4月18日(土):差し口こしらえの日
とある世界では今日は『まだなかった小さな便利をひとつ足し、手の届く暮らしを少しだけやさしくする』日。アルメリアでは『差し口こしらえの日』として、道具へ新しい口をつけるときほど、削る前のものと削ったあとのものを同じ場所へ戻さず、工夫の途中をていねいに見分ける日。
土曜の夕方、フレイメル家の工房には木の匂いと湿った土の匂いが一緒にあった。昨日、水番を整えた若なすの小鉢は、朝のうちの水やりを終えて、もう窓辺の定位置へ戻っている。右の厚い布も乾かして畳まれ、左と真ん中と右で分けた水の番は、今日はもう静かにしまわれた顔をしていた。
けれど、昨日の手つきが残した宿題は、工房の卓の上へちゃんと上がっている。
「葉へかけずに、土の縁へだけ落とせる口があるといいんだよな」
アストルはそう言って、小さな水差しを卓へ置いた。今の口は短くて、若なすみたいな小さな鉢へ水をやると、どうしても雫が少し広がりやすい。だったら、木で細い差し口をこしらえて、先だけ静かに伸ばせばいい。派手な新作ではなく、昨日の水番の続きをやさしくする工夫だった。
卓の上には細い木片が六つ並んでいる。まだ穴を通していない木片には『木口札』。真ん中へ細い穴を通し、差し口の芯を入れられるようになった木片には『穴札』。昨日の余韻どおり、フィオナが朝のうちに二枚の札を作っておいた。
ルミナは皿を三枚用意した。左に木口札の皿。右に穴札の皿。真ん中には浅い削り粉の皿。 「今日は粉も別にするのね」
「うん」とフィオナが頷く。「昨日の“まだ”と“飲んだあと”と同じ。今日は“まだ穴がない”と“もう通った”を分ける」
レオンは卓と皿の位置を見比べた。「しかも木片って、夕方の光だとほとんど同じ顔だよね。だったら札だけじゃなくて、どこへ戻るかも決めておいたほうがよさそう」
クリスは木片をひとつ見つめた。 「これ、まだ くち ない」
「そう」とルミナが笑う。「穴が通ったら、口になる支度ができる」
作業は静かに始まった。アストルが木片の真ん中へ炭で小さな印を打つ。フィオナがそれを受け板へ載せる。レオンが受け板の端を押さえる。アストルが手回しの小さな錐で、ゆっくり穴を通す。貫いた木片はフィオナが受け取り、薄い削り粉だけ払ってから右の穴札の皿へ移す。
最初の二つは、それでうまく流れた。
「通った」
レオンが言うたび、クリスは右の皿を見て、うれしそうに頷く。 「こっち、あと」
「うん。通ったあと」とフィオナが答える。
三つ目で、手が少しだけ迷った。
アストルが錐を抜いたとき、細い削り粉が木片の肩へまだ残っていた。そこへクリスが、よくできたねのつもりで左の木口札の皿から次の木片を一つ取って差し出したのだ。うれしいときほど、次の手を早く渡したくなる。
「つぎ、これ」
同時にレオンも、今通った木片を右の皿へ置こうとして手を伸ばしていた。しかも真ん中の削り粉の皿が二つの皿のあいだへ寄りすぎていて、払った粉が左の木片にも少しだけ移る。穴のある木片も、まだの木片も、粉をまとったせいで一瞬だけ同じ途中の顔に見えた。
「待って」とフィオナが言った。
クリスの手が止まる。 「これ、まだ? もう?」
レオンも皿を見比べた。「粉がつくと、穴があるほうもないほうも、同じ途中に見えるね」
アストルは錐を持ったまま眉を下げた。「ああ。削り粉の皿が真ん中に近すぎたか。粉の行き先と、木片の帰り先が同じ前にいる」
誰も間違えて穴を開けたわけではない。木片も割れていない。ただ、まだの木片、通った木片、削り粉、その三つが卓の真ん中へ寄りすぎて、次の手がどの皿へ帰ればいいかだけ、少し曖昧になったのだ。
「止まりましょう」
ルミナの声で、卓のまわりの手がいったん静かになる。
フィオナはまず、真ん中の削り粉の皿を窓側へ半歩ずらした。粉は途中で出るものだから、木片の帰る皿のあいだにいないほうがいい。次に木口札の皿を左の手前へ、穴札の皿を右の奥へ置き直す。削る前は手前。通ったあとは奥。手が進む向きと、木片の役の変わり方を揃えるためだ。
「木口は左の手前」とフィオナが言う。「穴札は右の奥。粉は横」
レオンはすぐ続けた。「木片の帰る皿のあいだには、粉を置かない。そうすると、“途中のもの”と“帰るもの”が混ざらない」
クリスも小さく復唱した。 「ひだり、まだ。みぎ、とおった」
「うん。それで大丈夫」とルミナが頷く。「今日はその違いが分かればいい」
アストルは錐も卓の真ん中ではなく、受け板のすぐ横へ寝かせた。「道具も同じだな。口を作る道具まで真ん中に居座ると、また手が迷う」
それだけで、卓の上の流れが見えやすくなった。左手前の木口札の皿から木片を取る。受け板で穴を通す。窓側の皿へ粉だけ払う。右奥の穴札の皿へ木片を戻す。動きはほとんど同じなのに、帰る先だけがくっきりする。
もう一度、三つ目からやり直す。
今度はクリスも迷わない。差し出すのは左手前からだけ。通った木片はフィオナの手を通って右奥へ行く。削り粉は木片と一緒に運ばず、横の皿へ落とす。レオンはその流れを見て、納得したように頷いた。
「こうすると、次を渡す手と、終わったのを休ませる手が同じ場所へ入らないね」
アストルが笑う。「発明ってやつは、形を作る前に、手の行き先を決めるほうが先かもしれないな」
「うん」とフィオナは頷く。「口を作る前に、木片の帰り口を作る感じ」
その言い方が、家族みんなにしっくり来たらしい。クリスは右奥の皿を見て、ちいさく胸を張った。 「ここ、かえりぐち」
「そう」とルミナが笑う。「ちゃんと帰れたら、次がやさしくなる」
六つの木片に穴が通るころには、左手前の木口札の皿は空になり、右奥の穴札の皿にだけ細い穴のあいた木片が揃っていた。アストルはその中から一本を選び、細い芯を通して水差しの口へ当ててみる。若なすへ試す前に、空の鉢へ一度だけ水を落とすと、雫は昨日よりずっと静かに土の縁へ届いた。
「これなら葉にかかりにくいわね」とルミナが言う。
レオンも目を細めた。「しかも、どの木片が通ったやつか、最後まで混ざらなかった。使う前に迷わないって、結局そこがいちばん大事なんだね」
クリスは新しい差し口を見つめる。 「これ、ちいさい みずの くち」
「うん」とフィオナが答える。「若なす用の、やさしい口」
明日はたぶん、鉢台をどこへ置くかを紙へ落として見る日になる。窓辺の列も、昨日より少しだけ増えた。置く前の台と、置いたあとの台を、目だけで追うにはそろそろ細かい。線で引く道と、点で置く場所を先に分けたほうがよさそうだ。
梁の上でスノーが、左手前の空いた皿と右奥の揃った皿を見比べて嘴を鳴らした。「発明ってのは、新しい口を増やすことじゃねえ。混ざる途中に境目を引いてやることだ――境目が見えてりゃ、お前らのしずくは若い葉をむやみに濡らさずに済む」




