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朝比奈玲まだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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宴席での出会い①

結花は、

“さゆり”として二年を過ごした。


最初から上手くいった訳ではない。


失敗も多かった。


座敷で緊張して固まり、

上手く会話へ入れず、

空気を読めずに落ち込む事もあった。


けれど結花は、

同じ失敗を何度も繰り返す子ではなかった。


持ち前の明るさ。

愛嬌。

そして、人一倍の努力。


宴席で交わされた話を覚え、

先輩達の立ち回りを観察し、

足りない部分を少しずつ埋めていく。


そうして徐々に、

“さゆり”の名前で仕事を貰えるようになった。


人懐こさもあったのだろう。


他のお姉さん達からも可愛がられ、

宴会後の“後口”へ呼ばれる事も増えた。


二次会。

三次会。


時には、朝まで続く宴席もある。


そのまま仮眠だけ取り、

大学へ向かう日も珍しくなかった。


流石に疲れる。


だが、

学年が上がった事で一般教養は減り、

必要単位もある程度確保出来ていた。


以前より、

学業の負担は軽くなっている。


——そう思っていたのだが。


今度は専門教科が増えた。


レポート。

実習。

発表。


机へ向かう時間は、むしろ増えていく。

奨学金を借りている以上、留年だけは避けたかった。


単位を落とせば、生活そのものが崩れる。


だから結花は、どれだけ眠くても大学へ行き、

レポートを書き、“さゆり”として笑った。


緊張感のある生活は、相変わらず続いていた。


ある日の宴会。

特に配慮が必要な宴席の場合、

事前にある程度の情報は共有される。


相手の立場。

空気感。

触れてはいけない話題。

酒癖。

誰を前へ出すべきか。

逆に、誰を下げるべきか。

そういうものを踏まえ、座敷の人選は決まるのだ。


だが、

その日の宴会には特段の注意事項がなかった。


“普通の宴会”。

共有された情報は、それだけだった。


場所は箱根でも指折りの高級宿。

政財界の人間も利用する、格式ある老舗旅館だ。


そして今回、先方から名指しで希望が入った


『カオリ』


今、

売上上位にいる人気芸妓である。


その時点で、

座敷の格はある程度察せられた。


ただ、メンバーは『はなのや』の身内だけ。

外から応援を呼ぶ程ではない。


その判断に、さゆりは少し安心していた。

しかも今日は休み前だ。

翌日の大学を気にしなくていい。

それだけでも気が楽だった。


さらに——


「今日、ユリ姉さんも入るって」


その情報を聞いた瞬間、

さゆりのテンションは露骨に上がった。


「ホントですか⁉︎」


思わず声が弾む。


ユリは人気が高い。


美人で、

不思議な空気感があり、客受けも良い。


だが同時に、

どこか危なっかしく、

放っておけない所もあった。


さゆりはそんなユリを、かなり慕っている。

一緒の座敷へ入れるだけで、単純に嬉しかった。


「じゃあ頑張ろ」


鏡を見ながら、帯を整える。

今日は、良い宴席になる気がしていた。


次々と開けられる、ビール瓶の蓋。

乾杯の声。

立ち上る笑い声。


宴会場の空気は、

時間が経つにつれ徐々に温まっていく。


芸妓達も、

同じ席へ留まり続ける訳ではない。


酒を注ぎ、

場を盛り上げ、

頃合いを見て席を移る。


誰かが抜ければ、

別の誰かが入る。


自然な流れの中で、

座敷は回っていた。


さゆりも、

笑顔を絶やさず客席を移っていく。


その中で、

少し気付いた事があった。


主催者側に座る客達の年齢が、

比較的若いのだ。


——いや。


正確には、

上座に座る美丈夫だけが異質だった。


彼だけは三十代前半あるいは四十へ届く頃だろうか。


落ち着いた空気。

余裕。

自然と視線を集める存在感。


着崩し一つない姿からも、育ちの良さが滲み出ている。


対して、

その周囲に座る男達は、

まだ三十代前後に見えた。


若い。


しかし、

単なる若手社員ではない。


座り方。

会話。

酒の飲み方。

どこか“選ばれている側”の空気がある。


一方、招待客側は分かりやすかった。


若手。

中堅。

役員クラス。


会社組織として自然な構成だ。


それに対し、

主催側だけが妙に偏っている。


まるで、

近い世代で固められているような——


「さゆりちゃん」


呼ばれ、思考を止める。

笑顔を作る。


「はい」


今は、

座敷へ集中する時間だった。


宴も回り始める。


席は崩れ、

あちこちで群れが出来ていた。


「さゆりちゃん、ちょっと、

その顔はダメよ!」


オロオロした声と、笑いが重なる。


誰かがこの輪の中へ加わった気配がした。


さゆりは、

さらに場を盛り上げようと、

両手で頬を押し上げる。


変顔の難易度を、もう一段上げた。


先に相手が吹き出す。


「っはは!負けた!」


「っぅシャー!エイエイオー!」


さゆりが力強く勝鬨を上げる。


そのまま敗者へ、容赦なく罰の酒を差し出した。

「はい、一気〜!」

「鬼か!」


また笑いが起きる。


完全に、出来上がっている。


「朝比奈さん、次どうぞ!」


誰かが促した。


いつの間にか、

輪の中へ爽やかなイケメンが加わっている。

ユリと向かい合う。

掛け声と共に、互いの顔を見る。


——だが。


両者、変顔をしない。

見つめ合ったまま、動かない。


むしろ、

爽やかイケメン——朝比奈の顔が、

じわじわとユリへ近づいていく。


普通なら、笑う。


照れる。

避ける。

何かしら反応がある距離。


だが、ユリの表情は全く変わらなかった。


黒曜石のような瞳で、静かに相手を見返している。


朝比奈が、小さく笑う。


「ユリさん、顔変わってないから。」


「あっ、ごめんなさい。」


ユリが、小さく首を傾げた。

ずれている。


いつもの事だ。


「ウチの姉さんは、コレでいいんですぅ」

さゆりが、すかさず庇うように言う。


その様子に、また笑いが起きた。


「盛り上がっているな」

低い声。


振り返る。


そこにいたのは、

先程まで上座にいた美丈夫だった。


三十代半ばほどだろうか。

整った顔立ち。

落ち着いた物腰。


ただ立っているだけなのに、場の空気が自然と変わる。


纏う雰囲気が、

明らかに“普通ではない”。


輪の中にいた客達が、一斉に声を上げた。


「部長!」


年齢の割に、

肩書きが重い。


さゆりは静かに分析する。


男は自然な動作で輪へ入り、

若手達へビールを注いでいく。


その仕草にも無駄がない。


「キミ達、この後カラオケに行こう!」


上座から声が飛んだ。


招待客側だ。


その瞬間、

カオリが“取った”顔をした。

後口を決めてきたらしい。


どうだと言わんばかりに、こちらを見る。

「手配しなきゃ」


ユリが席を立つ。


「姉さん、私が——」


さゆりが言いかける。


だが。


「大丈夫。ちょっと失礼します」


ユリは、音もなく消えるように裏口へ向かった。


一人減った事で、空気が少し変わる。


男達が、誰が良いだの、好みだの、

男同士の話を始めた。


比べられる事には慣れている。


その評価が、売上へ繋がるのだ。


「俺は一番人気の、カオリさんで!」

一番若い男が笑う。


「でも相手にされてない感じが、逆にいいっす」

周囲が笑った。


よく見ている。


先程、変顔勝負していた男が手を上げる。


「俺、さゆりちゃん!キミでーす!」


「イェーイ!うれしぃ!」

さゆりが、場の空気へ合わせ明るく返す。


「部長は?」


誰かが聞いた。


「俺はいい」


「あっ、ですよね」


微妙な空気になりかけた時。


先程、

ユリと睨めっこしていた爽やかイケメン——朝比奈が、

静かに口を開いた。


「俺さ、マジでユリさん気になる」

視線が集まる。


「さっき、睨めっこしてたんだけど。

目がさ、多色っていうか——」


言葉を探すように、少し考える。


「黒に見えるのに、光の入り方で色が変わるんだよ」

その声音は、面白がっているというより、

純粋な興味に近かった。


「あれは、泣かしたくなるな」


朝比奈が、

ぽつりと呟く。


その瞬間。


さゆりは、妙な違和感を覚えた。


笑っている。


確かに口元は笑っているのに、

目が笑っていない。


——違う。


正確には。


何かを、

“見つけた”目だった。


「今日の俺のおかず」


場へ合わせるように、軽い調子で続ける。

一瞬、空気が止まった。


そして——


「エッチー!ウチらの姉さんが穢れる!」


さゆりが、即座に割って入る。

勢い良く両腕でユリを隠す真似までしてみせた。


その動きに、場が一気に笑いへ戻る。


「何だそれ!」

「過保護か!」


「姉大好きじゃん!」

「当然ですぅー!」


さゆりは負けじと胸を張る。

笑い声が重なる。


空気は、完全に宴会へ戻った。


けれど。

さゆりだけは、ほんの少しだけ引っ掛かっていた。


先程の朝比奈の目。


あれは、

ただ酔ってふざけている男の目ではない。


もっと静かで。


もっと、

粘つくような何かだった。


だが次の瞬間には、

朝比奈本人が、

何事も無かったように若手へ酒を注いでいる。


爽やか。

穏やか。

感じの良いイケメン。


先程の違和感が、気のせいだったように思える程に。


「さゆりちゃん、次カラオケでアニソンね!」


「えぇー!何が聞きたいですか?」


空気は流れる。

宴会は続く。


だからその時のさゆりは、まだ知らなかった。


この男が、

後々とんでもなく面倒臭い男になる事を。

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