朝比奈玲は誘われる
会議終わり。
東央エンタープライズ
東央エンタープライズ企画開発部部長 佐々木は、
資料を閉じるとコーヒーを片手に笑った。
「しかし、大学の学祭でここまで騒ぐかね」
向かいでは、
企画開発部の若手社員が、タブレットを覗き込んでいる。
「学祭きっかけのアーティスト今も昔もいるでしょ」
「今年かなり来ますよ。外部も」
「過去動画、もう結構回ってます」
「へぇ」
軽く返しながら、佐々木は再生ボタンを押した。
暗転。
赤照明。
逆光。
そして
「紅だァァァーーーーッ!!」
思わず、少し笑う。
「華があるな」
「ですよね」
「ただ、まだ荒い」
「そこが良いって声もあります」
「まぁ、分かる」
若手社員が、少し声を落とした。
「競合他社が、
獲得に向けて囲い込みの準備に入ったと噂が……」
「うちも、うかうかしていられません」
現場は、すぐにでも獲りに行きたい勢いだった。
そんな雑談の最中。
佐々木は、もう一度動画を見返す。
粗い画質。
歓声。
素人撮影。
それでも。
画面越しに伝わる、熱量。
これは単なる
「歌が上手い学生」
ではない。
客席ごと空気を持っていっている。
佐々木は、少しだけ眉を寄せた。
「……危ないな」
若手社員が顔を上げる。
「え?」
「こういうの、周りが先に熱狂する」
静かな声だった。
「本人が理解する前に、“才能”にされる」
「それで壊れるのは、この業界よくあるからな」
若手社員が、黙る。
佐々木は、コーヒーを飲みながら、
もう一度映像を止めた。
逆光の中。
マイクを握る、“ゆいか”。
まだ荒い。
まだ学生。
なのに
「空気だけは、もうプロ側」
だった。
佐々木は、しばらく映像を見たまま黙っていた。
そして、ふと笑う。
「現場、これ絶対好きだろ」
若手社員は即答する。
「かなり。もう“今すぐ行きたい”派が多いです」
「学生のうちに囲いたいって」
佐々木は、小さく息を吐いた。
「早いなぁ」
だが否定はしない。
この業界では『見つけた時点で始まる』からだ。
遅ければ、持っていかれる。
若手社員が、少し迷いながら言う。
「ただ……本人、まだ意識が普通の大学生です」
「就活もしてるみたいで……」
佐々木は、そこで少し笑った。
「そこが、一番厄介なんだよ」
佐々木は、自席へ戻るとしばらくモニターを見ていた。
再生停止された画面。
逆光。
赤照明。
マイクを握る“ゆいか”。
そして、
SNS分析資料。
競合動向。
拡散推移。
現場側の熱量。
小さく息を吐き、キーボードへ手を置く。
メール作成。
件名。
学祭概要。
添付資料。
動画URL。
全部、手早い。
送信先はグループ本社の忙しい人達だ。
繋がるとは、正直思っていない。
だがもし可能なら。
彼らがいれば、交渉はかなり楽になる。
少なくとも
「大人の男だけで女子学生へ行く」
よりは、ずっといい。
送信。
そして佐々木は、スマホを取った。
発信。
数コール。
やがて、落ち着いた声が出る。
「はい。経営企画室、朝比奈です」
低い。
通る声だった。
無駄に声が良い。
佐々木は、少しだけ姿勢を正した。
「こちら、東央エンタープライズ開発企画部、
佐々木と申します……」
短い沈黙。
向こうも、メールを確認したのだろう。
佐々木は、穏やかに続けた。
「学祭案件の件で、
一度ご相談できればと思いまして…」
一瞬の沈黙。
向こうも、メールの件を思い出したのだろう。
「メールでお知らせしました件、
ご同行願えないでしょうか?」
つまり。
大学学祭。
“ゆいか”。
その視察。
電話の向こうが、静かになる。
佐々木は、少し言葉を選ぶように咳払いをした。
「現場側が、少々熱くなりすぎていまして」
電話の向こうは静かだ。
「……熱く?」
「ええ」
佐々木は、苦笑混じりに資料を捲る。
「“原石だ”“すぐ押さえるべきだ”“囲われる前に”
……好き勝手言ってます」
低い笑い声が、向こうで小さく漏れた。
だがすぐ、静けさへ戻る。
佐々木は続けた。
「ですので、
一度経営側の視点からご意見を伺いたいのと……」
少し、
間を置く。
「……申し上げにくいのですが」
「?」
「女子学生に、対応していただきたいのですよ」
今度こそ、向こうが黙った。
佐々木は完全に苦笑している。
「おじさんが行っても、中々難しいので」
「警戒されますし、空気も硬くなる」
「ですが貴方なら、まだ自然に話せる」
数秒の沈黙。
やがて
「……買い被りでは?」
「いいえ」
佐々木は、素直に返した。
「少なくとも、学生へ威圧感を与えるタイプではない」
「それに」
少しだけ、声を落とす。
「貴方、こういう“危うい才能”嫌いじゃないでしょう?」
その瞬間だけ。
電話の向こうが、完全に静かになった。
佐々木は、少しメモを取りながら、
スケジュール表を確認する。
電話の向こうの男は、終始落ち着いていた。
感情の起伏も薄い。
いかにも、仕事が出来るタイプ。
「……わかりました。調整します」
「助かります」
佐々木は、素直に返す。
「このままだと、学生相手に名刺合戦始めそうなんですよ」
電話の向こうで、小さく笑う気配。
「あり得そうですね」
「でしょう?」
佐々木は、肩を竦めた。
「だから一度、冷静な視点が欲しいんです」
「動画だけだと、現場はどうしても夢を見るので…」
「……」
「本当に商業へ乗せられるのか」
「一過性なのか」
「ただの学生の熱狂なのか」
「その辺、外から伺いたい」
数秒、静かな間。
やがて
「承知しました。ではまた」
佐々木は、少し安心したように笑う。
電話が切れる。
静かになった部屋で、佐々木は資料を閉じた。
モニターには、
例のライブ映像。
「さて」
「現物は、どこまで凄いかな」
朝比奈玲は、
在宅ワーク中の上司にメールで先ほどの打診をメールする。
すぐに折り返しがかかって来た。
「朝比奈、お前が処理しろ。俺は感染症で隔離期間が伸びた」
先日、上司がどこかから拾ってきた『ユリ』
「彼女は大丈夫ですか?」
「あぁ、お前の母親が世話をしてくれている」
本家から、朝比奈の実母が応援に来ている事が確認できた。
「なるほど」
「動画の件は確認した。お前の好きにしろ」
そう言って通話は切れた。
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景とユリ(瑠璃)は「彼のたいせつな、…。」シリーズとしてNoteに掲載しています。




