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夢で出会ったモブ令嬢を王太子は絶対に手放さない  作者:


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第63話 窓を叩く三つの合図

「わ、分かりました! 私の負けです! 第四条は書きません、もう不届き者とも不法侵入とも呼びませんから……! お願いですから、今そのドアを開けるのだけは止めてください!」


殿下の逞しい腕にしがみついたまま、私は半ば悲鳴に近い声を上げた。

 時計の針は十九時を少し回ったところだ。消灯時間にはまだ程遠く、廊下からは談話室へ向かう生徒たちの華やかな話し声や、軽やかな足音が時折響いてくる。


殿下が先ほど言った通りだ。こんな、誰に見られてもおかしくない時間帯に扉が開けば、すべてが終わってしまう。


 もし今、殿下がこの扉を開けて廊下へ踏み出せば、そこには湯上がりで髪を湿らせ、薄いガウンを羽織っただけの私と、夜の女子寮にいるはずのない王太子殿下が並んで立っていることになる。そうなれば、明日の朝には私たちの仲は言い逃れできない事実として学園中に確定し、明日から注目の的になる恐ろしい生活が待っているに違いない。


縋り付いた腕越しに、殿下が低く鼻で笑う気配がした。

 彼はドアノブにかけていた指をゆっくりと離すと、勝利を確信した余裕を纏って、私の方へと向き直る。


「……賢明な判断だ。だが、お前がいつまたその『不用心』を棚に上げて、俺を拒絶し鍵を閉ざすか、分かったものではないからな」


殿下は私を逃がさないようにドアへと追い詰め、すぐ耳の横に片手をついた。いわゆるドアドンの形になり、彼の高い体温と、夜風に混じった清涼な香りが一気に私を包み込む。


 整いすぎた容貌が、心臓に悪い距離まで近づいてくる。琥珀色の瞳が、私の反応を一つも見逃さないというように至近距離で私を射抜いた。


「不法侵入と言われるのは、俺も心外だ。……ならば、次からはお前が自分の手で、俺を『招待』しろ」


「招待……? なっ、何を仰っているのですか……」


「簡単なことだ。俺が外から窓を三回叩いたら、お前が内側から鍵を開けろ。躊躇うな、一秒でも早く、俺をこの部屋へ迎え入れるんだ」


あまりに堂々とした、それでいて逃げ道のない要求に、私は思わず目を見開いた。


「そんな、それじゃあ私が殿下を夜に招き入れていることになりませんか!? 秘匿と言いながら、私の方が共犯者みたいで……これではまるで、私が殿下を待ちわびているみたいじゃないですか!」


「共犯者、か。……ふん、悪くない響きだな」


殿下は面白そうに目を細めると、私の頬に触れるか触れないかの距離で、熱を持った指先を滑らせた。


「安心しろ直に慣れる。お前の健康を害するつもりはない。夜更かしをして熱を出すのも、俺の心臓に悪いからな。だから、部屋の灯りがついている間だけだ。……合図があったら、迷わず俺を中に入れろ。お前を無防備な格好で、外の寒気に晒したくはないからな」


それは、私の体調を気遣っている風を装った、完璧な包囲網だった。

 これまでは勝手に窓から入ってきたという被害者の立場でいられたけれど、これからは違う。私が自分の意思で鍵を開けた瞬間、それは紛れもない、同意の上での密会の成立を意味するのだ。


「……拒むか? ならば、今すぐ廊下を通って正面から出て行くが」


そう言って殿下が再びドアノブに手をかけようとしたため、私は慌ててその手を両手で押さえ込んだ。


「あ、開けます! 合図があったらすぐに開ければいいんでしょう!」


私はやけくそ気味に叫んだ。

 これ以上、この逃げ場のない至近距離で既成事実の刃を突きつけられては、私の心臓が爆発してしまう。


 満足げに頷いた殿下は、ようやく私を解放すると、最後に私の額へ、慈しむような唇を羽のように軽く落とした。


「いい返事だ。……明後日の放課後、温室で返事を聞くのを楽しみにしているぞ。それと、次からはちゃんと髪を乾かしてから俺を迎えろ。湯冷めでもされたら、看病を理由に一晩中居座らねばならなくなるからな」


有無を言わせぬ言葉を残し、殿下はひらりと窓枠を越え、吸い込まれるように夜の闇へと消えていった。


 私は震える手で、今度はしっかりと窓の鍵を閉める。


「……これ、前より状況が悪化してる気がするわ……」


一人残された静かな部屋で、私は鏡に映る自分の、林檎のように真っ赤になった顔を見つめ、深いため息を吐いた。


 これから窓を叩く三つの音が響くたび、私は自分の手で、この部屋に肉食獣を招き入れなければならない。


 平穏な日常が崩れていくカウントダウンのようなその音を想像し、私はガウンの襟をぎゅっときつく合わせた。

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