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[2-11] 決意

 背中からオリバーの声が聞こえた。だが振り返らない。今はガエラを追うのが最優先だ。

 もっともこの後に、オリバー達が騎士団に捕縛されてしまうようでは、ギルスとの約束が果たせなくなってしまうため、それはそれで問題ではあるが、逃げずにグールと戦っているという事は、オリバーには何か考えがあるのだろう。

 階段を下りきるとしばらく真っ直ぐな廊下が続く。日光の射さない地下ではあるが、壁の内部から淡い光が漏れ出ている。壁の一部にレグナス鉱石を使用しているのだろう。わずかな魔力で光を発するこの鉱石は、魔術師たちに重宝されている。

 そうして、通路の奥まで行くと扉があった。

 ドアノブに手をかけると鍵は掛かっていなかった。地下に降りてからここまでは一本道だった。中にはガエラが居るはずだ。ゆっくりと扉をあけ、隙間から中をのぞくと中にはガエラがまだ残っていた。

 その様子に顔をしかめた。

 部屋の中には死臭が漂っていた。

 彼はベッドに横になっている人物の手を握っている。いや、薄暗い部屋の中ではそう見えたが、よくよく見てみると、ガエラが手を握っているのは服を着たままになっている女性の白骨死体だ。大きさからすると成人の白骨だろう。

 ゆっくりと部屋に入りながらギルスはガエラに声を掛けた。

「それは奥さんかい?」

 死霊術の研究を行う者は二つに大別される。不老不死を目指す者と、死者蘇生を目指す者。ガエラは後者であったようだ。

「ああ、私の妻だ」

 ガエラは言いながら立ち上がりギルスの方に向き直った。

「奥さんを蘇らせたいのかい?」

「ああ、そのために死霊術を研究してきた」

「そうかい。でも同情はしないよ。君には死ぬか捕まるかしてもらわないと僕が困るんだ」

 ギルスはそう言いながら弓を構えるがガエラは顔色一つ変えなかった。

「私は一度あの悪魔憑きと戦ったが、その時君は居なかったはずだ。最近仲間になったのか?」

「仲間というか、協力関係だね。僕は君を捕まえる事で、彼らに協力してもらう交換条件なんだ。おとなしく捕まってくれないかな」

「それはできない相談だな」

「君は死霊術師だろう。この距離で弓矢を防ぐ手があるのかい?」

「この部屋に何の備えもないと思っているのか?」

 一階にあった仕掛けを考えれば、この部屋にも侵入者用の罠が仕掛けられているのは充分に考えられる事である。

「例え何か仕掛けを使って僕の攻撃を防いでも、騎士団とオリバーが来たらそこまでだよ。仕掛けは何人分用意してあるんだい?」

 よってギルスはガエラの脅しをハッタリとは決めつけずに、逆に脅し返す方法を採った。

「では取引といかないか?」

 痛い所を疲れたのかガエラが譲歩してきた。

「どんな?」

 ギルスはまずは話を聞いてみる事にするが、弓矢はつがえたままだ。

「この部屋には抜け道があって村の郊外に出られる。私を見逃してくれればそれを教えよう」

「それは取引にならないよ。君を殺してから調べればいい事だ。違うかい?」

 ガエラを逃がすという選択肢はギルスにはなかった。

「私と戦っている間に騎士団が来たら、君も困った事になるんじゃないのか?」

 上の様子がどうなっているかは分からないが、騎士団があのまま引き返すとは思えない。 

数の差から考えてオリバー達が騎士団たちを撃退するというのも考えにくい。遅かれ早かれこの場所にやってくるだろう。

  騎士団がここに来るという事はオリバー達が負けたという事になる。当然オリバー達と一緒に居たギルスにとっては不味い状況となるだろう。

その予想についてギルスも同意見であったが、ギルスにはもう一つ別の予想があった。

「どうせ君もその抜け道で逃げるつもりだったんだろう? 聞かなくても適当に痛め付ければ自然と君はその抜け道を使って逃げる。違うかい?」

 ガエラは賞金首であり、さらに騎士団員を手にかけたことから騎士団からも恨みを買っている。当然この場からギルスから見逃してもらったところで、この場から逃げない限りは騎士団に捕縛されるか戦って死ぬかの二択になる。

 それでも取引を持ち掛けるというのは逃げる算段を用意している、つまり抜け道があるというのは出鱈目ではなく本当に存在すると考えるのが自然である。

「強欲は身を亡ぼすぞ」

 図星だったのかガエラが苦い顔をした。

「流石、死者を蘇らそうとして身を滅ぼした人間は言う事が違うね」

「ああ、全くだ」

 ギルスの皮肉に対して、ガエラは死霊術を発動させながら答えた。

 ギルスの近の床板を破り、グールが飛び掛かってくる。

 だが、ギルスはそれを眉一つ動かさずに躱した。

 グールはそのあま壁に突っ込み、壁に大きな染みを作る。よろよろと鈍い動作で振り向き再度ガエラに襲い掛かろうとするが、その方向転換に係った時間で、既にギルスの魔術が発動していた

「それはさっきの…」

 オリバーが使い魔らしき蝙蝠を切ったのはガーゴイルを倒した後だ。つまりはあの使い魔を通してガエラはガーゴイルが倒される様子を見ていたのだろう。

 知性の無いグールに代わり、ガエラが驚きの声を上げていた。視線の先にあるのがガエラの背中から生えている半透明の腕である。

「さっきも使ったんだけど、君も使い魔越しに見てたのかい?」

 そう言いながら、ギルスは手の形として具現化させた魂でグールを掴み、魂を抜き取った。

 するとグールは糸の切れた人形のようにその場に倒れこんだ。

「ああ、見ていたとも。まさか直に見れるとはな」

 魔術師として、見たことのない魔術に好奇心を刺激されたのか、ガエラの言葉は恐怖よりも興奮の色が強かった。

「見ての通り、死体に埋め込んだ疑似霊魂なら簡単に引きはがせる」

 半透明の手が、握っていた疑似魂魄を見せびらかすように左右に動く。

「一人で追ってくるとは、よほど腕に自信があるのかと思ったらそうい事か」

「ああ、悪いけどグールじゃ僕の相手にはならないよ。それに、この手口は墓地でも使ったそうじゃないか。僕は現場にはいなかったけど、オリバー君たちから話は聞いたから、予想はしてたよ。残念だったね」

 グールをしかけた場所までおびき寄せて、射程に入ったら、あらかじめ疑似魂魄を埋め込んでおいたグールを起こすという手口を知っていたギルスにとってはこの程度は簡単な事であった。

「そうか、仲間から聞いていたのか」

「奥さんの死体で注意をそらすとか悪趣味だね。でも死臭がしたからバレバレだったよ。白骨化した遺体から匂いがするのはおかしいからね」

 部屋に入った時に死臭を感じたが、白骨死体からはそのような匂いはしない。つまりは部屋のどこかにグールが仕掛けられているというのは、ギルスはすぐに見抜いていた。

「そこまで気づかれていたか」

 手の内を読まれ諦めたのか、ガエラが自嘲する。

「一応聞いておこう。それは本当に奥さんの遺体かい? それとも、僕の注意をそらすためだけに適当な死体と、適当な作り話をしたのかい?」

 ギルスの声が一段と低くなる。それは死者を冒涜した者への怒りなのだろうか。

「これは本当に妻の遺体だよ。妻の蘇生が目的なのも本当だ」

 そう言ったガエラを見定めるように、ギルスはしばしの間沈黙し、ガエラの様子をうかがっているが、やがて肩の力を抜いてこう言った。

「まあ、そういう事にしておこう。抜け道はどこにあるんだい?」

「ここだよ」

 そういってガエラは近くあった本棚を乱暴な手つきで倒し、露わになった壁面の壁に手を付くと、本棚で隠れていた場所が長方形に光り、中央から縦に割れて左右に動き道が開いた。

「ふうん、それも本当だったんだ」

 抜け道の存在も、実際に目で見るまでは鵜呑みに出来ないと、疑い半分であったギルスは、少し感心した様子で言った。

「何なら先を確かめてみると良い」

「じゃあそうさせてもらうよ」

 ガエラに促されるまま、隠し通路に入ろとして、ふと立ち止まる。

「やっぱり君に先に行ってもらおうか」

「どういうつもりだ?」

 ガエラが若干困惑気味で聞き返していた。

「罠があったら困るからね」

「用心深いな」

「先に罠を使ったのは君だろう」

 一度罠があった以上二度目があるかもしれないと警戒するのは無理もない事だ。この地下室だけでなく、一階にも罠があった事を加味すれば三度目となる。この隠し通路の中に罠がある可能性も十分考えられる。

「そうだったな。仕方ない」

 ガエラは観念したように隠し通路に入ったかと思うと、急に方向を変え、ギルスに突進した。

 振り向き様に懐から出した短剣を両手で持ち、ギルスの腹部を狙う。

 ギルスの武器は弓であり接近されると分が悪い。ガエラもまた死霊術師であり、接近線では分が悪いが、ギルス相手であれば接近戦でも勝ち目があると踏んだのだろう。

 ギルスは身を飛び引いて最初の突進を交わすが、距離を取ろうとして転倒する。先ほど倒したグールの死体につまずいたのだ。

 それを見たガエラは勝負あったとほくそ笑む。

「私はまだ死ぬ訳にはいかない。妻を蘇らせるまではな」

 もはやガエラは勝利を確認していたのだろう。短剣を手にしたままゆっくりとにじみよる。だが異変に気が付き足を止める。

「もしかして勝ったつもりだったのかい?」

 今度はギルスがほくそ笑む番であった。

「なぜだ…」

 ガエラは目の前で何が起きているか信じられないといった様子だった。自らが生成し、先ほどギルスに倒されたグールが再度立ち上がったのだ。

「貴様何をした」

 全てが手遅れになってから、ようやくガエラは気が付いた。ギルスはあの半透明の手を背中から出したままである事に。

 絶望に染まったガエラにグールの爪牙が襲い掛かる。短剣を持った死霊術師ではグールの怪力に敵う筈もない

「どうせ『生きている人間を狙え』みたいな雑な命令しかしてないんだろう? 自分を攻撃対象から除外することもできてない」

 グールの餌食となり悲鳴を上げているガエラに対してギルスが淡々と語り始める。そして服についた汚れを払いながら立ち上がり、自分がグールに襲われる前に倒せるよう、再魂の手を構える事も忘れていない。

「もう気づいてると思うけど、僕は魂を抜く事だけじゃなく、入れる事もできるんだ。さっきつまずいたのは、入れるのをごまかすためにわざとだよ」

 悲鳴を上げているガエラにその言葉が届いているかどうかは分からない。その様子を見ながら、ふと思い出した事を口にする。

「あーあ、出来れば『神の奇跡』の話をどこで聞いたか、教えて欲しかったんだけどね。まあ、協力の交換条件には関係の無い事だし、このまま死んでもらおうか」

 ガエラが悲鳴をあげなくなっても、グールはガエラの体を攻撃し続けている。それともあれは捕食しているのだろうか。

「僕が襲われても面倒だしもういいかな」

 そして再度ギルスは魂の手をつかってグールから疑似魂を引き抜いた。すると先ほどまでの暴れ方が嘘のようにグールの体は動かなくなった。

「それじゃあ、抜け道が本当かどうか、自分の足で確かめようかね」

 そう言いながら、ギルスは先ほどガエラが開けた隠し通路を進んでいった。

 その彼を後ろから付ける視線がある事に、ギルスはまだ気が付いていない。


 ●


 地下でギルスとガエラが戦闘している頃、地上でも一つの戦闘が終了していた。

 グールの最大の脅威は奇襲と言ってもいい。不意に地面から這い出し、無防備なところを一方的に攻撃する。それこそがグールの最大の攻撃方法であった。

既に戦闘態勢に入っていた騎士が相手では分が悪かった。加えて数も少ないとあっては勝てる道理もない。生者対不死者の戦いは、あっけなく生者の勝利で幕を閉じた。

しかし、それは別の戦いの幕開けに過ぎない。お尋ね者対騎士団である。

あらかたグールを倒した後、誰かの合図があったわけではないが、自然とオリバー達三人は地下への続く階段の前に位置取り、騎士達は四方に散って複数の入り口を全て固めた。騎士たちの動きは事前にミランダが指示した通りの動きであり、それはオリバー達に対してはここから逃がすつもりはないという意思表示であった。

「まずはグール討伐に手を貸してもらった事に例を言おう」

 リーダーらしき女騎士がオリバー達に話かけてくる、最も、女騎士の名前がミランダである事を知っているオリバーだけは、彼女がリーダーだという事は最初から察していた。

 だがリリアとヴァネッサにとっては素性を知らない騎士の一人に過ぎない。

 ミランダがここにいるのは、騎士としてガエラを追ってきたからであり、先ほどリリアが屋敷の壁を破壊したのを見て駆けつけたのだろうという事は、オリバーも状況から推測している。

 ミランダがオリバーの事をどう思っているのかは測りかねていた。悪魔憑き疑惑が起きてから、オリバーはミランダとは顔を合わせていない。

 ミランダはが彼女の弟である事を仲間に明かしているのだろうか。明かさずとも、あれだけ大きな騒ぎがおきてしまえば、騎士団という集団の中では身内の不祥事などすぐに噂として広まっているだろう。果たして何と声を掛けるべきか。

オリバーが悩む中。先手を打ったのは彼女の方だった、

「私の名前はオリビア」

 そんな訳が無いだろうという言葉がオリバーの喉から出かかるが何とか飲み込む。

しかし彼女の本当の名前も、オリビアの言葉がオリバー自身にとって別の意味を持つ名前である事を知っているオリバーは、その露骨な嘘に反応せずにはいられなかった。軽く笑ってしまったのである。そしてそれを見たミランダは、なるほどといった様子でこう言った。

「そういう反応をするのであれば、記憶はあるのだな、オリバー」

その言葉で、自分が鎌をかけられたのだと気が付いたが手遅れだった。

 そう、彼女は名乗っただけだ。それに対して笑うというのは彼女の言葉に別の意味を察したという事と同じである。

「ここでお前に会えるとは思わなかったが、墓地でガエラと戦った冒険者というのはお前だったのか? オリバー」

 お前の事は分かっていると言わんばかりに、本当の名前を呼ばれた。

 ここで黙っていても仕方がないし、今は数の多い騎士団に包囲されている。オリバーとしてもここまでガエラを追ってきた以上は、墓地で一度ガエラと戦った事は隠す必要は無い。下手に開いての機嫌を損なわない方が良いと思い、オリバーは正直に答える事にした。

「そうだ。俺たちが戦った」

「本当に悪魔憑きになったのか?」

「それは…」

 先ほどの質問とは異なり、迂闊な答えをしていい質問ではない。

サキュバスの力を借りて、切断された腕を再生したのは事実である。それをミランダが悪魔憑きと呼ぶとは思っていない。だが何よりも、魔族の存在は人間に伏せているという魔族側の事情を考えるとこの場で真相を口外するのは問題だろう。

 ミランダ一人なら話せたかもしれにが、今は他の騎士団員が大勢いる。すべてを正直に話すというのは出来ない相談であった。

「裁判では一貫して否定したと聞いていたが、私の前では答えに迷うのだな。やはり何か事情があるのか。後ろの二人なら答えてくれるのか?」

 裁判の時には魔族側の事情はもちろん、事の真相をオリバー自身が知らなかったため、オリバーは自信が悪魔憑きではないと否定していた。それは間違いないのだが、後ろの二人にミランダが話を聞くとなると自体がややこしくなる。

「待て、二人はただの仲間だ」

 ミランダが二人に対して攻撃するのではないかと思い、オリバーは咄嗟に二人を庇う。

 とはいっても、後ろの二人が魔族として本気を出したら、この包囲を突破するのは簡単だろう。魔族の掟として人間の殺傷を禁じられているようだが、この緊急事態にその掟をどこまで守るかは怪しいところである。

「ただの仲間? 今の話に顔色一つ変えないという事は、お前が脱走した悪魔付だと知った上で行動を共にしているのだろう? ただの冒険者仲間ではないな」

 長年共に過ごしていたとはいえ、勘の鋭い姉であった。下手に余計な事を言うとこちらの事情を悟れるかもしれない。かといってこのまま無言を貫いたところで見逃してもらえるはずもない。

 話をしようと思っていたのだが、一体何を話せばよいのか。いっそ魔族の事を話してしまうか。しかし、この数の騎士団にその話をしても大丈夫なのか。悩むオリバーに対して、ミランダが話を進めようとする。

「話は詰め所に戻ってゆっくり聞くとしよう。まず三人とも武器を捨てろ」

「俺達の相手をしてたら、ガエラが逃げるぞ」

 もともと騎士団はガエラを追ってここまで来たはずだ。ガエラを理由にすればこの場をしのげるのではないかというオリバーの予想は、次の回答であっさりと打ち砕かれた。

「それは貴様らを逃がす理由にはならん。武器を捨てろ。それとも力づくで取り押さえられたいか?」

 ミランダが持っていた剣の切っ先をオリバーに向けた。それに呼応するかのように、他の騎士たちも一斉に抜刀し、臨戦態勢に入る。ここで対応を間違えれば、騎士団と戦闘になる。

 一触即発の中、この睨み合いを破ったのは、人間でも魔族でも無かった。


 ●


 一人がやっと通れる程度の細い道を進んでいくと先の方に明かりが見えた。

「まあ、元々街中にあったんだし、そんな遠くまで抜け道を掘る必要もないか」

 そんな感想を口にしながらギルスは淡々と抜け道を進み、そして日光が差し込んでいる壁に行き当たった。壁と言っても隙間があり、日光が差し込んでいる。その壁は触ると簡単に穴が開いた。

「植物でカモフラージュしてるだけか」

 穴の開いている部分を触るとそれは植物の枝と葉であり、素手でも簡単にどける事が出来た。

 視界が開けると、町の外へと続いていた。歩いた距離からして村からはさほど離れていないだろう。ガエラの残した言葉通り、外へと繋がっていた。

「ま、一人で逃げてもしょうがないんだけどね。」

 そう言って引き返そうとして、追跡者と目が合った。

 意表を突かれたギルスは思わず目を見開き、そして相手に攻撃の意思が無い事を察するとため息をついた。

「君、そこまでするかい? 言っておくけど抜け道の先が本当に外につながってるか確かめただけで、逃げようとしたわけじゃないよ」

 追跡者は答えないが、攻撃もしてこない。ただじっとギルスの事を見つめている。

「ああ、喋れないのかい? 大丈夫だって。今から戻るから」


 ●


 嫌な感じがした。相手は騎士団であり、オリバーはお尋ねものだ。鉢合わせしたら騎士団が捕縛を試みるのはおかしな事ではないし、予想もしていた。

 それなのにこの胸に宿る感情は何だろう。

 そうだ、あの女が悪い。確かにオリバーはお尋ね者だ。名前を知っていたとしてもおかしなことは無い。それだけならば問題ない。問題なのは、あの女の言葉の端々から感じられる、オリバーとは面識がある雰囲気だ。

 オリバーも元騎士だ。騎士同士であれば面識があっても特におかしな事はない。理屈ではそう理解している筈なのに。それなのにこの感じは何だろう。あの女が気に入らない。

この感じ。少し前にも似たような事があった事が気がした。

ーならあたしが繋ぎ止めようか?

 過去に聞いた言葉が頭の中に響いた。ヴァネッサに言われた言葉だ。あの時もこんな感じだった。それが何かはよく分からないが、何とかしなければならないという焦燥感は感じられた。この気持ちを解決をするにはどうすればいいのか。そういえば、さっきの言葉のその次にヴァネッサが言った言葉に糸口があった気がした。

ーそれが嫌なら自分でやって。

そうだ。そう言った。

魔剣を持ったオリバーが騎士団に戻るのは魔族にとっても後々憂いとなる可能性がある。そうであるならばここで騎士団に戻る危険性を排除すればいい。

オリバーの目の前で、オリバーの仲間が騎士を殺したとなれば、どうあってもオリバーは騎士団に戻る事はできないだろう。

魔族にとって人間への無駄な殺傷は禁じられているが、魔剣の喪失を防ぐという大義があれば必要な犠牲という事になるだろう。

それにこの距離であの騎士を攻撃すれば、オリバーは負傷する、そうすればまた…。そんな考えが頭の中に浮かんだ瞬間、それを打ち消すかのように現実のヴァネッサが話しかけてきた。

「何する気?」

横に居たヴァネッサが、周りには聞こえないような小声で話しかけてきた。咎めるような低い声は、リリアが何をしようとしたのか察したのだろう。その声でリリアは我に返る。

「このままじゃ掴まるわ」

 リリアの中に渦巻いていた黒い感情を抜きにしても、この包囲を突破しない限り、オリバーは騎士団に捕縛される。それは避けなければならない。その考えは間違っていないはずである。

「騎士団に死人が出たらオリバーの立場がもっと悪くなるよ」

「投降する気?」

 リリアにとって、この後に取れる選択肢は投降するか攻撃するかの二択であったため、ヴァネッサの言葉を、騎士団への投降を促していると思ったのも無理はない。

「私が指さした奴を攻撃して」

 だがヴァネッサには別の考えがあった。



木材が千切れる音がした。誰かが動いたのではない。

ガーゴイルとの戦闘でリリアが放った火の玉により穴の開いた天井が、延焼を続けていたが、ついに焼け崩れたのだ。

「下がれ!」

 天井の崩落に築いたミランダが、声を上げる。

 騎士たちは壁の落下に巻き込まれないよう、天井の穴の開いた場所からは距離を取るが、オリバー達に対する包囲はまだ維持されており、部屋の入りぐ時には騎士が立ちふさがったままだ。

まるでオリバーとミランダを分かつように、二人の間に焼け焦げた壁の一部が音を立てて落下した。

燃え盛る天井の破片は、ミランダからオリバー達を守る役割を果たしているが、同時にオリバー達が外へと逃げる障害物にもなっていた。

 そして、オリバーの視界の隅にそれが見えた。ミランダからは丁度視覚となる位置にあったグールの死体。まだトドメをさされていなかったのか、先ほどの天井落下の音に反応したのか、顔を上げて動き始めた。その先にはミランダがいる。放っておけばミランダに襲い掛かるのは目に見えている。

 それは半ば反射的な行動だった。

 その場から離れた場所にグールがいる。直接切りつけるには遠すぎる。だから魔剣を使った。練習した通りに、魔剣を振り切っ先から風の魔術が射出される。練習とは異なり岩ではなくグールに風の魔術が穿たれ、肩から腰に掛けて大きな切れ込みを作り、グールはそのまま倒れこみ動かなくなった。

「お前、魔術が使えたのか?」

 ミランダの言葉で我に返る。事情を知らない人間の前で魔剣を使ったらどうなるかは、予想はしていた筈なのに。

 見渡すとミランダ以外の騎士達にも同様が走っているのが分かる。

「最近覚えたんだ」

 見せてしまった以上隠しても仕方がない。詳細は伏せて、話せる範囲の情報を、オリバーは慎重に言葉を選んだ。

「それで仲間を殺したのか?」

「違う。これは悪魔憑きとは関係ない」

魔剣の力は、悪魔憑き疑惑の発端となったあの事件とは全く関係のないものだ。だがこのタイミングで以前は使えなかった魔術を急が急に使えるようになった様子を見せられてしまっては何かあると疑ってしまうのは無理もない事だ・。

「ではさっき魔術は何だ? どうやって習得した?」

 案の定、ミランダは魔術が使えるようになった経緯の説明を求めてきた。

「それは…」

 魔剣の事を全て話すのはマズイ。だがそれ以外に説明する方法はない。いっそ悪魔憑きの力と言い張ってしまうか。先ほど悪魔憑きではないと言ったにもかかわらず急に悪魔憑きであるのを認めるのは怪しすぎる。

 ミランダはオリバーの答えを待っている。

「ガエラの使い魔だ!」

 ヴァネッサがその蝙蝠を指さして叫ぶ。

 その声に釣られて周りの者も見る。そのヴァネッサが指さした先には言葉通りに蝙蝠が居た。

 使い魔を使役する魔術師は多い。さらに蝙蝠は空を飛べるという利点から使い魔として好んで使われている。先ほどまでガエラと戦っていたヴァネッサが、蝙蝠を指差してヴガエラの使い魔と言えば、後から屋敷に入ってきた騎士団達は信じざるを得ないだろう。

  オリバー達にしてみれば、見たことがある蝙蝠であるが、騎士団からすれば見た事が無い蝙蝠である。

 そして、ガエラの使い魔らしき蝙蝠に対してリリアが火の玉で攻撃するというのは特に不自然な行動ではないし、騎士団に対する敵対行為とみなされる事もない。それが結果として天井に業火を放ち火事になったところで、事故扱いだろう。ましてや騎士団がここに来たのは爆発音を聞いたからである。即ち、壁に大穴をあけるような考え無しの魔術師が再度室内で魔術を使ったという解釈をするのが普通だろう。

 リリアが放った火の玉が、天井で炸裂し、その威力で天井の一部が崩れ落ち、天井に火の手が広がる。

 標的にされた蝙蝠は中で変則的な動きで火の玉を躱しそのまま外へ飛び去って行ったが、天井が炎に包まれた今となっては些細な事である。

「総員退避!」

 ミランダが叫ぶ。彼女自身も部下が退避しているのを確認しながらゆっくりと入り口に後退する。もしかすると彼女の頭の中には、当然オリバー達も火事から逃げるために屋敷の外に逃げ出すだろうという憶測があったのかもしれない。

 だが、そうはならなかった。

 崩れ落ちた屋敷の一部が上がっている炎の向こう、少女がオリバーの手を取っていた。それはまるで引き留めているように見える

「隊長! 早く外に!」

 オリバーが正面玄関に向かってこないのに気が付き、様子を確認しに行こうとするミランダの肩を、ジーンが掴んだ。

「しかし…」

 危険なのは分かっている。だがようやく会えた弟だ。ここではぐれたら、もう会えないかもしれないが、騎士として部下を危険に晒す訳にもいかない。

「いつ崩れるか分かりません! 早く!」

 炎越しに揺らめいて見えていたオリバーの姿が地下へと消える。

「必ず捕まえるぞ悪魔憑き!」

 そう叫びながら、ミランダは地下への入り口から視線を外さず、後退しながら屋敷から外へ脱出した。

次話は6/10に投稿予定です。

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