良縁の御守り
4月18日は、日付が変わった辺りからポツポツと、
「誕生日おめでとう」
と友人達からメールや動画が送られてくる。
「ありがとう」
一つずつ丁寧に返信する。
自分だけの特別な日。
「結花、誕生日おめでとう」
両親や大好きな祖父母からのテレビ電話。
そして、誕生日に指定されて届いた大きな段ボール箱には田舎でしか手に入らない大好きなお菓子や食料品がぎゅうぎゅうに詰められていた。
「お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、ありがとう!ちゃんと届いたよ。大事に食べるね」
満面の笑みで通話を終える。
次の日付けに変わるまで結花は待った。
だが、期待した連絡はついに来なかった。
次の日置き屋のママから、
「東央さんから、さゆりの一日貸切の予約が入ったから。宿泊込みの箱根観光だって。来週のこの日と翌日の午後まで時間空けといてね」
と、連絡があった。
10日ほど前に朝比奈さんから、
「瑠璃さんと葵さんをよろしくお願いします」
と連絡があった件だろう。
「承知、しました」
送信する。
ユリ姉さんは先日、正式に検番に廃業届けを出した。
これで箱根では、もう芸妓としてのユリ姉さんには二度と会えなくなった。
正直、推しがいなくなった事は寂しい。
まだ、置き屋に行ったらユリ姉さんが来るのじゃないか?と思う日もある。
でも、二度と来ない。
わかっている。
ユリ姉さんはもう一人きりじゃなくなった。
その方が今までよりずっとずっと良い。
3月に朝比奈さん経由で招待状を貰った。
ユリ姉さんに私は認識されていた事を実感して、めちゃくちゃ嬉しかった。
箱根で過ごした時間は、私だけが大切だと思っていた訳じゃなかったのだとそう思えた。
指定された日は結花の誕生日から一週間後の4月25日。
鷹司氏と馨さんの結婚披露宴が行われる日だった。
それは、説明されるより前にネットニュースと経済誌の見出しで知った。
当日、よく晴れた日。
箱根湯本駅に姉さんを迎えに行く。
今日は特に和装でも、洋装の制服でもない。
私服のワンピース。化粧も夜用ではなく普段大学へ行く時ぐらい。
時間通りに電車は来た。
観光客が楽しそうに改札を出てくる。
その中をゆっくり歩いてくる、姉さん。
前のように似合わない流行りの化粧はもうしていない。
今の方がずっと自然だった。
彼女の歩く姿が眩くて、やっぱり「推しで神」な事には変わりなかった。
姉さんがこちらに気づく。
「さゆりちゃん!久しぶり。元気だった?」
そう言って笑ってくれる。
「はい!姉さんこそ。あっ、もう姉さんじゃなくて、今日はお客様だから「お姉さん」?」
そう言うと姉さんはクスっと笑って
「今日からは名前で呼んでね」
「はい。じゃあ…、「瑠璃」さん」
うん。と一つ頷き、
「じゃあ、観光。行こっか」
歩き出す。
瑠璃が少し駅前を見回し、
「観光気分でここを見るのは初めて。いつも下ばっかり見てた」
「瑠璃さん、私はまだそれ継続中」
笑いながら返す。
「瑠璃さん、観光に希望の場所はありますか?とりあえず、ご飯は何食べましょか?」
「和食、洋食、カレー?、気になるのありますか?」
「うーん。さゆりちゃんが案内して?」
「まずは、瑠璃さんが何食べたいかが先です!それからお店を絞りましょう。それとも、先に芦ノ湖に移動してカフェに入ります?」
「カフェ?」
「はい。芦ノ湖見ながらお茶できますよ」
「じゃあ、それがいいな」
「よし、決まりです!」
芦ノ湖へタクシーで移動する。
和モダンな雰囲気で、女性客が多い店内の窓際の席。
湖の向こうを海賊船がゆっくり横切る。
「綺麗……」
瑠璃がぽつりと呟く。
「ですよね…」
「こんなにちゃんと見たの初めてかも」
「え?」
「いつも仕事だったから」
「そうですね。お出かけって、最初は観光で楽そうって思っていたけど、今は誤魔化しが効かないお客さん相手で必死です」
「わかる」
笑い合う
「瑠璃さん、パンケーキのセットでいい?」
「うん、美味しそう」
店員に注文し、近況を聞く。
「瑠璃さん、昼職は変わりないですか?」
「うん。東央さん、まだ続いてるよ。相変わらず部署が決まらないのに、契約は続いているの。可笑しいよね」
少し困った顔で笑うのが、いつもどおりに感じる。
「さゆりちゃんは?」
「単位は取れました。後は卒論提出と来年の自分のサークルの卒業コンサートがメインかな…」
「そっか。学校、目処が立って良かったね」
さゆりは少し間を置いてから
「瑠璃さん。もし、良かったらですけど…。私の最後の公演観に来てくれませんか?いや、来年なんでまだ予定わからないですよね……やっぱり、」
「いいよ。『ゆいか』ちゃん」
「え?」
「観に行きたいです」
「……」
さゆりは数度瞬きをした。
「いいんですか?」
「うん」
「嬉しい!頑張ります。あのこれからの連絡先を聞いてもいいですか?」
「うん、コレね。個人の番号とアドレス」
瑠璃はサラッとメモを書き渡す。
さゆりも同じく「結花」としての連絡先を渡す。
「今まではグループ連絡できたから、気にしてなかった。ありがとう、さゆりちゃん」
パンケーキを食べ終わる頃には昼を随分と過ぎていた。それでも話は尽きなかった。
観光船の乗り場へ移動し、もう一人を待つ。
「あっ」
さゆりは湖畔へ視線を向ける。
少し離れた場所、手を振る女性。
「葵さーん!こっちです」
「遅くなりました」
手には複数の紙袋。
どこか満足そうな顔をした葵が近付いてくる。
「葵さん、お久しぶりです」
「さゆりちゃん。今日はよろしくお願いします」
そう言いながら、紙袋を持ち直した。
思わず視線がそちらへ向く。
「コラボカフェです。馨と一緒だと行きづらいので、思いっきり楽しみました」
「いっぱい買いましたね」
「推し活です」
三人で笑った。
ちょうどその時、乗船案内のアナウンスが流れる。
「そろそろですね」
「行きましょうか」
三人並んで桟橋へ向かった。
芦ノ湖畔には観光客の列が出来ていた。
赤い船体。
大きなマスト。
まるで物語に出てくる海賊船のような姿。
「何回見ても不思議ですよね」
「湖なのに海賊船」
瑠璃が笑う。
乗船口を抜け、甲板へ出る。
春の風が思ったより冷たい。
船がゆっくり岸を離れる。
白い波が広がった。
「わぁ……」
瑠璃が小さく声を漏らす。
湖面は陽射しを受けてきらきら光っていた。
遠くには箱根神社の赤い鳥居。
振り返れば山々が湖を囲み、その向こうには薄く富士山の姿も見える。
観光客達が写真を撮る。
子どもが走り回る。
外国語も聞こえてくる。
いつも宴席へ向かう車窓から見ていた景色なのに。
船の上から見るだけで、まるで違う場所みたいだった。
「観光って、こういう事なんですね」
さゆりがぽつりと言う。
瑠璃は手すりへ肘を置いたまま頷いた。
「そうかも」
箱根で働いていた二人は、しばらく何も言わず湖を眺めた。
「そうだった!二人ともこっち!」
「写真?」
「記念です!」
そう言って二人を促す。
「いいよ」
パシャと端末から軽いシャッター音がする。
自撮りなのでカメラの距離が近い。
でも、瑠璃と葵はアップになっても綺麗な笑顔だった。
すぐに朝比奈さんの端末宛に、
「芦ノ湖遊覧船です」
と短いメッセージと写真を添付して送信する。
今日は、楽しそうな瑠璃と葵の様子を時々写真に撮って、端末に送るように言われている。
すぐに返信があった。
『景さんと馨さんは、二人とも今丸洗い中。無事にノルマを果たす毎にご褒美として活用します』
二人に返信を見せると、葵さんが吹き出し、
「馨、大変ね…」
と笑いながら言う。
瑠璃さんは困ったように笑った。
箱根神社を三人で参拝する。
葵が社務所で納経帳を書いてもらっている間に、御守りを見る。
『良縁』をついついさゆりは見てしまう。
ピンクの可愛らしい御守り。
「ウチはご利益あったとよくお礼参り、されますよ」
葵さんの納経帳を書き終えた、巫女さんが勧める。
「良縁、ないの私だけですよ!?」
とさゆりは苦笑する。
「でも、せっかくなので一つ貰います」
「ありがとうございます」
箱根神社の印字がされた封筒に入った御守り。
少しだけ、重い。
ガラスの森美術館へ着いた瞬間。
「わぁ……」
思わず声が漏れた。
陽射しを受けて、庭園中がきらきらと光っている。
木々に飾られたガラス。
アーチ状のオブジェ。
風が吹く度に光が揺れた。
「すごいですね」
「綺麗……」
瑠璃も立ち止まる。
さっき芦ノ湖で見た景色とはまた違う。
まるで物語の中みたいだった。
「写真撮ります!」
さゆりは早速端末を取り出した。
ガラスのアーチの下へ二人を誘導する。
「え?」
「ここです!」
「また?」
瑠璃が笑う。
「記念です」
「今日そればっかりですね」
葵も笑いながら隣へ並んだ。
パシャ。
ガラスの向こうで二人が笑う。
思わず満足そうに画面を見る。
「可愛い」
「何か言いました?」
「何でもないです」
慌てて誤魔化した。
館内へ入る。
繊細なガラス細工。
色鮮やかな器。
職人の手で作られた作品達。
展示ケースの前で三人とも何度も足を止めた。
「これ家に置きたい」
葵が呟く。
「割りそう」
瑠璃が即答した。
「確かに」
三人で笑う。
気付けば歩く速度も随分ゆっくりになっていた。
急ぐ理由がない。
ただ綺麗な物を見て、綺麗だねと話している。
それだけだった。
夕方には予約済みの箱根の旅館に入る。
宴席では訪れた事のない、こじんまりした料理旅館。
そこで、ゆっくりと瑠璃さんと葵さんの共通した二人の子供時代の話や、葵さんが馨さんから逃げ出した話。
瑠璃さんが最近、お母さんを亡くした話を聞いた。
そして、今の二人がとても幸せだと改めて認識した。
「鷹司氏と馨さんがこだわってる衣装。来月見るの楽しみです。姉さん達、絶対似合ってるのわかるもん」
「軽井沢まで来てくれるの、ありがとう。待ってるね」
翌日も三人でゆったりと過ごして、午後。
今回の花代を瑠璃さんから渡された。
とても変な感じがする。
「なんか、可笑しいね」
さゆりと瑠璃さんが笑う。
三人で箱根湯本駅まで行き、二人を見送る。
「今回は、ご指名いただきまして、ありがとうございました。ご縁がありましたらよろしくお願いします!」
そう言って、さゆりは二人と別れる。
二人が乗った電車がゆっくりと走り出す。
見えなくなるまで、さゆりはそこを動かなかった。
学生の一ヶ月と社会人の一ヶ月。時間の価値観の違いが出てきました。
続きが気になると思っていただけたら、ブックマーク・評価・感想をいただけると嬉しいです。




