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醜さで選んだ愛は美しいのか  作者: アポロ


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前編

 マリエッタは美しいものが好きだ。

 気に入ったものは自分のものにしなければ気が済まない。


 世間では“醜い”と呼ばれていようと、マリエッタが美しいと思えば美しいのだ。


 この国の貴族は豚のように醜い者ばかり。その中から婚約者を選ぶなんて冗談じゃない。

 絶対に妥協なんかしない。必ずマリエッタに相応しい相手が現れるはず。


「初めまして、モリソン・ノルジタインと申します」


 辺境に“怪物”と呼ばれるほど醜い男がいると聞き、興味本位で呼びつけてみれば、現れたのは絶世の美男。

 背が高く細身で、細い目元には色気すら感じられる。マリエッタは一瞬にして心を奪われた。


「わ、わ……」

「わ?」

「──私、貴方と結婚するわ!!」


ーーー


 アンナが仕えているマリエッタ侯爵令嬢は変わっている。

 幼い頃に頭をぶつけて以来、彼女には“美男”が“醜男”、“醜男”が“美男”に見えるらしい。


 帰宅の報せを聞いて部屋へ向かえば、件の主は扇子を床へ叩きつけているところだった。


「もう嫌! 豚、豚、豚! 豚ばっかり!!」

「口が悪いですよ、お嬢様」

「だったら人間を連れて来なさいよ!」


 生き延びるのに適した低い背。

 恵みを蓄えた豊満な肉体。

 血族を証明する瞳が映える目元。


 それが、この国の“美男”の条件だ。

 どれか一つではなく、全ての条件を満たさなければならない。


 遥か昔この国が属国だった頃、宗主国がそういう者を王や要職に選び続けたために、王と同じ特徴を持つ男性を尊ぶようになった事が始まりのようだ。


 法で決まっている訳ではないが、今でも貴族はその認識を遵守し、二つ以上の条件を満たした者のみがデビュタントを許される。

 満たせなかった者は例え貴族の出だとしても姓を剥奪され、領地で一生を終える。時代によっては戦争の前線に送り出す事もあったようだ。


 それ故、今の社交界には“美しい”男しかいない。

 “醜い”男を求めるマリエッタが憤るのも無理はない。


 同僚の侍女達がマリエッタを宥めている光景を横目に、アンナは紅茶の準備に取りかかる。

 今日の茶葉はアンナの故郷のものだ。辺境故に王都では売っていないが、マリエッタに勧めてみたところ、気に入って取り寄せてくれるようになった。


 懐かしい香りにアンナが和んでいる中、主と同僚達の会話は続く。


「そうおっしゃって、ジンボ伯爵子息とのお見合いも上手くいかなかったではないですか」

「醜くはないけど美しくもないじゃない。そこらの石ころが私の夫なんて冗談じゃないわ」

「ではどうされるのです。このままでは他国に嫁がされてしまいますよ」

「分かっているわよ!」


 この国では女性は爵位を継げないせいか、女性の“美女”の条件は“背は低く綺麗な肌をもち胸が大きい”と、“美男”に比べると緩い。

 肌と胸は、夫さえ味方につければ誤魔化しきれるからだ。


 その点に関して言えば、侯爵令嬢のマリエッタは真の“美女”だ。

 性格は苛烈だが母が王妹という高貴なご令嬢。国内だけでなく周辺国からも釣書が大量に届いている。


 ただ、周辺国からのものは国内からのものとは意味合いが少し異なる。


 周辺国もそれぞれ独自の“美”の基準があり、マリエッタは全て外れていた。

 自国では“美しい令嬢”も他国では“醜い令嬢”だ。そんな相手に釣書を送る理由など、身分目当てか、醜女を好む特殊嗜好の二つしかない。


 後者ならマリエッタと気が合うと思うのだが、本人曰く「いくら“美しい夫”を得たとしても、周囲から自分が“醜い”と思われているのは嫌」らしい。


 ちなみに他国の者を婿入りさせて自国で暮らす策は、次期侯爵のマリエッタの弟により却下されている。

 “美男”である彼は姉から「豚」呼ばわりされているせいか、マリエッタを心底嫌っている。代替わりすれば間違いなくマリエッタを他国へ嫁がせるはずだ。


 王妹の夫人は既に他界し、侯爵は“美女”であるマリエッタには甘いが、優秀な後継者がいるのに他国の貴族へ侯爵位を渡すほど愚かではない。


「いっそ政略結婚をして、平民の愛人を持つのはどうですか?」

「豚と子作りして子豚を産めって言うの!?」


 この国の“美男”へ嫁ぐか、他国へ“醜女”として嫁ぐか。

 釣書は大量にあっても選択肢は二つしかないというのに、アンナの主は未だ自分が選ぶ側だと信じてやまない。


 砂時計の砂が落ちきったのを確認して、蒸らしていたポットを傾け、ティーカップへと注ぐ。

 レモヌという黄色い果実の皮を茶葉に混ぜているせいか、紅茶の色は淡い黄色。カップに触れる縁だけ金色を帯びる。


 アンナにとって懐かしい色。


「──アンナ!」

「……はい」

「貴女も誰かお嬢様に紹介なさい!」


 どうやら同僚は他人面をしていたアンナが気に入らなかったようだ。思わぬ飛び火に内心驚くが、決して顔には出さない。出せない、の方が近いのかもしれない。

 故郷を飛び出して五年。気が付けば笑い方すら忘れてしまった。


 アンナはポットを片付けると居住まいを正した。


「申し訳ないのですが、辺境から出てきたもので……王都に知人はいません」

「嫌よ。辺境なんて」

「ですが貴族であれば王都にタウンハウスを持っているはずです」

「あっ! 思い出しました! 昔聞いた話なので定かではないですが、辺境伯のご子息の中に“怪物”と呼ばれるほど醜い──」


 ドクリ、と心臓が嫌な音を立てた。

 咄嗟に退こうとして、足が茶器を載せた台車にぶつかる。幸いポットは倒れなかったが、大きな音を立てた事で、周囲の目がアンナに集まった。


「も、申し訳ありません……」

「まあ、アンナ! 顔が真っ青じゃない!」

「お前、この話は本当なの?」


 主に尋ねられてアンナは躊躇った。しかしすぐに考え直した。

 侯爵家と辺境伯家の縁談だ。口を挟む権利も資格もない。


「──事実です。名はモリソン・ノルスタジン。辺境伯三男で、年は二十です」

「三歳差ならまあ悪くないわね。でも三男でしょ?」

「辺境伯は王から褒章として幾つかの爵位と領地を賜っていますので、問題ありません。ただ……お嬢様が今までご存知なかったのなら、既に婚約しているのかもしれません」


 アンナが淹れた紅茶を手に取りつつ、マリエッタは首を傾げる。


「そもそも“怪物”なのにどうして姓を剥奪されていないの?」

「……辺境伯は他国の王女を娶った方です。美醜を理由に剥奪などしません」

「ああ、あの女ね」

「私が聞いた噂は五年ほど前なので、デビュタントの時のものなら時期が合います」


 その噂はアンナの耳には届いていなかった。その頃はまだ侍女ではなかったからかもしれない。

 王都の貴族の屋敷で働いているのに全く情報が入らず、当時やきもきした事を覚えている。


 辺境伯は、美醜で貴族の価値を決める現状を嫌っている。戦地では美醜など何の役にも立たないからだ。

 “美男美女”の条件を満たすのは難しい平民も、美醜だけで人を判断する事はない。中央の貴族だけが異常なのだ。


 美醜だけで貴族をふるいにかけるなんて、あまりにも馬鹿げている。

 この国が問題なく機能しているのは、幸いにも優秀で真面目な貴族が多いからだろう。それなのに因習を止めようとはしないのはなぜなのか。


 思う事はあれど、アンナに出来る事はない。

 変えられるのは舞台に立つ事を許された者だけ。──マリエッタのように。


「あの女が義母なんて気に入らないけど、まあ会うだけ会ってみるわ。お前も辺境伯へ一筆したためなさい」

「……私が、ですか」

「辺境伯とは接点がないもの。お前が仲介なさい」

「……かしこまりました」


ーーー


 その後の記憶はなく、アンナが我に返った時には自室で立ち尽くしていた。

 窓の外は既に暗い。滞りなく仕事が済んでいる事を祈りつつ、アンナは寝衣へと着替える。


 身体は空腹を訴えていたが、食堂に行くのも億劫だった。

 窓の側に立って夜空を眺めていると、同室で洗濯女のメルが帰ってきた。


「聞いたわよ。次は辺境伯の“怪物”ですって? そんな面白い話、どうして教えてくれなかったの?」

「…………」

「アンナ?」

「……忘れていたの」


 嘘ではない。忘れようと必死で、誰かに話そうなどと考えた事もなかった。


 夜空を眺める。雲が多いのか月は見えそうにない。


「……もしかして、故郷を出て来た事と関係あるの?」


 アンナが故郷から唯一持ち出したレモヌの茶葉。残り少なくなった頃、メルに「家族に頼んで送ってもらったら?」と言われ、アンナは「家とは連絡をとっていない」と答えた。


 メルはそれ以上追及してこなかったが、気になってはいたのだろう。

 昼の一件は、既に侯爵に報告している。辺境伯の事を調べられれば、アンナとの関係などすぐに露呈する。


 知られたところで昔の話だ。

 死んだ者が生き返らないように、終わった関係が始まる事もない。


「……逃げてきたの。彼から……求婚されて」

「え、アンナって平民じゃ……」

「母が貴族なの。姓は剥奪されていないわ」


 辺境伯分家の子爵令嬢だったアンナの母は、そばかすがあったために“やや美女”だった。

 そばかす程度なら化粧で隠せるため釣書は大量に届いたようだが、母も辺境伯と同様、容姿で貴族の適格を決める風潮を嫌って平民の父と恋に落ちた。


 辺境伯がそれを許したために生家とは交流が続き、その縁によって彼と出会った。


 ちなみに、なぜ平民のアンナが侍女をしているのかと言うと、正直よく分からない。

 最初はメルと同じ洗濯婦だったが、急遽辞めてしまった侍女の代わりを務めたら、そのまま継続されてしまったのである。勤務時間は増えたが、その分給金も増えたのでアンナとしては文句はないが。


「……そんなに嫌だったの?」


 窓を見上げる。月は相変わらず姿を見せない。

 アンナは諦めてカーテンを閉めた。


「……ええ」

「故郷を出て、家と縁を切るほど?」

「そうね」


 衝動的なものだったが、今のアンナでも同じ様に逃げ出しただろう。

 それほどまでに堪えがたい屈辱と憤怒だった。


「仲介をするって事は……会う事になるんじゃないの? 大丈夫?」

「ええ」


 アンナが故郷から逃げたのは、彼との婚姻を回避するためではない。

 既にアンナは断っている。膝を付いて求婚した彼に「嫌だ」とハッキリ告げた。


 本来、貴族からの求婚を平民が拒むなどあってはならない。

 しかも相手は辺境伯子息。家から勘当され、領民達から石を投げられる事すら覚悟していた。


 だがアンナは許された。彼女の言動を咎める者は誰一人居なかった。

 彼が“怪物”だから。醜い男と暮らすなど不幸でしかないから。


 そんな空気に耐えきれず、アンナは故郷を飛び出した。


「もう、届かない人だもの」


 寝台に腰掛け、枕元に飾っている空の紅茶缶を手に取る。

 子爵家でも滅多に出してくれないと話したら彼が贈ってくれた物。


 自己肯定感が低い彼は、形に残る物を贈る事を怖がった。いずれ消える物なら、相手も困らずに受け取れるからだ。


 貴族である彼にとって容器などゴミでしかないのだろうが、当時のアンナは中身の茶葉より喜んだ。

 お洒落な絵が描かれた紅茶缶に何を入れようかと、茶葉を飲み切る日を待ちわびていた。


 故郷から離れた地で紅茶缶は空になった。

 まるでアンナの心のようだと思ってしまったら、何かを詰める気にはなれなかった。


ーーー


 生き延びるのに適した低い背。

 恵みを蓄えた豊満な肉体。

 血族を証明する瞳が映える目元。


 三つ揃えば“美男”と持て囃される国で、彼は何一つ当てはまらなかった。


 他国の血を受け継いだ大きな身体。

 燃費が悪いせいで太れない体質。

 光に弱いためにほぼ閉じられた瞼。


 “美しい”からかけ離れた彼は、紛れもなく“醜い”のだろう。

 身分故にハッキリと口にする者は少なかったが、平民でさえ彼を憐れみ、嘲笑う。


 かつてのアンナも彼を嫌っていた。

 彼が醜いからではない。伯母を困らせていたからだ。


 彼の乳母がアンナの伯母で、母がよく相談にのっていたために彼の情報は嫌でも耳に入る。

 二人の兄と違って他国の血が濃く出ただの、生まれた時点で普通の赤子の二回りは大きく、辺境夫人の肥立ちが悪くて今も寝たきりだの、分家では怪物の子だと囁かれていて、それを知った本人は部屋に閉じ籠ってしまっただの。


 幼いアンナにとって内容などどうでもいい。伯母と母を泣かせる奴が悪い。


 当時かなりの悪ガキだったアンナは、伯母に届け物があるとウソを吐いて辺境伯の屋敷に入り、猫用の侵入口から部屋に忍び込んだ。

 ちなみに彼も夫人に似て猫好きらしいが、構いすぎて嫌われている。すっかり卑屈になった彼は、それも自分が醜いせいだと思っているらしい。


 昼だというのに部屋は暗い。

 アンナはベッドの上の山に声をかけた。


『おい、起きろ』

『…………』

『お前が部屋から出ないせいで伯母さんも母さんも泣くんだ。ねるなら外でねろ』

『で……出ていけって事?』

『ちがう。こどもは明るい内は外で遊ばないといけないんだ。暗くなったらもどってねろ』


 アンナがそう言っても山はモゾリと身じろぐだけだ。


『だ、駄目だよ……。僕は怪物だから、外に出たらいけないんだ』

『こどもだからってバカにするな。オレは知ってるぞ。怪物ってのはオデコに目があったり、口に牙が生えてて、人を食べるんだ。お前はただの人間のブサイク』

『うう……』


 伯母が面倒を見ている子が“怪物”だと聞いて、木刀を握って乗り込もうとしたところを母に見つかり、一生分叱られたのは二週間前だ。

 怪物のような外見であっても気にかけてくれる人がいるというのに、なぜ二週間も部屋から出ないのかアンナには分からない。


 アンナは母に似て小柄だが、肌は生まれつき褐色で全身にそばかすがある。

 今のところ“凡人”だが、今後の成長次第で“醜い”から“ほぼ美人”と揺れ幅が大きい。


 身分は平民でありながら貴族の母をもち、望めば生家の養子になる事も出来る。

 どっちつかずなアンナに平民も貴族も近寄らず、友達は出来なかった。


 当時は納得がいかずに暴れた事もあったが、母から説明を受けてからは独りで遊んでいる。

 アンナの扱いに困る気持ちは分からなくもないが、最初から身分という色眼鏡で見てくる相手と友達になりたいとは思えなかった。


『母さんがいつも言ってるぞ。花はどんな色や形をしててもキレイなのに、どうして人は全部をキレイだとみとめないのかって』

『…………』

『お前を怪物って言うやつは、お前にとってどうでもいいやつらだろ。 部屋にいたって、そいつらが喜ぶだけだ。家族だってしんぱいしてるだろ』

『で、も……こ、こわぃ』


 山はメソメソ泣いている。その上に乗ってみたいと思ったが、弱い者イジメはいけない。明らかにアンナが作るより大きい山ではあるが。

 アンナは大きいベッドに乗り上げて、シーツの中に手を突っ込んだ。


『わぁ!』

『ならそのまま出ればいい。おやぶんのオレが手を繋いで、どこでも連れてってやる』

『親分って……っひぃ! ちがう! それ手じゃないから!』


 シーツのお化けを部屋から出したアンナは、一番に心配しているだろう彼の母親のところへ連れて行った。

 再会を果たした二人だけでなく、屋敷を歩くアンナとお化けの後を追っていた騎士や侍女、報告を受けた伯母や辺境伯一家まで泣き出してしまい、予想以上に大事になっていたのだと気付いたアンナは、母に叱られる未来に怯えて泣いた。


 案の定母から叱られたが、伯母や辺境伯夫人には「ありがとう」と抱き締めてもらえた。


 それからアンナは辺境伯公認の元、度々シーツに包まれた子分を連れ回した。

 晴れの日には庭へ行き、雨の日は部屋の中で子分に跨って乗り回した。



 彼が家の中でシーツを外せるようになったのは、それから一年後の事だ。

 アンナの姿を初めて見た時の彼の取り乱しっぷりは、今でも鮮明に思い出せる。


『おおお女の子だったの?!』

『ちんちん無いぞ。見るか?』

『見ないよ!』


 礼儀にうるさい母への反発心で、アンナは男言葉を使っている。大人相手には使い分けているので、今まで母にバレた事はない。


 ベッドに腰かけて項垂れる彼の隣に座ると、なぜか怯えるように距離を取られた。


『アンナって呼ばれてただろ?』

『シーツを被ってると聞き取りづらいから、聞き間違いだと思って……。僕は親分って呼ばされてたし』

『ふーん。なあ、今日は何して遊ぶ?』

『今日は……じゃないよ! なんで僕の方が驚いてるんだよ!?』


 普段は大人しい彼が声を荒げるのも珍しい。初めて会った時以来だ。

 開いた扉から騎士や侍女が微笑ましく見守っている。


『ぼ、僕の顔見て、驚かないの?』

『全然。普通にブサイクでガッカリした。オデコに目描いていい?』

『嫌だよ!』


 彼には誤魔化したが、アンナもしっかり驚いていた。彼が先に叫ばなければ悲鳴をあげていたかもしれない。


 痩せぎみの大きな身体にアンナより更に黒い肌。目はほとんど閉じていて瞳すら分からない。

 この国の民全員に聞いて回れば全員が“醜い”と断じるだろう。でも決して怪物ではない。


『なんで目閉じてるの? 目玉無いの?』

『……眩しくて開けられないんだ』

『暗くしたら開けられる?』


 早速部屋を暗くして、二人でシーツの中に入る。唯一灯けた淡いランプの光がシーツ越しに届く。


 そうして覗いた彼の瞳は淡い黄色。縁が僅かに金色がかっていた。

 その瞳に自分が映っているのかと思うと、不思議と身体が熱くなった。


『ど……どう? 変じゃない?』

『……目玉ちょうだい』

『えっ、む、無理だよ』

『オレ以外に誰にも見せるなよ』

『ここまでして見るのは親分くらいだよ』


 “美男”の条件に瞳の色はない。どんなに美しくても彼の“醜さ”を減らしてはくれない。

 しかしアンナには宝石のように美しく見えた。川で綺麗な石を拾った時以上の高揚感に満たされた。


 自分のものにしたいのに、なぜ彼の顔に付いているのだろう。苛立ちのようなものさえ抱いた。


『そ、そんなに綺麗?』

『全然』

『えっ』

『でもオレは好き』


 そう言うと彼は顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 瞳まで見えなくなってしまい、アンナは彼の顔を掴んで持ち上げようとする。


『隠すな。見せろ』

『ま、待って!』


 シーツの中の争いは、勢い余って二人がベッドから転がり落ちるまで続いた。


ーーー


 アンナが故郷を出て五年だ。辺境にいる彼の様子は王都まで届かない。

 結婚の適齢期は十五から十八。既に結婚していてもおかしくない。


 両親や辺境伯にアンナの居所は知られてしまうが、向こうは既に知っているはずだ。

 旅に慣れていないアンナが無事に王都へ辿り着けたのは、偶然居合わせた善意の人に何度も助けられたからだが、後になって考えてみれば変装した護衛だったのだろう。あまりにも都合が良すぎた。


 手紙を書く事に躊躇いはない。

 淡々と書き上げると、まったく気持ちのこもっていない淡白な文章になった。


 辺境伯からの返信は早馬で届けられた。


「あちらも手を焼いていたのか、いたく感謝していたよ。すぐに息子を連れて王都へ来るそうだ」

「そう……ですか」


 侯爵から受け取った返信には、アンナや侯爵への礼が猛烈に綴られていた。急いで書き上げたのかインクが掠れて読めない部分もある。


「私も噂は耳にしていたんだ。二年前に軽く話した時には断られたんだが、なにか心境の変化でもあったのかもしれないね」

「……」

「メロエッタが辺境に嫁ぐのなら、君が付き添ってもらえると助かるんだが」

「……考えておきます」


 頭を下げると、ふと机の上に二枚の封筒が置かれている事に気付く。封蝋の印はどちらも辺境伯のものだ。

 アンナの視線の先に気付いたのか、侯爵は片方の封筒を手に取って肩をすくめた。


「相当焦っていたのだろうね。便箋を一枚入れ忘れたようだ。二人の顔合わせには必ず君も立ち会うようにと書かれていたよ」

「……かしこまりました」


 執務室を退出し、人目を避けるように自室へ戻った。勤務時間は既に過ぎている。

 着替えるのも億劫で、床に膝をついてベッドに顔を埋めた。


 辺境伯からの手紙を反芻する。彼の事は何も書かれていなかったが、了承していなければあんな手紙は書かないだろう。


 “醜い”男を求める王都の令嬢と、平民に求婚を拒まれた“醜い”辺境の子息。まるで物語のようではないか。


「……これでいい」


 アンナは目を閉じる。

 メルが部屋に戻ってくるまで、ずっとそのままでいた。


ーーー


 手紙では「すぐに向かう」と書かれていたが、辺境で何かあったのか、顔合わせは二月ほど経ってから行われた。


 訪問したのは彼と彼の兄の次期辺境伯マーソル。背は低いが身体を鍛えていて、辺境伯に次ぐ剣の腕前を持っている。


「来るのは辺境伯だと聞いていたんだけどな」

「鍛練中の事故で全身を痛めまして。これ以上先延ばしする訳にもいかず、代わりに私が」

「ふふ、なるほどね」


 場所は侯爵家の応接室。向かい合うように侯爵とメロエッタ、次期辺境伯と彼が座る。

 壁際にアンナ含む侍女と騎士が立っているが、皆、顔色が悪い。目を閉じて仕事を放棄している者すらいる。


 そんな中でも彼は全く動じていなかった。


「初めまして、モリソン・ノルジタインと申します」


 大きかった背も更に伸び、細身だが鍛えているのか頼りなさはない。相変わらず目は閉じている。

 あの頃と変わらず“醜い”ままだというのに、内気で卑屈気味だった彼の面影はどこにもなかった。


 メロエッタは彼が部屋に入って来た時から放心している。隣に座る侯爵が肩を揺すった。


「挨拶なさい、メロエッタ」

「わ、わ……」

「わ?」

「──私、貴方と結婚するわ!!」


 突然の発言に騒然となる中、メロエッタは彼を強引に庭園へと連れ出し、慌てて侍女と騎士が追う。

 本来なら仲介したアンナも付き添わなければならないが、突然の事に対応しきれなかった。後を追うか迷ったが、自分が居ては彼も話しづらいだろうと部屋に残る。


「では結婚式の日程でも決めようか、マーソル君」

「…………そうですね」


 満面の笑みを浮かべる侯爵とは裏腹に、マーソルは苦い顔を隠さない。辺境伯は喜んでいたが、どうやら一家の総意ではないようだ。


 マーソルの視線がアンナへ向けられる。


「その前に彼女と話をさせて頂いても?」

「構わないよ。終わったら執務室に来てくれ」


 侯爵が立ち上がって部屋を出ると、その後を侯爵家の侍女と騎士が付いていく。

 紅茶を淹れ直そうとしたがマーソルに手で制され、アンナは向かいのソファーへと腰かけた。


「息災だったか、アンナ」

「……はい。お久しぶりです、マーソル様」

「見違えたな。子猿のようだったお前が侯爵家の侍女とは」

「恐縮です」


 昔の話をされるのは居たたまれない。

 辺境に居た頃は平気だったが、王都に出て色々と自覚してからは、寝る前に昔の自分の所業を思い出してはベッドの上でのたうち回っていた。三年くらいで全部終わった事だと開き直ったが。


 マーソルは懐から封筒を取り出すと、アンナに手渡した。


「お前の両親からだ。心配していたから、すぐに返事を書くように」

「……ありがとうございます」

「両家が同意した以上、婚約は既に成立したようなものだ。このまま何事もなければ、モリソンは侯爵令嬢を娶るだろう」

「……」

「お前が持ってきた縁談だが──本当にいいんだな?」

「はい」


 当然だ。彼はデビュタントを果たして貴族として認められた。

 貴族は貴族と婚姻すべきだ。子爵の血を引くだけの平民ではなく。


 アンナの答えに、マーソルは長いため息を吐いた。


「分かった。俺はもう何も言わん」

「……」

「思い知るといい。お前に手を引いてもらうだけだった泣き虫が、五年でどれだけ化けたのか」


ーーー


 顔合わせは無事に終わり、婚約を書面で済ませ、半年後に婚姻式を行う事になった。

 侯爵はどういう結果であれ、メロエッタをどこかへ嫁がせるつもりだったため、婚姻式のドレスはほとんど出来上がっている。半年にしたのは招待客への配慮だろう。


 モリソンはタウンハウスに残り、マーソルは一度辺境に戻るそうだ。

 メロエッタが彼を引き留めていたが、婚約者でも同じ家に泊まるのは外聞が悪い。侯爵にそう説得されてはメロエッタも退くしかない。


 仕事を終えてアンナが部屋へ戻ろうとした時、同僚経由でメロエッタに呼び出された。


 部屋を訪れた途端、頬を叩かれる。

 顔を戻すとメロエッタは憎らしげにアンナを睨み付けていた。


「……モリソン様は、婚姻したらお前を愛人に囲いたいそうよ」

「……」

「お前、モリソン様に求婚されて王都へ逃げ出したくせに、今更手を取ろうなんて考えてないわよね」

「……故郷には帰りません」

「王都に居られても迷惑よ」


 同僚の侍女達によって組み敷かれ、目の前に羽ペンと便箋を突きつけられる。


「一筆書きなさい。“義理立ては済んだ。二度と会いたくない”って」

「……」


 大人しく従い、床で手紙を書く。

 怯えたように文字を震わせるべきか迷ったが、そこまでする義理はない。


 書き上げると、手紙は同僚からメロエッタへと手渡される。

 手紙を見て鼻で笑う彼女に今度はアンナから声をかけた。


「……お嬢様、約束していただけませんか」

「なによ」

「必ず彼を幸せにすると」


 メロエッタは苛烈な性格だが、子猿のようなアンナに慣れた彼なら、相性はそう悪くないはずだ。

 彼はもうアンナが居なくても大丈夫。遠くから見守っていたかったが、自分が彼の幸せの邪魔になるというなら仕方ない。


「──何様のつもりよッ!」

「っ、」

「言われなくても幸せにするわ! 今更惜しんだって一欠片だってやらないわよ!!」


 顔を蹴飛ばされ、強い目眩と痛みに耐える。その後も肩や腹を踏みつけられた。

 霞む意識の中、アンナを組み敷いていた侍女達がメロエッタを制止する。


「お嬢様、そ、それ以上は……っ。小侯爵に気付かれるかもしれません」

「女一人いつでも殺せます。人質として婚姻までは生かしておくべきかと」

「だったら早く捨ててきてッ!!」


 無理矢理立たせられ、どこかへと連れて行かれる。侍女が騎士にでも運ばれている姿を見られたら目立つからだろう。

 今は領地にいる小侯爵だが、メロエッタの動向は逐一報告させているはず。辺境伯との婚姻を知れば阻止するべく動くだろう。


 着いた先は離れの小屋だった。何代か前の偏屈な侯爵が建てたと聞いた事がある。

 小屋に入るとなぜか同室のメルが居て、アンナが驚いている間に同僚達は本邸へと戻っていった。


「手酷くやられたね。折れているなら医師を呼ぶけど」

「そこまでじゃないわ。……貴女まで巻き込まれたの?」

「逆ね。旦那様の思惑にアナタが利用されたの。……まあ、そもそもアンナが例の彼と婚姻しなかったせいで、こんな事になってるんだと思うんだけど」


 椅子に座るように促され、メルの手当てを受ける。

 部屋を見渡すとベッドだけでなく簡素な調理場まであり、定期的に管理されているのか、埃っぽさも感じられない。


「旦那様の思惑って?」

「洗濯婦に教えてもらえる訳ないでしょ? ただ、旦那様からは暫くお嬢様の好きにさせるように言われてる。ここで保護するように命じたのは旦那様だけど」


 説明役がメルなのは、親しい相手なら受け入れやすいという侯爵の配慮か、思惑か。

 貴族は恐ろしいと教えられていたはずなのに、本当は何も分かっていなかったのかもしれない。


 手当てを終えると、メルは薬箱を片付けて立ち上がる。


「最低限必要な物は用意してあるわ。水は外に井戸があるから自分で汲んで」

「外に出てもいいの?」

「どうせ逃げないでしょ。……アナタは最後まで見届けなきゃいけない。違う?」

「……」


 普段はひょうきんなメルの冷静な声色に、アンナは漸く理解する。

 これはただの婚姻ではない。その裏で侯爵と辺境伯の間で何らかの取引が行われている。


 そもそもアンナを生かす理由はない。侯爵の力があれば証拠なくアンナを殺す事も、他国へ逃がす事も出来た。

 アンナの生死がどうであれ、婚約が結ばれた以上、もはや婚姻は覆らない。


 おそらく取引の内容にアンナが関わっている。

 彼がアンナを妾にするという話は──本当に?


 考え込むアンナの肩をメルが叩く。


「ほら、怪我人なんだからもう寝なさい。これからいくらだって時間があるんだから」

「……そうね」

「部屋に置いてあった荷物とか着替えは、この棚に入ってるから。……ああ、ほら」


 メルに差し出されたのは空の紅茶缶。

 自然と受け取ろうとして、止めた。


「……もう要らないから、捨てておいて」

「え? でも……」

「お願い」


 きっとメロエッタはアンナの気持ちに気付いている。

 捨てなければ。持っていても、もう紅茶缶が満たされる事はないのだから。

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