[3-20] 治療
直接本人に聞く事は無かったが、オリバーも前から気になってはいたのだ。ヴァネッサは頻繁に血を求めて来るが、リリアは精気を求めてこない。
ヴァネッサが血を求めるのは、ヴァネッサが使い魔が召喚スキルを使って消耗したという理由があり、それをきっかけとして血を求めてきた。一方のリリアはスキルを使う事が無いために、精気を求めて来る事は無いのだろうと考えていた。
そして今日は日中に、ミランダに対して、再生と共有スキルを使った。という事はリリアは精気を求めて来るのかと言う予想はあったが、その一方でミランダから精気を吸ったのではないかと言う予想もあった。
隠れ家を出る前に、この質問をした際にはリリアからは微妙な返事が返ってきた。オリバーはそれをリリアはミランダから精気を吸ったと理解し、つまりは昼間スキルを使った分の補充は出来ているため、しばらくは精気の補充は必要ないという事っだと思っていた。
しかし今の反応を見るに、そうでもないのかもしれない。
それとも、リリアはオリバーがヴァネッサには血を吸わせているのに、リリアには精気を吸わせないという点について怒っていたのだろうか。
本当にリリアがミランダから精気を吸ったかどうかについては、リリアのあの反応を考えて、これ以上聞いても答えないだろう。
ヴァネッサの場合、消耗したら自ら血が必要だと言ってくるため、リリアも必要になったら自分から言ってくるとばかり思っていた。そういう事ではないのだろうか。
この件についても一度はっきり本人に聞いた方が良いのだろうか。とはいえ先ほどのルーベルに言われた時の反応を見るにそれもマズイような気もする。
リリアの気持ちを見て見ぬ振りをするつもりは無いのだが、かといって正面から聞いてはいけない事もある。オリバーもそれぐらいは理解している。
そんな事を考えながら、先ほどから継続して戦っている人外の存在の方を向く。
目線の先には、先ほどと変らずルーベルのゴーレムとあの空賊が一進一退の戦いを続けており、オリバーの目にはゴーレムが優勢に見える。
「私のゴーレムだけだと、倒しきれないみたいだから、リリアの魔術で攻撃してもらってもいいかしら?」
最初に話を切り出したのはルーベルだった。
ゴーレムを製作した本人であり、あのゴーレムの事は一番よく分かっているはずだが、その製作者の目からしても、ゴーレムだけで長を倒すのは難しいと判断したのだろう。
実際問題、ゴーレムと長が戦闘を開始してからある程度時間が経過しているが決定打を与えられていないようだ。
「いいけど、普通の魔術じゃ倒しきれないから、少し詠唱時間がいる強力魔術を使うことになるわよ」
リリアも頭を切り替えたのか、長を倒す話に乗ってくる。普段のリリアは無詠唱で火の玉を射出する戦い方をしているが、強力な呪文の詠唱も出来るようだ。
「構わないわよ。ゴーレムでしばらく足止めすればいいんでしょ」
ルーベルも魔術は使えるため、詠唱が必要という事は、その間にリリアを守る必要があると理解したようだ。
ゴーレムが長との戦闘を開始してからそれなりに時間が経っているが、ゴーレムは優勢なまま戦いを進めているように見える。リリアが呪文の詠唱をする間に抑え込むぐらいは造作も無いだろう。
「足止めしてくれるのはありがたいけど、あまり近くに居たら巻き込むことになると思うけど」
確かに彼女が得意とする魔術は炎の魔術であり、魔術を使う対象をゴーレムで長を抑え込むとなると、それを巻き込むというのは道理だろう。
「別にいいわよ。元々あれは使い捨てにする想定だし」
ルーベルが意外な事を言い出した。ゴーレムを破壊されることを嫌がるような事を言っていたような気がするが、召喚型は例外という事だろうか。
「本当にいいの?」
リリアも、ルーベルがゴーレムの破壊を厭わないと言ったのは意外だったのか、聞き返している。
「いいわよ。それより早くしないと、あれの起動時間に限界が来るわ」
そういえば、最初にあのゴーレムを召喚した時にそのような事を言っていた。今までおしゃべりをしていたツケが回ってきたという事か。
「この場で倒しても、大丈夫なんだな?」
オリバーの出番はなさそうだが、念のため倒してもいいかどうかの確認をする。ルーベルは長を研究対象として見ていたがここで完全に破壊して大丈夫なのだろうか。
「確証はないけど、長が回収できないぐらい破壊されたら、しばらくは手出ししてこないわよ。今は倒す事が優先ね」
どうやらここで倒す事に異議は無いようだ。ただオリバーは一つ気になっていた事があった。
「あの長が仲間を呼んだ方法が何か分かったのか?」
先ほどリリアが倒したヴァネッサと戦ったであろう一団。空賊の見た目は狼を模擬しており、仲間に場所を知らせるならば遠吠えをするような気がするが、そのような素振りは見せなかった。少なくともオリバーにはあの長が遠吠えをするような音は聞こえなかった。
状況からして、長の救援に駆け付けたのだろうが、一体どうやってこの場所を特定したのだろうか。
「まあ、どうやって仲間を呼んでるのかは分からないけど、完全に破壊すれば仲間を呼ばれる事もないでしょ。死体を調べたい気もするけど、今は完全に破壊する方が優先ね。下手に死体を残したら、何らかの仲間を呼ぶ機能が残ってて、新しい奴が来ても面倒だし。だから、火の魔術をつかうなら、原形が残らないぐらい消し炭にした方がいいわね」
ルーベルにもその疑問は解けていないが、燃やし尽くしてしまえば、それ以上仲間を呼ぶことは無いという予想のようだ。
「完全に破壊って事は、残骸が残らない程やってもいいのね?」
ルーベルは消し炭といったが、リリアはそれすら残さないような協力な魔術を使うつもりらしい。
「一撃で?」
ルーベルは疑っているが、オリバーはリリアが特大の火の玉を生成する所を見た事がある。あれほどの魔術を使えるのであれば、長を一撃で葬る魔術も使えるのだろう。
「全力でやればそれも可能ね。その方が良い?」
リリアとルーベルがかなり物騒な話をしている。あの長がこの話の内容を理解していれば真っ先に逃げ出しそうなものだが、長は相変わらずルーベルのゴーレムと戦っている。こちらの声を理解する事は出来ないのだろうか。
「跡形も残さずに吹き飛ばせるならそれが一番いいわ」
「じゃあそうするけど、その代わり足止めは任せるわよ?」
リリアはルーベルの要求を、すんなりと了承した。彼女にとっては詠唱する時間さえあれば、長を焼き払う事は簡単なようだ。
「ええ、まだしばらくなら長を足止めできるわ」
ルーベルが足止めをしている内にミランダが詠唱して長を葬るという方針で、話はまとまったようだ。
「分かったわ。下がって」
リリアが相手に向かって杖をかざし、何かを唱え始める。
杖の少し先に、光の玉が現れたかと思うと、それはみるみる内に熱を帯びて来る。オリバーはリリアから少し離れた位置にたっているにも関わらず、熱さを感じていた。
光の玉は弱々しい光を放っていたが、戦闘の残滓として辺りで燻っている残り火とはくらべものにならない光を放ち始めるのに、そう時間が掛からなかった。
オリバーにも分かった。これはいつもリリアが使っている火の玉とは別次元の威力を持っていると。余程大がかりな魔術なのか、リリアの周りから風や光が溢れ出ている。
まるで嵐でもきたかのように木々が揺れ、枝が擦れて音をたて、木の葉が舞った。そして何より夜には似つかわしくない輝きがリリアが生成した特性の光の玉から溢れ出ている。
魔術の威力は込められた魔力に比例する。威力の高い魔術は時には数百の人間の命を一度に奪うほどの破壊をもたらすが、そういった類の大魔術は大勢の術者が協力して詠唱するものだ。
大魔術は、発動前の詠唱時にすら、魔力の変動で辺りに変化をもたらすと聞いているが、今魔術を詠唱しているのはリリア一人だ。それにも関わらずこれほど詠唱の余波を辺りにもたらすとはいったいどれほどの魔力が込められているのか。
これほどまでに魔術の発動の前兆が出ていては、相手の空賊も不振に思ったのか、こちらの様子をうかがう。
その隙をゴーレムは見逃さなかった。
長がリリアへと視線を向けた瞬間、空賊に飛び掛かかり、そのまま地面に押し倒す。
ゴーレムの重量はかなりのものなのか、空賊はもがくが抱き着いたゴーレムからは逃れる事ができない。
「本当に、いいのね?」
詠唱を完了したのだろう。リリアの口からこれで最後通告が告げられる。
これならば外す可能性は皆無だが、同時に確実にゴーレムを巻き込むだろう。
「いいわよ」
ルーベルの言葉を合図に、リリアが杖を振り下ろす。
その勢いで光の玉は射出され、一直線に長とゴーレムに向かう。行く手を阻むものは無く。長はゴーレムによって動きを封じられている。避けられるはずがない。
光の玉が命中するとともに辺りは昼のような明かりに包まれた。オリバーは眩しさから思わず目を背ける。
それが着弾による爆発だと気が付くと同時に、爆音が耳を襲い、暴風が全身を襲った。オリバーは咄嗟に腕で顔を庇う。目を閉じていてもはっきりと眩しさを感じ、尚且つ全身で熱のこもった暴風を受けていた。目を閉じた状態でも感じる、全身を襲う爆発の余波。時間間隔がおかしくなりそうだったが、気が付けば自然と眩しさを感じなくなり、風も収まっていた。どれだけの時間目を閉じていたのかは分からないが、オリバーはゆっくりと目を開けると、辺りには森の夜に相応しい静けさと暗闇が戻っていた。それでいて、リリアの言葉通り、長とゴーレムは跡形も無く消えている。
「凄い…」
結果を目の当たりにしたオリバーの口から率直な感想が漏れた。
いつもリリアが使っている火の玉が、光の玉に代わっただけ。見た目としてはそれほど変化は無かった。それでもリリアが意図的に詠唱し、威力を上げた魔術を使うとどうなるのか、その結果が今はっきりと目の前で示された。
これほどの腕をもつ魔術師をオリバーは見たことが無かった。
「ここまでやれば、仲間を呼ぶ小細工はされずに済みそうね」
ルーベルが爆心地となった場所を見つめながらそう呟く。そこには長とゴーレムの何れもいずれの姿も無く、あるのはただ、爆発によってむき出しになった焼け焦げた大地だ。
●
目が覚めた。そこは見たことのない場所だった。最初に眼に入ったのは天井だった。見渡すと四方には壁があり、そこが室内だと分かった。
自分は騎士団を支援する任務として、ミベラの森へ出発したはずだ。それが何故かベッドに寝かされている。誰かの家だろうか。首を動かして辺りを見ようとすると窓が目に入る。
ぼんやりとした視界でも、窓から光が差し込んでいるのは分かった。もう昼かと思ったのも束の間、すぐに暗くなった。どうやら今は夜のようだ。そうなると先ほどの光の正体は何なのだろうか。外で何か起きていたのだろうか。
何故目が覚めたのだろう。大きな音がしたような気がする。まさかさっきの光は何かの爆発だろうか。
嫌な予感がして起き上がろうとするが、上手く体が動かない。この感じは恐らく何か魔術をかけられている。
ぼんやりとした頭で記憶を掘り起こそうとすると声が掛けられる。
「あー、起きちゃった?」
聞き覚えのある声。声の方を見ようとするが、まだ目が覚めていないのか、あるいは魔術の影響か、焦点が合わない。
「あなたは寝てて」
その声から、敵意は感じられない。だがその声を聴いた直後、強い睡魔が襲ってくる。ぼんやりとした頭で、恐らくは魔術だろうとは予想はしながらも、その睡魔には抗う事はできそうにない。
「あの爆発はねーさんがやったって事でいいのかな」
意識が落ちる直前、ため息交じりのそんな声が聞こえた。
●
オリバー達三人は長を討伐した後、直ぐに隠れ家に戻る事にしたが、帰り道は特に何も起こらなかった。
長を倒した影響でオリバー達と戦っても勝てないと判断したのか、単純に動かせる駒が無くなったのかは分からないが、何にせよ空賊からの襲撃も無く、それ以外魔物による襲撃も無い。ただ三人で夜の森を歩いて戻ってきた。
そんな帰り道を経て、オリバー達が隠れ家に戻ると、出かけた時から特に変わった様子は無かった。だが、先ほどの戦いでオリバー達がこの隠れ家を出発した後に別動隊がこの隠れ家を襲撃していた疑惑が出ていた。
ルーベルは隠れ家に近づきながらその周辺を注意深く見定めていたが、オリバーと同様、変わった様子は見つけられなかったようだ。
それでもルーベルの疑問は晴れていなかったのか隠れ家の中に入ると、一階は明かりが消されたままであった。
ルーベルが灯りを付けるが一階の居間には誰も居ない。
「ギルス! いる!?」
外の様子に異変はなかった。本当に空賊の襲撃があったのだとしたら最悪ギルスの命は無いかもしれない。まずはギルスの安全確認を行うのが最初だとルーベルは考えたのだろう。
まだ夜だ。当然隠れ家の中も暗い。そんな中に気の抜けた声が返ってくる。
「ああ、いるよ」
そう言いながらギルスが二階から降りてきた。ギルスの様子はいつもと変わりはない。
「私たちが出てた間何もなかった?」
本当に空賊からの襲撃があったのであれば、隠れ家に残っていたギルスが知らないはずがない。
「いや、何か気が付いたら寝ててさ、さっき起こされたんだけど、何がすごい爆発があったんだって?」
何もないどころか、寝ていたというのはどういう神経なのかと一瞬オリバーは思ったが、元々空賊の二回目の襲撃は想定していなかった。今は深夜であり、特に何もすることが無いのであれば仕方が無いのかもしれないと思い直した。
「寝てたって、この状況で良く寝れるわね」
そう言ったのはリリアであった。先ほどまで長と戦闘をしていた側としては、いくら隠れ家に残っていたとはいえ、寝ているというのは呆れるのが普通の反応なのだろう。
「ヴァネッサはどこ?」
そう聞き替えしたルーベルの声は、どこか緊迫感が込められていた。まるでルーベルはヴァネッサが何か悪さをしたのではないかと疑っているかのようだ。
「ああ、あの二人の人間を見てるよ。起きないように見張ってるってさ」
そう言ってギルスは二人の人間が収容されている部屋を指さす。
ミランダと、まだ名前も知らない魔術師。二人はこの隠れ家に運び込まれたが、目を覚ますと面倒になるという事で、ヴァネッサの魔術で寝かされている。よって彼女が二人が起きないように見張るというのはおかしな事ではない。
「ヴァネッサ! 来なさい!」
ルーベルの声に応じるようにヴァネッサが人間二人を寝かせている部屋から出て来る。
「あんまり大きい声を出さないで。二人が起きちゃうよ」
ギルスが言った通り、二人の人間が起きないか見張っていたのだろう。ルーベルの声の大きさで二人が起きてしまう事を気にしている。
「あなたがギルスを寝かせたんじゃないの?」
ルーベルは部屋から出てきたヴァネッサを見るなり、自身が持っていた疑問をぶつけた。
確かに睡眠魔術を使えるヴァネッサであれば、ギルスを寝かせる事も可能だろう。
「言いがかりだよ」
ヴァネッサは、怒るでも驚くでもなく、ただ事務的に質問を返した。
「あなた睡眠魔術使えるでしょ。あの人間にも使ってたじゃない」
ルーベルはヴァネッサがミランダに同伴していた魔術師に対して睡眠魔術を使うところを見ている。
「そうだね。でもそれとこれは別」
ヴァネッサも昼間の事は覚えていたのだろう。睡眠魔術を使える事自体は否定しなかったが、ギルスを寝かさた事は否定した。
「あんたギルスを寝かせた間に何かしてたんじゃないの?」
オリバー達が長の討伐に言っていた間、隠れ家に残っていたのはヴァネッサとギルスのみ。ヴァネッサがギルスを寝かせてしまえば、ヴァネッサはこの隠れ家の中を自由に動き回る事ができる。
家主としては留守の間に何かされたのではないかという心配をするのは当然の事かもしれない。
「帽子が勝手に寝ただけだよ」
ヴァネッサはそれを否定する。ヴァネッサとある程度付き合いのあるオリバーとしては、ヴァネッサがわざわざギルスを寝かせて、この家の中を荒らすような真似はしないだろうと思っていた。
ヴァネッサ本人が否定しており、証拠がない以上、これ以上の決め付けはどうかと思い、オリバーは話を切り替える事にする。
「ヴァネッサ、ミランダとあの魔術師は大丈夫なのか?」
オリバー達はまだ直接は見ていないが、ヴァネッサが先ほどまで居た部屋には二人の人間が寝かされている。ヴァネッサはオリバー達が戻ってくる直前まで、あの二人の様子をみていたはずだ。
「まだ寝かせてあるよ。起きたら説明するの面倒でしょ」
一方のヴァネッサもルーベルの相手を面倒だと思っていたのかオリバーが振った話題に乗り換えて来る。
それを聞いたルーベルは無言でオリバーの事を睨んでいたが、話題を戻そうとはしなかった。証拠がないため、ヴァネッサへの追及は諦めたのだろう。
「ところで、俺たちが出発した後に、もう一度ここに空賊が来なかったか?」
そしてオリバーは本命の話題に切り替える。人間二人は寝ていて、ギルスすらも寝ていた。となると起きていたのはヴァネッサ一人となるため、長と戦った時に予想していた隠れ家への襲撃の有無を知っているのはヴァネッサだけだ。
隠れ家やその周りに異変は見当たらなかったが、隠れ家に残っていたヴァネッサから直接話を聞く必要がある。
「来たね」
ヴァネッサはまるで大したことが無かったかのように、そう答えた。
「大丈夫だったのか?」
見た所ヴァネッサは怪我をしている様子は無いし、ギルスも無事である。結果だけ見れば大事には至らなかったのだろうが、ヴァネッサは治癒魔術が使える。激闘の末に治癒魔術で怪我をなおしただけなのかもしれない。
「襲ってくるかと思ったら、直ぐに帰ったよ。だから戦闘にはならなかったよ」
つまり、空賊は襲撃しようとしたが未遂に終わった。ヴァネッサは空賊の接近には気が付いたが戦闘することなく相手が退却したというのか。
「戦闘にはならなかったのに引き返したって、どういう事だ?」
近くまで来ておいて、結局襲撃はせずに帰るというのは奇妙な話であるが、ヴァネッが自分の考えを口に出す。
「そっちが長と戦い始めたから、助けに行ったんだと思うけど」
確かに、オリバー達三人が、長と戦っていたところに、まるで助けに来たかのように、あの空賊たちが現れた。
「ギルスは大丈夫だったのか?」
ギルスも怪我をしている様子はないため無事である事は事実なのだろうが、それでもオリバーは、本人から覚えている限りの事を聞きたかった。
「あー、僕はこの隠れ家の近くに空賊が来たところまでは起きてたんだけど、その後に寝ちゃったんだよね」
空賊がこの隠れ家に接近した事はギルスも気が付いたらしい。
「そのタイミングで寝る?」
ルーベルが再度疑いの声を上げる。それも当然だろう。敵が襲ってきたのを分かっていた上で寝ると言うのは考えにくい。
「いやあ、実際寝たからね。僕の記憶では寝る前に空賊がこの隠れ家の近くまで来ていたけど、起きたら引き上げていた。それだけだよ」
ギルスに嘘をついている様子は無い。しかしそのタイミングで寝たと言うのは不自然であり、寝ていた間に何があったかはヴァネッサしか知らないという事になる。
「ますます怪しいわね、やっぱりギルスを魔術で寝かせて、その間に何かしたんじゃないの?」
どうやらルーベルはまだヴァネッサの事を疑っているようだ。ギルスが眠ったタイミングを聞くと、オリバーもギルスが寝たタイミングを聞いたら、ヴァネッサが何かしたのではないかという疑いを持ち始めた。
「何かって?」
当のヴァネッサは身に覚えが無いようだ。
「何かよ」
ルーベルとしても証拠がある訳ではない。何か物がなくなっている、物が壊されているといった明確な異変があったのであれば、ヴァネッサが悪さをしたと断言したかもしれないが、今はただギルスが不自然なタイミングで寝たという状況のみ。
オリバーも今の時点でルーベルがヴァネッサを疑うのは理解できるものの、今までヴァネッサとある程度の時間行動を共にしてきた仲間として、悪事を働く事はないと予想していた。
もちろんギルスが寝たタイミングを考えれば、ヴァネッサが睡眠魔術を使った可能性は否定できないが、仮にそうだったとしても、それはヴァネッサがオリバー達に危害を加える意図は無かっただろう。リリアがリリア自身の過去を、オリバーに話すのを躊躇したように、誰にでも周りには知られたくない秘密がある。ヴァネッサにもそのような秘密が一つや二つぐらいはあるのだろう。
それが何か気にはなるところではあるが、この場で聞いたところで答えないだろう。疑問を疑問のままにするつもりは無いが、質問するタイミングもまた重要である。今はまだその機会では無いとオリバーは考えていた。
幸いにもオリバーには今夜ヴァネッサと二人で会話ができる機会が用意されている。本人に直接聞くのであればそのタイミングだろうと、オリバーは決心した。
それは同時に、これ以上この場でヴァネッサを問い詰める必要は無くなった事を意味する。よってここは再度話題を変える事にした。
「ギルス、フィアンセの治療は今からできるのか?」
そもそもの話として、フィアンセの治療中に空賊から妨害をされないために、先ほど長を倒したのだ。長を倒した今となっては、準備さえできれば治療を始めてもいいはずだ。
またしても露骨に話題を変えたオリバーを、ルーベルは無言で睨んでいたが、話を戻そうとはしなかった。
「ああ、ホムンクルスの準備さえできれば、僕はいつでもいけるよ。そういえば、長は無事に倒せたのかい?」
そういえば、隠れ家に残っていたヴァネッサとギルスには、まだ長を討伐した事を話していなかった。
「ああ、無事に倒せたよ。ここに戻ってくる間も何も起こらなかったから、もう空賊は襲ってこないと思う」
今更ながら、オリバーは自分たちの戦果を報告する。
「そうか、じゃあルーベルもそれでいいかい?」
恐らく一番フィアンセの治療を望んでいるギルスは、長の討伐成功の知らせを聞いて、今すぐにでも治療を開始したいようだ。
とはいえ、治療を行うためにはホムンクルスを使う必要があり、地下の研究室を開ける必要がある。それができるのはルーベルだけだ。
「できるけど、本当にこんな深夜にやるの?」
ルーベルは出来ない事はないが今は避けたいといった様子だった。今はまだ万全な状況ではないという事だろうか。
「ああ、早い方が良い。長を倒したといっても、奴らはこの場所を知っている。奴らがもう一度来る可能性が無くなったわけじゃないんだろう?」
ここを襲ってきた空賊達を倒したのは事実としても、この場所が空賊達に知られてしまっているのもまた事実だ。ルーベルが言っていた遠隔で操作をしている指揮者が、新たに別の勢力を送り込む判断をするかどうかは分からない。死体の確保を恐れている指揮者が、再度別の勢力を送り込む可能性は低いとルーベルは予想していたが、それはあくまで予想である。ギルスとしては長を撃破した直後の今が最も安全な千載一遇の機会と見て、今すぐにでも治療を始めたいようだ。
「あなたね、あなたは寝てたから元気なのかもしれないけど、こっちは遠出した上に戦闘の後なのよ。まあ、私はできるけど、リリアも今からで平気?」
確かに隠れ家に残ったギルスとは違いルーベル長を討伐するために出かけていた。オリバー達と合流する前も、長を追うために森の中を捜索していたのだから、実質一日中で歩いていたのだろう。疲れているというのは無理もないが、ここはギルスの意見を優先するようだ。
また、治療をする魔術を使う上ではリリアの協力も必要であり、リリアも魔術を使うことになるため、リリアの意思確認も必要になる。
「私は平気よ」
ルーベルとは異なり、リリアは特に嫌がる素振りを見せなかった。
「結構な大魔術を使ったように見えるけど、平気なの?」
長とゴーレムを跡形も無く吹き飛ばすような魔術をリリアは使った。それを見たルーベルがリリアの調子を気に掛けるのは当然のことかもしれない。
「あの程度の魔術を一回使ったぐらいなら何ともないわよ」
一方のリリアは平然としている。それがリリアの個人的な才によるものなのか、魔族としてのポテンシャルから来るものなのかはオリバーには分からないが、どちらにせよリリアはこのまま治療のために魔術を使っても問題なさそうだ。
「じゃあ今からやりましょうか。まずはホムンクルスを二階に移動させるから手伝って」
そういえば、治療の場所はこの家だとは聞いていたが、この家のどこでやるかまでは聞いていなかった。
「地下室で治療はできないのか?」
確かホムンクルスを培養液から出した後には、ホムンクルスの鮮度を保つために速やかに治療を行わなければならないと言っていた。それであるならば移動させるよりもその場で治療した方が良いのではないかとオリバーは考えた。
「ダメよ」
それをルーベルはあきれ顔で否定した。
「何でだ? 培養液から出したら直ぐに治療を始めた方がいいんじゃないのか?」
直ぐに治療を始める必要があると言っていたにもかかわらず、わざわざ移動させる事に時間を割くというのには若干の違和感があった。
「門の魔術を見た事ないの? あの魔術をつかったら余波で風が起きるのよ。地下室であんな魔術使ったら危ないわよ」
ルーベルは当たり前の事を聞くなと言った感じであった。
言われてみれば以前ギルスに魔術を見せてもらった時は屋外であり、あの時も門からかなりの風を感じた。
「そうか。そう言えばそうだったな」
あれを地下室で使うと、最悪の場合地下室が崩れるかもしれない。そう考えると、二階に移動させた方が安全なのだろう。
「分かったらホムンクルスを移動させるから、手伝って」
そう言ってルーベルは地下室へと向かった。
●
ホムンクルスを運んだのはギルスだった。それが自分のフィアンセの新しい体になるからか、ギルスは自ら運ぶ役を買って出た。
ほかの四人は扉を抑えたりすることで手を貸したがギルスの労力に比べれば微々たるものだろう。
そして今、ギルスが二階まで運んできたホムンクルスをベッドの上に寝かせた。
当然ながら、そのホムンクルスはまだ生きている。寝ている状態で目は覚まさないが、一定の間隔で腹部が僅かに上下する事から呼吸をしているのが分かる。ギルスはそのようすをしまし見つめていた。これから自ら命を奪う事になるのだ。少なからず思うところがあるのだろう。だがそれも長くは続かず、意を決したのがリリアの方に向き直った
「じゃあ予定通り、僕が門を開くから、開いた後はその門を開く状態を維持してくれ」
ベッドに寝かされたホムンクルスは、何も知らずに、かすかに寝息を立てている。これから起きる事を考えれば、彼女は起こすよりも寝かせたままの方がいいであろう。
「分かったわ」
そんなホムンクルスの様子を一瞥し、リリアは魔術を使う準備としてギルスの横に立った。
リリアの返事を聞くと、以前見た通りギルスが自分の顔の前に手をかざし、ブツブツと呪文の詠唱を始めている。声の大きさが小さかったためオリバーの耳には具体的な詠唱は聞き取れなかったが、やがて詠唱が終わったのか腕を前方に突き出し、掌を広げて魔術を発動させた。
「開け!」
以前見た時と同じように、ギルスがかざした掌の前で魔力で編まれた門が生成され、空間が裂け、観音開きの形で手前に開き、その中には白と黒の光が入り混じった不思議な光景が広がっている。
魔力で編まれた門は淡い光を放ち、真夜中の室内を照らしあげるが、それ以上に空間が裂けた影響か、室内には風が吹き荒れ始めた。
「もう代わる?」
リリアの役目は門が開いた状態を維持する事である。既に門は開いた。この状態で門の制御を引き受ける事も、リリアには可能だ。
「まだだ、マリルが応えるまで…」
次元をこじ開けている反動か、室内にも関わらず絶え間なく空気が荒れ狂い、まるで強風が吹いているかのようだ。
この魔術はこの場所とマリルが居る場所を繫ぐ魔術であり、二人一組で初めて成立する魔術。つまりマリルがこの魔術に応えなければならない。
マリルが門を開くまではリリアに制御を渡す事は出来ないようだ。
ここにきてオリバーは思い出す。果たしてマリルは今ここでギルスがこの魔術を使って彼女に連絡を取ろうとしている事を知っているのだろうか。まさかギルスが連絡をするのを忘れていて向こうが気が付いていないという事態になっているのではないか。
相手の命が掛かった重要な治療だ。いくらギルスといえどもそんな間抜けなミスはしないだろう。オリバー達が出払っている際にマリルに連絡を取ったのだろと思い、先ほどのギルスの言葉を思い出す。
そもそもギルスは先ほど起きたばかりだと言っていた。そして、ギルスに長の討伐を伝えたのはギルスが起きた後だ、当然、このタイミングで治療を行う事を決めたのは、長の討伐を伝えた後だ。そうなると、マリルと連絡を取る機会がどこにあったのだろうか。まさか、最初に心配した通り、マリルは今このタイミングでこの魔術が使われている事を知らないのではないか。
オリバーはその疑問を口にしようとするが、その機会は失われる。
亀裂の向こう側に広がっていた異次元の空間にさらに亀裂が走り、さらに向こう側へと開かれ異次元の空間の向こうに別の現実世界が広がる。
その向こう側には一人のエルフの女性が立っており、ギルス同様掌をこちらに向かってかざしていた。
恐らく向こう側でも空間接続の魔術を使ったのだろう。
その女性の容姿はホムンクルスと完全に一致している。あの女性の髪の毛からホムンクルスを培養したとは聞いていたが、双子と思えるぐらいであった。
あのエルフを元にホムンクルスを作ったのであれば、それも当然だろう。
ギルスから病気とは聞いていたが、顔色は悪く、かなり無理をして魔術を使っているのだろう。今にも倒れそうである。
状況から考えて、あれがマリルだろう。
彼女の目線がギルスと合う。そしてすぐにその横に立っているリリアに向かい、彼女の表情が曇った。リリアの事を伝えていないのだろうか。
「リリア! 任せるよ!」
しかし今はそのような事を気にしている場合ではない。ホムンクルスの鮮度が落ちる前に治療を行う必要があるのだ。ギルスが門の制御をリリアに引き渡す。
室内には暴風が吹き荒れているため、自然と声が大きくなっている。
「分かったわ!」
リリアが門に向かって手をかざすのを見るとギルスは手を再び眉間に当てて再度詠唱に入る。
その詠唱にはさほど時間は掛からなかった。
「ソウルハンド!」
以前見た時と異なり、ギルスの背中から生えた手は一本ではなく二本だった。そのうちの一本がホムンクルスへと伸び、その魂を引き抜く。
さらにもう一本は門を通り抜けてマリルへと向かい、その魂を引き抜いた。魂の抜かれたマリルの体はその場に倒れ込む。彼女がいる部屋には彼女一人しかいないようだ。そして、地面に倒れたマリルの様子を見て、オリバーはふと気が付く。よく見てみれば、彼女が居る部屋の内装は、この隠れ家の内装によく似ている。エルフは似たような建物を好むのだろうか。
加えて置いてある家具、例えばベッドも同一のデザインに見えるが、偶然なのだろうか。
いや、似ていると言っても微妙な違いがある、こちらの内装と比べて、向こう側は少し明るい雰囲気がする。それは門から魔力の残滓として光が溢れているせいだろうか。
オリバーがそんなことを考えている内に、マリルの魂を手に持った手は素早く門からこちら側への引き戻され、その勢いのままホムンクルスの体にマリルの魂を植え付けた。
そして、ホムンクルスの横にいたルーベルが何かを唱えるとホムンクルスの体が薄く光り始めた。
ルーベルの話によると。ギルスの魔法では魂を抜き取る事と、魂を植え付ける事はできるものの、本来とは別の体に別の魂を定着させるには、別の魔術が必要であり、その魔術はゴーレムの研究をする際にルーベルが習得したらしい。
それが今ルーベルが使っている魔術である。
この魔術は魂を植え付けた直後に使う必要があり、そのためルーベルは門を開く手伝いをするのは出来なかったという。
「終わったわ」
光が収まると同時に、ルーベルはそう言った。
引き抜かれていたホムンクルスの魂は、ソウルハンドが、拘束を緩めるとその隙間から空中へと逃げるように移動するが、直ぐに空中に溶けるように消えてしまった。
分かっていた事ではあるが、それはマリルを助けるためには避けられない事。マリルを助けるために、ホムンクルスの体を維持していた疑似魂魄が消滅したのだ。
それは触れてもどうしようも無い事だと諦めていたのか、消えていった疑似魂魄については誰も言及しなかった。
「リリア! もう大丈夫だ!」
ギルスの合図にリリアが手を下すと、門は音を立てて閉まり、元の何もない空間へと戻った。同時に室内に吹き荒れていた暴風も収まった。
全員がマリルの治療のために使用していた魔術の発動が収まり、室内は静けさを取り戻したが、その静寂はギルスの声によって直ぐに破られる。
「マリル!」
ギルスがマリルの魂を入れたホムンクルスに駆け寄り声を掛けるが反応はない。
「まさか失敗したの?」
ギルスの呼び声に反応がない様子を見て、リリアがその疑問を口にする。
「僕の魂の引き抜きと、挿入は手ごたえがあったけど、ルーベルはどうだい?」
そう言いながらギルスはルーベルの方を見る。
「私の魂を定着させる魔術も成功したわよ。定着には時間がかかるからしばらくは目を覚まさないかと思うけど、今は正常に呼吸をしてるし、待つしかないんじゃないかしら」
いくら魔術が成功したとはいっても、意識を取り戻すには時間が掛かるようだ。
「時間が掛かるって具体的にどれぐらい? まさか年単位かかるなんて言わないよね?」
傍で一連の治療を無言で見ていたヴァネッサがここに来て初めて口を開いた。
「一日もあれば大丈夫じゃないかしら」
ルーベルとしても断言はできないのだろう。あまり自信がなさそうな言い方だ。
「つまりこの治療が本当にうまくいったか分かるのは、早くても明日って事?」
ヴァネッサの語気には非難のニュアンスが含まれているように感じられた。オリバーとしても治療の結果は直ぐに分かる物だと思っていたが、同時に一日ぐらいは待てばいいだろうとも思っていた。
「そうなるわね」
それ以上の事は言えないのか、ルーベルが手短に答えた。
「明日までにフィアンセを連れて逃げるなんてマネしないよね?」
そう言いながら、ヴァネッサは視線をギルスに移す。相変わらず、ヴァネッサはギルスの事を信用していないようだ。
「そんな事はしないよ」
ギルスが苦笑いしながら答える。
オリバーとしてもギルスがそこまでするとは思っていない。ヴァネッサの考え過ぎではないだろうか。治療が無事終わり、あとは待つだけだと考えると気が抜けて眠気が襲ってきた。
「あとは見守るだけなら、俺たちはそろそろ寝てもいいか?」
そう口にしたのはオリバーだった。治療自体は見ていただけだったとはいえ、今日一日はかなりの距離を歩いたし、何度か戦闘もあった。疲れで眠気が襲ってくるのは当然だろう。
「そうだね。僕も今の魔術で疲れたよ」
真っ先にギルスが賛同する。
皆疲れていたのかその意見に反対する者はなく。ルーベルにあてがわれた部屋でそれぞれ就寝する事になるのだが、オリバーにはまだ仕事が残っていた。
日中にヴァネッサから、今日は血を吸いに行くと言われている。
それを忘れるなと言わんばかりの、ヴァネッサの視線を、オリバーは感じていた。
直接本人に聞く事は無かったが、オリバーも前から気になってはいたのだ。ヴァネッサは頻繁に血を求めて来るが、リリアは精気を求めてこない。
ヴァネッサが血を求めるのは、ヴァネッサが使い魔が召喚スキルを使って消耗したという理由があり、それをきっかけとして血を求めてきた。一方のリリアはスキルを使う事が無いために、精気を求めて来る事は無いのだろうと考えていた。
そして今日は日中に、ミランダに対して、再生と共有スキルを使った。という事はリリアは精気を求めて来るのかと言う予想はあったが、その一方でミランダから精気を吸ったのではないかと言う予想もあった。
隠れ家を出る前に、この質問をした際にはリリアからは微妙な返事が返ってきた。オリバーはそれをリリアはミランダから精気を吸ったと理解し、つまりは昼間スキルを使った分の補充は出来ているため、しばらくは精気の補充は必要ないという事っだと思っていた。
しかし今の反応を見るに、そうでもないのかもしれない。
それとも、リリアはオリバーがヴァネッサには血を吸わせているのに、リリアには精気を吸わせないという点について怒っていたのだろうか。
本当にリリアがミランダから精気を吸ったかどうかについては、リリアのあの反応を考えて、これ以上聞いても答えないだろう。
ヴァネッサの場合、消耗したら自ら血が必要だと言ってくるため、リリアも必要になったら自分から言ってくるとばかり思っていた。そういう事ではないのだろうか。
この件についても一度はっきり本人に聞いた方が良いのだろうか。とはいえ先ほどのルーベルに言われた時の反応を見るにそれもマズイような気もする。
リリアの気持ちを見て見ぬ振りをするつもりは無いのだが、かといって正面から聞いてはいけない事もある。オリバーもそれぐらいは理解している。
そんな事を考えながら、先ほどから継続して戦っている人外の存在の方を向く。
目線の先には、先ほどと変らずルーベルのゴーレムとあの空賊が一進一退の戦いを続けており、オリバーの目にはゴーレムが優勢に見える。
「私のゴーレムだけだと、倒しきれないみたいだから、リリアの魔術で攻撃してもらってもいいかしら?」
最初に話を切り出したのはルーベルだった。
ゴーレムを製作した本人であり、あのゴーレムの事は一番よく分かっているはずだが、その製作者の目からしても、ゴーレムだけで長を倒すのは難しいと判断したのだろう。
実際問題、ゴーレムと長が戦闘を開始してからある程度時間が経過しているが決定打を与えられていないようだ。
「いいけど、普通の魔術じゃ倒しきれないから、少し詠唱時間がいる強力魔術を使うことになるわよ」
リリアも頭を切り替えたのか、長を倒す話に乗ってくる。普段のリリアは無詠唱で火の玉を射出する戦い方をしているが、強力な呪文の詠唱も出来るようだ。
「構わないわよ。ゴーレムでしばらく足止めすればいいんでしょ」
ルーベルも魔術は使えるため、詠唱が必要という事は、その間にリリアを守る必要があると理解したようだ。
ゴーレムが長との戦闘を開始してからそれなりに時間が経っているが、ゴーレムは優勢なまま戦いを進めているように見える。リリアが呪文の詠唱をする間に抑え込むぐらいは造作も無いだろう。
「足止めしてくれるのはありがたいけど、あまり近くに居たら巻き込むことになると思うけど」
確かに彼女が得意とする魔術は炎の魔術であり、魔術を使う対象をゴーレムで長を抑え込むとなると、それを巻き込むというのは道理だろう。
「別にいいわよ。元々あれは使い捨てにする想定だし」
ルーベルが意外な事を言い出した。ゴーレムを破壊されることを嫌がるような事を言っていたような気がするが、召喚型は例外という事だろうか。
「本当にいいの?」
リリアも、ルーベルがゴーレムの破壊を厭わないと言ったのは意外だったのか、聞き返している。
「いいわよ。それより早くしないと、あれの起動時間に限界が来るわ」
そういえば、最初にあのゴーレムを召喚した時にそのような事を言っていた。今までおしゃべりをしていたツケが回ってきたという事か。
「この場で倒しても、大丈夫なんだな?」
オリバーの出番はなさそうだが、念のため倒してもいいかどうかの確認をする。ルーベルは長を研究対象として見ていたがここで完全に破壊して大丈夫なのだろうか。
「確証はないけど、長が回収できないぐらい破壊されたら、しばらくは手出ししてこないわよ。今は倒す事が優先ね」
どうやらここで倒す事に異議は無いようだ。ただオリバーは一つ気になっていた事があった。
「あの長が仲間を呼んだ方法が何か分かったのか?」
先ほどリリアが倒したヴァネッサと戦ったであろう一団。空賊の見た目は狼を模擬しており、仲間に場所を知らせるならば遠吠えをするような気がするが、そのような素振りは見せなかった。少なくともオリバーにはあの長が遠吠えをするような音は聞こえなかった。
状況からして、長の救援に駆け付けたのだろうが、一体どうやってこの場所を特定したのだろうか。
「まあ、どうやって仲間を呼んでるのかは分からないけど、完全に破壊すれば仲間を呼ばれる事もないでしょ。死体を調べたい気もするけど、今は完全に破壊する方が優先ね。下手に死体を残したら、何らかの仲間を呼ぶ機能が残ってて、新しい奴が来ても面倒だし。だから、火の魔術をつかうなら、原形が残らないぐらい消し炭にした方がいいわね」
ルーベルにもその疑問は解けていないが、燃やし尽くしてしまえば、それ以上仲間を呼ぶことは無いという予想のようだ。
「完全に破壊って事は、残骸が残らない程やってもいいのね?」
ルーベルは消し炭といったが、リリアはそれすら残さないような協力な魔術を使うつもりらしい。
「一撃で?」
ルーベルは疑っているが、オリバーはリリアが特大の火の玉を生成する所を見た事がある。あれほどの魔術を使えるのであれば、長を一撃で葬る魔術も使えるのだろう。
「全力でやればそれも可能ね。その方が良い?」
リリアとルーベルがかなり物騒な話をしている。あの長がこの話の内容を理解していれば真っ先に逃げ出しそうなものだが、長は相変わらずルーベルのゴーレムと戦っている。こちらの声を理解する事は出来ないのだろうか。
「跡形も残さずに吹き飛ばせるならそれが一番いいわ」
「じゃあそうするけど、その代わり足止めは任せるわよ?」
リリアはルーベルの要求を、すんなりと了承した。彼女にとっては詠唱する時間さえあれば、長を焼き払う事は簡単なようだ。
「ええ、まだしばらくなら長を足止めできるわ」
ルーベルが足止めをしている内にミランダが詠唱して長を葬るという方針で、話はまとまったようだ。
「分かったわ。下がって」
リリアが相手に向かって杖をかざし、何かを唱え始める。
杖の少し先に、光の玉が現れたかと思うと、それはみるみる内に熱を帯びて来る。オリバーはリリアから少し離れた位置にたっているにも関わらず、熱さを感じていた。
光の玉は弱々しい光を放っていたが、戦闘の残滓として辺りで燻っている残り火とはくらべものにならない光を放ち始めるのに、そう時間が掛からなかった。
オリバーにも分かった。これはいつもリリアが使っている火の玉とは別次元の威力を持っていると。余程大がかりな魔術なのか、リリアの周りから風や光が溢れ出ている。
まるで嵐でもきたかのように木々が揺れ、枝が擦れて音をたて、木の葉が舞った。そして何より夜には似つかわしくない輝きがリリアが生成した特性の光の玉から溢れ出ている。
魔術の威力は込められた魔力に比例する。威力の高い魔術は時には数百の人間の命を一度に奪うほどの破壊をもたらすが、そういった類の大魔術は大勢の術者が協力して詠唱するものだ。
大魔術は、発動前の詠唱時にすら、魔力の変動で辺りに変化をもたらすと聞いているが、今魔術を詠唱しているのはリリア一人だ。それにも関わらずこれほど詠唱の余波を辺りにもたらすとはいったいどれほどの魔力が込められているのか。
これほどまでに魔術の発動の前兆が出ていては、相手の空賊も不振に思ったのか、こちらの様子をうかがう。
その隙をゴーレムは見逃さなかった。
長がリリアへと視線を向けた瞬間、空賊に飛び掛かかり、そのまま地面に押し倒す。
ゴーレムの重量はかなりのものなのか、空賊はもがくが抱き着いたゴーレムからは逃れる事ができない。
「本当に、いいのね?」
詠唱を完了したのだろう。リリアの口からこれで最後通告が告げられる。
これならば外す可能性は皆無だが、同時に確実にゴーレムを巻き込むだろう。
「いいわよ」
ルーベルの言葉を合図に、リリアが杖を振り下ろす。
その勢いで光の玉は射出され、一直線に長とゴーレムに向かう。行く手を阻むものは無く。長はゴーレムによって動きを封じられている。避けられるはずがない。
光の玉が命中するとともに辺りは昼のような明かりに包まれた。オリバーは眩しさから思わず目を背ける。
それが着弾による爆発だと気が付くと同時に、爆音が耳を襲い、暴風が全身を襲った。オリバーは咄嗟に腕で顔を庇う。目を閉じていてもはっきりと眩しさを感じ、尚且つ全身で熱のこもった暴風を受けていた。目を閉じた状態でも感じる、全身を襲う爆発の余波。時間間隔がおかしくなりそうだったが、気が付けば自然と眩しさを感じなくなり、風も収まっていた。どれだけの時間目を閉じていたのかは分からないが、オリバーはゆっくりと目を開けると、辺りには森の夜に相応しい静けさと暗闇が戻っていた。それでいて、リリアの言葉通り、長とゴーレムは跡形も無く消えている。
「凄い…」
結果を目の当たりにしたオリバーの口から率直な感想が漏れた。
いつもリリアが使っている火の玉が、光の玉に代わっただけ。見た目としてはそれほど変化は無かった。それでもリリアが意図的に詠唱し、威力を上げた魔術を使うとどうなるのか、その結果が今はっきりと目の前で示された。
これほどの腕をもつ魔術師をオリバーは見たことが無かった。
「ここまでやれば、仲間を呼ぶ小細工はされずに済みそうね」
ルーベルが爆心地となった場所を見つめながらそう呟く。そこには長とゴーレムの何れもいずれの姿も無く、あるのはただ、爆発によってむき出しになった焼け焦げた大地だ。
●
目が覚めた。そこは見たことのない場所だった。最初に眼に入ったのは天井だった。見渡すと四方には壁があり、そこが室内だと分かった。
自分は騎士団を支援する任務として、ミベラの森へ出発したはずだ。それが何故かベッドに寝かされている。誰かの家だろうか。首を動かして辺りを見ようとすると窓が目に入る。
ぼんやりとした視界でも、窓から光が差し込んでいるのは分かった。もう昼かと思ったのも束の間、すぐに暗くなった。どうやら今は夜のようだ。そうなると先ほどの光の正体は何なのだろうか。外で何か起きていたのだろうか。
何故目が覚めたのだろう。大きな音がしたような気がする。まさかさっきの光は何かの爆発だろうか。
嫌な予感がして起き上がろうとするが、上手く体が動かない。この感じは恐らく何か魔術をかけられている。
ぼんやりとした頭で記憶を掘り起こそうとすると声が掛けられる。
「あー、起きちゃった?」
聞き覚えのある声。声の方を見ようとするが、まだ目が覚めていないのか、あるいは魔術の影響か、焦点が合わない。
「あなたは寝てて」
その声から、敵意は感じられない。だがその声を聴いた直後、強い睡魔が襲ってくる。ぼんやりとした頭で、恐らくは魔術だろうとは予想はしながらも、その睡魔には抗う事はできそうにない。
「あの爆発はねーさんがやったって事でいいのかな」
意識が落ちる直前、ため息交じりのそんな声が聞こえた。
●
オリバー達三人は長を討伐した後、直ぐに隠れ家に戻る事にしたが、帰り道は特に何も起こらなかった。
長を倒した影響でオリバー達と戦っても勝てないと判断したのか、単純に動かせる駒が無くなったのかは分からないが、何にせよ空賊からの襲撃も無く、それ以外魔物による襲撃も無い。ただ三人で夜の森を歩いて戻ってきた。
そんな帰り道を経て、オリバー達が隠れ家に戻ると、出かけた時から特に変わった様子は無かった。だが、先ほどの戦いでオリバー達がこの隠れ家を出発した後に別動隊がこの隠れ家を襲撃していた疑惑が出ていた。
ルーベルは隠れ家に近づきながらその周辺を注意深く見定めていたが、オリバーと同様、変わった様子は見つけられなかったようだ。
それでもルーベルの疑問は晴れていなかったのか隠れ家の中に入ると、一階は明かりが消されたままであった。
ルーベルが灯りを付けるが一階の居間には誰も居ない。
「ギルス! いる!?」
外の様子に異変はなかった。本当に空賊の襲撃があったのだとしたら最悪ギルスの命は無いかもしれない。まずはギルスの安全確認を行うのが最初だとルーベルは考えたのだろう。
まだ夜だ。当然隠れ家の中も暗い。そんな中に気の抜けた声が返ってくる。
「ああ、いるよ」
そう言いながらギルスが二階から降りてきた。ギルスの様子はいつもと変わりはない。
「私たちが出てた間何もなかった?」
本当に空賊からの襲撃があったのであれば、隠れ家に残っていたギルスが知らないはずがない。
「いや、何か気が付いたら寝ててさ、さっき起こされたんだけど、何がすごい爆発があったんだって?」
何もないどころか、寝ていたというのはどういう神経なのかと一瞬オリバーは思ったが、元々空賊の二回目の襲撃は想定していなかった。今は深夜であり、特に何もすることが無いのであれば仕方が無いのかもしれないと思い直した。
「寝てたって、この状況で良く寝れるわね」
そう言ったのはリリアであった。先ほどまで長と戦闘をしていた側としては、いくら隠れ家に残っていたとはいえ、寝ているというのは呆れるのが普通の反応なのだろう。
「ヴァネッサはどこ?」
そう聞き替えしたルーベルの声は、どこか緊迫感が込められていた。まるでルーベルはヴァネッサが何か悪さをしたのではないかと疑っているかのようだ。
「ああ、あの二人の人間を見てるよ。起きないように見張ってるってさ」
そう言ってギルスは二人の人間が収容されている部屋を指さす。
ミランダと、まだ名前も知らない魔術師。二人はこの隠れ家に運び込まれたが、目を覚ますと面倒になるという事で、ヴァネッサの魔術で寝かされている。よって彼女が二人が起きないように見張るというのはおかしな事ではない。
「ヴァネッサ! 来なさい!」
ルーベルの声に応じるようにヴァネッサが人間二人を寝かせている部屋から出て来る。
「あんまり大きい声を出さないで。二人が起きちゃうよ」
ギルスが言った通り、二人の人間が起きないか見張っていたのだろう。ルーベルの声の大きさで二人が起きてしまう事を気にしている。
「あなたがギルスを寝かせたんじゃないの?」
ルーベルは部屋から出てきたヴァネッサを見るなり、自身が持っていた疑問をぶつけた。
確かに睡眠魔術を使えるヴァネッサであれば、ギルスを寝かせる事も可能だろう。
「言いがかりだよ」
ヴァネッサは、怒るでも驚くでもなく、ただ事務的に質問を返した。
「あなた睡眠魔術使えるでしょ。あの人間にも使ってたじゃない」
ルーベルはヴァネッサがミランダに同伴していた魔術師に対して睡眠魔術を使うところを見ている。
「そうだね。でもそれとこれは別」
ヴァネッサも昼間の事は覚えていたのだろう。睡眠魔術を使える事自体は否定しなかったが、ギルスを寝かさた事は否定した。
「あんたギルスを寝かせた間に何かしてたんじゃないの?」
オリバー達が長の討伐に言っていた間、隠れ家に残っていたのはヴァネッサとギルスのみ。ヴァネッサがギルスを寝かせてしまえば、ヴァネッサはこの隠れ家の中を自由に動き回る事ができる。
家主としては留守の間に何かされたのではないかという心配をするのは当然の事かもしれない。
「帽子が勝手に寝ただけだよ」
ヴァネッサはそれを否定する。ヴァネッサとある程度付き合いのあるオリバーとしては、ヴァネッサがわざわざギルスを寝かせて、この家の中を荒らすような真似はしないだろうと思っていた。
ヴァネッサ本人が否定しており、証拠がない以上、これ以上の決め付けはどうかと思い、オリバーは話を切り替える事にする。
「ヴァネッサ、ミランダとあの魔術師は大丈夫なのか?」
オリバー達はまだ直接は見ていないが、ヴァネッサが先ほどまで居た部屋には二人の人間が寝かされている。ヴァネッサはオリバー達が戻ってくる直前まで、あの二人の様子をみていたはずだ。
「まだ寝かせてあるよ。起きたら説明するの面倒でしょ」
一方のヴァネッサもルーベルの相手を面倒だと思っていたのかオリバーが振った話題に乗り換えて来る。
それを聞いたルーベルは無言でオリバーの事を睨んでいたが、話題を戻そうとはしなかった。証拠がないため、ヴァネッサへの追及は諦めたのだろう。
「ところで、俺たちが出発した後に、もう一度ここに空賊が来なかったか?」
そしてオリバーは本命の話題に切り替える。人間二人は寝ていて、ギルスすらも寝ていた。となると起きていたのはヴァネッサ一人となるため、長と戦った時に予想していた隠れ家への襲撃の有無を知っているのはヴァネッサだけだ。
隠れ家やその周りに異変は見当たらなかったが、隠れ家に残っていたヴァネッサから直接話を聞く必要がある。
「来たね」
ヴァネッサはまるで大したことが無かったかのように、そう答えた。
「大丈夫だったのか?」
見た所ヴァネッサは怪我をしている様子は無いし、ギルスも無事である。結果だけ見れば大事には至らなかったのだろうが、ヴァネッサは治癒魔術が使える。激闘の末に治癒魔術で怪我をなおしただけなのかもしれない。
「襲ってくるかと思ったら、直ぐに帰ったよ。だから戦闘にはならなかったよ」
つまり、空賊は襲撃しようとしたが未遂に終わった。ヴァネッサは空賊の接近には気が付いたが戦闘することなく相手が退却したというのか。
「戦闘にはならなかったのに引き返したって、どういう事だ?」
近くまで来ておいて、結局襲撃はせずに帰るというのは奇妙な話であるが、ヴァネッが自分の考えを口に出す。
「そっちが長と戦い始めたから、助けに行ったんだと思うけど」
確かに、オリバー達三人が、長と戦っていたところに、まるで助けに来たかのように、あの空賊たちが現れた。
「ギルスは大丈夫だったのか?」
ギルスも怪我をしている様子はないため無事である事は事実なのだろうが、それでもオリバーは、本人から覚えている限りの事を聞きたかった。
「あー、僕はこの隠れ家の近くに空賊が来たところまでは起きてたんだけど、その後に寝ちゃったんだよね」
空賊がこの隠れ家に接近した事はギルスも気が付いたらしい。
「そのタイミングで寝る?」
ルーベルが再度疑いの声を上げる。それも当然だろう。敵が襲ってきたのを分かっていた上で寝ると言うのは考えにくい。
「いやあ、実際寝たからね。僕の記憶では寝る前に空賊がこの隠れ家の近くまで来ていたけど、起きたら引き上げていた。それだけだよ」
ギルスに嘘をついている様子は無い。しかしそのタイミングで寝たと言うのは不自然であり、寝ていた間に何があったかはヴァネッサしか知らないという事になる。
「ますます怪しいわね、やっぱりギルスを魔術で寝かせて、その間に何かしたんじゃないの?」
どうやらルーベルはまだヴァネッサの事を疑っているようだ。ギルスが眠ったタイミングを聞くと、オリバーもギルスが寝たタイミングを聞いたら、ヴァネッサが何かしたのではないかという疑いを持ち始めた。
「何かって?」
当のヴァネッサは身に覚えが無いようだ。
「何かよ」
ルーベルとしても証拠がある訳ではない。何か物がなくなっている、物が壊されているといった明確な異変があったのであれば、ヴァネッサが悪さをしたと断言したかもしれないが、今はただギルスが不自然なタイミングで寝たという状況のみ。
オリバーも今の時点でルーベルがヴァネッサを疑うのは理解できるものの、今までヴァネッサとある程度の時間行動を共にしてきた仲間として、悪事を働く事はないと予想していた。
もちろんギルスが寝たタイミングを考えれば、ヴァネッサが睡眠魔術を使った可能性は否定できないが、仮にそうだったとしても、それはヴァネッサがオリバー達に危害を加える意図は無かっただろう。リリアがリリア自身の過去を、オリバーに話すのを躊躇したように、誰にでも周りには知られたくない秘密がある。ヴァネッサにもそのような秘密が一つや二つぐらいはあるのだろう。
それが何か気にはなるところではあるが、この場で聞いたところで答えないだろう。疑問を疑問のままにするつもりは無いが、質問するタイミングもまた重要である。今はまだその機会では無いとオリバーは考えていた。
幸いにもオリバーには今夜ヴァネッサと二人で会話ができる機会が用意されている。本人に直接聞くのであればそのタイミングだろうと、オリバーは決心した。
それは同時に、これ以上この場でヴァネッサを問い詰める必要は無くなった事を意味する。よってここは再度話題を変える事にした。
「ギルス、フィアンセの治療は今からできるのか?」
そもそもの話として、フィアンセの治療中に空賊から妨害をされないために、先ほど長を倒したのだ。長を倒した今となっては、準備さえできれば治療を始めてもいいはずだ。
またしても露骨に話題を変えたオリバーを、ルーベルは無言で睨んでいたが、話を戻そうとはしなかった。
「ああ、ホムンクルスの準備さえできれば、僕はいつでもいけるよ。そういえば、長は無事に倒せたのかい?」
そういえば、隠れ家に残っていたヴァネッサとギルスには、まだ長を討伐した事を話していなかった。
「ああ、無事に倒せたよ。ここに戻ってくる間も何も起こらなかったから、もう空賊は襲ってこないと思う」
今更ながら、オリバーは自分たちの戦果を報告する。
「そうか、じゃあルーベルもそれでいいかい?」
恐らく一番フィアンセの治療を望んでいるギルスは、長の討伐成功の知らせを聞いて、今すぐにでも治療を開始したいようだ。
とはいえ、治療を行うためにはホムンクルスを使う必要があり、地下の研究室を開ける必要がある。それができるのはルーベルだけだ。
「できるけど、本当にこんな深夜にやるの?」
ルーベルは出来ない事はないが今は避けたいといった様子だった。今はまだ万全な状況ではないという事だろうか。
「ああ、早い方が良い。長を倒したといっても、奴らはこの場所を知っている。奴らがもう一度来る可能性が無くなったわけじゃないんだろう?」
ここを襲ってきた空賊達を倒したのは事実としても、この場所が空賊達に知られてしまっているのもまた事実だ。ルーベルが言っていた遠隔で操作をしている指揮者が、新たに別の勢力を送り込む判断をするかどうかは分からない。死体の確保を恐れている指揮者が、再度別の勢力を送り込む可能性は低いとルーベルは予想していたが、それはあくまで予想である。ギルスとしては長を撃破した直後の今が最も安全な千載一遇の機会と見て、今すぐにでも治療を始めたいようだ。
「あなたね、あなたは寝てたから元気なのかもしれないけど、こっちは遠出した上に戦闘の後なのよ。まあ、私はできるけど、リリアも今からで平気?」
確かに隠れ家に残ったギルスとは違いルーベル長を討伐するために出かけていた。オリバー達と合流する前も、長を追うために森の中を捜索していたのだから、実質一日中で歩いていたのだろう。疲れているというのは無理もないが、ここはギルスの意見を優先するようだ。
また、治療をする魔術を使う上ではリリアの協力も必要であり、リリアも魔術を使うことになるため、リリアの意思確認も必要になる。
「私は平気よ」
ルーベルとは異なり、リリアは特に嫌がる素振りを見せなかった。
「結構な大魔術を使ったように見えるけど、平気なの?」
長とゴーレムを跡形も無く吹き飛ばすような魔術をリリアは使った。それを見たルーベルがリリアの調子を気に掛けるのは当然のことかもしれない。
「あの程度の魔術を一回使ったぐらいなら何ともないわよ」
一方のリリアは平然としている。それがリリアの個人的な才によるものなのか、魔族としてのポテンシャルから来るものなのかはオリバーには分からないが、どちらにせよリリアはこのまま治療のために魔術を使っても問題なさそうだ。
「じゃあ今からやりましょうか。まずはホムンクルスを二階に移動させるから手伝って」
そういえば、治療の場所はこの家だとは聞いていたが、この家のどこでやるかまでは聞いていなかった。
「地下室で治療はできないのか?」
確かホムンクルスを培養液から出した後には、ホムンクルスの鮮度を保つために速やかに治療を行わなければならないと言っていた。それであるならば移動させるよりもその場で治療した方が良いのではないかとオリバーは考えた。
「ダメよ」
それをルーベルはあきれ顔で否定した。
「何でだ? 培養液から出したら直ぐに治療を始めた方がいいんじゃないのか?」
直ぐに治療を始める必要があると言っていたにもかかわらず、わざわざ移動させる事に時間を割くというのには若干の違和感があった。
「門の魔術を見た事ないの? あの魔術をつかったら余波で風が起きるのよ。地下室であんな魔術使ったら危ないわよ」
ルーベルは当たり前の事を聞くなと言った感じであった。
言われてみれば以前ギルスに魔術を見せてもらった時は屋外であり、あの時も門からかなりの風を感じた。
「そうか。そう言えばそうだったな」
あれを地下室で使うと、最悪の場合地下室が崩れるかもしれない。そう考えると、二階に移動させた方が安全なのだろう。
「分かったらホムンクルスを移動させるから、手伝って」
そう言ってルーベルは地下室へと向かった。
●
ホムンクルスを運んだのはギルスだった。それが自分のフィアンセの新しい体になるからか、ギルスは自ら運ぶ役を買って出た。
ほかの四人は扉を抑えたりすることで手を貸したがギルスの労力に比べれば微々たるものだろう。
そして今、ギルスが二階まで運んできたホムンクルスをベッドの上に寝かせた。
当然ながら、そのホムンクルスはまだ生きている。寝ている状態で目は覚まさないが、一定の間隔で腹部が僅かに上下する事から呼吸をしているのが分かる。ギルスはそのようすをしまし見つめていた。これから自ら命を奪う事になるのだ。少なからず思うところがあるのだろう。だがそれも長くは続かず、意を決したのがリリアの方に向き直った
「じゃあ予定通り、僕が門を開くから、開いた後はその門を開く状態を維持してくれ」
ベッドに寝かされたホムンクルスは、何も知らずに、かすかに寝息を立てている。これから起きる事を考えれば、彼女は起こすよりも寝かせたままの方がいいであろう。
「分かったわ」
そんなホムンクルスの様子を一瞥し、リリアは魔術を使う準備としてギルスの横に立った。
リリアの返事を聞くと、以前見た通りギルスが自分の顔の前に手をかざし、ブツブツと呪文の詠唱を始めている。声の大きさが小さかったためオリバーの耳には具体的な詠唱は聞き取れなかったが、やがて詠唱が終わったのか腕を前方に突き出し、掌を広げて魔術を発動させた。
「開け!」
以前見た時と同じように、ギルスがかざした掌の前で魔力で編まれた門が生成され、空間が裂け、観音開きの形で手前に開き、その中には白と黒の光が入り混じった不思議な光景が広がっている。
魔力で編まれた門は淡い光を放ち、真夜中の室内を照らしあげるが、それ以上に空間が裂けた影響か、室内には風が吹き荒れ始めた。
「もう代わる?」
リリアの役目は門が開いた状態を維持する事である。既に門は開いた。この状態で門の制御を引き受ける事も、リリアには可能だ。
「まだだ、マリルが応えるまで…」
次元をこじ開けている反動か、室内にも関わらず絶え間なく空気が荒れ狂い、まるで強風が吹いているかのようだ。
この魔術はこの場所とマリルが居る場所を繫ぐ魔術であり、二人一組で初めて成立する魔術。つまりマリルがこの魔術に応えなければならない。
マリルが門を開くまではリリアに制御を渡す事は出来ないようだ。
ここにきてオリバーは思い出す。果たしてマリルは今ここでギルスがこの魔術を使って彼女に連絡を取ろうとしている事を知っているのだろうか。まさかギルスが連絡をするのを忘れていて向こうが気が付いていないという事態になっているのではないか。
相手の命が掛かった重要な治療だ。いくらギルスといえどもそんな間抜けなミスはしないだろう。オリバー達が出払っている際にマリルに連絡を取ったのだろと思い、先ほどのギルスの言葉を思い出す。
そもそもギルスは先ほど起きたばかりだと言っていた。そして、ギルスに長の討伐を伝えたのはギルスが起きた後だ、当然、このタイミングで治療を行う事を決めたのは、長の討伐を伝えた後だ。そうなると、マリルと連絡を取る機会がどこにあったのだろうか。まさか、最初に心配した通り、マリルは今このタイミングでこの魔術が使われている事を知らないのではないか。
オリバーはその疑問を口にしようとするが、その機会は失われる。
亀裂の向こう側に広がっていた異次元の空間にさらに亀裂が走り、さらに向こう側へと開かれ異次元の空間の向こうに別の現実世界が広がる。
その向こう側には一人のエルフの女性が立っており、ギルス同様掌をこちらに向かってかざしていた。
恐らく向こう側でも空間接続の魔術を使ったのだろう。
その女性の容姿はホムンクルスと完全に一致している。あの女性の髪の毛からホムンクルスを培養したとは聞いていたが、双子と思えるぐらいであった。
あのエルフを元にホムンクルスを作ったのであれば、それも当然だろう。
ギルスから病気とは聞いていたが、顔色は悪く、かなり無理をして魔術を使っているのだろう。今にも倒れそうである。
状況から考えて、あれがマリルだろう。
彼女の目線がギルスと合う。そしてすぐにその横に立っているリリアに向かい、彼女の表情が曇った。リリアの事を伝えていないのだろうか。
「リリア! 任せるよ!」
しかし今はそのような事を気にしている場合ではない。ホムンクルスの鮮度が落ちる前に治療を行う必要があるのだ。ギルスが門の制御をリリアに引き渡す。
室内には暴風が吹き荒れているため、自然と声が大きくなっている。
「分かったわ!」
リリアが門に向かって手をかざすのを見るとギルスは手を再び眉間に当てて再度詠唱に入る。
その詠唱にはさほど時間は掛からなかった。
「ソウルハンド!」
以前見た時と異なり、ギルスの背中から生えた手は一本ではなく二本だった。そのうちの一本がホムンクルスへと伸び、その魂を引き抜く。
さらにもう一本は門を通り抜けてマリルへと向かい、その魂を引き抜いた。魂の抜かれたマリルの体はその場に倒れ込む。彼女がいる部屋には彼女一人しかいないようだ。そして、地面に倒れたマリルの様子を見て、オリバーはふと気が付く。よく見てみれば、彼女が居る部屋の内装は、この隠れ家の内装によく似ている。エルフは似たような建物を好むのだろうか。
加えて置いてある家具、例えばベッドも同一のデザインに見えるが、偶然なのだろうか。
いや、似ていると言っても微妙な違いがある、こちらの内装と比べて、向こう側は少し明るい雰囲気がする。それは門から魔力の残滓として光が溢れているせいだろうか。
オリバーがそんなことを考えている内に、マリルの魂を手に持った手は素早く門からこちら側への引き戻され、その勢いのままホムンクルスの体にマリルの魂を植え付けた。
そして、ホムンクルスの横にいたルーベルが何かを唱えるとホムンクルスの体が薄く光り始めた。
ルーベルの話によると。ギルスの魔法では魂を抜き取る事と、魂を植え付ける事はできるものの、本来とは別の体に別の魂を定着させるには、別の魔術が必要であり、その魔術はゴーレムの研究をする際にルーベルが習得したらしい。
それが今ルーベルが使っている魔術である。
この魔術は魂を植え付けた直後に使う必要があり、そのためルーベルは門を開く手伝いをするのは出来なかったという。
「終わったわ」
光が収まると同時に、ルーベルはそう言った。
引き抜かれていたホムンクルスの魂は、ソウルハンドが、拘束を緩めるとその隙間から空中へと逃げるように移動するが、直ぐに空中に溶けるように消えてしまった。
分かっていた事ではあるが、それはマリルを助けるためには避けられない事。マリルを助けるために、ホムンクルスの体を維持していた疑似魂魄が消滅したのだ。
それは触れてもどうしようも無い事だと諦めていたのか、消えていった疑似魂魄については誰も言及しなかった。
「リリア! もう大丈夫だ!」
ギルスの合図にリリアが手を下すと、門は音を立てて閉まり、元の何もない空間へと戻った。同時に室内に吹き荒れていた暴風も収まった。
全員がマリルの治療のために使用していた魔術の発動が収まり、室内は静けさを取り戻したが、その静寂はギルスの声によって直ぐに破られる。
「マリル!」
ギルスがマリルの魂を入れたホムンクルスに駆け寄り声を掛けるが反応はない。
「まさか失敗したの?」
ギルスの呼び声に反応がない様子を見て、リリアがその疑問を口にする。
「僕の魂の引き抜きと、挿入は手ごたえがあったけど、ルーベルはどうだい?」
そう言いながらギルスはルーベルの方を見る。
「私の魂を定着させる魔術も成功したわよ。定着には時間がかかるからしばらくは目を覚まさないかと思うけど、今は正常に呼吸をしてるし、待つしかないんじゃないかしら」
いくら魔術が成功したとはいっても、意識を取り戻すには時間が掛かるようだ。
「時間が掛かるって具体的にどれぐらい? まさか年単位かかるなんて言わないよね?」
傍で一連の治療を無言で見ていたヴァネッサがここに来て初めて口を開いた。
「一日もあれば大丈夫じゃないかしら」
ルーベルとしても断言はできないのだろう。あまり自信がなさそうな言い方だ。
「つまりこの治療が本当にうまくいったか分かるのは、早くても明日って事?」
ヴァネッサの語気には非難のニュアンスが含まれているように感じられた。オリバーとしても治療の結果は直ぐに分かる物だと思っていたが、同時に一日ぐらいは待てばいいだろうとも思っていた。
「そうなるわね」
それ以上の事は言えないのか、ルーベルが手短に答えた。
「明日までにフィアンセを連れて逃げるなんてマネしないよね?」
そう言いながら、ヴァネッサは視線をギルスに移す。相変わらず、ヴァネッサはギルスの事を信用していないようだ。
「そんな事はしないよ」
ギルスが苦笑いしながら答える。
オリバーとしてもギルスがそこまでするとは思っていない。ヴァネッサの考え過ぎではないだろうか。治療が無事終わり、あとは待つだけだと考えると気が抜けて眠気が襲ってきた。
「あとは見守るだけなら、俺たちはそろそろ寝てもいいか?」
そう口にしたのはオリバーだった。治療自体は見ていただけだったとはいえ、今日一日はかなりの距離を歩いたし、何度か戦闘もあった。疲れで眠気が襲ってくるのは当然だろう。
「そうだね。僕も今の魔術で疲れたよ」
真っ先にギルスが賛同する。
皆疲れていたのかその意見に反対する者はなく。ルーベルにあてがわれた部屋でそれぞれ就寝する事になるのだが、オリバーにはまだ仕事が残っていた。
日中にヴァネッサから、今日は血を吸いに行くと言われている。
それを忘れるなと言わんばかりの、ヴァネッサの視線を、オリバーは感じていた。
次話は11/18に投稿予定です。




