[3-16] 追跡
ギルスは弓使いであり、夜の闇の森の中での戦闘は不利と判断してこの隠れ家に残る事を選んだ。
相手の体は固く、普通の矢では貫くのは難しいだろう。先ほどの一矢で魔術で強化された鏃であれば相手の体を貫通させる事は証明されたが、同時に矢を一本当てたぐらいでどうにかなる相手ではない事も証明された。普通の狼型の魔物であれば、一本の矢で即死させる事は出来なくとも、致命傷にはなったはずだ。
一方であの魔物は自らの足でこの隠れ家から逃亡した。果たして矢で倒そうとすれば何本必要になるのかは想像もつかない。そのような相手に対し視界の悪い夜の森で弓を使って戦うのは自殺行為だ。
戦うのであればオリバーの様に魔剣を持っているか、リリアのように魔術を得意としていなければ、一匹を倒す事すら出来ないだろう。それでいて相手は群れで行動する。今ギルスがこの夜の森に出ていけば、日中に保護した人間達と同じ末路を辿るのは容易に想像が付いた。
ギルスは隠れ家の二階にある一室の窓から外を見ていたが、その顔は穏やかではなかった。
オリバー達が出発してから、そうしばらくしない内にギルスが異変に気が付いた。
「ちょっといい?」
声がした。驚いて向くとそこにいたのはヴァネッサだった。ギルスが驚くのは無理もない。彼女が声を発するまで、物音ひとつしなかったのだ。足音も聞こえなければ、部屋の扉を開閉する音もしなかった。
「え、どうやって入ったのかな」
ヴァネッサの質問に答えるよりも先に、その疑問が口から出ていた。
「普通に」
それが当たり前であるかのようにヴァネッサは言う。
「ああ、そう」
確かに鍵は掛けていなかった。普通に入ったと言われれば否定はできない。扉を開閉する音がしなかったからと言って、扉を開けずに入った等と言う考えは常識外れだろう。
「それより、外見た?」
ヴァネッサもギルス同様に外の異変を感じ取っていたようだった。
「見たけど、なんか新手が来てない?」
「みたいね」
オリバー達は負傷した一体を追っている。
もしも、相手がこちらの人数を正確に把握していると仮定するのであれば、オリバー達三人が出発したのを見届けたとしても、この家に他の者が残って言えることは分かるだろう。口封じが目的である以上、ここに残っている者を倒しに来たという事だろうか。
「あのさ、僕の弓矢は効果薄いんだけど」
先ほど一矢当てたとはいえ、あれは追跡用の石を打ち込んだに過ぎない。相手を倒そうとすれば、何本当てればいいかは想像もつかない。
「しってる」
ヴァネッサは、面倒くさそうに答えた。彼女もギルスが放った矢が当たったところを見ていたのかもしれない。
「お嬢ちゃんは戦える?」
それが分かっているのであれば話が早い。今この隠れ家で動けるのはギルスとヴァネッサだけだ。ここは協力してこの危機を乗り切らなければならない。
残念ながら、ルーベルは第二波攻撃の事は想定していなかったのか、ルーベル達が戻ってくるまでの間に再び魔物が襲撃してきた場合の対処については何も言っていなかった。
「戦う必要ある?」
ヴァネッサの態度はそっけない。先ほど自衛のためになら戦うが、それ以上はするつもりはないと宣言していたのだから当然なのかもしれない。
「いや、お嬢ちゃんも危ないよ?」
ルーベルの予想が正しければ、魔物の目的は目撃者の口封じだ。再度あの魔物がこの家に押し入ってきたら、今この隠れ家に居る者全員の命が狙われるだろう。
「ゴーレムは?」
ルーベルは森の中にゴーレムを配置している。二度も襲撃を受けるというのは一体ゴーレムは何をしているのかと言う趣旨の質問だろう。
「相手をここに来させるためにあえて隙を作る様に配置するって言ってたから、そこから入って来たんじゃないかな」
ミランダに破壊され数が減っていた事もあるが、今日は作戦上あえて魔物にこの家にまで来させる事を想定していた。わざと侵入しやすいような配置にしているとルーベルは言っていた。
「この隠れ家にはいないの?」
侵入を防ぐために森の中にゴーレムを配置するとして、万一この隠れ家まで侵入者が来た場合を想定して、この隠れ家にはゴーレムは置いていないのか。
「ゴーレムが置いてあるのは森の中だけだよ。家の中に置くような使い方はしてない」
この隠れ家はルーベルが研究を行うための場所である。この家に直にゴーレムを置くと研究の邪魔になると言って、ルーベルはこの隠れ家にゴーレムを配置しなかった。
「じゃあ、戦えるのは帽子だけって事?」
ようやく、ヴァネッサもその認識に至ったらしい。とはいえそれでもヴァネッサ自身を頭数に入れるつもりは無いらしい。
「そうなるね。それともあの二人を起こして戦わせるかい?」
ヴァネッサの魔術で眠らされているミランダと、彼女に同伴していた魔術師。この二人を起こして戦力として扱うのであれば、少しは事態が好転する。
「それはダメだよ。後が面倒になる」
しかしそれはヴァネッサに直ぐに否定された。いくらオリバーが不在とはいえ、あの二人を起こすのは不味いようだ。確かにヴァネッサもギルスもオリバーと一緒に居るところをミランダに見られているし、あの魔術師にもヴァネッサとギルスがオリバーの関係者である事は悟られているだろう。
この状況で二人を起こして戦わせるにしても、あらぬ誤解を招く可能性が高い。
「でもこのままだと、この隠れ家に侵入されるよ」
そうは言っても、このままでは魔物に隠れ家に侵入されるのは時間の問題であり、そううなれば生きるか死ぬかの話になる。特にあの二人については魔物の襲撃があるにも関わらず寝かせておくというのは見殺しにするようなものだ。
「馬鹿ね。ここを手薄にするなんて」
確かにここに護衛用のゴーレムをこの隠れ家に集結させれば、オリバー達が戻ってくるまで持ちこたえる事は出来たかもしれないが、今それを言っても仕方がない。
「ルーベルも第二波が来るとは思ってなかったんじゃないかな」
ルーベルにとってギルスをこの隠れ家に残したのは留守中にヴァネッサがおかしな事をしないか見張らせるためであり、魔物の襲撃に備えての事ではない。一度撃退し、ルーベル達が追跡する段階になった後で、もう一度別動隊がこの隠れ家を襲撃しに来るというのは想定していなかったのだろう。
「どうするの?」
二人の人間を起こすのは無し。ゴーレムも無し。そのような状況下で一体何が出来るというのか。
「戦うしかないよ。どうせ逃げられないし」
この隠れ家から逃げ出したところで、逃げ切れるとは思えない。夜の森には何体の魔物が潜んでいるのか分からないのだ。仮にギルス一人で逃げ出したところで、安全地帯となる村までたどり着けるとは思えない。
何よりここから逃げるというのは人間二人を見殺しにするという事だ。そうなればオリバー達との協力関係は破綻し、マリルの治療が行えなくなる。そうなってしまえば本末転倒だ。
「そうなんだ」
ギルスからすればかなり危険な状況ではあるのだが、ヴァネッサはまるで他人行儀な様子だ。
「お嬢ちゃんはどうするんだい? まあ、逃げるか戦うかしかないと思うけど」
本人は戦うつもりは無いと言っているが、まさかここから一人で逃げるつもりなのだろうか。ヴァネッサとオリバーの関係性については、ギルスとしても測りかねているところがあるが、ヴァネッサであれば一人で逃げる事はあり得るのではないかと考えていた。
「そうね」
この先生きるか死ぬかの展開になるかもしれないと言うのに、相変わらずヴァネッサは危機感からは程遠い生返事が返ってきた。彼女にはこの状況を抜け出す算段があるのだろうか。
何よりギルスが気になるのは、逃げるとも、戦うとも明言しなかった点だ。それはどちらにするか悩んでいるという事なのだろうか。
「そういえば、お嬢ちゃん、このまえガエラと戦った時も結構いい立ち回りしてたね」
藁にもすがる思いでギルスはヴァネッサに話を振る。ヴァネッサの本職はシスターであるが、その手に持っている杖は仕込み杖であり、剣士顔負けの剣の腕を見せていた。ヴァネッサが共に戦うと言うのであれば、この状況を打開できるかもしれない。
そしてギルスは今日知った事であるが、ヴァネッサは吸血鬼である。昼間ですら並の人間よりも良い立ち回りをしていた彼女が、完全に落ちた今本気を出せばどうなるのか。
「この際聞いておくけど、あなたは恋人の命を救ったら、その後の事は考えているの?」
今の状況でこの際等と言われると。まるでこの後死ぬかもしれないと言われているような気になってしまう。それとも返答次第によっては手を貸してくれるという事なのだろうか。
ギルスは後者である事を期待しつつ、その質問に答える。
「それは、約束通り、君達と行動を共にするよ」
それは以前約束していた事だ。フィアンセを助ければ、その後はギルスはオリバー達と行動を共にする。その考えは変わっていない。
「何のために?」
ヴァネッサはさらに深い事情を知りたいようだ。
「そういう約束だからだよ」
元々していた約束を守る。ギルスにとってはそれだけの話であった。
「それだけ?」
ギルスの言葉が信じられないのか、なおもヴァネッサは質問を続ける。
「他に何があるんだい?」
どうやら、ヴァネッサはまだ裏に何かあるのではないかと疑っているらしい。
「フィアンセに治療が必要な理由は?」
もしかすると、ヴァネッサはギルスがフィアンセの治療が終わった後にオリバー達に同行する事にしたのは、マリルの利用に原因があると思っているのかもしれない。
「病気だよ」
この話は以前ギルスからオリバー達にしており、その場にはヴァネッサも居たため当然ヴァネッサも知っている筈だ。一体ヴァネッサは何を疑っているというのか。
「病名は?」
そこまで言われて、ヴァネッサが何を疑っているのか、ギルスは察した。
「あー、そこまで疑う?」
それに対し、ギルスは苦笑いで返す。
「一度も姿を見てないんだから当然でしょ」
確かにヴァネッサには、まだマリルとは対面させていない。しかしながら今の状況でギルスが言っていたこれまでの話を証明するのは難しい。
「この戦いに勝てば会えるから、それで勘弁してくれないかな」
病名を気にするというのは、つまりは病気自体が嘘なのではないかと疑っているという事だ。ギルスそれを否定しつつ、しかし実際の病名は明かさない。
「本当に会えるの?」
病気どころか、マリルの存在すら疑っているようだ。一度も会っていないのであれば、疑われるのは仕方がないのかもしれない。
「会えるって。まあ、ここを切り抜けられたらの話だけどね」
森の中には何体もの魔物が潜んであり、この隠れ家に迫っている。まともに戦えば勝機は薄い。目前に迫っている魔物をどうにかしない限り、マリルの治療どころではない。
「あのホムンクルスが移動できないのは分かったけど、フィアンセはこっちに来れなかったの?」
ホムンクルスは培養する設備がこの隠れ家にあるために動かせないと言うのは、この隠れ家に来てから、マリルが説明した事だ。
「出来ないよ。重症なんだ。移動できない」
では治療の対象であるマリルはどうなのかと言うと、彼女もまた動かせない状態になる。それはまだ説明していない話であった。
「移動できないぐらい重症なのに、空間接続の魔術は使わせるの?」
重症のマリルに魔術を使わせるという点に、ヴァネッサは違和感があるようだ。
「あの魔術は二人一組で使う魔術だから、そうなるね」
空間接続の魔術は、二人の術者がそれぞれ生成した門を繫いで空間を繫ぐ特性から、マリルも魔術を使う必要がある。
「あの魔術を使うのは、体の負荷が大きいみたいな事言ってなかった?」
以前ギルスが空間接続の魔術を、一人で試しに使った時の話をしているのだろう。確かにあの魔術は大量に魔力を消費するため、術者の体に掛かる負荷も大きい。
「他に方法が無い」
ヴァネッサの言う通り、空間接続の魔術は体の負荷が大きく、本来であれば重症者に使わせるような事はしない。しかしだからといって、ギルスはこのまま何もせずに諦めるつもりはなかった。
「このまま死ぬぐらいなら、助かる方法を試すって事?」
どうやら、ヴァネッサもギルスの考え方を分かってくれたようだ。
「そういう言い方もできるね」
ギルスはフィアンセであるマリルを助けたい。その気持ちに嘘偽りは無い。
「言い方ね」
ヴァネッサの含みのある返事は、何か納得していないような表情であった。
「そんなにおかしな事かい?」
自分の近しい相手。親密な相手を助けたいと思う事がそれほどおかしな事だろうか。空賊との戦闘を拒否した時も、報酬がなければ戦わないと宣言していたが、ヴァネッサの行動理念には現金主義でもあるのだろうか。
「ううん、ただ一つ気になって」
少し勿体つけるような言い回しに、ギルスは釣られるようにして聞き返す。
「何がだい?」
何か今の説明でおかしな所があっただろうか。
「どうしてホムンクルスを作るのにこの場所を選んだの?」
確かに、マリルの療養場所の近くで、ホムンクルスの培養を行えば、このような面倒な事は起こらなかった。
「それは、ルーベルに聞いてもらえるかい?」
しかしこの隠れ家を作ったのはルーベルであり、ギルスではない。
「まあ、そろそろ時間も無いからこれ以上の追及は止めておくよ。そっちも話すつもりは無いみたいだし。それで、あいつらを倒せる?」
随分と時間を取ってしまったが、ギルスとしても魔物が接近してきている事は分かっていた。
「無理だと思うよ。僕一人で戦ったらね」
さらに敵の数からして、ギルス一人で戦っても勝機が薄い事も分かっていた。
「逃げないの?」
戦わずに逃げるというのも選択肢としてはある。しかしそれはギルスにとって選べる選択肢ではなかった。
「残念だけど、僕はルーベルと違って隠密魔術は使えないんだ。まあ、使えたとしても二人の人間がこの隠れ家に居る以上は見捨てられないよ」
夜の森に出る危険性は、この隠れ家に残る事と変らない上に、仮に逃走に成功したとしても、その後の事を考えると、悪手である。ギルスはマリルの治療を行うためにオリバーと契約をし、貸しを作った。それを台無しにし、恨みを買うような事を行えばマリルの治療を行うどころではなくなる。
「死ぬつもり?」
相手がルーベルの予想通り、口封じを目的としているのならば、降伏は認められない。そもそも意思疎通のできる相手である保障は無い。戦ったら恐らくギルスは死ぬだろう。
「そうなるかもね。でも、ルーベル達が戻ってくるまで持ちこたえるのを信じて戦うしかないよ」
望みがあるとすれば、長期戦に持ち込みルーベル達が戻ってくる事だ。そこに賭けるしか生き残る道はない。
「そうなんだ」
ギルスにとっては分の悪い賭けをするしか、この状況で生き残る道は考えられなかった。その意見を聞いてもなお、ヴァネッサは他人事であるかのような返事であった。
「お嬢ちゃんはどうするつもりなんだい?」
あまりにも冷静なヴァネッサにギルスは若干の違和感を覚えた。ギルスとしては生きるか死ぬかの瀬戸際の状況だ。しかしヴァネッサの様子はいつもと変わらない冷静だ。まるで今置かれている状況が、大した問題では無いと言っているかのようだ。
「そうね」
質問の答えになっていない言葉を口にしつつ、ヴァネッサはゆっくりとギルスに向かって近づき始めた。その不気味さに無意識にギルスは後ろに下がって距離を取ろうとする。
「どうかしたのかい?」
ギルスはその台詞を言っている内に、ヴァネッサからこの部屋を訪れた事を思い出した。この先どうするかの相談をしに来たのかと思ったが、それ以外でギルスに用があったのだろうか。
「大したことじゃないよ」
またしてもヴァネッサは質問の答えをはぐらかし、それでいてゆっくりとギルスに近づいて来る。
「もしかして、こうなるって分かってたから、残ったのかい?」
ヴァネッサは自分の意思でこの隠れ家に残った。報酬の無い戦いに参加したくないと言うのが彼女の建前ではあった。それがただの建前であり、この隠れ家に残るという行動にはルーベル達が不在の間に第二波攻撃があると予想していて、それに応戦するためにあえて残ったのだろうか。
「考え過ぎだよ」
ヴァネッサ本人はギルスの予想を否定する。
それが嘘か本当かは、ギルスには分からない。ではなぜヴァネッサはわざわざギルスに会うためにこの部屋に来たのか。ヴァネッサはこの部屋に来た時から、既に魔物の二回目の襲撃に気が付いていた。逃げるつもりであればわざわざ顔を見せる必要は無いだろう。やはりヴァネッサは戦うつもりなのだろうか。ヴァネッサは魔物と戦うつもりでいると仮定して、何故戦闘前にギルスに会いに来るのか。ギルスが考えを巡らせている間にも、ヴァネッサはギルスに近寄ってくる。
「ここにはあの二人がいるし、僕一人だと」
その言葉を言い終わる前に、ギルスの意識は途絶え、床に倒れ込んだ。
「そうだね。あの二人に感謝した方がいいね」
床に倒れたギルスに向かってヴァネッサはそう言ったが、ギルスからの返事は無かった。
●
吸血鬼の弱点は日の光である。デイウォーカーのヴァネッサの場合は、普通の吸血鬼と異なり、直接日光を浴びたからといって即座に死に直結することは無い。だが日の光を無害にするスキルを発動すれば、代償として日の光の中では本来の力を発揮する事はできない。そして今は夜である。
デイウォーカーとはいっても元を正せば吸血鬼。夜にこそ真の力を発揮する種族である事に変わりはない。
「こうなる事は分かってたよ」
隠れ家の正面玄関から外に出て、相手を直接その目で視認しながら、先ほどギルスに言われた質問に答える。とはいえその質問をした当のギルスはその声を聴いていない。ギルスはあのまま部屋に残して来たからだ。
ヴァネッサはオリバーの前で、守るのは自分だけだと宣言した。当然あの二人は含まれない。よって宣言通り、あの二人は放置して自分だけを守ったところで、嘘をついたことにはならない。
あの二人が、ただの人間ならそれでも良かったかもしれないが、よりにもよって、あの女騎士はオリバーと血の繋がった姉である。
それを目の前で見殺しにしたらどうなるだろうか。日中に見た、瀕死の姉を目の前にしたオリバーのあの表情。そこから考えれば答えは容易に導き出される。
それを避けるためには、戦うしかない。個人的都合ではなく、社会的立場から彼女は戦わざるを得ない。
ルーベルが作戦を話している場で、第二波攻撃が来たらどうするつもりか聞いても良かったが、答えは目に見えていた。
ルーベルはあの長を直接自分の目で見ようとしていた。彼女は長の討伐に行く事を譲らないだろう。長は空賊であり、ゴーレムのみでの撃破は困難。そうなれば魔術を使えるリリアと魔剣を持つオリバーが長の討伐に行く事は変わらない。
つまりは隠れ家に残ったギルスとヴァネッサで第二波攻撃の防衛を任される事になる。それを引き受ければ、ヴァネッサは無償でも頼み込めば何でもやってくれる便利屋の扱いになり、断れば万が一本当に第二波攻撃があった際には二人の人間を見捨てた薄情者という事になる。
そのどちらになる事も今のヴァネッサにとっては本意ではない。
だからこそ余計な事は言わずに、第二波攻撃が無い可能性に賭けてみたが残念ながらその賭けは外れた。
来なければ全て丸く収まるハズだった。もしも来たら、どうするつもりだったかも考えてはいた。だからギルスを寝かせたのだ。
この戦いは決してあの女騎士のためでも、オリバーのためでもない。彼女自身の今の立場を守るための戦いだ。
ヴァネッサからすれば、ギルスに恩があるわけではない。助ける理由があるのかと言われれば、特にないというのが正直なところだ。
しかし、今の状況で、ミランダと人間の魔術師だけを守り、ギルスだけ犠牲になるというのはあまりにも不自然だ。何か理由があってヴァネッサがギルスを見殺しにしたと思われても仕方がない。
既にオリバーは、ギルスの事を仲間として見ている節がある。
だからこそ、余計な疑いを生まないために、あの二人の人間とまとめてギルスを守るという事にした。それだけだ。
「向こうはあたしが誰か分かってないのかな」
隠れ家の正面入り口から外に出たヴァネッサは、闇夜に潜む敵を睨みながらそう呟いた。
その言葉の裏に秘められた意味は簡単だ。
「分かってたら、この程度の戦力で喧嘩売らないよね」
吸血鬼であるヴァネッサは、サキュバスであるリリア同様に、夜目が効く。よって夜の闇に紛れている空賊の数を正確に把握できている。彼女の見たてでは敵と正面から闘っても負けることは無いだろう。
ヴァネッサ単身であれば、森に潜んでいる空賊に向かって切り込んでいってもよかったのだが、そうなると隠れ家に残された三人の安全が保障できないため、あえてヴァネッサは屋敷の正面入り口から出ていき、そのまま周囲を伺った。
ヴァネッサは、今自分が敵に囲まれている状況である事も、隠れ家の中に無防備に眠っているエルフと人間がいる事も理解している。
それでもなお、彼女はこの戦いで一人の犠牲も出さないつもりであった。
「ここは諦めて、にーさんのところに行ってくれれば楽だったんだけどね」
そう言いながら両手杖を構えつつ一番近くに居る空賊に目線を向ける。向こうの雰囲気が変わるのが伝わってくる。この月夜の中、森の中に紛れている自分の存在が、隠れ家の住人に感知されるとは思っていなかったのだろう。
確かにヴァネッサが人間であれば、この距離で相手の位置を正確に把握する事は出来なかったが、ヴァネッサは吸血鬼である。人間とは比べ物にならない感度を誇る視力と聴力で正確に相手の位置を掴み、そちらに目線を向け続ける。
これ以上隠れているのは状況を悪くすると考えたのか、あるいはたった一人のシスターであれば、容易に倒せると思ったのか、空賊の一体が森から飛び出して来た。
その判断はヴァネッサが人間であるならば間違ってはいない。彼女が人間であれば、この闇夜の中で魔物が襲い掛かれば数刻も掛からずにその爪牙の餌食となり、物言わぬ屍になっていただろう。しかも今向かってきているのは普通の魔物よりも体の強度が高い空賊である。人間の、しかも年端の行かないシスターが正面から戦って勝てる相手ではない。
ルーベルの予想通り、空賊側に考える知能があるのであれば、そのような勝算の基に攻撃を仕掛けてきたのかもしれない。
そうであるならば、その予想は覆された。
正面からヴァネッサに強襲をかけた一体が、彼女にその爪牙を突き立てる直前に体が不自然に宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられる。
そしてヴァネッサはその様子を、特に驚いた様子もなく見続けている。
「これぐらいでいいみたいね」
ヴァネッサには見えていた、相手の傷が浅かった事を。それは彼女が非力であるが故に仕留め損ねたという訳ではない。
ヴァネッサは相手が軽く十体以上はいる事は分かっていた。そして隠れ家には人間二人と一人のエルフが魔術で眠ったまま。それらに手出しをさせずに、ヴァネッサ一人で多数の魔物を追い返す。それがヴァネッサに課された勝利条件だ。
さらに、別行動をしているオリバー達の事も考えるのであれば、ヴァネッサにはさらに追加の条件が科せられる事になるのだが、ヴァネッサはそれも達成するつもりでいた。
一対一で倒せる相手ではないと悟ったのか森の中から続々と空賊が出て来る。その数は十体を超えるが、ヴァネッサの表情は崩れない。
なかなかに面倒な状況の中、彼女はただこう呟いた。
「これなら、昼でも相手できたね」
彼女はこの条件であっても、負ける気は微塵もしていなかった。
●
リリアは単身、追尾針に従って、逃げた一匹の空賊を追跡していた。
本来サキュバスは夜の行動を得意としているため、夜の森の中の追跡もリリアにとっては苦にならなかった。
負傷しているせいか、相手の行動速度も大したことはないため、追尾針が無くても追跡が可能だったのではないかと思い始めるぐらいであった。
念のため、相手にこちらの追跡を悟られないよう適度に距離をとっているためか、相手にリリア追跡を悟られたような気配は無い。
「このまま自分の足で逃げ帰るとかはないわよね」
あまりにも何も起こらない追跡劇に、リリアは余裕交じりにそう漏らす。
それは懸念の一つではあるが、その場合は相手の巣穴を特定する事ができる。恐らくは巣穴にはあの長と呼んでいる個体もいるはずであり、その時は巣穴にいる空賊ごと相手にすれば良い。
つまりはどちらにしろ、今手を引く必要は無い。ルーベルの目的が短時間であれ、空賊が隠れ家を襲撃する事を諦めさせる事である。
相手の移動速度が遅くなる。何かが起こったのか。夜の闇の向こう、リリアは視界のなかに目標の姿を捉えていた。
「来た」
一回り大きな個体。目的の回収用の個体、ルーベルが長と名付けた空賊であった。
闇夜の中、火の玉が生成される。
それはこちらの存在を相手に知らせる事と同義ではあるが、今は長が現れた事を伝える事が優先だ。
作戦どおり、合図として生成された火の玉が上空へと打ち上げられた。
●
オリバーとルーベルは二人で夜の森を進んでいた。リリアの姿は隠れ家を出た直後から見えなくなっている。今はどれぐらい距離が離れているかもわからない。
「夜間の移動に使えそうなゴーレムってなかったのか?」
二人で行動する間、無言でいるのも何となく間が悪いと感じ、オリバーが口を開く。話題に選んだのはルーベルが使用していたゴーレムについてだ。
「そんな便利な物じゃないわよ。研究すればいずれ出来るようになるかもしれないけど。大体移動速度が遅いんだから追跡には不向きだって話さなかった?」
ルーベルはゴーレム使いであるが、今はゴーレムを連れていない。理由は彼女が先ほど言った通りである。
「本当に戦闘になっても大丈夫なのか?」
オリバーとしてはルーベルが戦闘をしているところを見たことが無い。加えてゴーレム使いであり、直接戦うようなことは無いと言う。にも関わらず長を直に見てみたいという理由で前線まで出てきている。不安はぬぐい切れない。
「大丈夫よ。戦闘になったらちゃんと呼ぶから」
オリバーとは反対にルーベルは自分の腕に自信があるようだ。よほどの切り札を持っているのだろうか。
「そうだといいんだけどな」
ギルスとの約束から、根拠なく相手を信じるのは危険だと言う事を痛感していたオリバーからすれば、疑いたくもなるのだが、かといって今の段階でルーベルの戦闘能力を過少評価する事もできなかった。
日中の間に一度実物のゴーレムを見ているのだ。あれを使えると言うのであればかなりの戦力になるだろうが、移動が襲いゴーレムを一体どうやって自分の近くに呼ぶのだろうか。
万一の場合はルーベルを庇いながらの戦闘になる事も考慮し始めたあたりで、森の奥から光が見えた。
夜空に一筋の光が打ち上げられたのが、オリバーの目に入った。
「合図だ」
それはリリアが長を発見した時に使用すると決めていた合図である。
「出たみたいね」
ルーベルもその光を見上げていた。
見た所、距離はそれほど遠くは無い。二人は合図が放たれた場所へと急いだ。
次話は10/21に投稿予定です。




