旅行、行こう
前半 さゆり(結花)視点、後半 玲視点
夜の暗闇が、ゆっくりと白んでいく。
時間がない。
さゆりは、ユリをユニットバスに押し込み、用意していたものを、一式並べる。
下着から、全部。
「着替え、あるよ?」
バスタオルを巻いたまま、困った顔でこちらを見る。
さゆりはゆっくりと、首を振る。
「いいですか?」
一歩、踏み込む。
「ブランドはブランドです。それは合格です」
国内有数のメーカー品。綿100%『履き心地快適』と記載されてある。
「でも!」
声が少しだけ強くなる。
「色とか形が、うちの田舎のお婆ちゃんと同じです!」
止まらない。
「ナイよりの、無しです!」
思わず、凄む。
「でも、だって……」
ともだもだ言い返してくる。
「そんなの見るの、さゆりちゃんぐらいでしょ?」
ユリ姉さんは、悪びれない。
「一応、新品を選んだよ?」
——駄目だ。
この人、男を知らなさ過ぎる。
分かっていない。
私とて、友人の話や恋愛ドラマ、漫画の知識だが。
どうやって、ここまで来たんだろう。
一瞬、思考が逸れる。
——いっそ、このまま放り込み、彼の下心を一斉に枯らすか。
……いや。
ダメ。
首を振る。
「さゆりちゃん、これ布の所少なくない?」
不安そうに、手に取る。
「冷えるよ?」
「大丈夫です!」
「かわいい、あったか素材です」
「バストが、いつもと違うんだけど……」
これは、寄せて盛り上げるタイプだ。
いつもとは違う。
ユリ姉さんは泣きそうな声で、文句を言いながらもちゃんと着替える。
——素直だ。
可哀想で、可愛い。
たまらん。
それでも、手は止めない。
今日は、
絶対に、
失敗させない。
清楚なワンピースを着せて、最後にメイクする。
薄く、自然に。
ラインとラメは最小限に。
引き算の手法で、いつもとは全く違う顔になる。
ため息が出る。
「姉さん、一枚撮りますよ」
スマホのカメラを向ける。
最新の機種に変えた事を、心から良かったと思う。
ボタンを押す。
そのまま、メールを立ち上げ、添付、送信。
——もう、動いている。
そろそろ時間だ。
「姉さん、行きましょう」
鍵を閉める。
外に出る。
空気が、変わる。
小田原駅前のロータリー。
すぐに、車が横付けされる。
窓が開く。
「早く」
声が飛ぶ。
中へとユリの背を押す。
自分も続く。
ドアを閉める。
一瞬、静かになる。
全員が、息を吐く。
「……」
言葉はない。
それで、十分だ。
私はやり切った。
【玲視点】
ポケットの中で、短く振動する。
さゆりから、端末に通知がきた。
画面を開く。
「直ぐに出る準備しておいてください。危ないんで」
短い文章。
添付を開く。
一瞬、思考が止まった。
天を仰ぐ。
「……」
息だけが漏れる。
「なんだ?」
隣に座る景が、気づく。
だが、答えない。
——今、
見せるものじゃない。
端末を閉じる。
位置を変える。
駅前のロータリー、すぐに出られる場所へ。
無駄はない。
——来た。
二人が手を繋いで、こちらへ向かってくる。
さゆりが、ユリを必死に引く。
車内へ押し込む。
そのまま、自分も乗る。
ドアが閉まる。
一瞬で、外の空気が切れる。
——多い。
近づこうとする視線。
虫のように寄ってくる気配。
辟易する。
これで、無事に済むのか。
疑問が浮かぶ。
——いや、もう遅い。
アクセルを踏む。
滑らかに、発進する。
だが、ハンドルがやけに重い。
景はバックミラー越しにユリを見て、
「恐ろしいな」
と小さく呟く。
その声をさゆりが拾い、
「もっと褒めて貰ってもいいですよ?」
と得意気に笑う。
車は渋滞に嵌ることなく都内を通過し、羽生で一度車を降りた。
時代劇をモチーフにした作り。
江戸を意識した暖簾。
鰻。
さゆりと二人で顔を見合わせる。
「美味しそうな匂いだけど、今日はスルー」
さゆりはそう言ってお土産コーナーを覗く。
可愛いのかブサイクなのかわからないキーホルダーを手にとっては姉さん好きそうと言う。
自分では買わないらしい。
「いらないのか?」
と聞くと、
「雰囲気!」
と答えがある。
外に出ると、景とユリが二人がゆったりと歩いている。
初夏というよりもう夏の気温で暑くなってきた。
さゆりはユリに、
「姉さん! ソフトクリーム食べよう!」
と声をかけて連れていく。
向かいに景が座る。
全体に緩まった顔。
「いい大人が、だらしない」
低く、落とす。
「……そうか」
言いながらも、目線はユリを追う。
「ソフト、来ましたよ」
ユリが、無邪気に笑う。
「先、食べます?」
景に対して何気ない、一言。
「はい、あーん」
景の動きが完全に、止まった。
「早く、溶けちゃう」
少しだけ、ユリに急されている。
景はそのまま、カップごとユリの手を掴み頬張る。
向かいで、さゆりが一人ソフトを食べている。
視線だけが、こちらを見ている。
「アレ、やっときます?」
玲にニヤニヤと小さく聞く。
「いや、俺は……」
言いかけて、止まる。
一瞬、考える。
それから、口角が上がる。
さゆりの目を見る。
そのまま、わざと官能的に舌を動かし食べかけのソフトを大きく舐める。
顔色が変わるか、さゆりの反応を見る。
「あぁ!」
さゆりが、声を上げる。
「減った!」
ただ、騒ぐ。
すぐに、笑いに変わる。
さゆりとユリは、手を洗いに行った。
男達は、先に車へ向かう。
「手、洗わないんですか?」
玲は一応聞きながら、車に備え付けてあるウェットティッシュを景へ渡す。
指先を拭いながら、景の口元が緩んでいる。
思わず、
「キモい」
と落とす。
「うるさい」
即座に返ってくる。
その時だった。
声が聞こえた気がして、ふと前を見る。
戻ってくる途中の二人が、何人かの男達に囲まれている。
さゆりが、毛を逆立てる猫のように相手をあしらっていた。
だが、相手は引かない。
「……うっるさい!! 相手いるから! あっち行って! 近寄らないで!」
足早に近づくと、さゆりの声がする。
玲は小さく息を吐いた。
——面倒だ。
そのまま、間へ入る。
「俺の連れに、何か用?」
低い声で笑う。
男達は、何も言わずに離れていった。
「ユリ姉さんいるから、虫が凄い」
さゆりが、不機嫌そうに吐き捨てる。
玲は、さゆりの空いている手を掴む。
そのまま、何も言わず車へ向かう。
さゆりも、抵抗しない。
車に戻ると、
「遅れました」
先に乗っていた景へ、さゆりが軽く頭を下げる。
ドアが閉まる。
それだけで、空気が切り替わった。
先程の件など、最初から存在しなかったように。
「時代劇のセットみたいで、楽しかったです」
ユリが、楽しそうに笑う。
「あの木の感じ、好きでした」
「姉さん、ああいうの好きですよね」
さゆりも笑う。
「あと、姉さんが好きそうなキーホルダー、あったんですよ」
「買わなかったの?」
「雰囲気です」
さゆりが即答する。
ユリが、くすっと笑った。
車内に、また穏やかな空気が戻っていく。
「……女子会って、こんな感じなんですかね」
玲が、ぽつりと漏らす。
景は、窓の外を見たまま、
「……さぁな」
とだけ返した。




