1.出会いの午後
王都の中心部。
美しい白亜の建造物が立ち並ぶ大通りは、今日も多くの人々で賑わっている。
うららかな午後の日差しの中、僕は同年代の友人たちと連れ立って石畳の道を歩いていた。
王立学園は長期休暇の真っ最中であり、僕は友人たちと一緒に休みを満喫しているところだった。
今は流行りのサロンに顔を出した帰り道で、友人たちの気まぐれな散策に付き合っている。
「いやあ、さっきのアランの返しは見事だったぜ! あのままじゃ空気まずかったし」
「本当だよ。アランは何でもそつなくこなすから羨ましい。勉強だっていつも上位だし、誰にでも感じがいいしさ。さすがは完璧な貴公子、ってやつだね」
「ああ、そうだな」
上機嫌に笑う友人たちに、僕は、
「そんな大層なことじゃないよ」
と作り慣れた笑みを返した。
周囲の人間は僕を、誰にでも優しくて、何でもそつなくこなす完璧な貴公子だと評価し、僕も期待通りの言葉と表情を返している。
けれど本当の僕は、そんなことはない。
優しく見えるとしたら、そう振る舞った方が都合がいいから。
それに、僕は自分のしたいことも言いたいことも、何もない。
ただ、『求められるアラン・クライム』を演じるだけの、中身のない空っぽな人間だった。
そんな空虚な内面なんて微塵も見せずに友人たちと談笑しながら歩いていると、ふと、前方で小さな騒ぎが起きているのが見えた。
どうも前を歩いていた老人が、背負っていた大きな木箱をひっくり返してしまったらしく、大量の真っ赤なリンゴが、石畳の上を無残に転がっていく。
けれど周囲を歩く人は、面倒だと言わんばかりに遠巻きに見て見ぬふりをしている。
友人たちは話に夢中で、その惨事に気づいてすらいなかった。
ここで僕は瞬時に思考を巡らせた。
同時に、自分の足元へと視線を落とす。
今日穿いているのは仕立てたばかりの白いズボンだ。
下に落ちているリンゴを拾うために膝をつけば、間違いなく泥で汚れてしまうだろう。
だけどみんなが知っているアランなら、こんな時、服の汚れなど気にせず笑顔で助けに向かうはずだと足を踏み出そうとした時だった。
僕の思考によるほんの一瞬の遅れよりも早く、誰かが老人の前にいち早く跪いたのだ。
その人物は、上等な布地のドレスが石畳の泥に擦れることなど一切構わず、無言でしゃがみこみ、必死にリンゴを拾い集めている。
周りが遠巻きに様子を窺いながらも誰ひとり手を貸そうとしない中、僕はその人物が誰なのかにすぐに気がついた。
金糸の髪に、透き通るような白い肌をしたその彼女は、確かセレーナ・ノルベルト伯爵令嬢だ。
同じ王立学園に通ってはいるものの、僕よりも一つ下の学年の彼女とはほとんど接点がない。
ただ、彼女の噂はよく耳にしていた。
病気をしたわけでもなく、数年前から突然ぱたりと声が出せなくなってしまったのだと。
普通なら絶望して塞ぎ込んでもおかしくない状況だ。
だけど彼女は悲劇の令嬢として引きこもることもなく、学園でも常に友人に囲まれ、いつもニコニコと笑いながら身振り手振りで感情を表現する、たくさんの人から好かれる太陽のような存在だという。
それに打算で計算してから動く僕とは違い、彼女のその行動は、まるで誰の評価も気にしない純粋な善意だけからきているように見えた。
そんな彼女に、僕が強烈に目を奪われたその時だった。
「……っ!」
転がっていく一つのリンゴを追いかけようとして、ノルベルト嬢が小さく息を呑んで大きく体勢を崩す。
僕は咄嗟に駆け寄って、石畳に倒れ込む寸前だった彼女の細い肩を抱きとめていた。
「危ないですよ、ノルベルト嬢」
声をかけると、僕の声に彼女はゆっくりとこちらを見上げ、大きく見開かれた瞳で僕を捉える。
彼女は見る間に表情を明るくして、晴れやかな笑みを浮かべた。
それから僕に何度も感謝を伝えるように両手を胸の前で合わせ、全身で『ありがとうございます!』と示してきた。
その後すぐに彼女は、またリンゴ拾いへと戻っていく。
僕はまるで彼女に引き寄せられるかのように、白いズボンが汚れることも忘れて彼女の隣に跪き、一緒にリンゴを拾い始めた。
僕らの姿を見て、遠巻きにしていた周囲の人々も自分たちも手伝わなくてはと思ったのか、慌ててリンゴを拾い集め始めた。
結果として、あっという間に全てのリンゴが木箱の中へと戻された。
「ありがとうございます、本当に、何とお礼を申し上げたらよいか……」
老人は僕たちに何度も礼を言った。
僕はいつものように、
「お気になさらず」
と柔らかな笑みを返した。
対するノルベルト嬢は老人に対してももちろん無言だったが、『とんでもない、これくらい!』とでも言いたげに慌てて首を横に振り、老人の手をぎゅっと握って安心させるように微笑みかけていた。
「セレーナ! どこに行ってたのよ、探したわよ!」
と、不意に少し離れた場所から、友人らしき令嬢たちが彼女を呼ぶ声が聞こえた。
ノルベルト嬢ははっとしてそちらを振り返ると、僕と老人に最後にもう一度丁寧に礼をしてから、友人たちの方へ明るく手を振りながら小走りで去っていった。
「あ、待って……!」
気がつけば、僕は遠ざかる彼女の背中に向かって小さく手を伸ばしていた。
……正直、なんで僕がここで声を上げたのか分からない。
ただ、声が出ないはずの彼女が放つ、あまりにも鮮やかで豊かな感情の波に圧倒されて、理由もなく無意識に呼び止めようとしたとしか言えない。
そんな僕の背後から、ようやく追いついてきた友人たちが声をかけてきた。
「おいアラン、いつのまに手伝いに行ったんだよ」
「僕たち全然気づかなかったよ」
「ああ」
友人たちの何気ない声に、僕は彼女の後姿から目を離し、彼らの方へ向き直った。
「だけど最初に気づいて、動いたのは彼女だよ」
正直にそう伝えると、ノルベルト嬢の後姿を見ながら友人たちは肩をすくめて笑った。
「まあ、でもお前も結局手伝ってたじゃん」
「ノルベルト嬢って、噂どおり感じのいい人なんだね」
「アランも彼女も、そういう意味じゃ似てんじゃないのか?」
「そうだな」
彼らは僕と彼女の行動を同じ善意だと思って褒めてくれているけど、僕の内心はひどく冷め切っていた。
ノルベルト嬢と僕はまったく違う。
彼女は純粋な善意だけですぐに動いた。
対する僕は、周囲の評価と服の汚れを天秤にかけて、計算してから動いた偽物だ。
僕は小さく息を吐き、それ以上の反論の言葉をそっと飲み込んだ。
「それよりさ、次はこのままカフェにでも寄らねぇか?」
「別にいいよ」
「構わない」
友人たちの明るい声に、僕の思考はあっさりと遮られた。
彼らの中ではもう、さっきの出来事は終わったことなのだろう。
だけど、ふと視線を落とすと、さっきまで彼女が跪いていた石畳の上に一枚の布が落ちているのに気がついた。
拾い上げて土を払うと、それは明らかに貴族の人間が持つような上質なハンカチだった。
隅のほうには、驚くほど緻密で美しい花の刺繍が施されている。
おそらく彼女のものだろう。
僕はその刺繍を指先でなぞりながら、彼女が去っていった方向をただじっと見つめていた。




