少な薬草を使い、呪いの病魔を自然治癒させようという流れだ。
栽培技術が確立されておらず、保存も難しいため、こうして採りに行かねばならない。
事前に聞いた距離を考えると、もうそろそろ湖につくはずだ。
「ところでイオさんや」
「はいですよう?」
近くに誰もいないので、久々に念話ではなく日本語で発話する。
「結界だったり従属異界だったり、いろいろ魔法使えるわけじゃん? 治癒だとか解呪だとかの技はなかったの?」
「もちろんあるんですよう。でもアンヌママを治すには、ちょっと余裕が足りないですねー。キキの魂の定着には、まだまだ結構な魔力と集中力を消費してるんですよう」
「ホントかなり無理やりこの状態を保ってんのね……。その割には違和感なく動けてありがたいけど」
「最強の魔剣として、そこは妥協できないですからねー。こーゆー足場の悪い場所を踏破するのっていい修行になるですから、魔法で治せたとしてもこっちに誘導してたかもですけど」
もちろん、それで間に合う計算なら、の話だろう。だよね……?
アンヌの母には、ヤメ村滞在中の家事全てを完全に頼っている。人妻に興味はないが、そこは報いたいものだ。
視線の先、進行方向に光が見えてきた。湖が陽光を反射して輝いているのだろう。
目的地が近い。
希生は焦ることなく、ペースを保って走り続けた。
少なくとも今日いっぱいはアンヌ母は確実に持つらしい。急ぎ過ぎて体の制御が疎かになり、転ぶのもつまらない。
アンヌが弁当を持たせてくれたので、薬草を採取したら堅実に休憩を取り、それから折り返そう。
と、湖を目指して進むうち、前方に気配を感じた。
水を飲む音。息遣い。かなり大型の動物のようだ。熊だろうか。
近付いていくと――そこにいたのは一頭の鹿だった。
体高2m半にもなろうかという、堂々たる体躯をした巨大な鹿だ。複雑に枝分かれした角は、一部が前方に鋭い槍のように伸びている。あれに突かれたら、人間など一溜まりもないだろう。
よく見たら脚は6本ある。普通の動物ではあるまい。
「はー。なんかすっごいのいるね」
足を止めて遠目に窺う。
遠目とは言え、獣の俊足ならばものの数秒で詰められてしまうだろうが。
「槍鹿なんですよう」
「そのまんまか」
槍鹿は水辺に佇み、時折思い出したように水を飲んでいた。
希生の方もふと窺うが、興味はないらしく、こちらに来る気配もない。
「槍でも斧でもいいけどさ。魔物だよね? どう見ても」
「ですよう。別の地域から迷い込んできたんですかねー」
「間の悪い……。つっても凶暴じゃないみたいだし、刺激しないようにパパッと薬草だけ採らせてもらって帰るか」
魔物とは体内に魔石を持ち、その影響で変容変質した生物を指す。
とは言え基本的には元となった存在の影響を受けた生態となることが多く、必ずしも人類の敵というわけではない。
草食動物であれば大人しいとも限らないが、子連れでもない単独のようだし、変にちょっかいを出さなければ暴れることもないだろう。
希生はさっとその近辺を見渡し、薬草を探した。
湖の畔に自生するそれは、ほどなく見付かった。濃い緑色で、尖った葉をしている。もらった絵と見比べて同定する。
数は一株あれば恐らく足りるそうだが、念のためもう一株――と考えながら群生している薬草の傍らに屈むと、槍鹿が急に叫ぶような鳴き声を上げて突進してきた。
「うわっ」
慌てて立ち上がりつつ距離を取る。
槍鹿は薬草を守るように希生と薬草の間に入り、警戒するように睨みつけてきた。
「えー……」
一歩踏み込んでみる。
角を揺らし威嚇してきた。
下がる。
「どういうことなの」
「体力を大きく増進する薬草ですからねー。野生動物にとってはきっとご馳走なんですよう。厳しい自然の中で生き抜くために、薬草を必要としてる的な?」
「マジかよ、まいったな……」
薬草は持って帰らなければならない。そのためには槍鹿をどうにかする必要がある。
ゴブリンとは違い、彼は別に人間に害を為すタイプの魔物ではないし、希生の生命も脅かしていない。殺してしまうのはできれば避けたい。
ではどうするのか。
とりあえず村でもらったレタスを従属異界から取り出し、槍鹿の足元に転がしてみた。
槍鹿は匂いを嗅いで様子を確かめると、レタスをバリバリと齧り、あっと言う間に完食した。
もうひとつレタスを転がしてみると、これも食べた。
「動物を手懐けるにはまず餌付け! これで多少は仲良くなれたはず。ほら、レタスの代わりに薬草を……」
そこでおもむろに薬草へと踏み込んでみる。
角を向けて威嚇された。
下がった。
「所詮は交換という概念のない畜生か! それとも量が足りないのか……。いや、目一杯あげても無理そうだな。仕方ない。斬る」
アンヌ母は今日じゅうは持つという話だが、逆に言えば明日はもう危ないのだ。
槍鹿には可哀想だが、グズグズしている時間はない。
かと言って殺すのは忍びない。別に槍鹿を狩るために来たのではないのだ。
そこで考えたのが、角を斬るという方法である。鹿の角は確か生え替わるはずだから殺さずに済み、しかし自慢の角を斬られてしまえば流石に逃げていくだろう。
アイオーンを抜く。
ゆっくりと槍鹿の右側に回り込むように歩く、槍鹿はそれを目で追って首を曲げる。
そこで縮地で反転、一息に角の側面へと踏み込み、渾身の力を以て振り下ろす。
――がぎん、と。
角の表面に傷をつけて、剣は弾かれた。
「ちょ……」
接近されたことに気付いた槍鹿が、角を振り回し暴れ出す。
咄嗟に後退して距離を取りかわしたが、もう言い訳不能の攻撃行動を取ってしまったためか、槍鹿はそれを更に追ってくる。
木々の陰から陰へと身を隠しながら逃げ回り、真っ直ぐに突進されることを防いで回避していく。
「斬れないけど!?」
「今の魔力で出せる切れ味だと、ちょっと足りなかったみたいですよう。それでも充分な運動エネルギーがあれば、へし折れはするところですけど。修行あるのみですう」
希生には、通常攻撃を大きく超えた威力を持つ必殺技、のようなものはない。
そもそも通常攻撃自体が、奥義となるレベルの基本を高めた必殺級の威力であるため、そんなものは必要ないというのが正しいところだ。
が、つまり、通常攻撃が効かない敵にはどうしようもない。必殺技が効かない敵にはどうしようもないのと同じくらいに。
狂乱する槍鹿から逃げ回ることはできる。
前後左右360度どの方向にも即時に移動できる縮地のおかげで、機動力は高い。木々を遮蔽物にすることで相手の移動ルートを制限し、最高速度を出させないからだ。直線では逃げ切れまい。
しかしそれもずっとは続かない。
みしりばきばき、と、希生の背後で引き裂くような音がして、槍鹿に突進された樹木が倒れてくる。巻き込まれないようにとっととかわしながらも、肝が冷える思いだ。
槍鹿が木を倒せば、そこで一旦止まるために追いつかれずには済む。だが倒木は移動の邪魔になり、盾に使える木は減る。
早いところ何とかしなければならない。
(殺すしかないのかなあ……。ヤだなあ……)
槍鹿は今でこそ希生を殺すのも厭わない突進をしてきているが、これは希生の方から攻撃されたと思っているからだ。希生が策を間違えなければ必要のなかった殺意。
これで『自分の生命が危ないから殺す』というのは、もちろんそうしたいが、だいぶ抵抗がある。
攻撃を避けていられるだけの余裕があることも、迷いに拍車をかける。
いよいよ危なくなれば殺すしかないが、そうなるまでは。
(そのことなんですけど、キキ)
(なに?)
(そもそも殺せるんです?)
……。
(えっ!?)
(まさか毛皮まで角ほど硬いわけもないですけど、それでも一度攻撃が通じなかったのは事実なんですよう。いよいよってなってから、ホントに殺せるんです?)
そう言われると、確かに自信が揺らいでくる。
追い詰められてから殺そうとして殺せなかったら、そのまま自分が殺されてしまう。
そうなる前に、余裕のあるうちに殺しておいた方がいい。正論だ。
(いやでも……こいつ別に悪いことしてないし……)
再び木が薙ぎ倒された。
千切れ飛ぶ木片をかわしつつ逃げ回る。
(そうでもないですけどねー。ここは本来魔物のいない森ですよう。槍鹿はどこかから流れてきて居着いた。槍鹿のいない状態で生態系は完成してた)
(つまり?)
(外来種問題ですよう。気付かなかったです? この辺、槍鹿の口が届く範囲で木々がハゲてるの。体が大きければたくさん食べる。天敵がいないから、どれだけでも食べすぎる。早晩、この森はもっとハゲるでしょうねー。木々は絶え、森にもともといた草食たちはエサがなくなって死んで、じゃあ肉食も死ぬ。森が死ぬんですよう。槍鹿もやがてここを食べ尽くしたら別の地に移る。それこそ村に来たら、畑も食害されるでしょうし、人も被害が出るでしょう)
それはまだ犯してはいない罪だ。
しかし、近い未来に高い確度で犯す罪でもある。
人にとっての、だが。
(今のわたしは……まあ、ヤメ村の味方か……)
(ですよう? 薬草だって持って帰らなきゃですし。これから先も、こうして命を奪う機会なんていくらでもあるんですよう。慣れようね)
あまり気分は良くないが、これも必要なことなのだろう。
優先順位を間違ってはならない。
一番は自分。二番目がアイオーン。今は三番目にヤメ村で、槍鹿は番外なのだ。
人を殺すわけでもない。むしろ人にそっくりなゴブリンを殺すより、その意味ではいっそ楽だろう。
(やる)
(がんばってですよう)
距離を取って槍鹿へと向き直る。迫る巨体。
体格もそうだが、何よりも角の巨大さが厄介だ。複雑に枝分かれしながら長大に伸びるその角が盾となって、正面からでは体に攻撃が届かない。
側面や背面に回り込むのも、木々の多い森の中では大変だ。
ゴブリン相手にはすれ違いながら急所に攻撃できたが、角を避けてすれ違ったら角の長さの分だけ体が遠くなり、やはり攻撃が届かない。
(どうしよ)
迷った、が、すぐに決めた。
意識して技を出すのではない。動けばそれが技になるのが達人だ。
心身が求めるまま、素直に動けばいい。
槍鹿の突進を待ち受けた。
ギリギリまで引き付け――縮地、相手の反応を置き去りにして踏み込む。
槍のように前方へと突き出た角と角の間、真正面、槍鹿の顔面に向けて。
ここなら正面から攻撃が届く。最短距離。
剣を振り下ろし、鹿の頭部を縦に割る。脳内の魔石に刃が当たる感触。
殺したところで突進の勢いそのものは止まらないため、振り下ろしながらしゃがみ込むように体を縮め、胴体の下を転がって潜り抜けた。左右を6本の脚が暴れていた。
立ち上がり振り向けば、通り過ぎた巨体が地に突っ伏すように倒れるところだった。
「すまんね。どうか成仏してください」
手を合わせて祈る。
思いのほか精神ダメージはない。ゴブリンを相手にしてきたことで、生物を殺すということに良くも悪くも慣れたのだろう。どうせ人ではないし。
「ところさっき、外来種問題って言ってたけどさ」
「はいですよう」
「わたしも外来種じゃないの?」
念話の回線に、にんまりと笑う気配が伝わってきた。
顔のない表情。
「外来種をも飲み込んだ新しい生態系が構築されるなら、それもそれで新陳代謝なんですよう。世界は変わっていくものですもん。誰もずっと同じ場所にはい続けられない」
それはダブルスタンダードなのか、慰めなのか。ただの真理にも思えた。
さて、あとは魔石を回収し、薬草を採取して、お弁当を食べ、帰り道を行くだけだ。
その過程に、もうトラブルはなかった。問題なく進んだ。
問題はその後にあった。
帰り着いた先、ヤメ村が燃えていた。




