友人美里から見た長谷川結花と学祭2年生②
結花2年の学祭後編です。
幕が落ちた瞬間、
悲鳴みたいな歓声が上がった。
そこにいたのは、いつもの結花じゃない。
黒。
赤。
フリル。
重い厚底ブーツ。
ツインテールが、照明を裂くように揺れる。
そして——声。
高い。
鋭い。
なのに、軽くない。
耳へ刺さるというより、腹を抉られる。
空気ごと震わせるような、圧倒的なパワー。
細い身体の、どこにそんな声が入っているのか、
意味が分からなかった。
しかも“ゆいか”は止まらない。
厚底ブーツで、ステージを駆ける。
走る。
煽る。
笑う。
マイクを握り締めたまま、客席へ視線を投げる。
その度に、歓声が跳ね上がる。
まるで、最初からそこが自分の場所だったみたいに。
私は、シンセを弾きながら、少しだけ怖くなった。
——なんで今まで、隠れていたんだろう。
この人は。
そんなことを思った。
さっきまでのロックが、まだ身体へ残っていた。
歓声。
熱。
ドラムの振動。
その空気を、“ゆいか”は一度静かに切る。
シンセが入る。
今度は、鋭い電子音。
照明が変わる。
赤から、
紫。
青。
不安定に揺れる光。
「次、ボカロ!?」
客席がざわつく。
だが、イントロが流れた瞬間、空気が変わった。
“ゆいか”が、ゆっくりマイクを口元へ寄せる。
さっきの紅みたいな、叩きつける声じゃない。
もっと、剥き出しだった。
愛されない。
不公平。
普通じゃない。
コンプレックス。
まるで、心の奥をそのまま抉り出すみたいに歌う。
なのに。
その声は、折れていない。
むしろ、燃えている。
——それでも生きてやる。
そう叫んでいた。
私はシンセを弾きながら、客席を見た。
驚いた。
泣いている。
女の子だった。
しかも、一人じゃない。
俯いて、涙を拭っている人が何人もいた。
その光景に、少し鳥肌が立つ。
“ゆいか”は、ただ上手いんじゃない。
人の触られたくない場所を、無理矢理引き摺り出す。
なのに、最後には
「それでもいい」
と、肯定してしまう。
だからみんな、泣くのだ。
照明が、さらに落ちる。
赤も、
紫も消えた。
残ったのは、
淡い白と、
深い青だけ。
さっきまでステージを駆け回っていた“ゆいか”が、
今度は静かにこちらへ歩いてくる。
そして、私のシンセの隣へそっと腰を下ろした。
会場が、
息を呑む。
厚底ブーツを揃え、俯いた横顔は、
さっきまでとは別人みたいに静かだった。
アコースティックギター。
ピアノ。
余計な音が、何もない。
その中で、“ゆいか”がマイクを持つ。
そして——
「わたしは神の子」
澄んだ声だった。
叫ばない。
刺さない。
なのに、逃げ場がない。
腐敗した世界。
救いのなさ。
孤独。
こんなはずじゃなかった人生。
どこにも行けない痛み。
それを、まるで祈りみたいに歌う。
客席は、完全に呑まれていた。
誰も動かない。
歓声すらない。
ただ、聴いている。
私は鍵盤を押しながら、横を見る。
“ゆいか”は、
泣きそうにも見えた。
でも同時に、誰より強く見えた。
光の届かない場所で、
それでも生きている人間の声だった。
最後の音が、静かに伸びていく。
ピアノ。
ギター。
そして、“ゆいか”の声。
細く、
長く、
祈るみたいに空気へ溶けていく。
完全な静寂だった。
誰も動かない。
拍手すら、起きない。
起こせない。
まるで全員、まだ曲の中へ取り残されていた。
私は、鍵盤へ置いた指をしばらく動かせなかった。
やがて“ゆいか”がゆっくり顔を上げる。
そして——
ぱっと笑った。
まるで、さっきまでの空気をわざと壊すみたいに。
「最後の曲だよ!」
その瞬間、少しだけ客席が揺れる。
ドラムセットから
シンバルが鳴る。
私は反射みたいに、次のシンセを入れた。
そして、
“ゆいか”が歌い出す。
「わたしが私の事を愛して何が悪いの?」
客席のどこかで、吹き出す声がした。
沈み切っていた空気へ、小さな笑いが広がる。
あまりにも、温度差が酷い。
さっきまで、
世界の終わりみたいな顔で歌っていた女が。
今度は、首を傾げて笑っている。
スカートを翻し、ぶりっ子ポーズに軽いステップ。
そのギャップに、みんな耐えられなかったのだろう。
けれど。
“ゆいか”は、
楽しそうだった。
ライブが終わる頃には、もうSNSが壊れていた。
最初は、普通の学祭タグだった。
「軽音サークル良かった!」
そんな、よくある投稿。
でも途中から、明らかに流れが変わる。
「“紅だァ!”で鳥肌立った」
「やばい、あれ学生???」
「最後のあざといの何???」
「情緒壊された」
タイムラインが、一気に“ゆいか”で埋まり始める。
動画も上がる。
ただ、まともに撮れていない。
照明は暗い。
音は割れている。
歓声も混ざる。
それでも伝わる。
高いのに、腹を抉る声。
ステージを駆け回る、厚底ブーツ。
月光で、座り込んで歌う横顔。
そして、最後にスカートを翻して笑う姿。
全部断片的なのに、脳へ残る。
特に伸びていたのは、「神の子」だった。
「この人誰?」
「泣いてしまった」
「怖いくらい引き込まれる」
「神様みたいだった」
そんな投稿が、次々流れる。
だが同時に、
「最後、可愛すぎて意味分からん」
「同一人物???」
「情緒返して」
も、大量に流れていた。
気づけば学祭タグとは別に、
「ゆいか」
という単語だけが、独り歩きを始めていた。
でも当の本人は、楽屋裏で頭から水を被りながら、
「あぁ〜、喉終わった〜」
と、笑っていた。
後日。
学食で、ポテトを摘みながら、
私は一度聞いてみた。
「結花さ、今までみんなの前で歌った事ないの?」
「あるよ」
結花は、うどんを啜りながら普通に答える。
「音楽の授業とか」
「……周り、なんか言わなかった?」
結花は、きょとんとした。
「言う訳ないじゃん」
「なんで⁉︎」
「いや、もっと凄い人いっぱいいたし」
また始まった。
私は、半分呆れながら聞く。
「例えば?」
結花は、指を折り始めた。
「先輩、今覆面歌い手」
「は?」
「同期、高校生シンガーソングライターだった」
「待って」
「後輩、民謡日本一」
「何その学校!!」
結花は、ケラケラ笑う。
「あと、のど自慢ファイナリスト多かった」
私は、思わず机へ突っ伏した。
「なんなの、その化け物学校……」
「田舎だから、逆にチャンス多かったのかな?」
そう言って、結花はうどんを食べる。
まるで、本当に普通の話みたいに。
でもその後、少しだけ声色が変わった。
「……凄いの、分かるぐらいには、
みんな努力してたんだよね」
私は、顔を上げる。
結花は、箸を止めたままぼんやり窓の外を見ていた。
「毎日、ずっと練習して」
「人生全部かけてる、みたいな人もいた」
静かな声だった。
「……でもさ、」
少しだけ、笑う。
「それでも、ダメになる人達も見てたから……」
「……」
「だから、自分が!って誇れるほど努力してないし…」
結花は、肩を竦めた。
「それほどではない、って思っちゃうよ」
私は、何も言えなかった。
あの日。
学祭で、人を泣かせて。
SNSを壊して。
“ゆいか”なんて名前まで、勝手に付けられた子が。
本気で、そう思っている。
——この子、
本当に自分を知らない。




