[3-9] 救援
森の中の人探し。それは絶望的な難易度を誇る。ヴァネッサはそれを空から蝙蝠一匹で行っていた。それが人が居ると決まった訳ではない。ただ戦闘をする音が聞こえたため、もしかすると人間が来ているのかもしれないと言う予想があっただけだ。
今の状況で遭遇すると面倒になるのは人間の騎士団である。理由はオリバーがお尋ね者であるからだ。
使い魔の視点で、森を見下ろしながらヴァネッサは漠然とそんな事を考えていた。
そして、幸か不幸か、ヴァネッサは吸血鬼であり、人間の血には敏感に反応する。つまりは先ほどの戦闘の音が、騎士団が行った戦闘であり、その中で騎士団の誰かが負傷していれば、例え音だけを頼りにその方向に向かって使い魔を飛ばしても、血の匂いで探知できるだろうという算段はあった。もしも相手が人間でなければ、さほど気にする必要は無く、このままルーベルの場所へ向かえばよい。
最初の金属音が聞こえてからある程度時間が経っていた。もしも金属音の正体が戦闘の音であり、騎士団が戦闘していたとすれば、騎士団に負傷者が出た可能性がある。
ヴァネッサ自身ある程度近づけば血の匂いで分かるだろうと思い、使い魔を飛ばしたのだが、なかなか血の匂いを感じない。戦闘したのは人間ではないのか。だとするならば、一匹の使い魔でこのまま捜索を続けた所で相手を発見するのは難しい。ここは諦めた方がいいのだろうか。
そう思い始めた頃、ようやくヴァネッサは血の匂いを感じ取った。
やはり、人間だったのかという思いを胸に秘めつつ、使い魔を匂いの源に急行させた。
●
それは、人の身長の2倍ほどはある巨体を誇る狼であった。それが茂みの中からゆっくりと姿を現したのである。
「こんな奴がいるのか…」
思わず言葉がミランダの口から漏れる。
アランも剣をとめ、現れた巨体に目を向けている。
ゴーレムも見た事は無かったが、衝撃でいえばこちらの方が大きい。ゴーレムは文献で見た事があったが、その大きさを凌ぐ巨体の狼。
最早戦って勝てるかというよりも、生きて帰れるかどうかを疑い始めるような状況である。
まるで命令を待つかのように、四体の魔物はアランから距離を取っていた。
見たことのない巨大な獣に対し、アランが驚いてしまうのは無理のない事だろう。しかし相手はその驚きで生じた隙を見逃さなかった。
アランの左側に位置していた一体が弾かれたように全速力で駆けていく。
「アラン! 左だ!」
ミランダが叫ぶが間に合わない。
アランが振り向いた時には、既にその体は目の前に迫っていた。
喉笛目掛けて飛び掛かった牙を、アランはそのまま受けた。そして相手が飛び掛かってきた勢いをそのままに首元にまとわりついたことにより、バランスを崩して地面に倒された。
首に噛みつかれたからか、アランは悲鳴一つ上げなかった。ミランダの位置から、アランが手足を動かして抵抗しているのが見える。しかし声は一切聞こえない。あるいは、聞こえないだけで、小さい声は出しているのかもしれない。
声が出ないのは当然だろう。血しぶきが上がったのが見えた。噛みつかれたのは喉。つまりはそこに穴が開いたという事だ。
それを見た他の獣たちが一斉にアランに群がった。
生きながら地面に倒された状態で無数の魔物の爪牙の餌食となるという悪夢のような光景を見て、ミランダとアイリーンは何も声を出せずにいた。
このまま逃げられなければ自分達もああなるのか。
そんな事を考えている内にも、その巨大な狼はゆっくりとアランがいた場所に歩いて来てそしてある場所で足を止めた。
「あれは…」
先ほどミランダ達が動きを封じて、瀕死まで追い込んだ魔物を、その巨体の口に挟んで持ち上げた。
それは、食べているというよりも。運んでいるといった方が正しいだろう。
「やはり、あれの救出が目的か…」
先ほどまでは、あれを差し出せば逃げ切れるかもしれないという楽観的な予想をしていたが、前後を塞がれた上に、確保していたあの個体を奪取されたとあっては、大人しく見逃すとは到底思えない。
「アイリーン、一人で逃げるんだ。」
このままでは全滅する。そう思ったミランダは、アイリーン一人だけでも生かして返す事に望みを託した。
「そ、そんな…」
ミランダの意図を察してアイリーンが青ざめる。だがアイリーンも分かっていた。この状況で二人とも生きて帰るのはまず無理だろうという事を。
「情報を持ち帰るのが最優先だ。私の方が時間を稼げる。これを持って行け」
ミランダは、ゴーレムの粉が入っていた布袋を投げて、アイリーンに渡した。これはゴーレムが存在した事を伝える重要な証拠である。ここで喪失する訳にはいかない。
それを渡すと言う事は、ミランダは生きて帰るつもりが無いと言っているようなものだ。
「で、でもどうやって…」
後方には巨大な一体を含め、五匹の魔物、前方には二匹の魔物。数で少ないのは前方の二匹であるが、それでも魔術師一人で突破できるかは怪しいところだ。
「私が前方の二匹を引き付ける。その隙に行け。いいな?」
出来る保証は全くない。それでも敵に包囲された状況で攻撃されるのを待つよりも、包囲網の突破を試みた方がまだ生存確率は上がるだろう。
「は、はい」
ミランダは有無を言わさない表情だった。恐らくはそこからミランダの決死の覚悟を、アイリーンも察したのだろう。明らかに無理のある指示を、全く反論せずに肯定の返事をした。
それを聞いたミランダが剣を取り、前方の二匹に向かって突進する。ミランダは二匹が道の片側に行くよう誘導するように剣を振るい、叫んだ。
「早く行け! 他の奴らが来る前に!」
この二匹であれば、ミランダも戦えるだろうが、反対側にはあの巨大な一匹を含め五匹もの魔物がいる。全員でかかればそう長くは持たないだろう。
アイリーンがミランダの後ろを駆け抜ける瞬間、ミランダが再度叫んだ。
「行け! 振り向くな!」
今のミランダの実力では、この魔物を倒すのはもっての他であり、どれぐらい持ちこたえる事ができるのかという戦いになる。ミランダはその覚悟をしていた。
●
ヴァネッサは使い魔と視界を共有する能力がある。目を開けた状態で、自身の視界と、使い魔の視界を両方見る事も可能ではあるとは言っていたが、今の様に集中して何かを探すような時は目を閉じるようだ。
「見つけた。空賊と戦ってる。人間だ」
使い魔経由で戦闘している場所を見ているのだろう。ヴァネッサが目を閉じたまそう言った。
「誰が戦ってる?」
重要なのは相手だ。万が一騎士なら下手に関わらない方が良い。そう考えていたオリバーは直ぐにその考えを改める事になる。
「騎士っぽいけど…戦ってるの、この前の女騎士だよ」
ヴァネッサが目を開けて、オリバーの方を見る。
その台詞を聞いたオリバーが意外な表情をする。
「ミランダが?」
ヴァネッサがこの前の女騎士と評する人物と言えばミランダしかいない。
「そうだけど、不味い状況だね」
言いながら、ヴァネッサが複雑な表情をした。
「まさか、ルーベルも一緒なのか?」
それだけで、オリバーは良くない事が起っていると察した。オリバーが今の状況で不味い状況と言われて真っ先に思い付くのは、騎士団とルーベルが遭遇している事だったのだろう。しかし、事態はオリバーが考えているより深刻であった。
「放っておいたら、あの女騎士は死ぬよ」
その言葉を聞いて、オリバーは、音のする方向へ駆け出した。音がしているという事はまだ生きて戦っているという事だ。
「あ、ちょっと、離れると危ないよ」
ギルスが制止するが、オリバーは足を止めなかった。ギルスと離れると最悪の場合ゴーレムに襲われる危険性があると先ほど説明したばかりだが、姉の状態が危ないと言われ気が動転しているのかもしれない。
「僕はオリバー君を追った方がいいのかな」
ギルスがリリアとヴァネッサに対して問いかける。今ギルスがこの場を離れるという事は今度は残った二人がゴーレムに遭遇した場合戦う危険性があるという事だ。ギルスなりに二人に気を遣ったのだろう。
「ごめん、私はそんなに早く動けない。ねーさんがにーさんを追うって事にして、あたしと帽子は後から合流でいい?」
ヴァネッサの口から出たその言葉に、ギルスは驚いたような表情をした。ヴァネッサはいつもギルスに対する辺りが強かったため、すんなり謝罪をするとは思っていなかったのだろう。
「僕はそれで構わないよ」
ヴァネッサは吸血鬼であるため、日中では能力が制限される。ギルスはその事情をしらないが、今は緊急事態だ。余計な詮索をしている時間は無いと思ったのか、すんなりと承諾した。
「じゃあ、私は先に行くわね」
そう言うや、リリアはオリバーの後を駆け足で追った。
●
見捨てた訳ではない。命令に従ってただけ。
アイリーンは自分にそう言い聞かせながら、三人で歩いて来た道を、一人全速力で駆け抜けていた。とはいえここは森の中。人の足では移動速度などたかが知れているし、果たして本当に来た時と同じ道を通っているかも怪しい。
少し前まで聞こえていた金属音は聞こえなくなった。ミランダと魔物との戦闘が終わったのだ。次に何が起きるかは容易に想像が付く。
疲労がたまり、足が上がらなくなる。元々魔術師であり、あまり動き回るのは得意ではないがそれでも背後に魔物が迫っている特殊な状況である。限界近くまで走り続けていたが、足に植物の蔦が絡まり前のめりに転倒する。
小さい悲鳴を上げながらも、すぐさま立ち上がる。しかしもう体力の限界だ。もう走る事はできない。それでもこのまま立ち尽くす事はできない。歩き出そうとして、その音を聞き体をこわばらせる。
「あ、ああ…」
茂みの向こう側。物音が近づいて来る。声を出せば相手に居場所が伝わる事は分かっている。頭では分かっているが、それに気が付いた時、悲鳴とも諦めともつかない声が自然と口から出ていた。
彼女は絶望を悟りながらも詠唱を始める。
あの場にいた魔物が追ってくれば、単独行動をしている魔術師など、格好の獲物となる。騎士であるアランですら簡単に倒されたのだ。しかも移動速度は人間よりも上だ。追いつかれてしまった今となっては逃げきる事は不可能だろう。
詠唱中の魔術師ほど無防備なものはない。だがそれでもアイリーンは何もせずに死ぬよりも、勝ち目はなくともあがくことを選んだ。彼女の隊長がそうしたように。隊長は最後まで諦めなかった。自分の命を犠牲にしてまでアイリーンを逃がす事を選んだ。それに報いるためにもただ何もせず無抵抗で命を差し出すつもりは無い。
隊長の事を思い出した彼女の顔に生気が戻る。
茂みの向こう、魔力は感じられない。魔力が探知できないという事は他の魔物や、冒険者が偶然近づいてきたという事はないだろう。あの魔物が追ってきたのだ。
相手の姿が見えるまで待つべきか。いや、あの魔物の動きは素早い。見えてから魔術を放っては間に合わないだろう。ここは相手の動きを予想して撃った方が良い。それがどんなに勝率の低い賭けであったとしても、やらないよりはマシである。
相手は見た限りでも大きいのが一匹、小さいのが六匹の合計七匹いた。その全員が追ってきたとしたらまず勝ち目はないだろうが、例え一体だけでも道ずれにする。
幸いにして彼女は詠唱が完了した呪文を一定時間保持するスキルを所有していた。その所有時間には上限があるが、その間であれば詠唱が完了した呪文を保持し、発動するタイミングを遅らせる事が出来る。
アイリーンは詠唱が完了した呪文を手に込めて、その時が来るのをじっと待った。
発動タイミングが任意で調整できることと、動く相手に命中させられるかは別問題だ。それに保持し続けられる魔術は一発のみ。高位の魔術師になれば複数の魔術を保持できるらしいがアイリーンはまだその域に至っていない。
即ちこの一発が勝負だ。一度外したら、近くまで来た魔物は再度詠唱をする余裕など与えてくれないだろう。
音が聞こえた限りでは、恐らく追ってきた魔物は一匹。それ以上いる可能性もあるが、それは今は考えない事にし、音が聞こえてきた方向のみに集中する。
自分の鼓動がうるさいくらいに耳に響いた。もう撃った方がいいだろうか。いや、あと少し、あと少し、まだ相手の姿は見えない。それでいて、確実に足音は近づいてきている。眩暈を感じる程の緊張の中、近くの草が度動いた。
その音に反応し、保持していた呪文を発動させる。
暴風が刃となって、辺りの木と草を切り倒し、切り裂かれた葉や枝が宙に舞い、切り倒された木がゆっくりと倒れた。
相手の姿が見えたわけではない。草が動いたのだから、そこにいるだろうという予想での魔術の置き撃ち。本来であれば狭い場所に誘い込んで使う戦術であるが、今は地形を選んでいられるような状況では無かった。
そして、木々が倒れ、開けた視界の先にいたそれと目があった。声にならない悲鳴が、吐息となって口から溢れた。
覚悟はしていた。敵の姿が見えたのではない。見えてから撃ったのでは間に合わないだろうと思って、草が動いたのを頼りに撃ったのだ。そして、その賭けに負けた。
相手の体には複数傷がついている。それがミランダが付けた傷か、アランが付けた傷かは分からない。だがあの場所に居た内の一匹である事は間違いないだろう。狙いを定めるようにゆっくりと距離を詰めて来る。
この距離では呪文の再詠唱は間に合わない。逃げるにしても相手の足の方が速いだろう。
分かっていた。これが危険な任務である事。魔物が相手であり、最悪の場合死ぬ可能性があるという事。
「う・・・」
言葉にならない声が口から漏れた。せめて最後に一発、相手に浴びせようと持っていた杖を構える。魔術師の物理攻撃など、有って無いような物である。騎士の剣劇に耐えるような魔物に対して、そのような手段で攻撃したところで効果は無いだろう。これは気持ちの問題。だた何もせずに死ぬよりも、最後まであがく。
魔術を使うために無防備な状態をさらすよりも物理攻撃で確実に一発を与える。幸いにも相手は一匹。一矢報いるぐらいは出来るかもしれない。
にじりよってくる相手をじっと見つめる。射程に入った瞬間一発入れればいい。いくら魔物といえども、あの大きさなら、こちらを即死させるような攻撃は無いはずだ。ただ動けるうちに一発だけ入れればいい。
詠唱する事は諦め、ただ相手が近寄ってくるのを待つ。後三歩程の距離まで近づいたところで、風の魔術が発動した。
アイリーンが使ったのではない。森の奥から風の刃が投射されたのだ。魔物は直前で勘づいたのか、身を翻してそれを避けた。
そして、魔物は分が悪いと思ったのか、そのまま森の奥へと逃げて行った。遠ざかる足音。助かった。そう思ったら体から力が抜けてその場に座り込んでしまった。
「無事か!?」
声が聞こえた。男の声だ。アイリーンの知る声ではない。恐らくは先ほどの風魔術を使用した人物だろう。
声の主が急いだ様子で姿を現す。走ってここまできたのか息を切らしている。
普段のアイリーンであれば、人間が近づいてきたら感知スキルで分かるのだが、先ほどは気が動転していてそこまで気を回す余裕が無かった。
少し冷静になったアイリーンが、改めて周りの魔力を探ってみると、目の前にいる人物に加えてもう一人こちらに近づいて来る魔力を感じる。あれも人間だろうか。
そしてもう一つ気になる事がある。現れた青年は剣を携えている。恐らくは剣士だろう。だというのにあまりにも魔力量が多い。そもそも、先ほどの風の魔術を使ったのも彼だろうが、普通の剣士は風魔術は使えない。
普通の剣士ではありえない魔力量に加え、風の魔術を行使する。それは一体どういう事か。
「え?」
現れた男性が座り込んでいたアイリーンに気が付き、目が合う。意外だったのか、目を見開いた。
「あ、あの…」
自分をみて驚いているようだが、自分は何かしてしまったのだろうか。疑問と思うと同時にアイリーンもまた驚きを隠せなかった。相手はどう見ても男だ。しかしながらその顔立ちはミランダに似ている。
そして、アイリーンにとって心辺りのある人物を一人知っている。直接見たことは無いが噂は良く耳にする。悪魔憑きと呼ばれたミランダの弟だ。
そういえば、以前騎士団がミランダの弟を取り逃がした際に、ミランダの弟が風の魔術を使ってグールを倒すのを見たという話を聞いた事がある。そのような事ができる剣士を、アイリーンは聞いた事が無い。つまりは、この青年はミランダの弟で間違いないだろう。
「君はミランダの仲間か?」
その言葉でアイリーンは状況を理解した。どうやら、自分ではなくミランダを追ってきたらしい。それなのに別の人物であったために驚いたのだろう。
「た、隊長なら私を逃がすために…」
それを思い出して目頭が熱くなった。
自分は助かった。だがミランダはどうだろうか。もう戦っている音は聞こえない。あの状況から。ミランダが魔物に勝てるとは到底思えない。つまりミランダはどうなっているのか。
同時に、疑問も生まれる。何故ミランダがこの先にいる事を知っているのか。今は騎士団の任務でここにきている。それを何故、悪魔憑きとして騎士団から追放されたミランダの弟が知っているのか。
加えて、この慌てぶりは、ミランダが魔物に襲われているという事を知っている。果たしてそれは如何なる方法を使ったのか。
「どこだ?」
今はそれを彼自身に問い質している場合ではない。状況は一刻を争う。アイリーンとしてもミランダの事は助けたいと思っている。彼は風の魔術を使えるようだ。つまりはアイリーンを魔物から救出する事ができるかもしれない。ミランダの命が掛かっているのであれば、今は余計な詮索はせずに、彼に情報を教えるべきだ。
「む、向こうに。そう遠くはないです」
アイリーンは自分の来た方向を指さす。
「あら? 別の人?」
そこにさらに別の人物がやってきた。先ほど魔力を感じた相手だろう。今度は女性だった。
「ミランダは向こうらしい。行くぞ」
顔見知りなのだろう。最初に現れた青年が先を急ぐように促し、アイリーンが指さした方に走って行ってしまった。
「あ、ちょっと、この人は? 置いてくの?」
後から来た女性は、青年に比べると比較的落ち着いた様子だった。手には両手杖を持っている。自分と同じ魔術師だろうか。
この女性の問いには答えず、あの青年の姿は森の奥へと消えてしまった。魔術師の女性は少し戸惑いながらもアイリーンを見てこう言った。
「立てる?」
アイリーンは立とうとするが足に鋭い痛みが走り、小さい悲鳴を上げる。
「あ、足を痛めたみたいで…」
先ほど転倒した時に足を挫いたのだろう。緊張が解けた事もあって、一気に痛みが強くなってきた。
「じゃあしょうがないわね。別の二人がもうすぐ来るけど、その内一人は治癒魔術が使えるから、治してもらって。二人が来るまではここにいなさい」
それだけ言うとこの魔術師もまた青年の後を追って森の奥へと姿を消し、その場にアイリーンだけが残された。
あまりの急展開にアイリーンは何も言い返せなかったが、魔術師が姿を消すと同時にアイリーンの周りには静寂が訪れた。
先ほどまで生きるか死ぬかの状況だったのが嘘の様だった。
助かった、という思いは、直後にミランダの元に戻った方がいいという思いに代わる。あの魔術師は後から別の二人が来ると言っていたが、それならば、その二人に合流してミランダの元まで行動を共にした方が良い。
辺りの魔力を改めて探ってみると確かに別の二人がアイリーンの方に近づいて来るのが分かった。
座ったままでは具合が悪いと思い、アイリーンは立ちあがるが、やはり右足に痛みが残る。左足に重心を乗せれば立っているだけであれば問題ないが、このまま森の中を移動するのは難しそうだ。
程なくして、その人物が現れる。
「あれ、女騎士じゃないね」
今回は二人の人物が同時に現れた。声を出したのは背が高い方だ。帽子を被っていて、一件だけでは性別が分からないが、声からして男だろう。もう一人はシスターの衣服を身に纏い、十字架のついた両手杖を持っている。背がかなり低くまだ子供ではないかと疑いたくなる程である。しかし冒険者として森の中にまで来ているという事はある程度の年齢はいっているだろう。
普段は人見知りをするアイリーンであったが、今は緊急事態だ。初対面の相手ではあるが、勇気を振り絞って事情を説明する。
「あ、あの、少し前に冒険者の剣士と魔術師の人が来て、あなた達に治療してもらえと言われたんですが」
「ああ、オリバー君達に会ったのかい?」
どうやらあの女魔術師が言っていた二人とは、この二人の事で合っているようだが、それよりも重要な事がある。
アイリーンは確かに、目の前にいる帽子を被った青年からオリバーという名前を聞き取り、それに反応した。
「他の人間がいる前で、その名前を出したらダメだよ」
それをもう一人の少女に気取られたのだろう。少女はオリバーと言う名前が何を意味しているか分かったようだ。
その声からは、小さな見た目とは反する冷静さを感じられる。
「治療ってどこか怪我をしたのかい?」
だが彼はそれを意に介する様子はなく、こちらに声を掛けてきた。
「み、右足を捻ったみたいで…」
二人に近づくために、歩こうとして、右足に痛みが走り、つい声がでた。
立っているだけではそれほどでもなかったが、歩くために動かすと鋭い痛みが走った。舗装された街中であれば歩けるかもしれないが、森の中を今の状態で歩くとなるとかなり厳しい。
おそらくは先ほど転倒したときに挫いたのだろう。右足くるぶしの辺りから鈍い痛みを感じるが、ソックスをはいているために、痛みのする場所が実際どうなっているかは分からない。
それに気が付いたのか、シスターの少女は無言でアイリーンの近くまでやってくると、屈んでアイリーンの足に手を当てた。すると、回復魔術と思われる光がその手から溢れ出た。
「凄い…」
あっという間に自身から痛みが引いていくのが分かり、自然とアイリーンの口からは称賛の言葉が出ていた。
回復魔術というのは相手の傷に作用する魔術であり、作用箇所である傷をみて使用するのが一般的である。傷口を直接見る事無く、ソックスの上から傷を治すというのは相当な手練れである。少なくともアイリーンはそれを成しえた所を実際に見るのはこれが初めてである。
「治った?」
シスターから事務的に聞かれ、アイリーンが右足を動かすと、先ほど感じた痛みが全く無くなっていた。
「は、はい。治りました」
既に痛みは引いていたのだが、動かしても痛みがぶり返すことは無い。本当に完治したと考えると、嬉しさよりも驚きの方が勝っていた。
「じゃあ行くよ」
アイリーンからすれば、信じられない程に高度な回復魔術であったが、魔術を使った本人である小さなシスターは、特に鼻にかけるような様子も無く、先に行ったオリバー達の後を追うよう急かしてくる。
急いでいるという事は、この二人も、ミランダが魔物に教われている事を知っているのだろう。そして、このシスターが体格からして移動速度が遅いために、あの二人が先行してミランダの元に向かったといったところか。
「は、はい」
見た目からすれば相手の方が年下なのであろうが、先ほどの魔術の腕前と、どこか貫禄のある物言いに、反射的にアイリーンは従いそうになったが、ふと思い出す。
このままミランダの居た場所に戻れば、あの魔物がまだいるだろう。果たしてあの魔物に勝てるのだろうか。
あの青年は風の魔術を使っていたため、つい行かせてしまったが、本当に大丈夫だろうか。あの後にもう一人女魔術師が来たため、今ミランダのいた場所に向かったのは二人であるが、アイリーンが見た限りでも魔物は七匹居た、果たしてあの二人とここに居る三人で勝てるのだろうか。
ミランダを助けたいと言う思いに変わりはないはずなのに、もう一度あの魔物の前に戻る事を考えると足が重くなる。
一方であの二人を先行させてしまった以上、ここで待っているというのは薄情というものだ。足の傷も癒えた今となっては行かない理由はない。三人でミランダの救出に向かうのが筋だろうが、それでもあの魔物に勝てるのかという不安は残る。
「あ、あの…」
小さなシスターに対し、アイリーンは戸惑いながらも声を上げる。
「何?」
小さなシスターは面倒くさそうに聞き返してくる。
「た、隊長が戦ってた魔物、かなり強いんです。様子が変っていうのもあるんですけど」
この二人がミランダが戦っている魔物の情報をどこまで掴んでいるのかは分からないが、少なくとも、アイリーンは一度敗走している。そして、相手が普通の魔物ではないという事実は伝えなければならない。
「それで?」
またも小さなシスターは短い言葉で先を促す。特に驚く様子を見せないのは、ミランダが置かれている状況を知っているからなのだろうか。
「も、もう一度行っても勝てるかどうか。私も隊長は助けたいですが」
隊長を助けたいという思いと、あの魔物と再戦して勝てるのかという不安。アイリーンの中に二つの相反する気持ちが拮抗している。
「あの二人結構強いから、そう簡単には負けないと思うけどねえ」
そこに帽子を被った青年が再び口を開いた。口調は軽薄そうだが、それでも先行した二人の腕前を信じているようだ。
「そ、そうだといいんですけど」
あの魔物と一度戦った上に、あの二人の強さを知らないアイリーンとしては、その意見を鵜呑みにする事はできなかった。
確かにあの青年の風魔術で一体の魔物を追い払ったのは事実であるが、相手は最低でも七匹居る。
「ちなみに、このお嬢ちゃんも相当だよ」
帽子を被った青年がシスターを指さしながらそう言った。
「ああ、回復魔術凄いですね。あんなに直ぐに痛みが無くなるなんて」
彼の相当という言葉が、シスターの回復魔術に向けられたものだとアイリーンは思ったが、彼の答えはその考えを覆すものだった。
「いや、回復魔術以外も凄いよ」
それはつまり、シスターの身でありながら攻撃魔術も使えるという事なのだろうか。
「帽子、余計な事は言わなくていい。早く後を追うよ」
どうやらこの小さなシスターはこの青年の事を帽子と呼んでいるようだ。彼はまだ喋りたそうな様子であったが、小さなシスターがそれを遮った。
また、このシスターはルーベルの言葉を聞いてもなお、ミランダの救出に向かうという方針を変えるつもりは無いらしい。彼女の口ぶりから、それは根拠のない自信ではなく、実力に裏付けられた予想であるような気がしてならなかった。
「そうだねえ、万一もあるし、早く二人の後を追おうか」
そう、行くと決めたのであれば、直ぐにでも後を追った方が良い。その言葉を合図に、三人はミランダが居た場所へと移動を開始した。
次話は9/2に投稿予定です。




