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4月14日(火):橙わけの日

 とある世界では今日は『明るい色の実を分け合い、剥く手と渡す手がぶつからないように、先に皿の役を決めておく』日。アルメリアでは『橙わけの日』として、まだ皮のついた橙と、皿に分けた房を同じ場所へ置かず、剥く場所と渡す場所を分けて夕方の手を整える日。


 夕方のフレイメル家の店先には、昼の明るさが少しだけ残っていた。下校と迎えをすませて家族がそろい、工房の戸を半分だけ開けて、石畳の端へ小さな台を出す。今日は修理の受け取りに来た人へ、橙を一房ずつ渡すつもりなのだ。春の終わりに近い橙は、色がやわらかく、剥くと指先に甘い香りが残る。


 アストルが、昼のうちに組んでおいた木の小棚を持ち出した。上段に剥いた房の皿、下段に皮皿を置けるようにした、簡単な渡し棚だ。


「どうだ」とアストルが言う。「剥くのも渡すのも、この棚ひとつで済む」


 レオンが棚の段を見て頷く。「見た目は分かりやすいね。でも、剥く前の橙はどこ?」


「横の籠」とアストルは即答した。店先の足元に、小さな橙籠がひとつ置いてある。


 ルミナは皿を二枚出した。片方は『皮皿』、もう片方は『房皿』。札の字は違うが、皿の大きさは同じだ。


「橙籠は剥く前。皮皿は剥いたあとに出るもの。房皿は渡すもの」とルミナが言う。「今日は、剥く場所と渡す場所を少し離しましょう」


「離すの?」とクリスが訊く。


「うん。嬉しい匂いがすると、手は前へ出やすいから」


 フィオナは布を一枚敷き、剥く場所を工房の戸口の内側に決めた。店先の棚はそのまま外へ出す。つまり、剥くのは中、渡すのは外。そういう段取りだった。


 けれど、アストルは自分の小棚を少し気に入っていたらしい。


「いや、でも、この棚の下段で剥いて、上段へ房を置けば早いぞ」と言って、橙籠まで棚の横へ寄せてしまった。


「お父さん」とフィオナが言う。「今それをやると――」


「大丈夫、大丈夫。動線は短いほうがいい」


 その“だいじょうぶ”が、今日の入口になった。


 最初の一個をアストルが剥き始める。皮は下段の皿へ、房は上段へ。見た目はきれいだ。けれど、次の瞬間、修理品を受け取りに来た近所の人が一人、店先へ立ち寄った。


「お、今日はいい匂いだねえ」


 アストルは嬉しそうに顔を上げる。「どうぞ一房――」


 その言いかけた横で、クリスは橙籠から次の実を取り、同じ上段へ置こうとした。まだ皮のついたままの橙だ。クリスにとっては“次に使うもの”で、前へ出しておいていい感じがしたのだ。


「これ、つぎ」とクリスは言う。


 レオンがすぐ止める。「待って、それはまだ剥いてない」


 でも、手はもう上段へ向かっていた。上段には、房皿。下段には、剥きかけの皮皿。横には、皮のついた橙籠。どれも近い。近いと、次の手がそのまま前へ出てしまう。


「あ」とフィオナが声を上げる。


 クリスは橙を落としはしなかった。けれど、上段の房皿の前で一瞬止まり、下段の皮皿も見て、どこへ置けばいいのか分からなくなった。その迷いで、受け取り客の手も少しだけ待つ形になる。


「どれが、もう食べていいやつ?」と近所の人が笑い混じりに訊く。


 レオンも、橙籠と房皿を見比べた。「剥く前の橙が、渡す棚のすぐ横に来ると、次に出すものと、もう出したものが近すぎる」


 アストルはそこで、やっと顔をしかめた。「……ああ。短い動線にしたつもりが、手の役まで重なったのか」


 誰かが失敗したわけではない。アストルの棚も壊れていないし、橙も潰れていない。ただ、剥く前の橙と渡す房を、同じ前面で回そうとしたせいで、手の順番だけが少し窮屈になった。


 クリスは橙を抱えたまま小さく言う。「ごめん。これ、つぎ だと おもった」


「うん。次なんだよ」とルミナがやわらかく言う。「でも、次のものは、まだ前へ出さないほうが分かりやすいの」


 フィオナが続ける。「止まろう。棚の良さは残して、置く場所だけ戻そう」


 ルミナが短く言った。「止まろう」


 その声で、店先の手がいったん止まる。夕方の風だけが、橙の皮の匂いを少し運んだ。


 まず、橙籠を棚の横から下ろす。今度は工房の戸口の内側、布を敷いた剥き場所へ戻した。クリスはレオンと一緒に持つ。中の実が転がらないよう、ゆっくり運ぶ。


「剥く前の橙は中」とレオンが言う。


「中」とクリスも繰り返す。


 次に、皮皿を棚の下段から外し、剥き場所の左へ置く。房皿だけが、店先の上段に残る。


「皮は中の左」とフィオナが言う。「房だけが外へ行く」


 アストルは小棚を見下ろし、少しだけ肩をすくめた。「棚ひとつで済ませようとしたのが、かえって混ぜたな」


 ルミナは笑う。「棚は悪くないわ。置く順番だけ」


 その言い方で、アストルの顔の硬さが少し解ける。


 もう一度、橙を剥く。今度は工房の内側。アストルが皮を剥き、クリスが皮皿へ入れる。フィオナが房だけを外の房皿へ運ぶ。店先ではレオンが受け取り客に渡す。


「どうぞ」とレオンが言う。


「ありがとう」と近所の人が笑う。


 その動線は、さっきより一歩多い。けれど、手は迷わない。剥く前の橙は中。房は外。皮は左。受け取る手は前。


 クリスは次の橙を見ても、もう上段へは持って行かなかった。自分の番は、まだ中なのだと分かる。


「これ、まだ いえ」とクリスは橙籠を指した。


「そう」とルミナが答える。「剥いてから外」


「かわ、ひだり」


「うん。房は上」


 その言い方が、今日は何よりよかった。橙を急がせたわけでも、棚を捨てたわけでもない。ただ、剥く前と出したあとを、通る場所で分けただけだ。


 やがて夕方の客足が少し落ち着くころ、店先の小棚には房皿だけがきれいに残っていた。皮皿は内側で静かに重なり、橙籠はまだ半分ほど実を残している。


 アストルはその並びを見て、小さく笑った。「短いだけがいい動線じゃないんだな」


 フィオナも頷く。「うん。役が分かれるなら、一歩増えたほうが早いこともある」


 帰るころ、クリスは最後の一房を見て言った。「むく まえ、なか。たべる の、そと」


 その言葉が、今日の全部をきれいに分けていた。


 明日はたぶん、剥く前の橙よりもっと細かい。皮のほうが先に減るのか、房のほうが先に並ぶのか、また手が少し迷うかもしれない。


 梁の上でスノーが片翼を畳み、内側の皮皿と外の房皿を見比べた。「甘いもんは、手を前へ急がせる。だから通り道を分けろ――出す前と出したあとが別れりゃ、こいつらの手はちゃんと同じ夕方に着く」


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