第11話 正しい修行
夕方になって村に戻り、ひとりアンヌ宅への帰路を行く中、井戸端にアンヌの姿を見付けた。
もうひとり同年代と思しき少年がいて、仲良さげに話している。
特に興味はないのでそのまま通り過ぎても良かったのだが、アンヌが希生に気付き、手を振って呼びかけてきた。別に忌避しているわけでもない、寄っていく。
「おかえりキキさん! どうだった?」
「ただいま。ゴブリンがたっぷりいたよ。山に入って間引かないとマズいみたい」
「そっか、怖いね……」
希生は視線を少年に向けた。
畑仕事で鍛えられているのだろうか、筋肉のついた体をしていた。ここの村人は大抵そうだが。
まだ微かに幼さの残る顔立ちながら、あちこちに生々しい傷痕があった。
表情はキリッとしている。いや、これは睨まれている……?
希生の視線を察して、アンヌが少年の手を取って紹介に入った。
「これ、隣んちのハリー。ね、この人がキキさん。ゴブリンからあたしを助けてくれた人!」
「旅の剣士の武藤希生です。よろしくね」
にっこりと笑ってみせたが、ハリー少年の表情は険しいままだ。
それはあくまでも希生に対してであって、手はアンヌに取られたまま、彼女の手を握っていた。
「キキさんっつーの? 今……ゴブリン見てきたわけ? 村の外で」
「戦士衆の警邏隊に同行させてもらって、わたしもちょっと戦ってきたよ」
それが? と続きを促すように小首を傾げる。
「旅の剣士だか何だか知らねーけど、妙な嘘つくなよな。その変な服……全然汚れてないし乱れてもないじゃねーか。戦ったなんて嘘だろ」
「魔石見る?」
従属極小異界から、今日狩ったゴブリンの魔石を取り出して見せた。
突然の魔法に面食らったらしく、仰け反ったあと、恐る恐る魔石を覗き込む。
戦士ではない彼が、まず実物を見たことがあるのだろうか? と、見せてから疑問に思ったが。
「戦士衆から貰っただけだろ!」
「じゃあ今日のじゃないけど……これは?」
山小屋で斃したホブゴブリンの魔石を見せる。
雑兵ゴブリンのそれよりも大きく、色が濃い。輝きも違う。
実物を見たことがなくても、それが強力な魔物から取れたものであることは分かるのだろう。雑兵ゴブリンくらいならともかく、それよりも貴重なこの魔石を、戦士衆が簡単に譲るはずがない。
ハリーは言葉に詰まり、少しの間沈黙した。
もういいだろうと思い、希生は魔石を従属異界にしまう。
「じゃあ本当なのかよ……。アンヌを助けたってのも……」
「だから何度も言ったじゃん! あたしを助けてくれたの! その剣で!」
「この剣で。ってアンヌはその場面は気絶してて見てないよね」
「えへへ」
一瞬和やかな空気が流れるが、ハリーはそれも気に入らないらしい。
握っていたアンヌの手を振り払うように放した。
少年の手は、今はただ拳を握っている。
「おかしいだろ……! 俺とそんな変わんねーのに……! 俺はまだ戦士にだってなれてないのに……!」
希生としては、何ともコメントしがたい。
自分は運が良かっただけだ。たまたまこの異世界に漂着し、たまたまアイオーンに出逢い、たまたま気に入られて特殊な修行をつけてもらい、たまたま特異な死の明鏡止水の資質を持っていて、それらが上手く嵌った。
何かがひとつズレているだけで、今の時点でこの強さはなかったろう。
何ともコメントしがたいが、ふたりの間で視線を彷徨わせてオロオロしているアンヌを見ると、何か言わないとマズいだろうと思う。
しかし、何を言おう。
「アンヌから聞いてない? わたしには、ほら……魔剣があるから」
「じゃあくれよ! 俺の方が上手く使える!」
その自信はどこから来るのだろう。
何にしても、コメントの選択を間違った気もする。
(イオ、ちょっとだけ……いい?)
(心ある魔剣は持ち主を選ぶんですようー)
まあ、いいとしよう。
希生は帯からアイオーンを外して、柄をハリーに向けてみた。
ハリーは本当にくれると思わなかったのか、希生の顔とアイオーンとを窺うように何度も見て、それから決心を固め、柄を握った。
――ぱぢっ、と。
電気の弾けるような音と共に、その手は弾き返された。
「うわっ……!」
よろめくハリー。もう片手で弾かれた手を押さえる。
希生はアイオーンを帯に戻した。
「んっだよ……! 今の……!」
「残念だけど、わたし以外には使えない。手放す気もない」
「クッソ……! バカにしやがって!」
今にも地団駄でも踏みかねない声音だった。
つつき方を間違えると泣くかもしれない。
(たぶんアンヌのこと好きなんだろうなあ……。自分が助けたかったんだろうね。それができる実力なんかないって分かってて、それも悔しくて)
(可哀想なんですよう。しくしく)
あまりにも白々しいアイオーンは放っておく。声に出してはいないからセーフだ。
「ハリー……。落ち着いてよ……」
「落ち着いてるよッ! ちっくしょう……!」
アンヌが宥めてもこのありさまだ。
希生は溜息をつきたい気分だったが、実行すると彼を煽ることになりそうなので耐えた。
ハリーもハリーで耐えているのだろう。掴みかかってきそうな攻撃線が見えるが、朧で薄い。実行する気はないのだ。
アンヌから聞いた話が本当なら、ホブゴブリンを瞬殺し、戦士衆も取り囲まれた状態から一蹴した相手なのだ、敵うわけがない。そう判断できている。
自分が正しい判断をしている、その事実すらも忌々しそうだが。
「とりあえずさ。今回、アンヌは助かったわけ。怪我もない。それで満足しておきなよ」
「それは……でも……!」
「今回助かっただけだよ。次は分からない。だからそれまでに鍛えて今度こそは――」
「親父と同じこと言ってんじゃねえッ!」
食い気味に遮られてしまった。
しかし希生としては、先達として含蓄のある一言を投げるだとかは無理なのだ。無難なことしか言えない。
何しろ剣士歴たったの数日である。
1日24時間常に修行しているとは言え、戦士を目指しているらしいハリー少年の方が、これまでに努力してきた時間は確実に長い。遥かに長い。
そしてその努力の苦しさも、アイオーンに常に正解を教えてもらいながらそれを再現しようとする希生より、確実に上だろう。
そもそも希生には、自分は努力をした、している、という感覚自体が希薄だ。修行はしている。実際に今も、アイオーンに与えられる感覚をもとに、立ち方を修正し続けている。脊椎ひとつひとつのmm単位での配置に気を遣っている。
しかしそれは、ここ数日でもう呼吸のように当然になってしまったことだ。
アイオーンに正解を与えられ続けて、まるでそれが自分の天才性かのように錯覚させられて、調子に乗って修行を続けるうち、それは自然なことになった。今思えば、ゴブリンという死の恐怖から逃れるために、集中力が増大していたということもあるのかもしれない。
今では、暴力の身近なこの世界で生き抜くために、アイオーンのため最強の剣士を目指して、楽しい戦いに備えて、ほかにやることもないし――良く言えば気負いなく、悪く言えば何となく行っていることだ。
努力という気はしない。
そして立ち方と歩き方、それだけでここまでの強さを得るのは、だいぶチートに近い、と思う。
相手と同じ努力もしていないのに、偉そうにものを言える立場ではない。
「分かった分かった。もう何も言わない。で、帰っていいかな?」
「勝手にしやがれッ!」
「ちょっ……ハリー!」
逆にハリー少年の方が帰っていってしまった。
アンヌと一緒にそれを見送るでもなく見送る形となる。
やがて彼の背中が見えなくなると、アンヌは困ったように溜息をついた。
「ごめんね、キキさん。ハリー、ずっと戦士を目指しててさ。キキさんに先を越されたみたいで悔しいんだと思う」
「だろうね。わたしも……何か希望になるような名言でも言えれば良かったんだけど」
言えない。
言えないのだ。
「帰りましょ。ママのお夕飯が待ってる」
頷いて家路についた。
ここにいるのが自分でなくハリーだったら、手を繋いで帰ったのだろうか。
詮ないことだ。
◆
そうして帰り着いたアンヌの部屋にて、希生はひとりで部屋内をうろつき回り、時々立ち止まって、立ち方と歩き方の修行をしていた。
アンヌ自身は夕食を作る母を手伝うだとかで、ここにはいない。好きに徘徊できるというものだ。
(ところでイオさんや)
(はいですよう?)
自らの姿勢と動きを精査し修正していく作業は、決して暇ではなく集中力を使うのだが、かと言って会話ができないほどでもない。
ほかのことと同時にそれができなければ意味はないのだから、むしろそれも修行の一環とも言えた。
(わたしの修行ってずっとこうなの?)
(ですよう。何よりも大事なのは基本ですからねー。基本をひたすら高めることが達人の道なんですよう。不安になった?)
かぶりを振る。
ゴブリン相手にも人間相手にも、これで結果は出ているのだ。
しかし戦士衆や、特にハリー少年を思うと、心苦しくなってくる。
(苦しい修行をしたいわけじゃないけどさ。こんな楽でいいのかなって……)
(修行とは楽を突き詰めることですよう)
とんでもないことを言い出したぞ。
(ってゆー意味はふたつあって。ひとつには、正しい立ち方歩き方って、体にとって楽なんですよう。無駄がないし、自然な動きですから。だから、努めて自分の体を楽にしていってあげなきゃいけないの。どうしたらより楽になるか、それを追求するのが達人の修行なの。イタズラに負荷をかけても単純な筋力が増大するばかりで、その前に体の使い方を覚えなきゃ意味ないんですよう)
いわゆる『力を使わない動き』か。
あくまでもそれは感覚上の話であって、実際には合理的に大きな力を出す方法のようだが。
負荷に対して安直な筋力で抵抗しようとしてしまえば、その合理的な方法が実現できなくなる。負荷をかけてもそれができるようになる頃には、負荷をかける意味もなくなっているだろう。
ただこれは、希生の聞きたかったこととは少し違う。
分かった上で、この機会に説明しておこう、と思っただけだろうが。
(もうひとつの意味は、キツい修行って危ないんですよう。怪我したらその間は修行できないか、できても効率が落ちるでしょう? もしかしたら死ぬことだってある。それを避けたいの。意味ないですもん)
確かに、死んだら意味がない。
怪我で済んでも、それで修行が止まれば意味はないのだ。
(死ぬような厳しい修行の方が強くなれるってゆーのは、『苦しい思いをしたんだからその分の見返りがあるはず』ってゆー錯覚なんですよう。大切なのは苦しい思いをすることじゃなくって、正しい方法を知ることですもん。それは武術に限った話じゃなく、ね)
確かにどんな分野であれ、正しい方法を知らなければ上達するはずがない。
プロの格闘家やスポーツ選手なども、健康に気を遣って、怪我をしないように練習しているはずだ。怪我をすれば練習が遅れ、本番にも出られなくなるのだから。
(もちろん妥協しない厳しさは修行に必要ですし、実戦で動けるようにする準備も必要ですけど。ガムシャラに苦しむのが正しい修行じゃないんですよう)
(ハリーくんがどんなに苦しんでても?)
(ハリーがどんなに苦しんでても。正しい指導者に出会えてない不幸を哀れむのはいいですけど、後ろめたくなる必要はないんですよう。正しいことをしてるだけなんですから)
正しいことをしている、か。
確かに希生は正しい修行をしているのだろう。でなければ結果が出るはずがない。
他人のことまで背負う余裕があるわけでもない以上、彼を気にするのはある種の贅沢なのかもしれない。
できれば幸せになってほしい、とは思う。
アイオーンがいる、自分の幸せを感じながら。




