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4月24日(金):窓辺駆けの日

 とある世界では今日は『速く駆けるものには、ただ速さだけでなく、走る順と休む場所を先に与える』日。アルメリアでは『窓辺駆けの日』として、春の光が窓辺を駆ける前に、朝に動かす札と夕に触る札を分け、日向の道と水の道を先に整える日。


 朝の台所には、焼いたパンの香りと、昨日の土の気配がまだ少し残っていた。フィオナは朝食のあと、細い札を二枚切った。ひとつは『日向札』。もうひとつは『水札』。日向札の切り欠きは細く長く、水札の切り欠きは丸く浅い。昨日、図書室『月読み文庫』で栞札と返し札を分けた手つきが、そのまま指に残っている。今日は本ではなく、窓辺の小鉢に触る順を整える番だった。


「今日は文庫の窓辺ね」とルミナが言う。 「うん。昨日の鉢、葉の向きが少しだけ違ってたから」 アストルは工房へ下りる前に、小さな木の留め具を二つ卓へ置いた。「紐が同じだと、返した札が前へ来るぞ」 レオンが札の切り欠きを指でなぞる。「朝に動くやつと、夕方に触るやつだろ。順がちがうなら、柱もちがうほうがいい」 「今日はその考えで合ってる」とフィオナが答える。 クリスは丸い切り欠きの水札を見て、小さく言った。「こっち、おみず。あと」 「うん。夕方のほう」とルミナが笑う。「あとが先に分かると、朝の手が急がなくて済むものね」


 昼すぎ、分校の授業が終わって図書室『月読み文庫』へ向かうと、窓辺の机の前で司書ミレーユがちょうど困った顔をしていた。昨日、緑雨舎から届いた小鉢は二つとも窓の近くにあるのに、片方の土はまだ湿り、もう片方の表面だけが少し白く乾いている。その横の窓金具には細い紐が一本だけ掛かっていて、そこへ『日向』と『水』の札が同じ向きで寄り合っていた。


「フィオナ、よかった」と司書ミレーユが言う。「今朝、開ける前に水札を見たつもりで、片方だけ少し動かしたの。でも昼になったら、日向札のほうが裏返っていたみたいで」 窓辺の光は、もう机の端をすべるように移っている。春の光は遅そうに見えて、窓の上では案外速い。葉の先へ葉の先へと、細い道を走るみたいに動いていく。


「同じ紐だと、返った札が前へ来ます」とフィオナは窓金具を見て言った。「朝の手と、夕方の手が同じ場所へ入るから」 司書ミレーユは小さく息を吐く。「朝の札をめくった手が、そのまま夕の札まで動かしてしまうのね」


 フィオナはまず、いま触るのをやめてもらった。 「いったん止めましょう。どちらも、まだ新しい鉢だから」 次に、窓辺の下へ乾いた布を広げる。待たせる鉢の置き場がないと、確かめる途中でまた窓へ戻したくなるからだ。日向の確認中の鉢は布の左、水の確認中の鉢は布の右。窓の真下に、短い待ち場所を作る。


 それから、同じ紐へ掛かっていた二枚の札を外した。日向札は窓の左の金具へ。水札は机の脇の小さな棚柱へ。朝に触る札と、夕に触る札を、そもそも同じ紐へ会わせない。窓の左は、朝の光が先に届く場所。棚柱の内側は、夕方に水差しを置く場所。手の入る時刻ごとに、札の居場所を変える。


「朝の札は左」とフィオナが言う。 「夕の札は棚柱」と司書ミレーユが復唱する。 「待つ鉢は窓の下」とフィオナが続ける。 三つだけ決まると、窓辺の忙しさが少し細くなった。


 次に、鉢そのものの順を直す。朝の光をよく受ける鉢は、葉の先がやわらかく窓へ向いているほうだ。そちらへ日向札を添える。もう片方は、今日の夕方だけ水札。いまはまだ動かさない。土の表面に指先を近づけ、湿りを見て、鉢の重さを片手で確かめる。魔法は使わない。光の筋と、土の重さと、鉢の向きだけで足りる。


 読み聞かせに来た小さな子が、窓辺の札を見上げて訊いた。 「これ、どっちが さき?」 司書ミレーユは左の金具を指した。「細い切り欠きは、朝に動く鉢」 フィオナは棚柱の水札を見せる。「丸い切り欠きは、夕方に触る鉢」 「いっしょじゃ ないの?」 「いっしょにすると、春の光が追い越しちゃうの」 そう言うと、その子は窓の光を見て、小さく「はしってる」と笑った。


 午後の読みの時間が始まるころには、窓辺の流れはすっかり戻っていた。朝の鉢は左の金具の日向札に従って少しだけ窓へ寄り、夕方の鉢は窓下の待ち布で静かに休む。本の机と同じで、触る順が分かれているだけで、手はずっと落ち着く。司書ミレーユは水差しを棚柱の下へ戻しながら言った。 「今日は、同じ鉢を二度動かさずに済みそう」 「戻る場所が決まっていると、走る順も落ち着くので」 フィオナがそう答えると、司書ミレーユは窓辺の小鉢へ目をやった。「春は、葉までせっかちね」


 帰り道、灯路の石畳には夕方の光が薄く残っていた。家へ戻ると、レオンが籠の横の札を見てすぐに言った。 「日向札と水札、ほんとに別の柱になった?」 「うん。朝は窓の左、夕方は棚柱」 クリスは丸い切り欠きの水札を見て、得意そうに頷いた。「おみず、あと」 「そう」とルミナが言う。「あと、が先に分かっていると、朝の手が急がなくて済むのよ」 アストルも工房の戸口から笑う。「走るものほど、帰る場所が要るってことだな」


 窓の外では、月読み文庫の窓辺が灯りにうっすら浮いていた。小鉢の葉は、昼よりも少しだけ影を深くしている。明日は町のどこかで、高いところへ上がる札と、渡り終えて下りる札がまた要るかもしれない。春の町は、上へ伸びる前に、足の順を決めておいたほうが滑らない。


 梁の上でスノーが、左の金具の日向札と、棚柱の水札、そのあいだで休む鉢を見下ろして嘴を鳴らした。 「速く走るのは光の勝手だ。だが世話の順まで追い立てられるな――朝の札と夕の札を別々に休ませりゃ、家の手も町の手もちゃんと間に合う」


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