[2-14] 仕返し
ヴァネッサと別れた後、オリバーは一人部屋でベッドに横になって天井を眺めていた。
一方的とはいえ、起きて待ってろと言われた以上は起きて待っているつもりでいた。ヴァネッサも行くと言ったからには、それほど遅い時間にはならないだろう。
そうは言っても今日の疲れもありそろそろ瞼が重くなってきた。
万一このまま寝てしまったら、ヴァネッサは寝込んでいる自分から血を吸い取ったりするのだろうか。寝ている自分にダガーを突き立てて、血を吸いとるヴァネッサの様子を想像してしまうが、即座に声に出して否定する。
「まさかな」
「何が?」
眠気が吹き飛んだ。
部屋に入った時には自分しかいなかった。誰かが部屋に入ってくる気配は感じなかった。にも拘わらず独り言に応える者がいた。
思わず跳び起きると、いつのまにかベッドにヴァネッサが座っていた。
「鍵掛かってたよな?」
部屋の鍵を確認するが掛かったままになっている。
「掛かってたね」
彼女は悪びれもせずに、足をぶらぶらさせている。
「どうやって入った?」
「ヒミツ」
オータムの村でも似たようなことがあったが、侵入方法について答える気はないらしい。
何をしに来たのかは聞くまでも無いだろうが、念のために確認しておく。
「血が欲しいのか?」
「まさかって何の事?」
話を戻されてしまった。
「何でもないよ」
不意を突かれた事から、聞かれたままに白状するのは負けたような気がして、オリバーはごまかす事にした。
「じゃあ隠さず話して」
だがヴァネッサは諦める気はないようだ。
「だからなんでもないって」
「今日はもう来ないと思った?」
「近いな」
ついオリバーはそう漏らしてしまう。
「つまり、あたしの事を考えてたって事?」
ヴァネッサがオリバーの言葉を聞いて一段と悪そうな顔になった。
「待たされてたんだから、いつ来るのか考えるだろ」
それに対しオリバーは嘘の無い範囲で無難な回答をする。
「でも隠した」
「急に話しかけられて驚いたんだよ」
「あ、寝こみを襲われるとか思った?」
ほぼ正解であった。
「このまま寝たらどうなるかって考えただけだよ」
ごまかすのは限界と悟り話せる範囲で無難な事を話すオリバー。
「で、本当は?」
それでもヴァネッサはそれでは満足しないようであった。いつになくグイグイ来るヴァネッサに若干の違和感を覚えつつも、オリバーは仕方なく全部話す事にする。
「このまま寝たら、寝てる間に血を吸われるのかと思っただけだよ」
「ふーん」
少しは怒るのかと警戒していたオリバーであったが、ヴァネッサは話を聞けて満足したのか、怒る様子は無かった。
「血が欲しいんだろ?」
オリバーはここぞとばかりに話を本題に戻した。
「うん、今日は色々あったし」
オリバーは部屋に備え付けられていた椅子をヴァネッサの正面に移動させて座り、腕まくりをする。
「ほら」
「じゃあ貰うね」
ヴァネッサはそう言って右手でダガーを持ち、左手でオリバーの腕を掴む。
そしてダガーで傷を付ける直前に手を止め、顔を上げてこう言った。
「ところで、あたしがガエラの隠れ家を偵察してたとき、なにかあった?」
オリバーの心臓が跳ね上がった。そしてそれは今まさに腕をつかんで脈を取っているヴァネッサにそのまま伝わっているはずである。だがヴァネッサはそれを口に出さずにオリバーの回答を待っている。
悪戯の仕返しをしようとしたと本人に言うのは気が引けたが、上手い言い訳は考えていなかった。
「少し時間が掛かってたみたいだから、何かあったのかと思って声を掛けようとしただけだよ」
咄嗟に思い付いた理由でごまかそうとしたが、それは墓穴を掘っただけだった。
「声を掛けるなって言ったのに?」
ヴァネッサの声色からは怒りは感じられない。ただの事実確認をしようとしているだけだろう。それなのに怒られている気がするのはオリバーに負い目があるからだろうか。
「時間が掛かってたから心配になったんだよ」
「心配してくれたんだ」
「ああ」
「ありがと」
納得したのか、ヴァネッサはダガーでオリバーの腕に切り込みを入れ、同時にオリバーには鋭い痛みが走る。
傷口から血が流れ出て来るのを確認すると、ヴァネッサは口をオリバーの傷口に近づけ、そして露骨に大きな音を立てて血を吸いだし始めた。
今までも何度かヴァネッサに血を与えていたが、これまでのヴァネッサの行動は血を吸うというよりも、出血した血を舐めるといった表現の方が正しいだろう。
それが今回は明らかに音がでる程の勢いで傷口から血を吸い取っている。
「おい、どうかしたか?」
今までとは異なるヴァネッサの行動に、オリバーは思わず声を出して真意を確かめる。痛みを感じたというのもあるが。
ヴァネッサが傷口から口を離し、そして淡々とこう言った。
「ちょっと血の出方が悪いから、もう少し深く切ってもいい?」
ヴァネッサが横に置いていたダガーを手に取りチラつかせる。
血を分けると言ったのはオリバーであり、ここで拒否するのはまるで逃げているような気がするため断る気にはならなかったが、どこか様子がおかしい。やはり怒っているのだろうか。
オリバーがヴァネッサの様子を訝しみ、回答を保留していると安心させようとしているのかヴァネッサが満面の笑みでこう言った。
「大丈夫、ちゃんと治すから」
ヴァネッサが傷を後を残さず治せるのは承知しているが、それでも傷を付けられた時の痛みがない訳ではない。何よりも笑顔がわざとらしすぎる、やはりこれは怒りの裏返しなのではないだろうか。
「いつもこのぐらいの切り方じゃなかったか?」
「今日は色々あってたくさんスキル使ったから、その分多めに血がいるんだ」
確かに今日はガエラとの戦闘があり、使い魔をかなり使っていたようであったため、消耗が激しかったというのは嘘ではないだろう。しかし、それとは別の理由がある気がしてならないのはオリバーの考えすぎなのであろうか。
「切るのは構わないが、早く済ませてくれよ」
「分かった」
ヴァネッサが短剣を傷口に近づけ、傷口に短剣を差し込もうとしたその瞬間、ヴァネッサはふと目線を上げた。
「ところでさっき、声を掛けるつもりだったって言ったけど、右手で何かしようとしてなかった?」
油断していたオリバーはその目から視線をそらす事ができない。
「右手って?」
ヴァネッサが何を言っているかは分かっているし、あの時自分が何をしていたかも覚えているが、今はそうやって惚けるのが精いっぱいだった。
だが残念なことにヴァネッサは左手でオリバーの腕をつかんだままである。ヴァネッサの質問に合わせてオリバーが再び大きく脈打った事は伝わっているのだが、オリバーはそれに気が付かない。
「丁度こんな感じで人差し指をたててさ、何かを指さすような感じに」
ヴァネッサはダガーを持ったまま、人差し指を立ててあの時の手の形を再現している。
「そうだったか?」
オリバーは白を切り通す気でいる。今更やっぱり思い出したというのは不自然すぎる。最早後には引けない。
「覚えてないの?」
ヴァネッサは相変わらず怒っている様子はない。ただ淡々とオリバーに質問をして事実確認をしているが、オリバーにとっては非常に居心地の悪い状態だ。一刻も早く終わらせたいところだが、傷を付けるのも、血を吸うのも、傷を治すのも全てヴァネッサが行う動作であり、ヴァネッサがやらない事には終わらない、
さらに一連の動作の最初となる傷を付ける行為は既に終わっており、そこまでやってから傷を治してもらう前にヴァネッサから逃げるという行動は明らかに怪しい。オリバーがヴァネッサに対して負い目があるというのを認めているようなものだ。
だがオリバーは気づかない、逃げられない状態に追いこんでから質問をするという時点で、ヴァネッサから怪しまれている可能性が高いという事に。
「ああ、覚えてないな」
「そうなんだ。偶然かもしれないけど、あれって、あたしがオリバーの魔剣の訓練をしてる時にしたイタズラと同じ手の形だよね」
「だから覚えてないって」
ヴァネッサの予想は当たっているのだが、今更言い出すわけにはいかない。心の中でギルスの口車に乗ったことを後悔しつつ、オリバーは白をきりつづける。
「ひょっとして、訓練の時の事根にもってやり返そうとしたとか?」
これもまた正解である。ここにきてようやくオリバーにもヴァネッサは分かった上で質問してきているという可能性に思い当たった。だがここまで来てしまえばオリバーにも意地がある。今更認めるという気にはならなかった。
「そんな訳無いだろ」
「そうなんだ」
「ああ、そうだ」
ヴァネッサは視線を腕に戻す。再び切り込みを入れるのかとオリバーが心構えをするが、彼女はダガーを手に持ったまま、人差し指を傷口に当ててこう言った。
「あたしね、さっき嘘ついた」
「どんな?」
いかにも聞き返して欲しそうな言い回しであっため、オリバーは誘いにのっておくことにした。自分が嘘をついている手前、沈黙が気まずいというのもあるが。
「血の出方が悪いっていうの」
「そうか」
別に意外ではない。オリバーも何となく察してはいた。だからただ短く相槌を打っただけだった。
「にーさんはあたしに嘘ついた?」
「ついてないさ」
いつものようにヴァネッサが傷をなぞると、傷は跡形もなく消え痛みもなくなっていた。嘘をついたという心の痛みは残っているがそれは仕方の無い事だ。そんな事を考えているとヴァネッサが視線を上げてこう言った。
「で、本当は?」
心の痛みをヴァネッサが取り除こうとしてくれているようだ。もう傷は治してもらっている。話は終わったようなものだ。つまり本当の事を言い出すのはこれが最後のチャンスとういう事だ。
ここで否定しても、もうヴァネッサは追及してこないだろうし、血は分けたんだから早く出て行けと部屋を追い出したところで別に不自然な対応ではない。後はオリバー自身の良心の問題である。
「ついた」
良心が勝った瞬間であった。
●
一度折れてしまった心はそうそう簡単には立ち直れない。オリバーはあの時の詳細を洗いざらい吐いた。
「やっぱり帽子の差し金だったんだ」
「すまない」
こうなっては子供の様に謝る事しか出来なかった。とはいってもヴァネッサは怒っている様子は無い。やはり最初から分かっていて質問していたのだろう。
「どうして嘘ついたの?」
まるで子供を叱る親のようなセリフであった。
「言い出しづらくて」
「言い出しづらい事ってあるよね。誰にでも」
「ああ」
「ねーさんの昔の話とか」
急な話題転換にオリバーは意表を突かれるが、何の話かは直ぐに思い当たった。
「今朝の話か?」
ガエラと戦い、屋敷から脱出した後、会う前に何をやっていたかという話になり、微妙な空気になってしまった。加えて、あの時リリアは昔の話をしようとしなかった。言いづらい内容なのだろう。
「私から言う気はないけど、このまま魔族と今の関係を続けたら、知るのは時間の問題だと思うよ」
「有名って事か?」
オリバーからすれば、まともに会話をした事のある魔族は、リリア、ヴァネッサ、アンの三人だけだ。魔族全体の事情については知らない事の方が多い。
「にーさんは、私の口から聞くよりも、ねーさん本人の口から話して欲しいでしょ?」
「それは、本人の口から聞くのが一番だろ」
言い出しづらい話題なのかもしれないが、第三者から聞かされるのと、本人の口から聞くのは受ける印象が違う。
「やっぱりそうだよね。ごちそうさま。じゃああたしは部屋に戻るね」
そう言ってヴァネッサは席を立つ
「なあ、リリアの過去を知ってるんだろ?」
一歩歩き出すか否かというタイミングでオリバーが呼び止める。
「それ今聞く? まあそれが正解かもしれないけど」
ヴァネッサは顔だけを振り向かせ質問に答える。
「正解ってどういう事だ?」
「血を吸わせる前に「答えないと吸わせない」って言って聞こうと思わなかったの?」
先ほどヴァネッサが、オリバーを逃げられなくしてから質問をしたように、自分の血と引き換えに質問の答えを要求するというのは駆け引きの一つとしてあっただろう。
「血を分けるのは、元々使い魔を使って消耗するからって話だったから、それ以上を要求する気にはならなかったよ」
「それで正解。そんな事してたら、あたしは別の人のところに行ってたかもね」
以前にも言われた。ヴァネッサが必要なのは、あくまで人間の血であって、オリバーの血に拘ったりはしないと。
「おい」
本気とも冗談ともとれるその発言に、オリバーはそう返すしかできなかった。
「この話はここまで。知りたいなら本人に聞いて。お休み」
そこまで言うとヴァネッサはオリバーから視線を外して、普通に部屋の鍵を開けて扉から出て行った。
部屋に一人残されたオリバーは話題をそらされて煙に巻かれてしまった気がしてならなかった。どうやらヴァネッサはリリアの過去について自分の口か語る気はないよだが、あの様子は何かを知っているのは間違いない。
他人の過去を告げ口するような真似はしたくないという事なのか、それとも余程の何かがあるという事なのか。
ガエラの屋敷から脱出した直後に過去を追及されたリリアの様子からすれば恐らく後者なのだろうという予想は、オリバーとしても何となく考えていた。これ以上リリアの過去に踏み込むというのであれば、ある程度の覚悟が必要だ。それでもリリア本人にこの事を聞くべきかどうか。
●
「何の用?」
いつの間にか部屋に入り込んでいた侵入者にたいし、リリアは特に驚いた様子もなく、そう尋ねた。
「ちょっと話をしに」
リリアからすれば知る由もないが、オリバーとの話が終わったその足で、ヴァネッサはリリアの部屋に向かった。そしてまだ起きていると分かるや否や、鍵のかかった部屋に侵入した。
「だったら普通に入ってきてもらえない?」
リリアは鍵のかかったままになった扉を見ながらそう尋ねた。
「どんな反応するか見たくて」
ヴァネッサは特に反省する様子は無い。
「これで満足?」
「もう少し驚いて欲しかったけど」
「鍵抜けぐらいサキュバスだって出来るわよ。知ってるでしょ?」
サキュバスも吸血鬼もその特性から寝こみの人間を襲う事が多い。よって鍵抜けのスキルを持っている者は多かった。
「じゃあ、ねーさんは、にーさんの部屋に入らないの?」
「入ってどうするのよ」
出来ないとは言わない。リリアも鍵抜けのスキルを持っているのだろう。
「最近吸ってないんでしょ?」
「吸うほど消耗してないわよ。そんな話をしにきたの?」
「それもあるけど本題は、ミランダの話」
そこでヴァネッサは一旦言葉を切り。リリアの反応を待つ。
「…あの人がどうかした?」
リリアがそう返すのには間があったが、次のヴァネッサの質問は間を置かず発言された。
「あの時殺すつもりだった?」
単刀直入に本題に入られた。リリア自身、ミランダの名前を出された瞬間、この話題になるのではないかと予想はしていた。
「仕方ないでしょ。やらなきゃ全員捕まってたかもしれなかったのよ。」
「あの人がにーさんの姉だって分かってても、同じ事した?」
「しなかったと思うわ。多分」
確かにあの時、リリアはミランダの事をオリバーと面識のある女騎士ぐらいにしか思っていなかった。だからこそ殺そうといたと言ったほうが正しいかもしれない。
「結局は殺さずに済んだけど、次に会っても殺したらダメだよ」
あの時横に居たヴァネッサからすれば、リリアが殺気立っていたのは明らかであった。だからこそ止める意味もあって、あえて話しかけたのである。
「怒らないの?」
「うん」
人間を殺すのは禁忌だ。それを破れば良くても魔界へ強制送還、悪ければ処刑される。その禁忌を、リリアはヴァネッサの前で犯そうとした。ヴァネッサが止めに入らなければあのままミランダを殺していただろう。
魔族であれば禁忌を犯す者に対して怒りを抱くのは当然だとリリアは考えていたが、ヴァネッサは怒っている様子はない
「驚かないの?」
「うん」
余計な事は言わず、ただ事務的に質問に答えた。答えの通り怒ってはいないのだろう。だがそれがリリアを余計に惨めにさせた。
「どうして?」
「最悪は常に想定してるって言ったでしょ。私も魔剣がにーさん以外の人間に渡るのは止めたかったし。でもさ、一つ聞いておきたいんだけど」
「何?」
「最初墓地でガエラと遭遇した時、攻撃するの躊躇してたよね。あれは人間相手に、やり過ぎて殺しちゃうのを躊躇してるのかと思ってたけど、ミランダが相手の時は躊躇しているようには見えなかった。違う?」
賞金首であるにも関わらずガエラは人間であるという理由で殺すのは躊躇した。一方で騎士であるミランダは人間であるにも関わらず殺そうとした。その違いがどこから来たのか。
「私は、魔剣が人間側に渡るのを恐れて、あの人を殺そうとしたんじゃないのよ」
「じゃあ、どうして?」
今のリリアを見れば大体の予想は付いていた。それでもヴァネッサはあえてそれを口にせずに本人の口から言わせることにした。一人でため込むよりも誰かに話を聞いてもらった方が気持ちの整理ができる事がある、今のリリアは正にそんな状態に見えたからだ。
「私はあの人に嫉妬したのよ」
血の繋がっていない男女が旧知の仲だった。想像できる関係は限られる。
それが許せないというのは、リリア自身がオリバーに特別な感情を持っているという事だ。
「でも、兄弟だって分かれば嫉妬しない?」
「ええ」
もはや何について嫉妬したのか言わなくとも明白ではあったが、それをリリアの口から言わない以上、ヴァネッサもそれ以上は追及せずに、今後の話へと話題を移した。
「あの人は騎士団だから、今後もにーさんを追ってくるかもしれない。そしてにーさんの姉である以上、殺したりしたらにーさんとの関係は悪くなる。それは分かるよね」
「ええ」
「次会ったらどうする気?」
「騎士団として捕縛しに来たのなら、殺さずに追い払うわ」
「そうしてね」
つまりはミランダと再度遭遇する危険性があるため、再度あったらどうするかをわざわざ話に来たというところなのか。
「ねえ、私も一つ聞いておきたいんだけど」
部屋を出て行こうとつぃたヴァネッサをリリアが呼び止める。リリアとしてもこの際話しておきたい事があるようだ。
「何?」
「最初に墓地でガエラと戦った時、私よりも先にオリバーの元に行ったわよね」
「そうだね」
「どうして?」
「危険だと思ったから助けに行ったんだよ」
「それだけ? それとも、私の過去を知ってるから?」
「それもあるよ」
ここまで直球で聞かれたら隠しても仕方がない。いずれ話さなければならない事だろうとは、ヴァネッサも思っていた。だからこれ以上その事から目を背けるのをヴァネッサは止めた。
「そう、やっぱり」
リリアもその答えは予想していたようだ。
「有名だからね。私でも噂は聞いた」
本人から直接聞いてはいないが、あの噂を聞く機会はいくらでもあった。そしてその噂の出所の本人がリリアであるというのは、リリアのスキルを聞けば簡単に予想は付いた。
「でも、私は彼を治すのに成功したわ」
腕を失ったオリバーに対してスキルを使って腕を再生したというのは、変えようのない実績である。それなのにヴァネッサは厳しい表情のままであった。
「あれをやったのはあの事件以来?」
「そうだとしたらいけない?」
まるで責めるかのような口調に、リリアは不快感と疑問の入り混じった答えを返した。
「もう一度やったら成功する保証はあるの?」
「一度成功してコツは掴んだわ。私だってサキュバスなんだから、人間相手だったら共有スキルが使えるって事よ」
「もう一度成功する保障は? 練習できるスキルじゃないよね?」
あの練習をしようとしたら、死にかけの人間を用意しなければならない。少なくとも、ヴァネッサと行動を共にするようになってから、そのような機会は一度もなかった。
「私にはスキルを使うなって事?」
「最悪の場合を考えたらリスクが高すぎるよ。それはねーさんが一番分かってるんじゃない?」
「でも、片腕を無くした時は、治さないと死んでたわ」
あの状況で放っておけば、オリバーは失血で死んでいただろう。リリアがオリバーを命を救ったというのは、紛れもない事実だとリリアは思っていた。
「本当にそう思ってるだけなら、早く昔の話をにーさんにした方がいいよ」
「どうして話さないといけないの」
「それはねーさんが一番分かってるんじゃないの? 分かってるから話さない。にーさんは、ねーさんの事命の恩人だと思ってるかもしれないけど、あたしは違うと思ってるよ。」
「そこまで言う?」
リリアの語気に勢いがなくなっているのは、言葉に反して、ヴァネッサの言っている事を認めているからだろう。
「私からこの事をにーさんに話すつもりはないけど、このまま魔族と関り続けたら知るのは時間の問題だよ。あたしでも知ってるんだから」
「それは、分かってるけど」
リリアもそれは分かっているのだろう。サキュバスの中でもリリアの起こした事件は有名である。オリバーの耳に入るのは時間の問題であると。
「自分で言った方が良いんじゃない? まあ、今のあたしもねーさんの事言えないかもしれないけどね。それとも、あたしが先に昔の話しちゃってもいい?」
●
その夜、ギルスはオリバー達と別れ、一人で宿に泊まっていた。
明日には合流する約束になっている。
人が作った建造物というのは、エルフの作った建造物とははやり雰囲気が異なり、どこか落ち着かない。よって自然とギルスは窓際に移動し、月夜を眺めながら物思いに耽っていた。
考えているのは、これからの事と、ここに来るまでに歩いた道のりである。
ここに来るまでいったいどれだけの月日が掛かっただろう。人間では到底不可能な、エルフだからこそ達成できる長い長い年月を要した。
その終わりがようやく見えてきた。手札はすべて揃った。あとは使うだけである。
「もう少しだ。もう少しで会えるよ」
強い思いが、言葉となって口から独白となって漏れる。
月夜を見上げながら、フィアンセの顔を思いだしていた。
その顔はオリバーたちには見せた事のない面持ちであった。
「君は僕の事を怒るかな。でも僕はやるよ。約束だからね」
遠い昔に交わしたあの約束。それが果たされる日は、そう遠くない。そうあって欲しいと彼は願っていた。
●
月が高く上るほどに夜が更けた頃に、焼け落ちたガエラの屋敷の前に一人の男が訪れていた。
「本当にやられたのか」
街中で騎士団と賞金首が戦闘を行った結果、屋敷が火事になったという噂はすぐに町中に広がっていた。その噂を聞いた彼はその真相を確かめに来たが、実際に焼け跡と化したガエラの屋敷を見ては、その噂を信じるしかなかった。
「騎士団に手を出したという時点で予想はしていたが」
騎士団と言えど人間の集団である。仲間に行方不明者が出たとなれば、その捜索を行うのは自然な流れであり、その結果騎士団を行方不明にした犯人であるガエラが捕縛もしくは討伐されてしまうのは考えられる結末であった。
しかも彼は所金首としてギルドから手配される状態であった。つまりは冒険者からも命を狙われるという事であり、こうなってしまうのは時間の問題であった。
「せっかく死霊術が使えるようになったというのに、存外あっけない最後だったな。彼は大義が一緒でも目指す目的が違っていた。ガーゴイルの作成にまで至った彼を失ったのは残念ではあるが、また他の同士を探すとするか」
その言葉は誰に届くことなく闇夜に飲まれ、彼の姿もまた誰の目に留まる事なく、闇夜の中へと消えていった。
死霊術師になる者には大別して二つの種類がある。一つは死者蘇生を目指す者。もう一つは自らの不老不死を目指す者である。
次話は7/1に投稿予定です。