[3-5] 3人目
騎士団の施設はある程度固まった場所に位置しているが、魔術師棟は王宮魔術師の管理する建物である。
よって騎士団の施設からはある程度距離の離れた場所に位置していた。
ミランダはアイリーンの案内でミランダは魔術師棟へと辿りついていた。
移動中、ミランダは一つの疑問について考えていた。それはローベルグ団長がもう一人を団長室に呼ばなかった理由だ。
不慣れなミランダに、道案内にアイリーンを付けるというのがローベルグの言い分であったが、残り一人にだけ口頭で任務の説明をしないというのは不自然であり、どうにも別の理由がある気がしてならなかった。
そんな疑問を考えている内に、認識印の変更を行うための処置室へと通され、被験者用の座席に座り、袖を捲って処置を受ける準備を整えていた。
道案内をしていたアイリーンが、そのまま処置を行う役目も担っていたようで、アイリーンは処置に使う薬剤の準備をしている。
袖の下から露わになった彼女の腕には既に騎士団の認識印が入れられており、盾の部分には以前いた第五騎士団数字が、剣には個人番号が記されている。
「で、ではまずは番号を消します。少し痛いかもしれませんが我慢してくださいね」
アイリーンが認識印の上から何か薬剤を塗り、さらにその上に手をかざし、何かを唱えると、認識印から光があふれた、腕には何か不思議な感覚があったが、それは痛みというよりも何かに触られていると言った方が正しいかもしれない。
「お、終わりました。痛くありませんでしたか?」
アイリーンが手をどけると剣と盾のエンブレムはそのままに騎士団の番号だけが綺麗に消失していた。先ほど塗った薬剤を拭き取りながら、アイリーンが問いかけて来るが、腕の感覚に変わりは無かった。
「ああ、痛みは無かった」
ミランダは番号が消え去った認識印を見ながらそう答えた。認識印から番号を消すだけでも、今実際にアイリーンがやった手順が必要であり、それは知識のある魔術師と専用の薬剤が必要になる事。
実際に認識印から番号が消えるところを見ると、果たしてオリバーは如何なる方法で腕から認識印そのものを消したのかを考えてしまう。
「あ、あの、本当に大丈夫でしたか?」
ミランダが考え込んでいる様子が、まるで痛みを我慢していたかのように見えたのかアイリーンが再度心配そうに声を掛けた。
「ああ、少し考え事をしていただけだ。続けてくれ」
「で、では、新しい番号を入れますね」
アイリーンがそう言うと、先ほどとは別の薬剤を番号の消えた認識印の上に塗り、さらにその上に「9」の数字の形に彫られている金具を載せ、さらにその上に手を当てる。
「す、少し痛いかもしれませんが我慢してくださいね」
アイリーンが先ほどと同じセリフを言うと、腕に置かれた金具から熱を感じた。それは痛みと呼ぶほどの感覚では無かった。そしてそう時間が経つ前にその感触は無くなった。
「お、終わりました」
アイリーンが金具を持ちながら手を外すと、エンブレムの上には先ほどまでは無かった9の文字が刻まれていた。
それを見ながら、ふとミランダは魔術の知識のあるアイリーンであれば何か知っているのではないかと思い、先ほどの疑問を口にした。
「この認識印を全て消す事はできるか?」
数字だけを消す事が出来るのは、実際の処置を見て分かった。それでは認識印そのものを全て消す事はできるのか。
「ま、魔力で皮膚に色を付けているので、色のついた場所を抉り取れば、消えると思いますが、着色されるのは皮膚表面だけでなく、その下にある筋肉にも一定量の着色がされます。完全に除去しようとすると、皮膚だけでなく、内部の肉までも除去することになりますが、理論上は可能です。」
消す事は可能。それがアイリーンの答えであった。
「それでも一応可能という事か」
その気になれば、正規の手続きを踏まずとも、認識印を腕から消す事は可能という事だ。オリバーももしかするとこの方法を使ったのかと言う気がして、ミランダは念押しをするが、それはすぐさまアイリーンに否定される。
「は、はい。そこまでやった人は聞いたことはありませんが。それに筋肉を削り取ったら痕が残りますので、逆に目立つのではないでしょうか」
聞いた話によると、オリバーの腕からは認識印が綺麗に消えており、特に傷跡は残っていなかったという。となるとこの方法ではないだろう。
「本人が意図せずに、認識印が消えるという事はあり得るか?」
そうなると、偶発的に認識印が消えるという事は起こりえるのだろうか。
「さ、先ほど説明した通り皮膚の下の筋肉にまで着色されますので、自然に消える物ではありません。よって、本人が意図しない内に消えるというのはあり得ません。除隊処分になった者の認識印を消す事はありますが、所属騎士団番号を書き換えるのとは別の薬剤が必要になって、ここの設備を使いますし、ある程度の痛みを伴いますので、本人に気づかれずに消すというのは不可能です」
通常、認識印というのは騎士団に所属していたという名誉な証であり、騎士団を除隊したからといって消す者は少ない。ごく一部の、不祥事を起こした者が、「このような者が騎士団に所属していたという事は騎士団の恥である」という扱いで、強制的に認識印の消去処置を受ける事がある。
それでも認識印を完全に消す事は難しく、まるで不祥事を起こした罪の証の如く、不自然に薄くなった認識印が残ると聞いている。
「そうか…」
アイリーンの不可能というやや強い口調に、ミランダは意気消沈する。彼女の中では自然消滅したというのは可能性の一つとして考えていたからだ。
「あ、あのもしかして、この前逃走した悪魔憑きというのは…」
「ああ、私の弟だ…」
そこまで言えば誰でも気が付くだろう。ミランダがあの悪魔憑きと何らかの関係者である事を。
「お、弟さんは無実だと思っているのですか?」
オリバーが悪魔憑きとされた最大の原因は認識印が腕から消えた事だ。それを除去した方法が分かれば、悪魔憑きの疑惑は晴れるかもしれない。
「ああ、だから何が起きたのかを知りたい。指定の薬剤を使わずに認識印を消す方法に心辺りはあるか?」
まだ何かオリバーの疑いを晴らす可能性が残っていないか、ミランダはルーベルに問いかけるが、彼女の口から語られた現実は残酷であった。
「い、いえ、私の知る限りでは薬剤抜きでは消せませんし、あれは厳しく管理されているので無断で持ち出すのは不可能です」
騎士団は国営の組織であり、認識印は騎士団への所属を証明する身分証明書だ。悪用されないために、認識印の作成、除去に関わる薬剤は管理が厳重になっていて持ち出す事は当然無理だろう。
それに、仮に持ち出せたところで不完全な除去しかできない。オリバーのように完全に認識印を除去するというのはそれこそ悪魔の力を借りないと不可能だ。
「君は私の弟が、別人と入れ代わったから認識印が消えたという説を信じるか?」
裁判の結果言われた事は、今のオリバーは完全な偽物という事だ。つまりは悪魔が作った偽物がオリバーに成り代わっていたため、その腕には認識印がなかったという説だ。
「そ、それは…」
アイリーンが口ごもる。当事者の姉である事を知った上で、その質問に答えさせるのは少し酷だったのかもしれない。
「私が対魔物用の任務に就くことになったのは、ローベルグ団長から声を掛けてもらったという理由もあるが、オリバーの悪魔憑き疑惑の真相が分かるかもしれないという理由もある」
その言葉には、何か認識印を消す方法について知っているのであれば答えて欲しいという思いが込められていた。話の流れでオリバーの名前が出たために、この任務に就いた経緯を話せば、何か知っている事を話してもらえるのではないかと考えたのだがそう上手くは行かないようだ。
「す、すいません。私には分かりません」
どうやらアイリーンを困らせてしまっているようだ。
「すまない、忘れてくれ。これで処置は終わりか?」
これ以上アイリーンを問い詰めても仕方がないと思い、ミランダは話を切り替える。
「あ、は、はい。終わりです」
アイリーンの答えを聞いたミランダが袖を戻し、席から立ちあがる。
「そういえば、君は何故この任務に志願したんだ?」
ミランダからも事情を話しているのだ。アイリーン側の事情を聞いても良いだろう。ミランダとしてはそういう軽い気持ちだったのだが、アイリーンは対象的に深刻そうな顔をしてしまった。
「わ、私は、その、落ちこぼれなので…」
「どういう事だ?」
ミランダには、今のアイリーンの言葉が対魔物に関する任務に就く事に繋がらなかった。そもそも王宮魔術師団自体が、入団するためには厳しい試験を突破する必要のあるエリート集団だと聞いている。その集団に属しているアイリーンが自身を落ちこぼれというのにはどのような背景があるのか。
「わ、私は、研究の成果が出せていないんです」
「王宮魔術師団には入れたんだろう?」
騎士であるミランダからすれば、そもそも魔術が扱えるだけでも尊敬に値するのだが、さらに厳しい入団試験を突破した王宮魔術師であれば、魔術師の中でもエリートだ。もう少し自分を誇っても良いように思える。
「た、確かに王宮魔術師団に入団はできましたが、王宮魔術師団の中に入ってしまえば、周りには凄い人しかいません。その中で比べれば私の魔術は大した事はないです」
いくらアイリーンが優秀な魔術師と言えど、エリート集団である王宮魔術師団に入ってしまえば、相対的に見て自分の能力が低く見えてしまうという事か。
「王宮魔術師団にいるのが嫌になったという事か?」
周りに自分よりも優秀な者が多く、その集団に居続けるのが辛いと言うのは分からなくもない。ミランダ自身も、騎士団に入った新人の頃には似たような悩みを持っていた。
「い、いえ、私には魔術師か取り柄がないので、王宮魔術師団を抜けるつもりはないです。ただ、か、環境を変えれば、何か変わるかと思ったので」
「だから志願したのか?」
対魔物に関する任務は騎士団としては初の試みであり、王宮魔術師団としても対魔物の任務に参加する事は初の試みになるのだろう。
「は、はい」
新しい事をすれば、新しい何かが起きるかもしれない。自分を変えるための前向きな姿勢でアイリーンがこの任務に参加していた事が分かり、ミランダは話を先に進める事にする。
「では、三人目を探そうか」
ここに来たのは、認識印の処置を行う為だけではない。まだやらなければならない仕事が残っていた。
●
戦闘音の発生源に向かって移動していたオリバー達四人は、やがて戦闘があったであろう場所に到着した。
「ここか?」
草が踏み荒らされており、辺りの枝も所々折れている。地面に落ちている枝の先についている葉が枯れていないところを見ると、つい最近折られたのだろう。
「でも、もういないみたいだね」
ヴァネッサが辺りを見渡すが、動く物は何もなく、音も聞こえない。
「死体が無いって事は引き分けたって事か?」
状況から見て、この場所で戦闘があった事は間違いない。どちらかが倒れたのであればここに死体が残るはずだ。どちらの死体も残っていないという事は、両者共に引いたという事だろうか。
「無駄足だったか」
余計な戦闘に巻き込まれずに済んだと考えるならば、この結果は良かったのかもしれないが、何が戦っていたのかが分からないと言うのは、なんとも居心地の悪い状況だ。
「まあ、戦った片方がゴーレムなら、侵入者を追い払ったんだろうね」
ゴーレムの目的が侵入者の殺害ではなく、追い払う事だけであればこうなるのは必然であるかのように、ギルスが言う。ギルスからすれば、ここにゴーレムの残骸が残っていた方が問題だったのだろう。
「ゴーレムと戦ったのは人間だったのか?」
騎士団と鉢合わせになる展開にはならずに済んだものの、オリバーからすればゴーレムと戦ったのが人間だったのかどうかは気になるところであった。
「それは無いと思うよ」
何故かヴァネッサがここでないが起こったのか分かっているかのような事を言った。
「どうして分かるんだ?」
思わずオリバーが聞き返す。
「血が残ってない」
ヴァネッサは吸血鬼であり、人間の血に対しては敏感だ。人間がここで戦い、さらにゴーレムと戦って引き返したというのであれば、多少の傷は追ったはずだ。それでも人間の血がこの場に残っていないと言うのであれば、戦ったのは人間ではないという事になる。
「確かに血痕は残ってないけど、それだけで人間じゃないって言えるのかい?」
ヴァネッサが吸血鬼である事を知らないギルスは、腑に落ちないような表情をしていたが、ヴァネッサが何も言わない以上、オリバーもあえて詳しくは触れなかった。
「どうする? 追うか?」
森の中に続く大きな足跡が残っている。恐らくはゴーレムのものでありこれを追えばゴーレムにたどり着く事はできるだろう。
「いや、ゴーレムを追ってもしょうがない。侵入者を追い返したなら、予定通りルーベルの家に急ごう」
ゴーレムが侵入者を追い払っただけであれば、侵入者が何であったのかは気にする必要は無いと言うのがギルスの考えのようだ。
加えて、ゴーレムと戦ったであろう何者かの足跡は草木に紛れていて発見できなかった。探せば見つかるかもしれないが、今はそれよりもルーベルの家に向かうことを優先した方がいいだろう。
「道は分かるのか?」
ここに来るために道を逸れてしまった。この場所から正確に目的地にたどり着く事はできるのだろうか。
「大丈夫だよ。僕はこの森の道を覚えてるし、いざとなれば道標ある」
しかしギルスには何か考えがあるようだ。
●
認識印の変更が終わり、アイリーンと二人で部屋を出た所で、一人の騎士が話しかけてきた。
「あー、もしかしてミランダさん?」
「ああ、私がミランダだが君は?」
ミランダにとって見覚えのない顔であり、自らが名乗るより先にこちらの名を尋ねて来るところに、若干の不信感が湧いたが、彼が誰かはすぐに分かった。
「俺はアランです。偵察任務で一緒になった」
「君か。ローベルグ団長からは話は聞いている」
ここに来たもう一つの目的、三人目の任務同行者が向こうからミランダを見つけてくれたようだ。
「あなたはどうしてこの任務に?」
早速アランはミランダに対しこの任務に関する質問をしてきた。
「私は魔物との戦闘経験があるから、ローベルグ団長から声を掛けられたんだ」
そう口ではいいながらも、ミランダ自身もそれ以外の理由がある事は予想はしていた。あの場にいてグールと戦ったのは自分だけではない。その中からわざわざ自分に声を掛けた理由。それは恐らく自分の父にあるのだろうという事。そしてローベルグがあえてそれを口にしなかったであろうことを。
かといってミランダ自身は自分が父の影響ではなく、自分自身の力で騎士団に貢献したいと考えており、自分から進んで父の事を話す気にはならなかった。
だからこそ、今も父の話ではなく、魔物との戦闘経験のみを語る事にした。
「魔物の種類は?」
そんなミランダの内心を知ってか知らずか、アランはさらに詳しい事情を尋ねて来る。
「グールだ。そういう君はどうしてこの任務に?」
「俺は剣の腕には自信があるんですよ。だからそれを試せるような任務に就きたい。魔物討伐っていうのはうってつけだ」
騎士は職業上剣の腕が必要になる場面が多い。よって剣の腕の上達に励む者もいる。しかしミランダとしては今のアランの言い方にはどこか違和感があった。
「魔物との戦闘経験は?」
アランが答えるまでに、不自然な間があったような気がした。
「無いですよ」
その回答に、ミランダはまた別の違和感を覚えた。ローベルグは自分の事を魔物の討伐経験があるからと言った理由でこの任務に付けたはずだ。それが例え建前であり、本音は第一騎士団長の娘だからという理由だといても、魔物との戦闘経験の無い騎士をこの任務に付けるのは露骨すぎる。
「剣の腕を試すなら、人間相手でもいいのではないか?」
剣の腕の上達だけを考えるならば、魔物と戦う以外の方法はいくらでもある。魔物との戦闘経験の無いアランがわざわざ魔物との闘いを選ぶ理由とは何か。
「魔物の相手の方が出世できる。皆噂してますよ。今後騎士団も魔物の討伐に乗り出すんじゃないかって。騎士団が魔物討伐に向かうきっかけとなる任務に付けるとなれば、今後の出世にも影響がある」
騎士の本分は国民を守る事というのがミランダの考えだ。それでも騎士団という組織の一員である以上、上下関係があり、出世を望むものが居るのは事実だ。
出世を望む気持ちを否定する事はできないが、それだけを望む者は、それ以外の事が疎かになっている事が多いと、ミランダは経験上思っていた。
「魔物が相手となれば、死ぬ危険性も上がる。それは分かっているな?」
いくら出世のためと言えど、それだけを理由に死の危険のある対魔物用の任務に参加するのだろうか。まだなにか事情があるのではないかと思い、ミランダは魔物の危険性を認識しているかアランに尋ねた。
「そんなの、人間が相手でも同じでしょう」
騎士は街中の警護を行う上で不信な人物と戦闘になる事があり、最悪騎士に死者が出る事もある。つまりは人間を相手にする騎士と言えど、命の安全が保障されるわけではないという点で、アランの言っている事は正しい。
しかし、人間を相手にする騎士と、魔物を相手にする冒険者では、冒険者の方が圧倒的に死亡率が高いのは統計的に明らかであり、騎士団が魔物を相手にする任務に中々手を付けようとしなかった最大の理由でもある。
騎士であるアランがそれを知らないはずは無い。
それをはぐらかすような回答をするという事は、アランがこの任務に就いたのには何か事情があるのではないか。ミランダにはそんな気がしていたが、本人の態度を見るにこれ以上の事を話すつもりはないのだろう。
「そうか。君は出世してやりたい事があるのか?」
この任務についた経緯は話せなくても、この任務が終わった後の事であれば、話せるのではと思い、ミランダは話題を切り替えた。
組織である以上、地位が高くなればなるほど、責任も増えるが出来る事も増える。世の中を良くするといった漠然とした目標を掲げる者もいれば、特定の町への駐留騎士団員を増やすといった明確な目標をもった者もいる。そういった者は道を外しにくいが、注意しなければならない者もいる。
「それはなってから考えますよ」
それはただ漠然と権力を欲する者だ。
次話は8/5に投稿予定です。