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3月30日(月):高段見の日

 とある世界では今日は『高い段から何かを見る場が整い、座る人も立つ人も、同じものを気持ちよく見られるように順を決める』日。アルメリアでは『高段見の日』として、少し高い段のある場所で、座る段と立つ段を先に分け、春の昼の見え方をやさしく揃える日。


 春休みの昼、フレイメル家は灯路番所の手前にある見晴らし段へ向かっていた。湯屋へ抜ける道の脇に、小さく三段だけ切られた石段がある。高すぎず、低すぎず、近所の子どもでも上り下りしやすい高さだ。そこからは、番所の横の空き地がよく見えた。


 今日は、見習いパドが巡回担当に教わりながら、春の見回りの歩幅合わせをしている。雪解けのあとのぬかるみを避け、灯路の縁を踏まず、助け鈴の柱の場所を確認しながら歩く、小さな訓練だ。派手ではない。けれど、春の町が転ばずに回るには、こういう地味な足の確認が要る。


「わあ。パド、あおい うでしるし」とクリスが言って、フィオナの手を握り直した。


「ほんとだ。今日は見回りの練習なんだね」とフィオナが答える。


 レオンはその会話を聞いた途端、石段の前へ出た。胸の中のヒーロー心が、きれいに火をつけられたみたいな顔だった。


「じゃあ、ぼくが決める」とレオンは言った。「小さい子は一番下。大人は上。立つ人は一番うしろ。それなら、みんな見える」


 言いながら、もう指で場所を決め始める。


「クリスはここ。いちばん前」


「おじいちゃんは上。高いほうが遠くまで見える」


「お母さんは真ん中。お父さんは一番うしろで、立って見ればいい」


 少し焦った早口だった。善意が先に駆けて、言葉がそれを追いかけている。


 クリスは一番下の段へ立ってみたが、すぐに後ろを振り向いた。「やだ。わたし、フィオナの となり」


「でも、そこがいちばん見えるんだよ」とレオンは言う。「前を空けたほうが、みんな助かる」


「みえる だけ、やだ」


 フィオナはクリスの手の温度を感じながら、レオンを見た。レオンの言っていることは、半分は合っている。見え方だけなら、その並べ方は悪くない。けれど半分は、まだ足りていなかった。


 グレゴールが石段を見上げ、杖の先を軽く止めた。「今日は高い段は遠慮したい。上り下りを何度もしたくない」


「えっ。でも、おじいちゃん、上のほうが見やすいよ」


「見やすいのと、楽なのは別だ」


 アストルは籠を持ち替えた。中には湯呑みと薄い敷布が入っている。「俺は途中で湯を配る。通るところが一段ほしいな」


「通るところ?」とレオンが言う。「座るところと立つところがあれば十分じゃないの」


 ルミナがそこで、やっと静かに口を開いた。「レオン」


「うん」


「あなた、見え方を考えてくれたのね」


「うん。だって、せっかく段があるんだし」


「それは助かるわ。でもね、見え方のほかに、困り方もあるの」


 レオンの顔が、ほんの少しだけ固くなった。「困り方?」


「そう。何が困るかは、人によって違うの」


 下の空き地では、巡回担当が見習いパドに歩幅を示していた。雪解けの水が端に細く残り、そこへ春の花粉が薄く浮いている。ぬかるみをよける線と、乾いた線が昼の光の中で分かれて見えた。


 レオンはそれを見て、さらに急ぎたそうな顔をした。「でも、もう始まってる。早く決めないと」


「早く決めることと、早く済むことは違う」とアストルが言う。「聞かずに決めると、あとで並べ直しになる」


「……」


 ルミナは石段の端へ立った。「じゃあ、一人ずつ。今日、どこが困るかだけ言いましょう。長くなくていいわ」


 誰も怒ってはいなかった。だからこそ、レオンは逃げずに残れた。


 最初にクリスが言った。「わたし、フィオナの となり。ひとり、やだ」


 フィオナは続けた。「私は立っても座ってもいい。でも、クリスの手が届くところがいい。それと、泥のついた靴が通る場所のすぐ前だと、裾が汚れそう」


 グレゴールは短く言った。「私は低い段でよい。見えすぎなくていい。今日は上り下りの回数を減らしたい」


 アストルは籠を少し持ち上げる。「俺は途中で湯と敷布を回す。だから、真ん中に通る段がほしい」


 ルミナは最後に言った。「私はどこでも座れるけれど、立つ人が前を横切らない並びがいいわ。見ている途中で何度も入れ替わると、みんな落ち着かないもの」


 言葉が一つずつ並ぶたび、さっきまでただの石段だった場所に、役目が生まれていった。座る場所。通る場所。立つ場所。見え方だけではなかった。手をつなぐ場所、湯を渡す場所、上り下りを減らす場所でもあった。


 レオンは石段を見つめたまま、小さく言った。「ぼく、見えることだけ先に決めた」


 誰も急かさなかった。


「ごめん」とレオンは続けた。「助けるつもりだったのに、聞いてなかった」


 クリスがすぐに首を振る。「きいたら いい」


 その言い方があまりにまっすぐで、フィオナは少し笑ってしまった。ルミナも、目元だけやわらかくする。


「そうね」とルミナが言う。「聞いたらいいの」


 レオンは一度、深く息をした。そこから先は、さっきと違った。指をさす前に、ちゃんと皆の顔を見た。


「じゃあ、一番下は座る段。クリスとフィオナ姉」


 クリスがすぐにうなずく。「そこ、いい」


「真ん中の段は、通る段。ここは空ける。お父さんが湯を渡すときも、誰かが立つときも、ここを通る」


 アストルが頷いた。「それなら楽だ」


「その上は、あまり動かない人の座る段。おじいちゃんはここ」


「よい」とグレゴールが答える。


「いちばん上は立つ段。ぼくはそこ。お母さんは、クリスの反対側の下でも、上でも選んで」


 ルミナは少しだけ考えてから言った。「今日は下にするわ。クリスの反対側に座れば、通る段をまたがなくて済むもの」


「うん。それがいい」とレオンは言った。今度の“いい”は、自分だけの答えじゃなかった。


 並びが決まると、不思議なくらい石段の顔つきが変わった。誰も無理をしていないのに、見え方はさっきより揃っている。見習いパドが空き地の端を歩くたび、下の段からでも、上の段からでも、ちゃんと足の運びが追えた。


 巡回担当が、ぬかるみの手前で立ち止まる。「ここは踏むな。春の泥は浅く見えても靴を取る」


 見習いパドが頷き、灯路の縁に沿って足を置き直した。


「いまの、よく見えた」とレオンが言った。


「うん。通る段が空いてると、前の人の肩に隠れないね」とフィオナが答える。


 しばらくすると、あとから来た親子が石段の下で迷い始めた。小さい子は前へ行きたそうで、親は泥を踏ませたくない顔をしている。レオンはその様子を見て、一歩だけ前へ出た。けれど、さっきみたいにすぐ決めつけなかった。


「聞いてくる」とレオンは言う。


「うん」とフィオナが返す。


 レオンは親子の前でしゃがんだ。「前で見たい? それとも、だれかのとなりがいい?」


 子どもは前がよく、親は通る段のそばがいいらしい。レオンは話を聞き終えてから、空いている場所を短く示した。「じゃあ、ここ。前は見えるし、通る段にもすぐ出られる」


 戻ってきたレオンは、少し照れたみたいに鼻の頭をこすった。「聞いたほうが早かった」


 アストルが笑う。「そういう日もある」


「ヒーローって、先に助けるものだと思ってた」


 グレゴールが石段の縁から言った。「先に聞くのも助けだ」


 レオンはその言葉を、すぐには返さなかった。けれど、ちゃんと受け取った顔をした。昼の風が少し変わり、番所の掲示板の端がひらりと浮く。春の花粉が光に乗る。雪解け水の細い筋が、空き地の隅でまだ乾ききらずに残っている。


 見習いパドの歩幅合わせが終わるころ、レオンは石段を見下ろして言った。「明日、こういうの、紙に書いてもいいかも。座る段、通る段、立つ段って」


 フィオナは頷いた。「いいと思う。あと、先に聞く順番も」


「うん。ぼく、思いつくと先に口が出るから。順番があったほうが、飛び出しにくい」


 それを自分で言えたのが、今日のいちばん大きいことだとフィオナは思った。春は、体が先に前へ出る季節だ。だからこそ、声のほうに小さな手すりが要る。


 帰り道、ルミナは空いた籠へ湯呑みを戻し、アストルは敷布の泥を軽く払った。クリスは「つうる だん」と言い間違えて、自分で笑う。グレゴールは杖をつきながらも、上り下りが少なかったせいか、行きより少し足取りが軽い。


 レオンは最後にもう一度、見晴らし段を振り返った。


「高いところって、上から決める場所じゃなかったんだな」


「うん」とフィオナが言う。「同じものを、ばらばらに困らず見るための場所だったんだと思う」


 その言葉に、レオンは素直に頷いた。明日はたぶん、見る順番じゃなくて、教える言い方の順番が要る日になる。そんな気配が、まだ明るい春の空の下に、もううっすらと出ていた。


 梁の上でスノーが片翼をすぼめ、昼の風を嗅いだ。「高い段は、上から決めつけるためにあるんじゃねえ。耳を一段ぶん下ろしてから言え――そうすりゃ同じ景色が、ちゃんと横並びで見える」


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