第38話 宿怨の野槌、そして山頂の決戦
烏山の社へと続く、果てしない石段を駆け上がる。
だが、その行く手を阻むように、左右に繁茂する鬱蒼とした茂みから、禍々しい妖気を放つ妖魔たちが次々と這い出してきた。
「九十九、来るぞっ!!」
「ああ、分かってるっ!!」
九十九の叫びと同時に――無数の異形が一斉に三人へ襲いかかった。
「そこをどけぇぇっ!!」
九十九は黒刀を鋭く振り抜く。
ザンッ!!
迫る妖魔の一体を一刀両断にし、刃を返す刃で次の敵を斬り伏せる。
だが――。
「くっ……こいつら……っ!」
斬っても、斬っても、地底から湧き出すように次なる敵が押し寄せてくる。
烏山を根城とする妖魔どもは、そこいらの雑魚とは訳が違った。一匹一匹が重厚な妖気を纏い、骨皮が異常に硬い。
次第に腕が重くなり、激しい息切れが九十九を襲う。黒刀を振り抜く速度が急激に落ち、とうとう足を止めざるを得なくなった。
「こいつら……一匹一匹が強すぎるっ!!」
「数が減らない……っ! 九十九、背中を合わせて!!」
葉月もまた錫杖を振るい、札を乱舞させながら叫ぶ。
着実に倒してはいる。だが、それ以上にこちらの体力の消耗が限界に達しつつあった。
『もぉぉ……クラマ! 時間稼ぎにしかならないけど、やるよっ!!』
クラマの体内で、水狐が困惑混じりに声を上げた。
次の瞬間――。
シューッ……!!
三人を取り囲む周囲一帯に、視界を完全に遮断する濃密で湿った霧が瞬く間に立ち込め、満ち渡った。
「くそっ、何も見えないぞ!?」
「九十九、私から絶対に離れないでっ!」
濃霧の向こうから葉月の叫びが響く。
足元をすくわれた妖魔たちが、突如奪われた視界に戸惑い、一瞬動きを止めた。
「でかしたぞ、水狐っ!!」
クラマが禍々しく口元を歪めた。
「――『放雷』っ!!」
バリバリバリバリィィィッ────!!!!
山全体を揺るがすほどの暴虐な轟音が爆ぜた。
クラマを中心に、無数の青白い雷撃が八方へと爆破するように奔走する。
「ぎゃあああああっ!?」
「ぐわぁぁぁぁっ!?」
霧の中で重なり合う無数の悲鳴。
やがて風が吹き抜け、霧が晴れ去った後――そこには、黒焦げとなって石段に転がる惨絶な妖魔の群れが転がっていた。
「……すっげぇ……」
九十九が息を呑んで呟く。
「感心しておる暇などないぞ。さっさと行くのじゃ」
クラマは何事もなかったかのように爪を収め、悠然と歩み出した。二人は顔を見合わせ、慌ててその背中を追う。
石段をさらに駆け上がった、まさにその時だった。
「――やあ。久しぶりだね、クラマ」
不意に、ねっとりと鼓膜にへばりつくような声が上空から降ってきた。
クラマがピタリと足を止める。
見上げると、石段の頂上。古びた鳥居の柱の上に、一匹の異様な妖魔が不気味にしゃがみ込み、こちらを見下ろしていた。
蛇のように細長く歪んだ身体。顔面に裂けた巨大な口と、そこに浮かぶ不気味な嘲笑。
そして……人間や生半可な妖魔とは一線を画す、圧倒的な歴史の重みを孕んだ怪異の妖気。
クラマの口元が、危険な角度で吊り上がった。
「……久しぶりではないか、野槌」
クラマはギリリと爪を伸ばした。
「また、わらわに千年前の時のように打ちのめされに来たのか?」
「野槌……?」
九十九が黒刀を構え直しながら聞き返す。
「あやつはわらわと同じ、千年以上を生き長らえる古の大妖じゃ」
クラマは一切振り向かず、九十九たちへ背越しに告げた。
「お前たちは先に行け」
「おい、冗談だろ!? 大丈夫なのかよっ!?」
九十九が眉をひそめる。
「あいつもお前と同じ『大妖』なんだろ!? 力を取り戻しきれてないお前一人じゃ――」
「わらわを誰だと思っておる?」
クラマは幼い胸を堂々と張り、ニヤリと可憐に笑ってみせた。
「九尾の王、クラマ様じゃぞ?」
そして、再び鋭い眼光を野槌へと戻す。
「それに、あやつとは千年前からの腐れ縁じゃ。わらわの戦い方はわらわが一番知っておる」
クラマは九十九をチラリと一瞥した。
「……鎌鼬の兄弟を頼んだぞ」
「……っ」九十九は短く息を吐き、強く頷いた。「任せろ!」
「うむ! ――『轟雷』っ!!」
ドォォォォンッ!!
直後、空から落とされた極大の稲妻が野槌の頭上へ向かって直撃した。
「今じゃ! 駆け抜けろっ!!」
「行こう、葉月っ!!」
雷撃によって巻き上がった猛烈な爆煙の中を、九十九と葉月は一気に突き進んだ。野槌の真横を疾風のごとく駆け抜けていく。
野槌は二人を追おうともせず、ただ口元を細く歪めて笑っていた。
「……やけに素直に見逃すのじゃな」
煙の向こうから歩み出るクラマが尋ねる。
「ふふ……あんな雑魚の人間なんて、僕の興味の外だよ」
野槌は狂喜に瞳を濡らし、細い身体をうねらせた。
「久しぶりに……あなた自身が、僕の相手をしてくれるんだもの」
野槌の瞳が細く、凶暴に収縮する。
「しかも……昔とは比べものにならないくらい、弱くなり果てて」
「……ほう」
クラマの眉がピクリと跳ねた。
「いたぶりすぎて――殺しちゃうかもしれないけれど、許してね?」
ズドドドドッ────!!
野槌の両腕から、無数の巨大なヒルのようなおぞましい触手が噴出し、石段を抉りながらクラマへ殺到した。
クラマは最小限の動作で横へと跳躍する。
着地点だった石段が触手によって一瞬で砕かれ、土煙が舞い上がった。
「ふっ……そう簡単にはいかんぞ」
クラマは牙を覗かせ、胸元へ語りかけた。
「おい、黒狐よ」
『……もう、やだよぉ』
クラマの身体の内側から、不機嫌そうな声が返ってくる。
『起きるの面倒くさいもん。勝手にやってよ』
「お前が寝ている間、耳元でずっとわらわの下手な歌を歌い続けてやろうか?」
『…………』
絶句する気配の後、ハァと深い溜息が響いた。
『もう……早く終わらせてよね』
シュアァァァッ……!!
漆黒の妖気がクラマの身体から爆発的に噴き出した。
それはクラマの身体へまとわりつき、瞬く間に重厚で禍々しい『黒の鎧』へと姿を変えていく。
「……ふふっ」
クラマは鋭い爪を交差させた。
「さあ――千年前の続きを始めようぞっ!!」
地を爆ぜさせ、黒き鎧を纏いし九尾の王が野槌へと肉薄した。
一方――。
九十九と葉月は、激闘の音を背に受けながら、石段の頂上へとたどり着いていた。
そこには、重厚な朱塗りの大門が聳え立っている。
「ここか……!」
九十九は門を押し開き、中へと躍り出た。
その先に広がっていたのは、驚くほど広大な石畳の広場。
そしてその奥には、山肌にへばりつくように建つ、禍々しい雰囲気を纏った巨大な大屋敷が聳え立ち、二人を見下ろしていた。
「……九十九、あれっ!!」
葉月が悲痛な声を上げる。
広場の中央。
そこに、血に染まり満身創痍となった二人の妖魔が、巨大な十字架に磔にされていた。
「あれが鎌鼬の兄弟かっ!!」
九十九は即座に駆け出した。
「待って、九十九っ!!」
葉月も後を追う。
だが――。
ドォォォンッ!!
突然、二人の目と鼻の先に凄まじい風圧とともに砂煙が巻き上がった。
「何者だ!! いかなる陰陽師の雑種が、大天狗様の御前に足を踏み入れたかっ!!」
大屋敷の重厚な縁側から、地の底から響くような怒号が轟いた。
九十九が顔を上げる。
屋敷の正面、重々しい座敷の中央に、数十体もの高位の天狗たちを従えた、異様な巨躯の天狗が座していた。
全身から放たれる凄まじい威圧感――それだけで周辺の空気が重く澱む。
「お前が……アラタかっ!?」
九十九は黒刀を鋭く構え直した。
「鎌鼬の兄弟を、今すぐ下ろせっ!!」
「ふふふふ……ハハハハハッ!!」
大天狗アラタは、心底可笑しそうに体を揺らして笑った。
「まさか、立ち入ることも許されぬ人間の羽虫が、ここまで死にに来るとはな」
アラタはゆっくりと、威厳に満ちた片手を上げた。
「良いだろう」
口元が残酷に歪む。
「明日の処刑を前に、余興が一つ増えたわ」
アラタの冷酷な視線が九十九へ注がれた。
「――窮奇」
「ハッ」
バザァッ!!
直後、九十九の目と鼻の先で砂煙が大きく弾けた。
そこから姿を現したのは――尋常ではない巨躯を誇る、一匹の狂暴な鎌鼬の妖魔であった。
全身を覆う筋肉の鎧、研ぎ澄まされた巨大な鎌の爪。
そして、命を屠ることに悦びを覚える獰猛な三日月状の瞳。
窮奇は九十九を見下ろし、ニヤリと牙を剥いた。
「その男は好きにするが良い。細切れにせよ」
アラタは続けて、後ろに立つ葉月へと冷徹な視線を滑らせた。
「だが――その女は生かして捕らえよ」
「……えっ!? 私を……!?」
葉月の表情が恐怖に強張る。
「あの憎き吸血鬼カミーラを匿ってる女……八神千鶴の居場所を、その口から吐かせねばならんのでな」
アラタが邪悪に笑う。
「さあ――狂宴を始めよ」
窮奇が重々しい音を立てて、両腕の巨大な鎌爪を構えた。
九十九もまた、柄を握る手に全霊の霊力を込める。
刹那――広場全体を、逃れようのない絶対の殺気が支配したのだった。




