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朝比奈玲まだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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結花(さゆり)、初めての出勤準備②

その時。

「さゆりちゃん、これ着てみな」


ママが、

たとう紙に包まれた着物を抱えて部屋へ入ってきた。


淡い桜色。

そこへ、

白や薄紫の花が流れるように描かれている。


「わぁ……」


思わず、

結花の声が漏れる。


「新人だから、最初は柔らかい感じでね」


ママは、

結花の顔へ着物を軽く合わせながら言う。


「この子、顔が甘いから」

「黒とか濃い色より、こっちの方が映えるわ。」


「うん、いいと思う」

後ろで、

ユリも静かに頷いた。


それだけで、結花の胸がまた騒ぐ。


「帯は……これかな」


ママが、

次は帯を広げる。


淡い金。


派手過ぎないのに、

光を受けると柔らかく輝いた。


「最初から高級なの着せると、

本人が緊張しちゃうしね。」


「でも安っぽいのはダメ。汚さないでよ?」


そう言いながら、

ママは慣れた様子で準備を進めていく。


結花は、

畳の上へ広げられていく着物達を見つめた。


まるで。


自分じゃない誰かへ、

作り変えられていくみたいだった。


結花は、

言われるまま腕を上げ、

身体を捻り、

何度も姿勢を直した。


体の中線に合わせられる、着物

腰紐

伊達締め


次々と胸元から胴へ紐が巻かれていく。


締められる度に、

身体の形が変わっていく感覚。


苦しい。


けれど、

嫌ではない。


「ここ押さえて」


「はい」


「胸元詰めて、もう少し合わせる」


「はい……!」


慣れない手付きで、

結花は必死に布を押さえた。


余った紐は、

形が整う度に外されていく。


必要な物だけが残り、

少しずつ、

着物が身体へ沿っていく。


「うん、綺麗」


姉さんが、

胸元からお端折りを整えながら頷く。


「新人って、

ここガバガバになりやすいのよね。」


「首、もう少し抜いて。」


後ろから指が入り、

衣紋が引かれる。


ひやりと空気が首筋へ触れた。


最後に。


肩に二つ折りの帯が置かれる。

「これ、持ってて」


「はい、くるっと回転して。」

2回転目にだておびを入れる。

そして、肩で持っていた帯を本体の帯と結ぶ


ぐっと、

腹へ圧が掛かった。


「苦しい?」


「ちょっと……」


「そのうち慣れる」


姉さんは笑いながら、

枕に帯揚げをまく、枕の紐を渡す。

「これ、前でくくって、適当でいいよ」


結び。

押さえ。

整える。

帯締めを結ぶ。

「ここがね、こっち向きにハートっぽく見えるように。

そう、はしのしょりはこう」


いらない紐は見えないように帯の間に押し込む。

決してダマにならないように。


最後に、適当に結んでいた帯揚げを、

指先でふわりと形作った。


まるで、

花びらを整えるみたいに。


「はい、完成」


鏡の中。


そこに居たのは、

もう長谷川結花ではなかった。


“はなのや さゆり”が、

静かに座っていた。


「さゆりちゃん、申し訳ないんだけど」

帯周りを最後に確認しながら、ママが言った。


「名刺、まだ出来てないのよ……」

「はい」

「今日は、手書きの名刺作って、

持っていってちょうだい。」


そう言って、

小さな名刺用の紙束とペンを差し出す。


「え、手書きですか?」


「最初は皆そう。」

姉さんが笑った。

「むしろ、手書きの方が覚えてもらえたりするのよ」


「名前、丁寧に書きなさいね。」


結花——いや、

さゆりは、

緊張しながら紙を受け取る。


白く、

小さな名刺。


そこへ、

ゆっくり文字を書く。


『はなのや さゆり』


自分で書いたはずなのに、

まだ少し他人の名前みたいだった。


「電話番号は、ここ。」

「はなのやの代表番号。個人のは教えないように」

「裏、空いてるから、

一言書いてもいいわよ。」


「ありがとうございます。」


さゆりは、

真剣な顔で何枚も名前を書いていく。


その様子を見て、

ユリが小さく笑った。


「字、綺麗だね。」


「……っ。」


推しに褒められた。


それだけで、

もう今日は頑張れる気がした。


その後、次々とやってくる同部屋の姉さんに挨拶する。

「よろしくね、今日は宴席違うけど、頑張ろうね」

と励ましてくれるヒトもいれば、

「あっ。そう…」

とただ一言だけのヒトもいる。


大まかな集合時間の前に、

ママが手配したタクシーに乗り込む。


タクシーでも、作法を学ぶ。

「今日は二人だから、このまま乗るけど。

一番乗りにくいところに座るのが新人さん。

一番出入りしやすいところが大きいお姉さん。

お金は、サッと払えるように準備して。

お釣りが出せるように常に小銭を用意すること」

「他の置き屋のお姉さんが先に乗って、

相乗りのときもあるし、挨拶しながら素早く乗ってね」

「はい、どんな挨拶ですか?」

「例えば、さゆりです、今日はお願いします。とか」

「宴席を貰った置き屋さんの姉さんがリーダーだから、

宴席始まるまでに、今日はありがとうございます。

って挨拶するの」

「挨拶、多いですね」

「こちらが、宴席貰って仕切る時は、

向こうが挨拶にくるよ」

「後口を貰ったりしたら、その姉さんに後日会った時にお礼を言ったり。

基本的に人間関係を上手くするには、

コミュニケーションが必要になるから。かな?」


結花はここも、女の園なんだなぁと漠然と感じた。


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