第12話 それはいいんだけどさー
それから数日。
希生は毎日戦士衆のもとを訪れ、警邏にも同行して、その度に雑兵ゴブリンと戦った。
これだけ連日のように近辺にゴブリンが出るのは、やはり珍しいようだ。ゴブリンの数が増大している。彼女ら(ゴブリンは今のところメスしか見ていない)が再びヤメ村に狙いを定めて攻めてくる前にと、戦士衆は間引きの準備に焦りを見せていた。
だがそれも終わりだ。遂に準備は整った。
準備と言っても大掛かりなものではなく、戦士衆の誰を向かわせ誰を守りに残すのかの選定や、装備の修繕、先の襲撃での怪我の治療などだ。
ゴブリンは通常、およそ十数匹かそれ以上の単位で固まって行動する。山の中で、この小さな群れを探しては殺し、探しては殺していくのだ。
放っておけば、最早小さな群れでは済まず、大軍団となって攻めてくる恐れがある。そうなっては、村は厳しい戦場となるだろう。その前に。
メンバーは戦士長を含む戦士衆が12名、加えて希生の13名。
恐らく総計で数十匹以上、下手をすれば100匹以上のゴブリンと戦うことになるが、小さな群れ単位で区切って戦いながら、戦士衆が連携すれば、雑兵ゴブリンからは傷を受けずに勝つことも不可能ではない。
そしてホブゴブリンには希生が当たる。
通常は数人がかりで取り囲んで、時間をかけて斃すのがホブゴブリンだ。希生がいれば、その人数を雑兵狩りに回し、安全かつ手早く終わらせることができる。
希生がホブゴブリンと戦うところはまだ誰も見ていないが、戦士衆を一蹴したあの実力を考えれば、疑う者はいなかった。
さて、本番である。
一行は緩やかに隊列を組み、山に分け入っていた。
全体の指揮を取り進む道筋を定める戦士長と、真っ先にホブゴブリンの押さえにかかる希生が先頭、それ以外が後ろだ。
かつてこの山がまだ人間の土地だったころの名残りである山道は、場所により道幅が狭かったり広かったりまちまちであり、道の不安定な起伏もあり、整然とした隊列を組むには不向きだ。
山道を外れて山林に入れば、それはもっと隊列を取りにくくなるだろう。
しかしゴブリンも、基本的には山道を中心に山中を移動している。狩りの獲物を探して山林や獣道を行くこともあるが、その場合も行き返りには山道を行くのが普通だ。
こうして山道に沿って登っていれば、ほどなく発見できるはず。
――と、希生が流れを振り返っていると、早速ゴブリンの気配を感じた。
森の中と同じだ。いつどこから敵が出てくるか分からない恐怖から、希生の感覚は研ぎ澄まされている。
離れた視界外をすら見切るほどに。
「戦士長、ゴブリンです。前方、あの曲がり角の辺りに出てきます。ホブもいるようです」
「よし、ホブゴブリンは嬢ちゃんに任せた。残りは俺たちだ」
希生の予言通り、十数秒ほどで山林から山道へとゴブリンの一団が現れた。
野生の鹿を仕留めたらしい、雑兵ゴブリンが数匹がかりで獲物を持ち上げ運んでいた。持ち帰るところのようだ。
鹿の遺骸には頭がない。ホブゴブリンが一撃で吹き飛ばしたのだろうか。
ホブゴブリン1匹、雑兵ゴブリン10匹以上の小さな群れは、帰ってご馳走を食べる考えに夢中なのか、山道を登ってくる戦士衆に気付くのが遅れた。
彼女らが気付いたときには、戦士衆は既に矢を放っていた。
いち早く反応したホブゴブリンは石斧を振るい、自分を狙う矢を叩き落としたが、雑兵ゴブリンは幾らかが被弾し倒れた。鹿を担いでいた個体らは、鹿が盾となって助かっている。
「突撃!」
そう戦士長が声を上げるより先に、希生とホブゴブリンは駆け出していた。
無謀にも自分に向かってくる小さな人間のメスに対し、ホブゴブリンは獰猛に笑って石斧を振り下ろし――それを最小限の動きでかわされ、肩を斬りつけられた。
浅い傷だ。構うものかと気炎を吐き、足を止めて剣士との一進一退の戦闘に入っていく。
(はあ)
希生は心の中で溜息をついた。
今の希生であれば、ホブゴブリンを一撃で斃すくらいはわけもない。
それをせずに小さな威力でヒットアンドアウェイに徹しているのは、偏にこれがゴブリンの間引き作戦だからだ。
ホブゴブリンを斃せば、その時点で雑兵ゴブリンは逃げ去ってしまう。
遭遇した雑兵を逃がさずに全て狩り尽くすには、ホブをすぐに斃してはならない。ホブを生かすことで、雑兵をこの場に留める必要があるのだ。
希生とホブとの戦いの周囲では、戦士衆と雑兵との戦いが始まっていた。
体格は文字通りの大人と子供。雑兵ゴブリンの運動能力そのものは見た目よりも高いのだが、人間の子供レベルの範疇を出るものではない。
装備は、戦士衆が鋼の剣、木製に革張りの盾、革鎧、弓矢。ゴブリンが石槍、石斧、拾った石を投げつける、だ。
ホブゴブリンを除けば、同数ならば人間が圧倒的有利。倍の差があっても戦えるだろう。
そして今ここでは、逆に人間の方が多いありさまだ。ゴブリンが蹴散らされていく。
(それはいいんだけどさー)
そんな光景を後目に、希生はホブゴブリンを引き付けていた。
攻撃は全てかわし、それでいて標的にされ続けるよう、浅い攻撃で挑発する。
雑兵ゴブリンはホブの石斧フルスイングに巻き込まれるのを恐れて、一定以上の距離を取るし、誤射を恐れて投石も希生に向けては来ないので、希生はホブに集中できる。
それはいいのだが――つまらない、のだ。
圧倒的な実力で、格下の敵を弄ぶ。一撃で斃せるものを、嬲るように浅い攻撃を重ねていき、逆転は絶対に許さない。
もう少し楽しいのではないかと思っていた。
つまらない。
(イオー、何か歌うたってー)
(おお、山々に咲き誇る桜~風を染める薄紅よ~)
(山の歌だけどそれ春だよね!? 今ここ秋っぽいけど!?)
それはもう、アイオーンと念話でふざけ出すほどにつまらない。
拡大された感覚領域、希生の見切りは最早その程度で精度を落とさないし、落としたとしてもホブゴブリン1匹相手では問題ない。周囲にほかのホブゴブリンが潜んでいないことも知覚しているし、戦士衆とゴブリンとの戦いも流れ弾に当たらないよう警戒もしている。
その上で、余裕があり過ぎるのだ。
全力を出せない。本気を出せない。
元の世界では、希生は空虚な人間だった。何かに情熱を燃やしたこと、本気で取り組んだことがない。それでつまらなさを感じたことがなかったのは、単に娯楽に溢れた世界だったから、それが誤魔化しになっていたのだろう。
ここに来て、剣には本気になれるのではないか、少し期待している。
期待しているだけに、本気で剣を振れない今がツラい。
苦痛だ。
「××! ××!」
ホブゴブリンは必死の形相で、本気で喰らい付いてきてくれているのに。
山小屋で戦ったホブゴブリンのように、互いに本気を出せたら、どんなにか楽しいだろうに。
それは死の危険性を負うことであって、死ぬことは恐ろしいが、だからこそ生が輝けるはずだ。
武士道と云ふは死ぬことと見つけたり、そう言った侍たちもそんな気持ちだったのではあるまいか。
あまりにつまらなすぎて誇大妄想を伴う現実逃避に入り始めたところで、戦士長が最後の雑兵ゴブリンを殺すのが見えた。
「ごめんね。お疲れ」
瞬間、アイオーンの刃が閃き、ホブゴブリンの肋骨と胸骨とを断ち割りながら、心臓を含む上半身を斬り裂いた。
既に全身に何か所も傷を受け、息の上がっていたホブゴブリンに、それを避ける術はなかった。
巨躯が二つに分かれながらどうと倒れる、それを避けて周囲を見渡すと、魔石の回収が始まっていた。
「どうだ嬢ちゃん。まだ行けそうか?」
「余裕すぎて困っています」
本当に困っている。
だが戦士長は嫌味ながらに気合充分な返答だと受け取ったらしい。複雑そうな顔で「そうか」と述べた。
希生のことは気に入ってはいないようだが、格上のはずの剣士が素直に自分に従っているのは気分がいい、という表情をしている。希生を利用して村に利益をもたらすことも喜んでいそうだ。
戦士長として間違った気持ちでもあるまい。
ともあれ、希生もホブゴブリンの魔石を回収することにした。もう慣れたものだ。
「俺らも今のところ無傷だ。この調子で群れを探しては狩っていくぞ」
「はい」
「この辺はフィーユ山脈の中でも、ゴブリンにとって中心的な土地じゃねえ。ある程度間引いてやれば、しばらくはこの山域から手を引くはず。そうすりゃヤメ村は安泰だ」
「また増え過ぎるまでは、ですね」
「まあそうだけどな」
水を差すなよ、とばかりに軽く睨まれた。
小さく会釈して謝意を示す。
何だかんだ言って、戦士長とは打ち解けてきている。この村に住むのも、ありと言えばありだろう。
だが文明度が低すぎる。
いつでも冷たい水を飲めるわけではないし、トイレは穴だし、虫除けの香の匂いがたまに鬱陶しい。
都会に行きたい。
つまり、再びゴブリンが増えるころ、この村に希生はいないのだ。
希生の力をアテにしたこの間引き作戦に、二度目はない。
「実際、普段はどうしてるんですか」
「今日とそんな変わらねえよ。半数がホブゴブリンを押さえてる間に、半数が雑兵を狩る。どうせホブゴブリンを斃すのには時間がかかるから、その間にちょうど雑兵が片付くって寸法だ」
ホブゴブリンはその巨躯から分かる通りに体力に長け、また筋肉の鎧によって多少の刃傷ではまるで致命傷に届かない。
希生が一撃で殺せるのは、あくまでもアイオーンの切れ味あってこそだ。
(そう思うなら、ちょっと切れ味落としてみるです?)
(えっ?)
(ふつーの剣レベルに。難易度上がって張り合い出るかも?)
(やってみよう)
やってみることにした。
というわけで山を進み、次の群れとの戦いである。
先と同様に希生の見切りで先に発見し、弓矢で先制攻撃をかけ、それから白兵戦での激突となった。
緩やかな歩みから縮地への瞬間的な転換によりホブゴブリンの間合いを侵略、先の先を取り一撃を入れる。
やや小柄な少女である希生と2m近くあるホブゴブリンとでは身長差が大きすぎ、首を狙うのは難しい。
となると、やはり胸だろう。
今の切れ味では骨を断てまいが、希生の見切りの感覚ならば、服の上からでも骨格を透視するように把握できる。
肋骨の隙間から寝かせた刃を刺し込み、心臓を穿った。
普段より抵抗感が少し強いようでもあったが、剣を止められるほどでもなかった。
「××ッ……!」
ホブゴブリンが力を失い、倒れかかってきたので、慌てて剣を抜き下がる。
痙攣するような手の動きは、それでも未だに起き上がって武器を振ろうとしているようにも見えたので、首も刺しておいた。
(なんか……なんかあっさり片付いちゃったんだけど)
(キキの修行は達人の修行ですもん、優れた武器ありきになるわけないんですよう。充分な質量と強度と速度があれば、筋肉が刃物に勝てる道理がないんですう。身体強化魔法が関わってくると必ずそうとも言い切れないですけど、ホブはそこまでじゃないですし)
(じゃあ戦士衆の皆さんが囲んでちくちくしないと斃せないのは)
(ホブの攻撃力は高いですから、腰が引けてるんですよう。全身の力を合理的に剣に乗せることもできてない。威力不足ですねー)
(そう……)
道具としては『道具ありき』の方が嬉しいのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
武器の性能に依存しているわけでなく、希生の性能が高いからホブゴブリンに勝てるのだ、と実験で確かめさせられてしまった。
結局、難易度が上がっていない。
そして最大の問題は、
「キキー! オメーよー!」
「すみません。ついうっかり」
ホブゴブリンを瞬殺したことで、雑兵ゴブリンが狩る前に逃げていってしまったことだ。
戦士衆は逃げる背に矢を向けて、半数を殺したが、残りは取り逃がしてしまった。
決して足場がよいとは言えない山中で、ゴブリンを追いかけて走るのは危険だ。
しかも雑兵ゴブリンはバラバラに逃げるから、深追いすればこちらの部隊も無駄に散開してしまう。そこを別の群れに襲われることは避けたい。
というわけで、今の群れは諦めて、次の群れを探すことになった。
「気を付けろ! 間引きに来てんだぞ、俺らは!」
「はい、すみません。気を付けます」
希生は淡々と頭を下げた。ここで意地を張っても仕方ない。
その後はミスもなく、朝から夕方まで半日がかりで山を歩き回り、間引きを続けた。
希生ひとりでホブゴブリンを押さえることができる、つまり戦士衆を全て雑兵ゴブリン狩りに回せる以上、狩りの回転は速く、作業はサクサクと進んだ。
途中で戦士衆が雑兵の攻撃を受け負傷してしまう場面もあったが、応急処置で事足りる範囲で、戦闘不能者は最後まで出なかった。
最終的に200匹以上のゴブリンを狩り、この山域からゴブリンを粗方一掃する勢いだ。ここまでの戦果は、村では初めてだと言う。
こうして間引き作戦は成功裏に終わった。




