結花と招待状
リビングに戻ると、玲はもうラフな服装に着替えていた。
黒の部屋着。
肩の力が抜けた格好なのに、妙に様になる。
そしてまるで、結花がリビングへ戻ってくる時間を計算していたみたいに、部屋には淹れたてのコーヒーの香りが広がっていた。
玲は何も言わず、ソファー前のローテーブルへ二つのマグカップを置く。
自分用と、結花用。
いつもの位置。
その自然さに、結花は少しだけ胸が温かくなる。
「ありがとうございます」
「熱いから気をつけて」
結花がソファーへ腰を下ろすと、玲はテーブルの端に置いていた封筒を手に取った。
「これ、忘れないうちに渡しておく」
差し出された封筒は、厚みのある上質な紙。
縁には控えめに金箔が施されている。
見ただけで、普通の案内状ではないと分かる。
「……なにこれ?」
結花が受け取る。
玲はコーヒーを一口飲みながら、何でもない事みたいに言った。
「景さん達から」
ペーパーナイフを借りて封を開く。
柔らかな箔押し。
洗練されたデザイン。
そして記された名前。
鷹司景&小川瑠璃
並んだ名前。
結花が、驚いたように呟く。
「……姉さん達のウェディングだって……」
玲は肩を竦めた。
「家の事情があるから、本当に身内だけね」
淡々とした言い方。
だが、その後少しだけ苦笑する。
「瑠璃さんの呼びたい人の中に、お前含まれてたぞ。二、三人だったが……」
結花が、ぱちりと目を瞬かせる。
「……私?」
「そう」
玲は何でもない顔でコーヒーを飲む。
だが、結花の胸は一気に熱くなった。
瑠璃が、呼びたいと思ってくれた。
しかも、本当に少ない人数の中へ。
結花は思わず、もう一度招待状を見る。
嬉しい。
すごく、嬉しい。
胸の奥が、じわじわ温かくなる。
玲はそんな結花を見ながら、小さく口元を緩めた。
「顔に出てる」
「……出てない」
「いや、かなり」
誤魔化すみたいに、結花は慌ててマグカップを持った。
だが、口元は隠しきれていない。
しばらく招待状を見ていた結花が、ふと思い出したように顔を上げる。
「馨さん達は?」
その瞬間。
玲が、露骨に嫌そうな顔をした。
「……合同」
「え?」
結花が瞬きをする。
玲は深く息を吐いた。
「景さんが、瑠璃さんとフォトウェディングするって聞いて、自分達もってごねた」
心底疲れた声。
結花は一度、玲の顔を見る。
その表情だけで、容易に想像がついた。
絶対、揉めた。
しかも、かなり巻き込まれた。
景が暴走し、馨が乗っかり、周囲が振り回され、最終的に玲へ全部飛んでくる。
そんな光景が、目に見えるようだった。
結花は堪えきれず、吹き出す。
「ふっ……、あはは……っ」
肩を震わせながら笑う。
玲は不満そうに眉を寄せた。
「笑い事じゃないって」
「だって……っ、想像できる……!」
「俺は連日呼び出されてる…」
「鷹司氏、絶対テンション高い……」
「ホント、うるさい」
玲は本気で疲れている顔をする。
結花は余計に笑ってしまう。
こんな風に、少しだけ気の抜けた愚痴を聞ける事が、
なんだか嬉しかった。
玲は呆れたように結花を見た後、小さく息を吐く。
その目元は、少しだけ柔らかかった。
「5月、軽井沢なんだ……」
招待状の日付を見ながら、結花が小さく呟く。
一度ゲストルームに戻る。
そのまま鞄から、使い込まれたスケジュール帳を取り出した。
またリビングへ行き、自然と玲の隣りに座る。
ぱらぱらとページを捲る。
四月。
五月。
そこにはびっしりと、企業説明会やセミナーの予定が書き込まれていた。
大型の合同企業説明会。
中堅企業、地元企業と続く。
大学の就職支援、面接練習。
エントリー締切。
黒い文字で埋まるページ。
その中へ結花は、少しだけ丁寧な字で結婚式の日程を書き込む。
まるで、大事に印を付けるみたいに。
玲はその様子を、黙って見ていた。
結花は予定を書き終えると、顔を上げる。
「何着ていけばいい? 結婚式呼ばれるの初めて!」
声が少し弾ませている。
玲は一瞬、目を細めた。
結花にとって、“初めて”の経験に自分も関わる。
年齢的にまだ友人の結婚式などきちんとした式へ呼ばれる事自体が初めての結花。
しかも、景と瑠璃の結婚式。
玲はコーヒーを置き、少し考える。
「普通のでいいよ。ドレスコードは平服だし」
「普通って一番難しいんだけど……」
「派手じゃなきゃ問題ないよ」
「それが分かんないの」
結花が困ったように笑う。
玲はそんな結花を見ながら、静かに笑って言った。
「必要なら用意するよ?」
「えっ!?」
「ドレスも靴も」
「いやいやいや!そこまでしなくていい!」
結花が慌てて手を振る。
玲は淡々としている。
だがその顔は、本気だった。
多分彼は、本当に全部整える。
サイズを測らせ、スタイリストを呼び、ホテルまで手配しかねない。
結花はその未来を想像して、思わず笑ってしまう。
「朝比奈さん、絶対やりすぎるもん」
玲は少し眉を寄せた。
「別に普通」
「普通じゃないよ」
笑いながら返す結花を見て、玲は小さく息を吐く。
その笑顔が、さっき合コンで見たものより、ずっと自然だった。
「おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
特別な事は、何もない。
いつもみたいに、自然に言葉を交わして。
玲は寝室へ。
結花はゲストルームへ。
静かに扉が閉まる。
その瞬間。
結花は、暗い部屋の中で小さく息を吐いた。
——重い。
胸の奥が、じわりと沈む。
ベッドへ腰を下ろし、力が抜けたみたいに俯く。
さっきまで、ちゃんと笑えていたはずなのに。
彼の前では、平気な顔をしていたのに。
「……はぁ……」
長く、暗いため息が零れる。
瑠璃の結婚。
それは本当に嬉しい。
自分の“憧れで、神で、推し”。
初めて会った日から、ずっと眩しかった人。
その人が、ちゃんと愛されて、選ばれて、幸せになる。
そんな姿を間近で見られる。
嬉しくないわけがない。
でも。
同時に、嫌でも思い知らされる。
——自分は、何者にもなれていない。
就活が終わらない。
連日開催される説明会。
まずは、エントリー。
送って、返される。
『慎重に検討した結果——』
画面越しの、定型文。
先輩達から、
「お祈り続くから病むよ」
と散々脅されていた。
だから覚悟していた。
していた、はずだった。
でも実際に来ると、地味に削られる。
自分を否定されているみたいで。
周囲は少しずつ、内定や進路を決め始めている。
なのに、自分だけ何もない。
結花は膝を抱える。
(私って……どうしたいんだろう)
普通に就職して、普通に働いて、同じような価値観の人と一緒になって、普通に生きる。
それが正しい、みんなと同じだ。
今この時期に、
玲と居る時間を知ってしまった。
帰れば、暖かい部屋があって。
自分のマグカップがあって。
泊まるのが自然になって。
「寒いから」
と迎えに来てくれる人がいる。
まるで、帰る場所みたいに。
でも、彼は自分とは住む世界が違う。
結花は目を閉じる。
このまま甘えたくない。
玲に話せば、きっと助けてくれる。
結花が傷付かないように。
楽に生きられるように。
多分、いくらでもレールを敷いてくれる。
でも、それは嫌だった。
玲の隣に居るなら、ちゃんと自分の足で立ちたい。
“可哀想だから守られる女”には、なりたくない。
そんな小さな意地だけが、胸の奥に残っている。
だから、苦しくても言えない。
今回もまた関係は変わらなかった。
とっくに心の準備は済んでいるのに。
また、曖昧なまま。
(ねぇ、あなたは私をどうしたいの?)
今日もゲストルームで一人。
静かに夜が更けていく。
結花は静かに毛布へ顔を埋めた。
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