響1
櫻井響の話 その1
「そこにはでっかい鳥がいた」
どうして弟の事を『ルー君』って呼ぶのか、女友達に聞かれた事がある。その時私はなんて答えたんだっけ?
カレーの『ルー』に似てるから?
数学の『ルート』という記号に似てるから?
ルールルル〜と呼ぶと近付いてくるから?
本当の理由を言った事は無かった。誰にも言わないようにしてた。あの日あの時、彼に出逢うまでは。
彼と出逢ったのは本屋だった。家の近くにある年期の入ったちんまりした本屋で、とても優しいおばあちゃんが経営している。客の入りはどうかというと、これがまた驚いた事に意外にもそこそこ繁盛している様で。かなりびっくりだ。
彼に会ったその日も、私はその本屋で本を立ち読みしていた。『教え上手は出来上手』という本を、かぶりつくように。
「響ちゃん、またその本読んでるの?」
本屋のおばあちゃんが話しかけてくる。とても気さくなおばあちゃん。私も、弟の奏もこのおばあちゃんが昔から大好きだ。
「うん。ルー君の家庭教師をしないといけなくなったから。おばあちゃんも知ってるでしょ?私が教え下手なの」
艶やかな黒髪に桜色の唇。ぱっちりした目にスラッとしたモデル並のスレンダーな体躯。成績優秀、頭もいい。手先も起用で料理も出来る。友達も多い。そしてスポーツも万能。
だけどそんな響にも欠点がある。それは、誰かに何かを教えるのが物凄く下手、ということ。
いくら響が、「だからあーでこーでこうなのよ、解る?」と言ってもちゃんと理解される事は少ない。皆分かってくれない。響の様に簡単に何でもこなす様にはならない。
何故こんなにも教え下手なのか。自分でもよく解らない。これがただ一つの私の弱点。
「はぁー……」
ため息をつく響に、おばあちゃんは元気だしなよと飴をくれた。おばあちゃんの必須アイテムだ。
響はありがとう、と飴を貰い本屋を出る。おばあちゃんはうちがド貧乏だと知っているので、どれだけ立ち読みしてても怒らない。いつもいつも立ち読みだけで悪いな、とは思っているので、色々と金銭面じゃない方のお手伝いはさせて貰っているのだけれど。
「…………」
それにしても、と思う。
弟には、勉強の才能がないんだとか、なんでこんな問題も解らないんだ、とか悪態をつく私なのだが。
「私の教え方もすこぶる不味いのよね……」
はぁ、とまた一つ大きなため息。
家に帰ろうと足を動かし本屋の前から移動しようとした響だったのだが、見知らぬ誰かの声に後ろから呼びとめられてしまった。
「もしもし、そこのお嬢ちゃん」
お嬢ちゃんって。
私もうそんな歳じゃないんだけど。
だけど声をかけられる事には馴れていた。
女優になりませんかー?だとか、可愛いね、一緒に遊びに行かない?だとか、ハンカチ落としましたよ。あれ?違いましたか?すみません、ではお茶でも。だとか、道を教えて頂けませんか?ありがとうございます。ではお茶でも。だとか。
そういった類いは多々ある響なので。
またそんな類いだろうと、「何かご用ですか?」と響が振り向くと。
「…………」
仰天。
そこにはでっかい鳥がいた。
いや。鳥の着ぐるみに身を包んだ人が立っていたのだ。
足元から頭の先まで全身着ぐるみに被われていてとても暑そうな姿。もちろん全身着ぐるみなので顔は見えないし、声もくぐもっていて聞き取りづらい。が、中にいるのは男だろう事は解った。
何かのキャンペーンか何かですかね?
「お嬢ちゃん、ちょーと手伝って欲しいことがあんねんやけど、えーか?」
関西弁とはまたちょっと違う、微妙な関西なまりに違和感を覚えたが顔には出さず、何でしょうと顔に笑顔を張り付け響は答える。
「おぉっ!手伝ってくれるんかー!良かったわ、じゃこっち来てくれる?」
そう言って鳥男は軽やかなステップで響を置いて歩いて行く。
「…………」
手伝うとは言ってないんだけど、と笑顔を張り付けたまま顔をひくひくとひきつらせ、響は仕方なく鳥男の後を追った。
「じゃ、これ。頼むでー」
そう言って鳥男に渡されたのは大量のチラシ紙だった。何?これ。
「チラシや。張り切って引き受けたまでは良かったんやけど、大量すぎてなー。今日中に終わりそうもなくて。しかも、チラシ受け取ってくれへん人とかいるやろ?やから減らん減らんで困ってたんや。お嬢ちゃんなら女やし、皆受け取ってくれるわ。ありがとーな」
「じゃ、俺あっちで配るさかいこっちよろしゅーな」と、そう言って鳥男はまた軽やかなステップで走って行ってしまった。
響は一人、取り残される。
「……………」
これはあれか。あれなのか。
響は一人自問自答。
流されたのか。
思いっきり流されてしまったのか。
「というか押し切られた?」
いや、押し付けられたっ!
あの鳥男に仕事を押し付けられたのだ!
響は手の中にあるチラシ紙を見つめる。
このまま放っておいてもいいのだが、任された仕事はちゃんとやらないといけない、と思ってしまう。この仕事を放っておいたら、あの鳥男は困ってしまうだろうから。
「……お願いしまーす」
そう言って響は顔に『笑顔』を張り付け、通行人にチラシを配っていく。押し付けられた仕事を完遂するために。
「おぉっ!さすがやな、お嬢ちゃん。もー終わったんかー」
チラシを配り終え、鳥男を探して歩いていた響に当の鳥男が唐突に声をかけてきた。鳥男がどこから現れたかは不明。
「そっちは終わりましたか?」
響がそう聞くと鳥男は、それがまだなんやー、と大量に残っているチラシ紙を響に見せた。これまた仰天。
増えとるっ!!
何でっ!?
「ちょっと、何でさっきより増えてんですか!?」
明らかに増えてるチラシ紙を指差し響は鳥男を怒鳴り付ける。どんだけ刷ってきたんだと言うほど増えてる。
山だよ、これはもはや小山ですよ。
鳥男は笑う。
「いやー、やっぱもっと大量に配った方が皆に広まるやろ?そしたらあのおっちゃんの店も繁盛するし。そしたら毎日ご飯食べさせてくれるかもしれへんしと思てな?増やしといた」
「増やしといた、って……」
増やしすぎだよ、これは。
いくらなんでも。
アホなのか?と思い鳥男を見ると、鳥男は文句を言う私の存在など何のその。チラシ配りを再開していた。
だけど。
「アンニョンハシムニカ〜」
……………………。
何!?
今何か韓国語っぽい物が聞こえたんだけどっ!
聞き間違い!?
私の耳、おかしくなったの!?
鳥男がチラシを配る。
「アンニョンハシムニカ〜、カムハニダ〜」
「…………」
聞き間違い、じゃない。
何故!?どうしたの!?
一体何がっ!?
当たり前だが、えせ韓国語を使う鳥男のチラシは誰も受け取らない。不気味だからだ。恐怖。怪奇。怪異。
響は鳥男の腕を掴み引っ張る。
「アンニョ〜…って、何や?まだ手伝ってくれるーいうんか?ありがたいけどお嬢ちゃん時間大丈夫か?もう暗くなるで?」
「お嬢ちゃんっていう歳じゃないから大丈夫です。そんな事より、なんですか今の。韓国語?何で韓国語?いや、韓国語にもなってなかった感じがするんですけど」
宇宙語?
もしかして中に入ってるのは人間じゃなくて宇宙人?SF?
鳥男は首をかくんと横に傾け、「チラシ配る時はこーいうんやろー?そう聞いたでぇー?」とバカ過ぎる発言を響に食らわせた。
「…………」
い、……痛いっ!
痛すぎるわっ!!この男。
「あの、それ誰に聞いたんですか?」
響は鳥男に問いただす。
信じる方もバカだが、言った方も、もうちょっと人を選んで冗談を言って欲しいものだ。
鳥男はその響の言葉に、「チラシ配ってた時に会った若い兄ちゃんやー。これですぐにパパパっーと配れんでて教えてくれたんやー」と言った。
「…………」
完全にバカにされたんだな、と響は鳥男を物凄く憐れに思った。というか、何故信じる。信じちゃうの?
「それ、嘘ですよ」
「嘘?嘘なんか?これですぐに配り終えるわー、兄ちゃんありがとー思てチラシ増やしたのになぁ。どうしよかな」
チラシ増多はソイツのせいか。
うーん、と悩む鳥男に響はため息をつく。手伝うので早く終わらせましょう、と小山からチラシをごそっと取ると、チラシ小山が少し崩れた。
「ええんか?お嬢ちゃん、帰らんでほんまに大丈夫なんか?」
鳥男が、また首をかくんと傾け問いかけてくる。着ぐるみだからかその仕草が可愛く写る。
「さっきも言いましたが大丈夫です。というか、そのお嬢ちゃんっての止めて貰えますか?」
響はもう、お嬢ちゃんって言う歳ではない。
「じゃーなんて呼ぶんや?お嬢ちゃん」と、鳥男は響と同じように小山からチラシを取りながらそう言った。小山がまた少し崩れた。
「響、櫻井響です」
響がそう言うと鳥男は響の隣に立ち、「じゃ響ちゃんやなー」と楽しそうに響の名前を口にした。
『響ちゃん』
「…………」
なんか、
なんでだろ?
すごい照れる。
「よっしゃ!頑張って配ろかー」
鳥男は通行人にチラシを配り始めた。
響もそれを見て、顔に笑顔を張り付けチラシを配る。
「お願いしまーす」
響と鳥男がチラシを配り終える頃には、太陽は隠れ月が空に昇っている事になるだろう。




