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朝比奈玲はまだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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祭りの後

玲視点→奈緒(結花友人)視点→後輩(玲の後輩 高橋翔平)

 東央エンタープライズから届いたメールは、驚くほど簡潔だった。


 件名『学園祭ライブ同行御礼およびご報告』

 

 味気ないほど事務的な文面。

 学園祭ライブへの同行に対する謝辞。

 ライブ内容への高評価。

 将来的な可能性についての言及。

 そして最後に、

『今回の商品化・契約化につきましては、見送らせていただきます』

 そう記されていた。


 玲は、静かに画面を見つめる。

 理由は、どこにも書かれていない。


 だが——、分かった。


 佐々木は、察したのだ。

 あのライブは、売れる。

 間違いなく。

 観客を呑み込み、感情を抉り、熱狂させる。

 空気を変える力があった。

 未完成であそこまで人を惹きつける存在など、そうはいない。


 あの“ゆいか”を本気で囲えば、メジャーデビューも、武道館、ドームツアー、ワールドツアーも現実になっただろう。

 数字的例えると、本社ビルを建て替える話も現実味を帯びる。

 それほどの逸材だった。

 

 だが、佐々木は最後に見てしまった。

 衝立の向こう側。

 壊れかけの王様が、名前を呼ばれてただの一人の女へ戻る瞬間を。

 あれは、商品ではない。

 少なくとも、これ以上削っていい類のものではなかった。


 玲は、小さく息を吐く。

 胸の奥に、僅かな安堵が落ちる。

——良かった。

 そう思ってしまった自分に、玲は気づいていた。

 もし東央が本気で動けば、“ゆいか”はもっと大きくなった。

 多くの人間が、彼女を欲しがった。

 もっと遠くへ行けたかもしれない。

 だが……。

 玲は、静かにメール画面を閉じる。


 その先にいるのが“ゆいか”ではなく、“結花”でいて欲しいと思ってしまった。


 玲は上司に同行の報告と、エンタープライズの結論を併せて報告した。

 景は顔も上げず、

「まぁ、そうだろうな」

 と驚きもしない。


 東央エンタープライズから送られてきたライブ映像が、大型モニターへ映し出される。

 歓声。

 赤い照明。

 逆光。

 講堂全体を呑み込む熱狂。


 その中心で、“ゆいか”が歌っていた。

 景は、呆れたように肩を揺らした。

「この熱量を無視できるとか…」

 モニターの中では、“ゆいか”が歌っている。

 崩れそうなほど、感情を乗せながら。


 景は、ニヤリと笑った。

「お前、鈍感か?」

 

 玲は、黙ったまま映像を見る。

 

 赤い照明。

 揺れる声。

 何度も、こちらへ向いていた視線。


 そして、小さく息を吐いた。

「……気づきましたよ」

 景が、片眉を上げる。

 玲は、視線を逸らさないまま続けた。


「途中で…」

 景は、モニターへ映る“ゆいか”を眺めながら、面白そうに笑っていた。

 玲が途中で気づいた。

 名前を呼んだ。

 もう逃げていない。

 それだけで、大体察している。

 景は、ソファへ深く腰掛けたまま軽く顎を上げた。


「で?〝さゆり“か〝ゆいか“、どっちの名前でもいいが、俺たちへの紹介はいつだ?」

 玲は、数秒黙る。

 景が、その沈黙だけで何かを察した。

 嫌な予感がする。

 玲は、視線を逸らしたまま答える。


「……まだ、付き合ってません」


 景の呼吸が止まる。

 モニターの中では、

「名前を呼んで」

が流れている。

 だが景は、ゆっくり玲へ顔を向けた。


「……は?」

 玲は、無言を貫く。


 景は数秒玲を見た後、とうとう吹き出した。

「いや待て」

 肩を揺らしながら、本気で笑っている。

「お前、手は早い方だったよな?」

 玲の眉が、僅かに寄る。

 景は、完全に面白がっていた。

「名前を呼んで、抱き締めて、持って帰りかけて。それで、付き合ってない?」

 景、笑いを堪えきれない。

「お前、本当に恋愛だけはポンコツだな!」


【奈緒視点】

 奈緒は、スマホ画面を指先でゆっくりスクロールした。

 学祭ライブ後。

 案の定、ネットは祭りになっている。


『王様に抱かれ隊』

『後方スーツ何者』

『名前を呼んでで脳焼かれた』

 好き勝手に騒ぐ匿名達。


 考察、妄想、切り抜き、感情。

 どれも熱量だけは凄まじい。

 奈緒は、流れていく文字列を読みながら小さく口角を上げた。

 やっぱり、食い付いた。


 あの日、講堂にいた人間だけじゃない。

 動画越しでも、空気を持って行かれている。


 特に面白いのは、『誰か一人へ歌ってた説』辺りだ。


 奈緒は、思わず吹き出す。

「惜しいんだよなぁ」

 小さく呟く。


 だが、誰も正解には辿り着けない。

 まさか、あの後方スーツがあんな顔で見ていたとは。


 そして、“ゆいか”の方も完全に落ちていたとは。

 誰も知らない。


 奈緒は、スマホを閉じながら楽しそうに笑った。

「そりゃ、脳焼かれるよねぇ」

 奈緒は、しばらく掲示板を眺めた後ふっと笑った。

 匿名達は、好き勝手騒いでいる。


『後方スーツ絶対彼氏』

『いや初対面説』

『王様に抱かれたい』

『身体中から愛溢れてた』

 どれも外れていて、どれも妙に惜しい。

 奈緒は、小さく肩を揺らした。


 そして、少しだけ考える。

——まぁ、これくらいならいいか。

 指先が、静かにキーボードを叩く。


『ちなみに後方スーツ、彼氏じゃないです』

 送信。

 数秒。


 掲示板が、爆発した。


 奈緒は、流れ始める阿鼻叫喚を眺めながら、楽しそうに笑う。

「あーあ」

 完全に、燃料投下だった。


【高橋翔平(26)】

 グループ本社営業部所属の朝比奈の後輩である高橋翔平は、昼休みスマホを眺めながら吹き出した。


 学祭ライブの切り抜き動画。

 バズっていたから、何となく開いただけだった。

 最初は普通に見ていた。

 (ゴスロリ派手だな。でも歌、上手いな。いゃあ最近の学生怖ぇ)

 そんな程度。

 だが、動画後半。

 赤い照明の中、客席後方が一瞬映る。

 そこに、見覚えしかない黒スーツが立っていた。

 俺の指が、止まる。


 数秒の沈黙、そして…。

「……は?」

 思わず巻き戻した。


 長身。

 黒スーツ。

 壁際。

 立ち方。

 横顔。

 どう見ても、

——朝比奈先輩だ。


 俺は、静かにスマホを閉じた。

 嫌な予感しかしない。


 そして、何となく辿り着いた掲示板で更に吹き出す。

『後方スーツ』

『身体中から愛溢れてた』

『静かな執着攻め』

 好き勝手言われている。


 しかも、妙に解像度が高い。

 俺は、腹を抱えて笑った。

「いや、バレてんじゃないですか朝比奈先輩……」


 午後。

 執務室の朝比奈先輩を見て、俺は資料を抱えたまましばらく葛藤していた。


 聞きたい。

 めちゃくちゃ聞きたい。


 だが……、

 相手は、あの朝比奈玲。

 俺は好奇心に負けた。

 

 朝比奈先輩は、しばらくスマホ画面を見ていた。

『静かな執着攻め』

『身体中から愛溢れてた』

『王様に抱かれたい』

 好き勝手並ぶ文字列。

 先輩は、無言のままスマホを返した。

 俺は、まだ肩を震わせている。


「いやほんと、何なんですかこれ」

 先輩は、小さく息を吐いた。

「知らん」

 真顔だった。


 そのせいで余計面白い。

 俺は、笑いを堪えながら続ける。

「ていうか“後方スーツ”で通じてるの強過ぎません?」

 先輩は、無言。

 俺は、ニヤニヤを隠さない。

「しかも“彼氏じゃない説”で掲示板爆発してましたよ」


 その瞬間、先輩の眉が僅かに動いた。


 俺は見逃さない。

「え、そこ反応するんです?」

 先輩は数秒黙る。

 それから…。

 

 静かに、とても静かに聞いた。

「……なんで、彼氏じゃない事になってんの……」

 俺は、とうとう耐え切れなかった。


「いやそこですか!?!?」


朝比奈がようやく結花を手放せなくなってきました。

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― 新着の感想 ―
読み返し! 書きすぎてはあれかなー?と思っておりましたが、やはり感想を置きたくなりました! ゆいかが歌った歌。 玲さんに向けて歌った曲で鳥肌立ちました!! 名前を呼んで 歌詞はどんな歌詞だったのか…
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