8月7日(金):風口うつりの日
とある世界では今日は『夏の暑さが残るなか、暦が秋へ向きを変える刻を迎える』日。アルメリアでは『風口うつりの日』として、昨日と同じ家でも風の入口が同じとは限らないことを知り、戸や窓の幅をそろえてから、その日の風道を確かめる日。
朝のフレイメル家では、台所戸口の戸布が、昨日と同じ側から持ち上がっていた。
夏のあいだは居間側から押されることが多かったのに、今朝は台所側から布の下へ風が入り、端を外へ返している。
「こっち。きのうも、こっち」
クリスが戸布の右下を指した。
フィオナは、昨日セラフィナから届いた灯り文を思い出した。『明日の朝、学院の季節観察札を持っていくね』。その文のとおり、朝食後まもなく戸鈴が鳴った。
王立魔法学院分校の同級生セラフィナが、細長い札筒を抱えて立っていた。夏休みの通常登校ではない。各自の家で行う課題の札を届け、記録方法を確かめるだけの短い用事だ。
「これ、季節観察札。先生から、家の入口、通り道、出口を一か所ずつ選んで、同じ朝の風向きを書くようにって」
札には、三つの欄が縦に並んでいた。
『入口を見る』 『通り道を見る』 『出口を見る』
「順に見ればいいんだよね」
セラフィナの言葉に、フィオナも頷いた。
二人は家の細紐箱から、乾いた細紐を一本出した。最初は東窓。フィオナが窓を指二本ぶん開け、紐を垂らす。紐は家の中へ傾いた。
次は台所戸口。東窓を閉め、戸布を持ち上げて紐を移す。今度は居間側へ揺れた。
最後は床格子。戸布を下ろし、居間の隅へ歩いて紐を垂らす。紐はほとんど動かない。
「入口と通り道が、逆?」
セラフィナが観察札を見比べた。
フィオナはもう一度、東窓へ戻った。窓を開け、紐を垂らす。さっきとは違い、紐は外へ細く向いた。
「今度は反対です」
暑くなる前に記録を終えたい。けれど、見るたびに答えが変わる。フィオナの声が少し速くなった。
レオンは、東窓と台所戸口のあいだを見渡した。
「風が変わったんじゃなくて、ぼくたちが道を変えてるんじゃないかな。見る場所へ行くたび、窓を閉めたり戸布を上げたりしてる。一本の紐を追いかけて、入口と出口を作り直してるよ」
ルミナが玄関小棚の『家の段取り』から、家息札控えを出した。六月、梅雨の家の湿りを逃がしたときに作った札だ。
『東窓は指二本分。西小窓は半分。台所戸布は下を少しだけ。床格子の前に物を置かない』
「この札の向きを今日の答えにはしないわ」とルミナは言った。「でも、同じ開け方で比べるための基準にはできる」
グレゴールも頷いた。
「昨日と違う結果が出たとき、昨日を消すな。日付と条件が違えば、二つとも記録だ。観察する者が条件を動かした結果だけ、別にする」
フィオナは季節観察札の端へ『最初の試しは条件違い』と書いた。
「三か所を同時に置きます。置く途中では窓も戸布も触らない。置き終えたら、全員が壁側へ下がって待つ」
アストルが窓の留め具を確かめた。東窓は指二本分、西小窓は半分。台所戸布は下だけを手のひら半分ほど空ける。床格子の前にあった空籠は棚へ戻した。
フィオナは同じ紐から、同じ長さを三本切った。結び目の数で場所を分ける。結び目一つは東窓、二つは台所戸口、三つは床格子。字を読まなくても戻す場所が分かる。
「ひとつ、まど。ふたつ、ぬの。みっつ、ゆか」
クリスが指を折って復唱した。
レオンは紐を留める位置だけ確かめ、手を引いた。
「ぼくは幅を見る。向きを読むのは、お姉ちゃんとセラフィナ。途中で誰かが通ったら、待ち直す」
三本の紐を置く道は、床格子、台所戸口、東窓の順にした。置いた人が最後に居間の壁側へ戻り、風道を横切らないためだ。
全員が壁際へ下がる。十息ぶん、誰も戸や窓へ触れない。
アストルが西小窓の留め具へ手を伸ばしかけ、フィオナとレオンに同時に見られて止まった。
「緩んでないか確かめようとしただけだ」
「確かめるのも、いまは風道を変えます」
「父さんも観察される側か」
クリスが口元を押さえて笑った。誰かが動きたくなったら、十息は最初から数え直す。待つことまで、今日の工程に入った。
東窓の紐は、家の内側へ細く伸びた。台所戸口の紐も、居間へ向いている。床格子の紐は、格子へ吸い寄せられるように下へ傾いた。
「東から入って、台所を通って、床へ抜ける」
セラフィナが小声で言った。
レオンは壁際から動かずに頷いた。
「風の道を調べる人が道の真ん中に立ったら、自分が壁になるんだね。守るために前へ出るより、今日は退く方が役に立つ」
フィオナは、その言葉も札の余白へ短く残した。『読む人は風道の外で待つ』。
フィオナは一方向に歩き、東窓、台所戸口、床格子の順で一度だけ読んだ。戻って読み直さない。季節観察札には、風向きだけでなく、窓の幅、戸布の隙間、待った十息も書く。
昨日の欄には、戸布がいつもと反対側から持ち上がったこと。今日の欄には、開け幅を固定すると東窓から床格子へ風が通ったこと。最初の試し欄には、観察するたび開け方を変えたため、比較に使わないこと。
「今日が立秋の日でも、朝から急に涼しくなるわけじゃないんだね」
セラフィナが額の汗を拭った。
「うん。暑さはそのままです。でも、同じ幅で見たら、昨日までと違う入口が残せる」
戸布の隙間から、焼き上がった麦の匂いが一度だけ入ってきた。通りの向こう、ひつじ雲ベーカリーの朝仕事の匂いだ。フィオナは顔を上げたが、観察の途中なので戸布には触れなかった。香りも、今朝の風が通った証拠として胸の内へ置いておく。
セラフィナは自分の札へ、三本を同時に置くこと、開け幅を記すこと、置く道と読む道を分けることを写した。
「私の家でも、学院の欄どおりに歩く前に、家の入口を決める。札の順を家へ押しつけない」
「私も、結果だけじゃなく条件を出します」
観察を終えると、三本の紐は場所ごとの結び目を残したまま、平たい紙へ巻いた。季節観察札と一緒に、夏休み課題封筒の上へ置く。家息札控えは『家の段取り』へ戻し、今日の『風口うつり札控え』をその隣へ加えた。
セラフィナが帰ったあと、フィオナは観察札を裏返した。
『翌朝は、同じ条件で風向きが変わった回数を数えること。置き方を確かめるための試し読みは、回数に含めない』
数え欄の最初には、まだ何も書かれていない。今日の失敗を一回として残せば、明日の数は始める前からずれてしまう。
フィオナは欄の上へ、小さく『試しは別』と書いた。
スノーが梁の上で片翼をほどいた。「風は追い回せば答えを変える。戸の幅を留めて、向こうから来るまで待て――明日の数は、今日の試しを払い落としてから始めろ」




