表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/35

こけし様

 静だが暗い所、幼い少年が寒さからか、目を覚ました。

洞窟の奥なのか、幸い冷たい風が吹きつけてくる事はない。

風が吹き込まないからといっても暖かい分けではない。時期は師走、これから寒さが厳しくなる季節だ。

    パチ!

小さくなりかけた火が、薪をはじけさせた。

少年は少しでも暖をとろうと、焚火に近づいた。

 「おっとう、おっかあ」

少年は小さく呟いてみた。だが返事はない。

子供心に少年は気付いていた。口減らしで自分は捨てられたのだと。

不作での食料不足、しかし年貢の献上は情け無く行われた。村人は飢えに苦しみ、新年を迎える所ではない。只、暖かい春が来るのを待つしかなかった。

   カタ!

洞窟の奥で石が転がるよな音がした。

少年は闇の方へと目を向ける。しかしその視界には闇しか映らない。

   カタ!  コツ!

少年は察した。何かが石を蹴りながら近づいて来るのを。

 「こ、こけしさま・・・」

少年は思い出した、口減らし以外の理由。不作の時に土地神のこけし様へと生贄を捧げるという事を。

   コツ!コツ!

石を蹴る音が大きくなってくる。

少年は思考を巡らせた。 

  逃げる・・・   何処へ・・・  助けて・・・   誰か・・・

      ヒュウーーーー

此処まで届かないはずの風が、少年の脇をかすめ焚火の火を消す。

いや風ではない。何かが少年の脇を一瞬ですり抜けたのだ。

少年の首に冷たく細い物が巻き付いてきた。人の指のような、それにしては長く絡みつくよな蛇のような。

    ガリ!

音が聞こえた。その音が自分の喉元から聞こえたとは思えなかった。

喉元か一瞬熱くなり、呼吸ができなくなった。消えゆく少年の意識に流れ込む言葉があった。

 「な  む   ぁみ       だ」

少年は即死だった。苦しまない死。それは捨てられた少年への、最後の慈悲なのかもしれない。

    グシュグシュ・・・   ゴリゴリ・・・

闇の中で、僅かにくすぶる薪が放つ火の灯りの中で、何かが少年を喰らっている。

    ガアーーーーー!!!   オォーーーーーーー!!!!!  

何かが吠えた。

    オワーーーーーーーン

何かが鳴いた。  いや泣いた。

少年を哀れむように泣いた。いや喰われている少年自身が泣いているかのように泣いた。

洞窟の奥、暗い闇の中に薪が放つ煙の臭いと、血肉の匂いが混じり合う。

何かはゆっくりと立ち上がり、ふらふらと動き出した。

    ズリ   ズリ

ゆっくりと歩くというよりは、這うように動く。そして誘われるように、洞窟の出口へと向かった。

喰い残された少年の首が、出口へと向かう何かを静かに見送っている。その口元は、自分を捨てた村に起きる悲劇を期待するかのように、笑みをたたえているように見えた。




 師走に入り、寒さが厳しさを増していく。小さな村にも容赦なく冬は訪れる。

そんな村の中で、造りはましな家で静かな談合が行われていた。

 「今年もこけし様に捧げる時期がきたか」

 「ああ、今年は先月生まれた洋助の赤子が選ばれた」

 「一月ひとつきも可愛がられるていないのに、可哀そうな事だ」

 「しかたねえ。三年前には俺の娘を捧げた」

 「俺は七年前に息子を・・・」

 「以前は不作の時だったと聞いていたのに・・  いつから毎年に・・」

皆下を向いて、唇を噛みしめた。

 「すまない、私の力が足りないばかりに」

初老の男が、頭を下げる。他の物よりも多少は良い身なりをしている。

 「庄屋様が頭を下げる事はねえ」

 「そうだ、庄屋様も十年以上前に息子を差し出してるべ」

皆、諦めているように、仕方がない事と頷きあっていた。

 「せめて藩主様が動いてくれたら・・」

 「いんや、お代官様が、藩主様に面倒をかけるの嫌がっているという噂だべ」

 「そうだ、お代官様が悪いんだ」

 「しっ!  外にお役人様がいたら殺されるぞ」

興奮しかけている皆を、庄屋の東忠平あずまちゅうべいがなだめた。

 「庄屋様、おら達知ってるだよ。十年前に庄屋様が飢饉を救うため子供を捧げた年、藩主様にいい顔を見せるためにお代官様が、年貢を減らさなかった事を」

 「不作じゃない年も、お城からの指示以上の年貢を持っていくという噂だべ」

 「そうだ、あのお代官様が来てから俺達の暮らしは苦しくなるばかりだ」

 「何か考えないと・・」

皆黙り込み、部屋が静かになる。

十年前に飢饉に見舞われ、百姓衆は飢えに苦しんだ。翌年も不作なら、間違いなく皆死んでしまう。そう考えた庄屋の忠平は家族会議を開き、自分が土地神の供物になると告げた。その時、長男の慎太郎が親父は村を守るために必要だと訴え、自分が土地神の供物になると言い張った。この地の神はこけし様と呼ばれていた。

忠平の息子が供物となった翌年は、豊作とまではいかないが、まずまずの収穫となった。しかしその年の年末に子供が行方不明になり、哀れな骸となり山の中で見つかった。翌年の年末も、子供が同じような死体で発見された。こけし様の祟りと恐れた村人達はそれ以来、村から子供を一人捧げる習慣が出来てしまった。

こけし様。または小芥子様、それは口減らしで山に捨てられた子供の霊が、神になったと村では言い伝えられている。子消し様とも呼ばれている、

 「陰陽網というのがあるらしい」

 「おんみょうもう?」

忠平の言葉に村人は首を傾けた。

 「ああ、妖などを退治してくれるらしい」

 「本当ですか?」

 「銭はかかるだか?」

 「わからん、しかし役人は嫌がるだろう」

 「どうしてだ?」

 「年貢の事などを追及されるだろうからな」

 「そっただ事、俺達に関係ねえべ。むしろありがたい」

陰陽網は幕府も関係している機関だ。城や寺などの権力がからむ事案は水戸家が担当していあるが、それ以外は高野衆が担当している。生贄を禁止している等の細かい事は知らないだろうが、公共の機関なのは分かる。ここを頼れば、役人達が良い顔をするとは思えない。

 「どうすれば頼めるべ?」

 「町に式所というのがあって、そこに訴えるらしい」

 「役人が居そうな所だな」

 「ああ、お代官様には内密というのは難しいかも」

 「じゃあ、どうするべ?」

皆、代官の仕打ちには腹正しいと思っているが、権力者には逆らえない。忠平は自分が訴えに行き、自分だけが代官からの嫌がらせをうけると提案したが、あの代官が一人だけで済ますとも思えない。村中に過酷な事を押しつけそだと止められた。対策案が出ないまま、その日は解散となった。




 翌朝忠平は村の外れにある古寺を訪れた。古寺と言っても、今は住職もいない荒れ寺だ。

忠平は、お寺なら何か陰陽網に関わる物があるやと考え、寺の門をくぐった。

雑草が生い茂る庭を通り、本堂へと向かう。その途中忠平は違和感を覚えた。

恐らく村人達も訪れない荒れ寺の雑草に、踏みしめられた後がある。忠平は息を殺しながら本堂へとむかい、中を覗きこんだ。

荒れた本堂の中、僅かに差し込む明かりの中に、座禅を組む男の姿が見える。

男は姿勢を崩す事なく、ただひたすら目を閉じ瞑想している。呼吸すらもしていないかのように動く事はない。

忠平には、男の背後にある、残された本尊の阿弥陀如来と混ざり合い、尊き物を感じさせた。

 「何方どなたかな?」

静かな声が本堂に響いた。まるで仏像から声が出てきたような錯覚に囚われる。

忠平は慌てて男の前に出て、しゃがみ込んだ。

 「瞑想を邪魔してすみません。私は村で庄屋を務める東忠平と申します」

男は忠平の詫びに笑みで応えた。男は細身だが華奢ではない。鍛え上げられた肉体が、汚れた僧衣に包まれているのが忠平にもわかった。

 「こちらこそ、勝手に村の寺に入り込んで、申し訳ない」

男は旅の僧、澐鄭うんていと名乗り、頭を下げた。

 「いやいや、村の寺と言ってもこんな荒れ寺ですよ」

忠平は庄屋でありながら、寺を放置している自分を恥じた。

 「お坊様はこんな荒れ寺で何を?」

 「ははは、私は清められすぎる寺より、山の中での修行が性に合っているので、たまたま此処を見つけて瞑想しておりました。庄屋殿は何をしにこちらに?」

忠平は汚れた僧衣の男に、心を見透かされたような気がし、全てを話す事にした。

 「実は陰陽網にお願いしたい事がありまして」

 「陰陽網に」

汚れた僧衣を纏う男だが、気品を感じさせる不思議な僧に忠平は、陰陽網に願い出る経緯を話した。

 「ほう、こけし様ですか」

 「はい、お代官様に知れたら、また年貢の取り立てが厳しくなりそうで」

 「わかりました。私達が対処しましょう」

 「私達?」 

 「はい。私の修業仲間で、彼らとはこの付近で待ち合わせしをているのですよ」

 「お、お願いしてもよろしいのですか」 

 「ははは、これも仏様のお導きでしょう。明日にでも、村に伺います」

 「有難うございます」

忠平は澐鄭の手を握り、何度も礼を言った。

茜色の夕日が差し込む本堂。忠平は村へと帰り、澐鄭は再び座禅を組んでいた。その澐鄭の前に二人の人影が立ちその場に座り込んだ。

荒れ寺の本堂で、三人を見守るように、汚れた阿弥陀如来が、夕日を反射させて輝いていた。



 「情報が得られたようだな」

澐鄭の前に座った男、慈按が静かに口を開いた。背丈は百六十位だが、ガッシリとした体形で、数々の妖を退治してきたのだろう、その逞しい身体のあちらこちらに傷跡が見える。

 「ああ、こけし様だそうだ」

 「こけし様か、大層な名だな」

慈按の横に座っている玄妬が、自分の武器である戟を静かにねかせながら息をはいた。

 「年に一度目覚め、生贄をほっする」

 「恐らく間違いないな」

 「ああ、盗み出された禁呪で作られた鬼」

 「達成鬼たつじょうきか」

空海が唐より持ち帰った様々な経典、その中には、決して世間に知られてはいけない秘術が沢山ある。その中の一つが数年前に高野山から盗み出されたのだ。

慈按、玄妬、澐鄭は盗み出された秘術を回収するためにこの地を訪れていた。

 「で、どうする?」

 「そうだな、達成鬼が何人喰えば、成仏するかだが」

 「それは仕掛けた術者しか分からぬ」

 「だが、十年以上前が一人目だと、そろそろだな」

 「ああ、干支の数が頭打ちのはずだ」

盗まれた鬼を産む出す秘術、それは何人かの人を喰らえば、成仏するように仕組まれた秘術。鬼は成仏するために人を襲い喰らうのだ。その数は干支の数と御山から聞かされたいた。

 「で、どう動く?」

玄妬の言葉に慈按が唇を吊り上げ、二人を見た。

 「策はある。明日庄屋殿との話で対策を決めよう」

 「どんな策だ?」 

 「我々は水戸家ではない、高野衆だ。それに沿ったやり方だ」 

慈按が再び唇を吊り上げた。



 翌日三人は忠平の家を訪れた。忠平の家には話を聞いた村の主だった衆が集まっている。

 「犠牲になった者の生まれた年をを知りたいのですか?」

 「はい。それが今回のこけし様では重要になってくるのです」

村の衆達は、犠牲になっていった者達の年齢と生贄にされた年を話だす。それを忠平が紙にまとめ、澐鄭に渡した。澐鄭はその紙に目を通し、頭の中で計算した後に慈按と玄妬を見た。

 「後二つ、鳥と兎だ」

 「正に食用だな」

僧衣を着た者達の言葉の意味が分からず、村人達は言葉を返さず、互いの顔を見合ていた。

 「本当にこけし様を退治していただけるのでしょうか」

忠平が皆の言葉を代弁するように口を開いた。 

 「はい。退治と言うよりは成仏になるでしょう」

 「成仏ですか? ・・・」

 「ええ、犠牲になった者達は、こけし様の中で成仏できずにいるのですよ」

 「こけし様の中に・・・  それを成仏してくださると!」

忠平も村人達も、生贄にされた者はあの世に行ったものと思っていた。でも生贄にされてすんなりと成仏できるはずもないと、澐鄭の言葉で悟った。

 「それが私達の仕事ですから」

忠平達は、三人の僧に深々と頭をさげ、村から山へと向かうのを見送った。

 「私達の仕事か・・」

慈按が澐鄭の言葉を口にし、物思いにふける。

 「どうした? 慈按」

 「ああ、僧とは人々を正しき方向へと諭し導く。そして死後は成仏できるように祈る」

 「普通はな」

 「だが我々は違う。我らは人々を傷つける悪鬼を討つのが仕事」

 「仕事ではない、役目。または業だな」

 「業か」

 「宿命かもな」

 「いや、天命だ」

村人達からの期待を背負いながら三人の僧が山へと向かった。生贄を捧げるための洞窟は山の中腹辺りにある。眠っている生贄が運ばれる道だろうか、険しい山道という事はない。それに三人は人が入らないような山で修行を重ねてきた者達だ、速い足取りで進んで行く。

途中、木々に札を貼り、念を込めていく。迷わぬために道しるべではないようだ。

洞窟の場所を尋ねたてはいない。普通の人には分からないが、こけし様に纏わりつく瘴気が山に入った時から道を教えてくれた。

やがて岩肌に開いた洞窟が、三人の前に見えてきた。洞窟の周りで、瘴気が飛散しては固まり、蛇のように蜷局をまいたかと思うと、霧散して消えていく。

 「ふん、瘴気の動きからして、まだ覚醒前か」

 「ああ、あと数日で動きだし、獲物を喰らうだろう」

 「そうだな、仕掛けの札を入り口に置いておこう」

慈按が入り口の前に、数枚の札を円形状に配置していく。最後に髪の毛を円の中心に置いた。

生贄にされるはずだった子供の頭髪だ。札には赤い染みが所々に付いている。これもその子供の血だ。

来る途中に貼っていった札にも血を付けている。指先に傷をつけ、血判のように付けていった。子供は泣いていたが、生贄にされるよりは全然ましだ、親が刃物で傷をつけ、押してくれた。

 「後は誘導道を造っていくぞ」

 「おお、その後は・・」

 「高見の見物だ」

作業を終えた三人の僧が山を下っていく。陽は暮れかけ、暗い山道だが、三人の足取りは緩む事はない。

貼られた札に瘴気が集まり、弾かれるように霧散していく。そんな光景が繰り返される山道を下る僧の口元に、これから起きる事を思ってか、微かだが笑みがこぼれていた。



 「今年もまずまずの収穫だったな」

代官屋敷で、ここの主、大野稗松おおのひえまつが黄色い歯を見せて笑う。

 「はい、ここ数年は実りも良く、年貢は順調です」

 「ふん、あれは続けておるのだろうな」

 「い、生贄の事ですか?」

 「そうだ、儂の評価の為に年貢は減らせん。絶対にな」

 「・・・  はい」

下を向いて返事をする部下に、大野が言葉を続ける。

 「城の者に知られていないだろうな」

 「はい、ここの者だけでございます」

 「そうか」

部下の返答に、大野は再び黄色い歯を見せた。

 「上様や、陰陽網に知れたら、ややこしい事になる。くれぐれも内密にな」

 「はっ」

今日の仕事を終え、大野は自分の離れへと足を向けた。離れの屋敷には、大野の歳にしては幼すぎる子供が寝息たてていた。

 「良く寝ているな」

 「はい」

二十代後半位の女が、子供の布団を掛け直している。

大野の後妻の女だ。大野は亡くなった前妻とは子供ができず死別した。その後、後妻との子供が出来、以前より出世欲が強くなった。

 「今年も順調に仕事を終えた。来年には、城での業務に呼ばれるかもしれん」

 「それは喜ばしい事です」

夫婦としての普通の会話。子供の寝顔を見ながら、普通の事を話す。これが幸せなにかもしれないな。

大野はふと自分らしからぬ事を思い、一人苦笑した。

 「どうされました?」

 「いや、明日も仕事だ、もう寝るぞ」

 「はい」

大野は自分の寝室へと向かう。子供の夜泣きもあり、仕事に差し支えるので、寝床は妻と別にしていた。途中、庭に面した廊下で、奇妙な音が耳に入ってきた。

    (な・・む   ぁみ       ・・だ)

 「・・・  ?」

大野は暗い庭へと目をこらし、耳を澄ませた。

だが、音はしない。冬の庭からは虫の音なども聞こえず、静寂な闇が広がっていた。

 「ふん、気のせいか」

独り言ちた後、部屋に入り寝床へと就いた。

      ガサ!   バキ!

どれ位寝ていただろうか、妙な音が耳に入り目が覚めた。

 「誰かおらぬか!」

廊下に出、只ならぬ気配を感じ、部下を呼んだ。だが、返事はない。離れなので部下の数も少なくしている。

大野は刀を握り、妻と子供が寝ている部屋へと向かった。

冬なのに、生暖かく感じる風に、鉄さびのような匂いが混じる。大野は不安を抱き脚を速めた。

   ダン!

妻達がいる部屋の襖を勢いよく開け放つ。灯篭の灯りの中で何かが蠢いている。

 「な!  何奴じゃ!」

部屋へと入り、足元に転がるものと目があった。   後妻の首だ!

後妻は悲し気に口を開いている。今にも言葉を発っしそうだ。

 「お!   おのれ!!!!」

大野は刀を振り上げ、何ものを睨みつけた。

人ではない。芋虫のような体型で大人並みの大きさ、背中から突起のような物が数本突き出して生えている。よく見ると、その突起物は人の腕ように見えた。

  (な   ・・む  あみ  だ)

何か分からないモノから音がする。鳴き声ではなく、音だ。しかし言葉にも聞こえる。

  (・・な    む     ぁみ         だ       ぶっ)

何か分からないモノが、鎌首を持ち上げながら、大野の方へと振り向いた。

目はないが、口のような物はある。その口から小さな子供手が出ていた。

 「お、お、  おーーーーー!!!」

大野には一目で自分の子供の手だと理解した。怒りで言葉が出てこない。

   オーーーーーー!!

大野は何か分からないモノに、刀を振り下ろした。

      ガキ!

しかし刃が通らず、一目で刃こぼれを起こしているのがわかった。

大野は大刀を捨て、何か分からなモノに殴りかかる。刃物が通じないものに、拳など通じるはずもないのだが、もう彼の身体は怒りの感情だけで動いていた。

   ギャーーーー

拳が口に吸い込まれ、噛みちぎられた。

血まみれで意識が朦朧として行く中、何か分からないものが鎌首を持ち上げ、そのまま大野を頭から喰い付いた。

   (な  む  ぁみ   だぶつ)

   (な  む   あみ     だ  ぶつ)

   (南  無 阿弥 陀  仏)

何か分からないモノの背中が割れ、さなぎから成虫が生まれ変わるるように、淡く光る蝶のような虫が出てきた。あくまでも例えるなら蝶というだけで、蝶ではない。足はなく、触覚もない。蜜を吸う管もない。目が大きく、蜻蛉の方に似ている。しかし全体の印象から蝶と例えてみた。

蝶のようなモノが羽を広げた。花粉が零れるように、羽から淡い光が零れる。 

蝶のようなモノが、空へと向かい、羽を揺らした。やがて、淡い光を零しながら、夜の空へと飛び立っていく。

蝶のようなモノの羽音がお経のように聞こえ、暗い夜空に吸い込まれていった。  



 「南無阿弥陀仏か」

屋敷の外で三人の僧が夜の空を見上げていた。

 「成仏したようだな」

 「ああ」

 「達成鬼・・」 

 「目的に達すると成仏する鬼か」

三人の僧は屋敷に背を向け、歩き出した。

盗まれた秘術が使えるのは一度だけ。達成鬼が成仏したのを見届けた三人は今回の任務を終えたのだ。

村で生贄にされる子供の血が付いた札を使い、達成鬼が辿ってこの代官屋敷にくるように誘導したのだ。

 「しかし代官はともかく、子供を犠牲にしたのは後味が悪いな」

 「仕方ない。代官が兎であの子供が鳥年生まれだったからな」

 「それに、子供一人残しても、生き方に困るだろう」

慈按は村人達を悪代官から救う事も考慮し、今回の策を練った。彼らは僧であり、水戸家ではない。

水戸家なら代官の悪事を暴き、沙汰を下すだろうが、その権力が彼らにはない。

代官を亡き者にする。その方向で策を練ったのだ。

 「ああ、達成鬼に取り込まれ、成仏したなら、あの子供も輪廻の輪に乗り、生まれ変われる」

 「悪代官の子供より、来世ではより良い所に生まれ変われるやもしれぬ」

 「阿弥陀様の導きでか」

 「ああ」

三人の僧は再び夜空を見上げた。遠くに淡い光が見え、風の音に混じりながら、南無阿弥陀仏の経が聞こえたような気がした。















































評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ