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中身が空っぽな公爵子息の初恋  作者: 春樹凜


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18/18

18.いつか伝えたい言葉



 ある昼休み、いつものようにみんなで中庭のベンチを囲んでいた時のことだ。


 アークはクロエ嬢が持ってきた焼き菓子を遠慮なくつまみながら「これうまいな」と笑い、クロエ嬢は「もう、感想が雑なんですよ」と呆れつつもまんざらでもなさそうだ。


 リリア嬢とレックスが次の休日の予定で盛り上がる横で、ロイドは本を片手に静かに彼らのやり取りを聞いている。


 みんなで他愛もない話をしているうちに、ふと好き嫌いの話題になった。


 楽しそうに笑う彼らを眺めながら、自嘲気味な言葉が僕の口からこぼれ落ちる。


「僕は……本当は自分が何が好きで嫌いなのかも、よく分からないんだよ」


 するとなぜか、隣にいたアークが呆れたように深々とため息をついた。


「何言ってんだよ。お前、甘いもん好きだろ。食べてる時、明らかに表情が緩むじゃねえか」

「え?」

「あと、苦すぎる茶は嫌いだよな。飲み干すけど、毎回ちょっとだけ眉間に皺寄ってる」


 確かに甘い食べ物は嫌いじゃない。 

 苦いお茶も、できれば避けたいと思うことはある。   

 けれど、そんなものは取るに足らない好みだと思っていた。


 僕が驚いて何も言えずにいると、レックスがくすくすと笑いながら続いた。


「アランは勉強自体好きだよね? 将来の役に立つために、とか言ってるけど、毎回先生に楽しそうな顔で質問しに行ってるし」

「あー、分かる分かる! 俺には理解できねぇけど」

「授業の中なら、歴史学が一番好きなんじゃない? 特に、古い戦や国同士の交渉の話になると、目が少しだけ生き生きするから」


 それから今度は、クロエ嬢が口を開く。


「それに、根拠のない噂話は嫌いですよね? 誰かが曖昧な話をすると、すぐに『それは確認した情報なのかい?』って聞き返していますから」


 その言葉に、リリア嬢まで頷いた。


「分かりますわ。あとは、綺麗な花を見るのもお好きでしょう? 庭園を通る時、必ず季節の花に目を留めていますもの」

「でも、強すぎる香水は苦手ですよね。顔には出さないようにしていますけど、そういう香りをまとってる生徒からは少しだけ距離を取っていますもん」


 そんな風に次々と言われて、僕はただ瞬きをすることしかできなかった。


 ロイドはそこでようやく本から目を上げ、僕を一瞥してから淡々と言い放つ。


「お前は、静かな場所が好きだ。かといって、今みたいにみんなといる騒がしい時間も嫌いじゃない」


 そして、少しだけ間を置いて続ける。


「自分のことを分かっていないのは、お前だけだ」


 一斉に浴びせられた言葉に、言い返そうとして口を開きかけたけれど、何一つ反論が浮かばなかった。


 思わず言葉に詰まり視線を落とした僕の視界に、隣にいたセレーナがそっとメモ帳を開いて差し出してくるのが見えた。


『アラン様は、孤児院で子供たちと遊んでいる時、とても楽しそうに笑っていましたよ』


 そこには、いつもより少し力強い文字が並んでいる。


『甘いものが好きなことも、苦いお茶が少し苦手なことも、歴史の話をしている時に楽しそうなことも、誰かを傷つける噂話が嫌いなことも。全部、アラン様の中にあるものです』


 セレーナ嬢は一度ペンを止めてから、また丁寧に文字を綴った。


『それに……アラン様がこれまで、誰かの期待に応えるために、完璧でありたいと努力してきた時間は、全部あなたの中に詰まっています。だから――アラン様は空っぽなんかじゃありません』


 その文字を見つめる僕の周りで、友人たちも「その通りだ」とうんうん力強く頷いてくれた。


「成績上位であり続けるのは、お前自身の努力の賜物だろ?」

「たとえ周囲の期待に応えるためだったとしても、優しい人であろうとし続けたことまで、嘘にはならないよ」

「色んな意味でお前は、俺たちの自慢の友達だ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で固く結ばれていた何かが、静かにほどけていくのを感じた。


 ――僕はこれまで、自分のことを「中身のない空っぽの人間だ」と思い込んでいた。


 けれど、完璧であろうと足掻いた時間も、誰かのために奔走した時間も、仮面なんかじゃなかった。

 きっと最初から、僕の中にちゃんと残っていたのだ。


「……っ」


 視界がふわりと滲む。


 しまった、と思った時にはもう遅かった。

 僕は慌てて立ち上がり、「……少し風に当たってくる」とだけ言い残して、逃げるようにその場を離れた。


 人気のない回廊まで早足で歩き、冷たい石柱にもたれた途端、堪えていたものが一気にこぼれそうになる。

 

 こんなところで、しかもみんなの前で泣きそうになるなんて――子供じゃあるまいし、あまりにも格好悪い。


 必死に目元を拭っていると、いつの間にか後を追ってきていたらしいセレーナの気配がした。


 泣き顔を見られたくなくて俯いていた僕の顔を、彼女は下からそっと覗き込んだ。


「セレーナ嬢、今はちょっと――」


 誤魔化そうとして彼女を見た僕は、思わず目を丸くした。


 そこにいたセレーナ嬢は、目をこれでもかというほど寄せて、頬を思いきり膨らませ、鼻の下までぐっと伸ばした……とても貴族の令嬢とは思えない、全力の変顔をしていたのだ。


 ぽかんとする僕を見て、彼女は元の可愛い顔に戻り、得意げにメモ帳を見せてきた。


『約束、しましたから』


 ああ、そうか。

 僕が泣いたら、絶対に笑わせてくれるって。


 あの孤児院で別れる間際に交わした約束を、彼女はちゃんと覚えていてくれたんだ。


「ふ、あははっ!  ズルいよ、それは……っ」


 僕は堪えきれずに吹き出し、お腹を抱えて笑った。

 涙なんか、すっかりどこかへ飛んでいってしまった。


 釣られるようにして、セレーナ嬢も肩を揺らして声を出さずに笑う。


 穏やかな風が吹き抜ける回廊で、僕たちは二人でいつまでも笑い合った。


 僕はまだ、彼女に『好きだ』という言葉をはっきりとは伝えていない。


 僕はまだ、彼女に『好きだ』という言葉を、はっきりとは伝えていない。


 だけど――近いうちに。


 空っぽだったと僕が思い込んでいた世界が、こんなにも鮮やかな色で溢れているのだと教えてくれた君へ。


 今度は、僕自身の声で。

 その三文字を、ちゃんと伝えようと思った。



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