3月26日(木):髪輪の日
とある世界では今日は『髪にのせる細い輪や布飾りを、軽やかに見せるために、先に休ませる場所を整える』日。アルメリアでは『髪輪の日』として、朝のうちに細い輪と結び布を布座へ休ませ、のせる順と戻す順を決める。
春休みの最初の朝は、休みなのに、いつもの登校前みたいな落ち着かなさが残っていた。起きる時刻は少し遅くてもいいはずなのに、体だけがまだ学期の鐘を覚えている。窓の外は白く、風は弱い。弱い朝は、軽いものが遠くへ飛ばない代わりに、同じ場所へ留まりやすい。
フィオナは台所の棚へ包み紐を戻しながら、昨日の卓上灯の前を思い出していた。立つ場所を決めると、影は静かになった。なら今日は、のせるものの休む場所を決めればいい。
「やすみなのに、はやいね」とクリスが言った。
「うん。ドロテアさんのところへ寄るの。セラフィナたちが、明日つける髪輪を見たいって」
レオンが頷く。「春休みの初日は、普段の手順がないから逆に散らかるんだ。学校なら鐘が区切ってくれるけど、休みは自分で区切らないと、軽いものから迷子になる」
ルミナは籠へ小さな端布を重ねながら笑った。「細い輪ほど、机の端で考えなしに待たせると形を悪くするのよ。休ませる布を先に作っておきなさい」
梁の上でスノーが片目だけ開けた。「軽いものは裏切らねえ。置き方が先に裏切るだけだ」
ドロテアの仕立て屋へ着くと、戸口の奥の鏡台の前に、セラフィナとピアが並んでいた。鏡の前には細い髪輪が五つ、結び布が三本、飾り紐が二本。けれど、並んでいるようで並んでいない。試したものも、これからのものも、選び終えたものも、同じ鏡台の縁へ置かれていた。
しかも、丸い髪輪は少しずつ転がる。結び布は端が鏡の脚へ触れ、折り目が変な向きについている。昨日フィオナが気にしていた、机の端で迷子になる形が、そのまま鏡台の前へ出ていた。
「フィオナ、ちょうどよかった」とセラフィナが振り向く。「どれが似合うか見たいのに、一回外すと、もうどれだったか分からなくなるの」
ピアが困った顔で細い輪を持ち上げた。「見てる人も、次につける人も、みんな鏡の前へ寄っちゃうから、取る手が重なるの」
ドロテアは針箱の蓋を閉めながら言った。「髪輪は針より気まぐれだよ。置き場がなけりゃ、すぐ顔を変える」
フィオナは鏡台ではなく、まずその手を見た。髪輪を持つ手。外した輪を置く手。似合うと言うために前へ出る手。どれも細いのに、同じ場所へ集まっている。春休みで誰も急かさない朝なのに、手だけが急いでいた。
「鏡を増やすんじゃなくて、布座を作ろう」
フィオナは持ってきた端布を三枚、丸く畳んで鏡台の前へ置いた。札も三枚書く。『これから』『のせた』『えらんだ』。
「セラフィナは『これから』から一つだけ取る。のせて外したら、『のせた』へ」
「うん」
「ピアは鏡の横じゃなくて、半歩うしろ。『のせた』を見て、似合うかどうかを先に言う。まだ選ばない」
「選ぶのは最後?」
「うん。選ぶのを途中で入れると、外した輪が行き場をなくすから」
ドロテアが楽しそうに頷いた。「先に休ませて、あとで決めるのか。いいね。布にも無理がない」
フィオナはさらに、鏡の前の床へ細い紙を二本置いた。『たつ』『みる』。鏡へ向かう人と、横から見る人の足を分けるためだ。
「髪輪をのせる人は『たつ』。見る人は『みる』」
セラフィナが紙の上へ足を置く。「ここから動かない?」
「外すまでは動かない。動くなら、輪を布座へ戻してから」
それだけで、鏡の前の空気が少し静かになった。最初の薄青い髪輪をのせる。額の上で細く弧を描き、セラフィナが少しだけ首を傾げる。外す。『のせた』へ置く。次の白い結び布を取る。順番が見えると、誰の手も急がなくてよくなる。
「こっちのほうが春っぽい」とピアが言う。「でも、昨日見た白い上着には、最初の薄青のほうが合う」
「じゃあ、薄青は『えらんだ』へ」とフィオナが言った。
選ぶ場所が決まったとたん、鏡台の縁から輪が消えた。そこに何も置かれないだけで、鏡はちゃんと鏡の仕事だけをする。
ドロテアは結び布の端を指でならした。「折り目も変につかなくなったね。待たせる場所って大事だ」
「待ってるあいだに、形が変わるから」とフィオナは答える。「軽いものほど」
二つ目、三つ目の髪輪を試すころには、鏡台の前に細い流れができていた。のせる。外す。休ませる。見る。最後に選ぶ。途中で誰かが決め急がないから、似合うかどうかも前よりはっきり見える。
「これなら迷っても戻れる」とセラフィナが笑った。
「うん」とフィオナも頷いた。「戻る場所が見えてるから」
ピアは『えらんだ』の布座の上の薄青い輪を見て、小さく息を吐いた。「明日、枝の下で見ても、たぶんこれ」
その言い方で、フィオナの中でも明日の景色が少しだけ形になった。まだ咲ききらない木の下で、風の向きと光を見ながら、今日選んだ細い輪が髪の上でちゃんと軽く見える朝。
帰り道、フィオナは端布をたたみ直しながら歩いた。春休みは、学校の時刻が消えるぶん、物の置き場を自分で決める時間が増える。休みは空くのではなく、別の段取りが要るのだと思う。
家へ戻ると、レオンがすぐ訊いた。「輪、転がった?」
「ううん。布座を作ったら、ちゃんと休めた」
クリスが目を丸くする。「かみの わ、ねるの?」
「うん。ねる場所がいるの」
ルミナは笑って、たたまれた端布を受け取った。「明日は枝の下で使うなら、花や風も相手になるわね」
夕方の窓の向こうで、まだ固い桜の枝先が少しだけ揺れた。細い輪の次は、枝の下の色だ。花びらはまだでも、風はもう来ている。置き布がなければ、明日はまた軽いものから迷うだろう。
梁の上でスノーが羽をすぼめた。「髪にのるものは、軽いからこそ休ませろ――歌みてえに見せたいなら、声の前に置き場を整えろ。そうすりゃ、春の細い輪は勝手に転がらん」




